2009年7月28日火曜日

鼻キュンで想いだしたこと

 涙が出そうになる時、鼻の上が「キュン」と痛くなる。今月の日本経済新聞「私の履歴書」の書き手は、俳優であり歌手でもある加山雄三さんである。言わずと知れた、あの「若大将」である。その若大将が綴った今朝の文面に、50歳前半でなくなった母(女優で体操家の小桜葉子)への心境が語られてあった。
 加山さんが若くして借金を背負うことになり、返済のためにがむしゃらに働いていた時期に『次女の絵美子が生れ、二男二女のにぎやかな家族になった。おふくろに見せたかった。「母よ 長い闇の道 黙って歩いた 妻と幼な児に囲まれた 僕が見えますか」――当時の心境は、岩谷時子さん作詞の「母よ」にずばり描かれている』。
 ここまで読み終えて、朝の通勤電車の椅子の上で、鼻の上の目頭が「キュン」と痛くなった。私は、二女を授かった。長女は大学を出て2年目、慣れない広告関係の仕事で帰宅はいつも深夜だ。次女は大学3年生で、硬式野球部のマネージャーとアルバイトで忙しい。
 私は、小学5年生の頃から高校生まで父と二人きりの生活をしていた。住むところはアパートや間借り、社宅などの仮の住まいで、組合専従活動の父はいつも帰宅が遅く、夜の食事はほとんど私一人で近くの定食屋さんでツケで食べていた。高校を卒業し、東京で浪人生活を始めて1か月目に、父は海で事故にあい他界した。加山さんの文を読んでいて、その父に孫たちを見せたかったな、と共感した次第である。親孝行したい時に親はなし・・・本当にそうだな、と感傷気味の私ではある。
 さて、今夜は我がソフトバレーチームの練習に行く。ここのところ、ジャンプスパイクサーブの練習とサーブレシーブをセットにして練習している。練習後のクーリングダウンは最近ペアのストレッチングを導入している。指導するには指導者も少しは実技を行っているのが良い。選手の気持ちがわかるからね。その意味でも、普段硬いバレーを指導している先生たちが時にはソフトバレーのゲームをプレーヤーとして楽しむことをもっと広めたい。 

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