2008年11月3日月曜日

第16回全国ソフトバレーボール・シルバー・フェスティバル開催











 10月31日(金)から昨日の11月2日(日)まで、標題の交流大会に役員で行ってきた。昨年の広島県三次市での同交流大会には行けなかったこともあり、今回は何としても行きたかったのだ。会場は宮城県北部にある栗原市。今年の6月14日に岩手宮城内陸地震で甚大な被害を被ったところ。宮城県ソフトバレーボール連盟と私は、実は10年前の連盟発足当時からの長いおつきあいがある。会長の佐野さん、理事長の三浦さん、役員の方々とは毎年のように県主催の講習会を開催していただき、一緒になって東北のソフトバレーボールの普及のために、まず宮城県からがんばろう、と10年ほど活動してきた。
  県内での普及が進むにつれ、岩手県に近い北部の栗駒山のふもとにある瀬峰町からもチームが県大会に参加してきた。その中に、今回の地元開催地実行委員会会長である佐々木幸一さんがいた。当時は町議会の議長の要職にあるにもかかわらず、「ソフトバレーは楽しい」と練習を続け、とうとう全国ねんりんピックや全国シルバーにも県代表で出場するまでに腕を上げてきた。5年前であったろうか、三浦理事長と佐々木さんとで話し合っているときに、誰からともなく「全国大会を宮城県でもやって、全国の仲間に宮城県に来てほしいね」そんな会話が出てきた。そして、3年前に平成の大合併で、10町村が合併し人口8万余りの「栗原市」が誕生した。では合併記念交流大会を開催できないものかと佐々木さんに相談したところ、栗原市でも議長に就任した佐々木さんが奔走して今回の開催となったわけである。1年かけての準備が着々と進んでいく中で、今回の地震が我々の夢実現の前に立ちはだかった。死者も出た震災の復興もままならないこの時期にスポーツイベントをやってよいものか、市民感情を害しないか、日本連盟も悩んでいたが、栗原市長の「だからこそ開催してください。市民を元気づけていただきたい。全国から人が大勢来てくれることが栗原市が元気になる源です」との言葉で8月に開催を決意した。
 閉会式,佐々木さんが閉会のあいさつで全チームの前に立った。マイクを前にして顔を床に落としたまましばらく声が出なかった。佐々木さんは泣いていた。ここまでこぎつけた苦労が一気に感極まり言葉が出てこなかったのであろう。涙声で、それでも言葉を一言ひとこと全国の参加者にお礼の言葉を述べた。選手も、私も目頭が熱くなった。「栗原市は頑張ります」そう言って佐々木さんの挨拶は終わった。数年して復興したら、今度は「復興記念大会」をやろう。私の次の目標が決まった。
スポーツは人を元気にする、と以前は考えていた。今回の経験はそれが間違っていたことを学習した。スポーツが人を元気にするのでなく、「人がスポーツを介して人を元気にする」のだ。人が元気になれば、地域も元気になる。地域が元気になれば日本も元気になる。
(画像は上から、①日本一の白鳥飛来地を実感、②大会風景、③東京都ソフトバレー連盟の役員応援団 、④東京都代表チームの役員で構成している「TOKYO」の入場行進、元全日本監督女子の岩本先生も選手としては全国大会初出場で緊張気味。「国際大会のベンチで指揮するより緊張した。全日本の選手たちの気持ちがよくわかった」と言ったとか言わなかったとか・・・)

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めてブログに投函する。
渡辺さんの手際よい早い掲載に敬服します。
内容は私の焦点と違うが、シルバー大会の開催に関係された方有難うございました。
大会に関しては、1つ、優勝賞品が金メダルなしの串焼きの肉。持ち帰る訳にはいかず仙台の牛タン屋で焼いてもらい少し食べただけでした。一考して欲しかった。
飛来している沢山の白鳥は福岡から来た者にとっては珍しい風景でした。