2012年7月10日火曜日

Sun.July 8,2012 船橋市ソフトバレー・サマー交流大会に参加

レディースの部、ファミリーの部、ミックス・フリーの部の3種別のソフトバレー交流大会に38チームが会場の船橋市運動公園体育館に集まり、ソフトバレーを楽しんだ。今回で20回目。
 私は、18チーム参加したミックス・フリーの部に我が「大穴クラブ」の監督兼選手で出場した。参加チーム全体の平均年齢は37歳ぐらい。我がチームの平均年齢は62歳で、腰痛の51歳の男性が1人、他は私の60歳含めて最高齢は67歳。平均年齢では、市民大会では、ここ10年間常に堂々の第1位である。大会主催者には、10年前から年齢フリーの部だけでなく、50歳以上の部を創設したらどうか、と提言しているのであるが、まだ実現されていない。
 1チームの試合数は午前中3試合、午後2試合。男性3名、女性3名の6人で構成した我がチームであるが、腰痛持ちの51歳男性と自称病弱体質の61歳男性がいるので60歳の私が全試合、全セットプレーすることとなった。セット数で12セットをプレーして、さすがにアキレス腱周りの筋肉が張ってきた。過去にアキレス腱を断裂しているので、午後からは全力の7割のパワー出力で意識してリラックスしてプレーを行ったが、2日後あたりの筋肉痛が心配である。

 この日、雨宮先生が亡くなっていたことを来賓で見えていた船橋市体育協会会長の関根先生から聞いた。雨宮先生は、船橋市立大穴中学校の教員で女子バレー部の監督として千葉県中学校大会で10回以上優勝させた名伯楽(めいはくらく:人の才能を見抜き、その才能を育てるのが巧みな人)であった。20年前に当時船橋市バレーボール協会理事長であった雨宮先生からソフトバレーの指導を依頼され、それ以後、大穴中学校を会場に「大穴クラブ」の監督をやってきた。私にとって、ソフトバレー界の恩人の1人である。
 ここ10年くらい体調が思わしくないということは聞いていたが、残念である。教育者であり常識人であった。8月に行われる「お別れの会」で最後の御礼を述べたい。

 合掌

4 件のコメント:

ankuma さんのコメント...

突然のコメント申し訳ございません

随分前の投稿でのコメントですが
たまたま拝見したところ
雨宮先生の内容がかかれていてびっくりしました

私は雨宮先生が大穴中学校で顧問をしていた最後の生徒です
中学時代のバレーボール生活は本当に充実しており26年たった今でも鮮明に覚えています
中学3年生で先生が大穴中学校を去る最後の年だとは知らず、関東大会一回戦で負けてしまったことが今でも悔やまれます

具合が悪かった事は風の便りで聞いていましたが
本当に残念です

他のバレー部員にお知らせしたく
後からの報告で申し訳ありませんが
わたなべさんの文章を私のブログの方にてお借りしております





わたなべ たかし さんのコメント...

ankumaさん、
コメントありがとうございました。
雨宮先生は、関東大会に行くチームを作っても、全国出場は叶いませんでした。
生前のある日、なぜ行かなかったんですか?とお聞きしました。先生は、行く力がなかったんだよ、と笑みを浮かべて答えてくれました。
しかし、先生の普段の指導を見ていると、何が何でも全国に行くというよりは、学業が優先というお考えであることがわかって来ました。この子たちに文武両道を歩ませるだけの指導力は自分にはない、ということでもあったと思います。であれば、子供たちのために、教師として教科指導を優先したのでしょう。

ankuma さんのコメント...

お返事ありがとうございました

中学時代部活の休みは殆どありませんでした
テスト休みは前日とテスト中のみ
先生は日ごろからやっていたら一夜漬けでやる必要はない!と・・・・

その通りです

いつもテスト結果をお知らせに行くのですがセッターにもかかわらず頭の悪い私

恐る恐る「すいません・・・」っと

でも怒られることはありませんでしたが勉強の方にもいつも気に掛けてくれていました


先生の事 お話できて本当によかったです

ありがとうございました

わたなべ たかし さんのコメント...

子どもの時代に、どのような先生に出会うかは、大きな出来事です。私は小学と中学の担任に恵まれました。小学校の先生からは思いやりを、中学校の先生からは本を読むことを教わりました。高校の担任は反面教師として学びました。こんな先生にはなりたくないと、教員を目指しました。しかし、中学までは秀才も、高校では先生方に反抗ばかりして鈍才に成り下がりました。先生との出会いは、大事ですね。雨宮先生のこと、時々思い出して下さいね。