2008年12月14日日曜日

小笠原村父島・母島バレー行脚 その3


■12月8日(月)久し振りに陸地で寝て頭がすっきりとした。天候はうす曇りで気温22度。教室は夕方から夜にかけて行われるので、午前中と午後3時まではフリータイム。2年前は、この時間帯は「海上視察」というタイトルであった。初め「会場視察」の間違いかと思ったが、「泳げる準備をしてください」と言われて動力付きの小舟に乗せられた。湾を出てしばらくして「この辺りでいいでしょう。水中グラス付きシュノーケルと足びれをつけてください」日焼けした船長が言う。なんだ、沖合いでの水泳かなと思っていると「今です。この真下にいます。ゆっくりと船から降りて海中を見てください」との船長の声に促されて海中に入り足もとに目をやると、目の前にイルカの大きな瞳?があるではないか!驚いて海水をたらふく飲んであわてて海上に飛び出た。体長2m近いイルカは可愛いというより、ちょっと怖い。イルカとの通信能力がまだ備わっていない私にとって、2年前の「海上視察」はそれ以降私の得意分野ではない。

 さて、午前中、岩本先生は島の釣りクラブの人間と、岸壁でのシマアジ釣りに出かけた。私は村役場の中にある教育委員会に案内していただき、小笠原のスポーツイベントの歴史を調査させていただいた。返還20周年を記念して開催された小笠原諸島・伊豆諸島が一堂に集まっての駅伝大会が16年続いて解消された理由がこの地で解かった。東京都からの援助が打ち切られたのだ。つまり財政的な問題であったということだ。駅伝はその後も小笠原村内では12月に継続開催されている。小笠原諸島・伊豆諸島が一堂に集まっての島嶼対抗駅伝大会が解消されるのと前後して、島嶼を巡るソフトバレーボール交流大会が始まったのは何かの偶然なのか。

 島々を巡ってのソフトバレーボール交流大会は、再会の喜びを育むだけでなく、島々の住民の共感を育むことで島々の連帯感の醸成につながっているのではないかと考えている。スポーツの中でもとりわけ老若男女が取り組みやすいソフトバレーが最適ではないかと提案できる。島内で従来行われてきた、また行われている柔・剣道、相撲、野球、ソフトボール、ゲートボール、サッカーは性・年齢に制限があった。それは男性だけであったり、少年だけであったり、高齢者だけであったり特定の性・年齢に偏っていた。ソフトバレーボールは「誰でも」その人のレベルで楽しくプレーできる生涯スポーツの発明品だ。

 さて、教育委員会での聞き取り調査も多くの成果を得て、岸壁での岩本先生の釣りの成果を視察に行った。お隣の釣り師のクーラーBOXには大ぶりのシマアジが数枚と水タコ一匹が入っていた。わが師の岩本先生のBOXには・・・。

 島においての部活は結構大変だ。まず、中学生の部員数が足りない。中学校は島に一つだから練習試合の相手がいない。船で二時間の母島の中学校にはバレー部がない。高校にもバレー部がない。在校生の少ない子供たちは色んなスポーツをやりたがり、分散する。男はサッカー、女はバレーボールというわけにはいかないのだ。それでも父島中学校女子バレー部の二人の顧問の先生は諦めていない。夜の指導者講習会後に我々との夕食会にもお顔を出され、熱心に我々二人に指導法を聞いていた。 (画像は、手前が岩本先生で恰好が様になっている。翌朝の朝食にはお隣の黄色シャツの釣りの師匠が釣ったシマアジを刺身にして、山葵(わさび)の代わりに島唐辛子をチョンとつけて頂いた。)

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