2009年3月24日火曜日

春高バレー4日目


 昨日は一日の中でいろいろなことがあった。正確には20日の開会式から始まった。私が高校バレーの数チームに関与していることは皆さんご存知の通り。関与と言っても大したことはしていない。ほとんどは監督と食事をしてバレー界の話題を収集しているにすぎない。時には指導も依頼されるが、直接生徒に指導することはめったになく、監督を通じての間接的指導だ。私のバレー理論は2人制のビーチバレー、4人制のソフトバレー、6人制の国際式バレー、9人制の日本伝統のバレーをミックスした形での技術理論であり戦術である。

 春高の会場の代々木体育館では、実に多くのバレー関係者と再会する。一昨日も解説で来ていたビーチバレーの高橋有紀子さん。今度ビーチバレー全日本ユース年代のコーチに就任するという。昨日は彼女とペアを組んでシドニーオリンピック4位に入賞した藤田幸子さんがご主人と挨拶に来た。実は彼女のお父さんが彼女とソックリなのだが(これは当たり前か?)、お父さんが大和南の陣中見舞いに見えて、チーム応援団のところまでお連れしたばかりであった。

 話はとんで、その神奈川県立大和南の今回の目標はベスト8以上だったのが、昨日、長崎県代表の九州文化学園に勝ってしまってベスト8になってしまった。九州文化学園は、バレー界では九文(きゅうぶん)と称され、ここ10年間で日本一の回数が一番多い名門チームである。今回も優勝候補に挙がっていた。そこに2-0で勝ってしまった。昨年もベスト16決めで対戦しているが、昨年の対戦はなんと35分間であっさりと料理されてしまった苦い思い出がある。今回は倍の70分間はコート上に立っていましょうと、大和南の飯塚監督と試合直前に話し合っていた。試合というものは本当に判らない。実力的には、九文が一枚上だと思うが、強いチームが勝つわけではない。勝ったチームが強いのだ。

 勝利後、しばらくして私は応援団席に上がって行き、3年生たちを探した。昨年代表になったチームは、主要メンバーの3年生たちは、実力的には神奈川県でベスト8のレベルのチームであった。前年度インターハイで初めてベスト4に入ったのであるが、そのチームから5人がごっそりと抜けたチームで新チームはとても神奈川県代表には程遠い陣容であった。その劣勢を彼女たちははね返し春高代表になり2回戦まで進出したのであった。私の言いたいのは、昨日の大和南の快挙は前年の先輩たちが全国の道を繋いでくれたからこその快挙であるということだ。3年生たちを探し「今日のこの結果はお前たちが昨年頑張ったからだ、良かったな・・・」と褒め讃えた。

 昨日は大和南の試合の隣のコートで、東洋高校が、これも優勝候補の長崎県代表の佐世保南を激戦の末2-0で勝利を手中にした。ベスト8に入ったのは東洋高校が北畠新監督になって10年ぶり2回目だ。昨年は卒業生の体操の内村航平君が北京オリンピックで金メダルを取り、バレー部の子供たちにも「やればできる」と、勇気づけられた。その効果が出たのかも知れない。

 昨夜は東洋高校の後援会があった。後援会というのは、同窓会、父母の会(PTA)、さいかち会(父母の会のOB・OGの集まり。学校の脇のさいかち坂から命名)の3つの組織の総取り締の会。私もPTAの会長をやった経緯で自動的に後援会理事となっている。後援会での会議も済み懇親会での話題はもっぱらバレーボールで、優勝したらどうする?入学式のときに入場行進させようか?いやいや、玄関内にバレー部のパネルを多数張った方が良いのでは?とかまるで既に優勝したかのように校長や事務長がはしゃいでいる。私は一言「部活は良いですね。全校応援を通じて学校が活性化される」と申し上げた。本当にそうだ。活性化されているのは学校もそうだが、我々オジサン連中も活性化されている。体操と違って、チームスポーツのバレーボールはワイワイ応援できる。エースがスパイクを決めると「あいつは俺と同じクラスの奴なんだ」。そんな自慢げな声が聞こえてくる。勝って泣き、負けて泣き、青春ですね・・・。

 さあ、10時から試合開始です。

(画像は読者の方から。はなかんざしの花です。ハナカンザシ(花簪)と言うのは和名、流通名であり、正式名はアクロクリニウムと言いいます)

0 件のコメント: