2012年5月28日月曜日

Fri.May 25,2012 アテネフランセで英会話学習、そして最終予選

週3日は御茶ノ水にあるアテネフランセという語学専門学校に通っている。月、火は、夜の7時から9時まで、金曜日は夜にAmerican gailsのバレーの指導があるので、午前の10時から12時までのクラスを受講している。
 自宅のあるJR船橋駅からJR御茶ノ水駅まで定期も購入して、定年前とあまり変わらぬ通勤電車ならぬ通学電車生活を送っている。
 英語力は学校に通って2ヶ月目なので著しい向上はないものの、週に4時間ではあるがネイティブのアメリカの子供たちや親御さんたちと英語で話しているので、英語に対するストレスは感じなくなってきた。7月にはTOEICという国際的な語学テストも受ける。

 夜は女子バレー最終予選をTVで観戦した。相手は若手主体のキューバ。フルセット、しかも最終セットはジュースになり、危ういところであった。キューバというチームは、好不調の波が激しいチームである。この日もキューバの連続ミスに助けられ辛勝(しんしょう:かろうじて勝つこと)した。キューバのほうは、これで6大会連続オリンピック出場が途切れてしまった。
 いかなる国でも20年間トップの座を保つことは容易ではない。逆に言えば、20年あれば、世界のトップの座に着くことができるともいえる。日本のオリンピックでのメダルは1984年のロスにおいての女子チームが銅メダルを獲得して以来メダルなしの状態が27年間続いている。
 昨年末にミュンヘン金メダル監督の松平康隆氏が逝去され、東京オリンピック金メダルの鬼の大松博文、モントリオール金メダルの知将山田重雄の金メダル監督が全員亡くなった。ここで、日本は先人に今一度学び、彼らの精神を受け継ぎ、日本のバレーを復活させることが残された我々後輩の責務と考えている。
 今のままでは日本のバレーボールの灯は輝きを失っていく。そんな危惧を抱いているバレーボール関係者は結構多い。我々が大好きなバレーボールをこのままで終わらせてはならない。

朝日新聞社の西畑カメラマンが撮った上の一枚の写真。この日、途中出場ながらチーム随一の20得点を記録した迫田選手のバックアタックの空中フォームだ。彼女がいなかったら、この日の試合の結果はまた別のものになっていたかもしれない。まさに、薄氷の勝利であった。写真で見れるように、迫田選手のフォームは、まるで台上でスパイクを打っているかのように安定している。ブロッカーの位置も良く視野に入れて、ワンタッチを狙いながら手首の捻りを外側に利かせながら打っている。肘も肩より高く保持している。お見事である。彼女は、小柄だが強靭な身体を持っているに違いない。特に感心するのは、バックアタックで2m空中移動したあとの着地(landing:ランディング)において、まったく乱れがない。日本の他のバックアタッカーは、床に着地してそのまま全屈伸状態で座り込んでいる。これでは、次のラリーのために自分のバックポジションに速やかに戻ることができない。迫田選手の場合は、普通のスパイクと同様にランディングして、軽やかなステッピング(サイド、クロス、バックのステップを組み合わせて)で自分のレシーブポジションにリターンしている。

0 件のコメント: