2012年6月18日月曜日

Fri.June 15,2012 中村四郎先生 ご逝去

    中村四郎先生が亡くなった。あの先生だけは、不死身だと思っていた。

    お会いすると、いつも「いよう〜、元気かね〜!」と大きな声で挨拶を頂く。初めて会う人は、先生の豪放磊落さに驚いてしまう。そして、話が終わると、その後に「がははは・・・」という豪快な笑い声があり、肩をたたかれて幕となる。黙しているときの先生は古武士然とされているが、笑うとやんちゃ坊主のような笑顔に引きづり込まれ先生のファンになってしまう。怒る時は、「君はね・・・」と「君」を連発されて、顔を不動明王のように真っ赤にされて烈火の如く怒られた。そして、その後は耳元で優しく「しかしね・・・君ね・・・頼むよ・・・おい・・・宜しく」と小声でフォローされる。豪放磊落な見かけの裏には、繊細な心配りがあった。
    日本体育大学の学生時代は、徒手体操部に所属していた。従って、姿勢にはうるさかった。先生が全日本男子シニアのコーチ時代、選手達の話を聞くときの立ち姿はまさに体操選手の起立姿でピシっとしていた。大学卒業後、中央大学附属高校で体育の教員となり、男子バレー部の監督に就任。その後の活躍は、高校バレーだけでなく日本の男子バレーの根幹を築かれた。ミュンヘン金メダリストでセッターの島岡健治、モントリオールオリンピック4位のセッターの丸山孝などが先生の直接の教え子たちだ。四郎先生から精神論を徹底的に叩き込まれた。今の言葉でいうと、トップアスリートとしてのメンタルを鍛えられた。
    駒大高校で名将の宮沢先生、大阪商業大付属の上野先生も既に鬼籍に入られた。今頃、天国でバレー談義に花咲かせていらっしゃることでしょう。

合掌。

中村 四郎氏(なかむら・しろう=全国私立高等学校バレーボール連盟理事長)13日午後1時50分、心不全のため相模原市の病院で死去、79歳。広島市出身。葬儀・告別式は17日午前11時から東京都三鷹市下連雀4の18の20、禅林寺で)

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