2008年2月18日月曜日

コソボの独立宣言とスポーツ


 セルビア共和国南部のコソボ自治州は2月17日、議会を招集しセルビアからの一方的な独立を宣言した。米欧主要国は早期に独立を承認する方針だ。ただセルビアはこれに反発し、情勢はなお不透明だ。このグローバル化時代、相互依存の世界に『独立すること』の意味の何なのか、私には勉強不足で良く解らない。ロシアは独立に反対だ。旧ソ連の国々の独立に弾みをつけるからだ。

 ユーゴスラビアの紛争というのは、多数の異民族が陸続きで移動・交錯する歴史を持たないわれわれ日本人にとっては、理解することが難しい。さらに欧米各国がそれぞれの思惑で紛争に介入するものだから、ますます訳がわからない。激しい武力衝突や残虐行為をしなければならないほど一体なにを揉めているのか。90年代の旧ユーゴ内戦では、20万を超える死者、200万を超える難民を生んだ。  

 今日はなんでこのような話題になったかというと、我々スポーツ関係者には多少の縁があるからだ。コソボの首相の名前は、ハシム・サチとくれば、ああ、あのサッカーのオシムさんとくる。オシムさんは旧ユーゴの代表監督を務め1990年のイタリアW杯でベスト8、その後祖国の分裂に伴い代表監督を辞退、ギリシャやオーストリアのクラブチームで指導者を経て2003年からジェフユナイテッド市原の監督、その後の活躍と脳梗塞で倒れるまでは皆さんのほうが詳しいだろう。出身は現ボスニア・ヘルツェゴビナ(1992年独立)のサラエボ。詳しくは『オシムの言葉』(集英社2005)をお読みいただきたい。

 バレーボール界にも関係者はいる。1996年から2000年までの4年間、17歳の高校生の時からVリーグのデンソーで活躍した世界の大砲バーバラ・イエリッチさん。98世界選手権、99ワールドカップではベストスコアラーを獲得した。2000年のシドニーオリンピックでは全日本女子が初めてオリンピックを逃がした大会であった。日本で開催された世界最終予選で全日本女子がバーバラ・イエリッチを擁するクロアチア(1991年独立)にまさかのフルセット負けを喫したのだ。
2001-2002シーズンではグルビッチ兄が堺ブレザーズで活躍した。2000年シドニーオリンピック決勝では、対戦相手ロシアから2セットを先取、金メダルに王手をかけた第3セットで、強烈に弾かれたボールをカメラ席へ飛び込んで執念のレシーブをし、その数秒後にはコートへ戻り、ロシアの強打を気迫のブロックで見事シャットアウトするという、超ファインプレーを見せた。祖国の内戦、NATO軍の空爆、国際大会への制裁など、様々な苦難を乗り越えて獲得した、ユーゴスラビア悲願の金メダルであった。(
画像) 国はその後、セルビア・モンテネグロとして独立し、更にモンテネグロが独立(2006年)した。グルビッチ兄は2006年までイタリアでプレーしていると聞いている。 先月開催の2008年北京オリンピック欧州予選ではセルビアがスペインをフルセットの末破り代表に決まった。欧州では先のワールドカップ上位国に入ったブルガリアとロシアに次いで3国目だ。
 旧ユーゴスラビア連邦は、スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアの6つの共和国に分裂した。そもそも旧ユーゴは、五つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)、四つの言語(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語)、三つの宗教(東方正教、カトリック、イスラム教)が入り交じり、第一次大戦の時、「ヨーロッパの火薬庫」と言われ、民族紛争の多発地帯であった。
  いかがであろうか、歴史は動いている。我々の大好きなバレーボールにも国際政治が複雑に絡んでいるという認識を持って、今後のコソボをはじめとする旧ユーゴ諸国の情勢を見つめていきたい。
 

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