2013年3月20日水曜日

Wed.March 20,2013 お彼岸の中日に想い出すこと

本日は、春分の日。彼岸の中日である。「彼岸」はサンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれ、煩悩と迷いの世界である【此岸(しがん)】にある者が、「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修行をする事で「悟りの世界」すなわち【「彼岸」(ひがん)】の境地へ到達することが出来るという。
船橋のマンションには住居が狭いので、実家の旭市にあるような立派な仏壇がない。その代わり、部屋に小さな神棚を設けている。神仏混合信者の私は、その神棚から先祖の供養をさせていただいている。
太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼び、この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると言われている。好天に恵まれた今日は絶好のお墓参りの日である。バレー仲間にお花屋さんを営んでいる人が2人いる。お供え用の花を買い求めるお客さんでお店は多忙であろう。

お供えと言えば、私の故郷の山形県酒田市では、お墓にぼた餅をお供えする。ぼた餅の正しい漢字は、牡丹餅。これは、春に咲く牡丹の花にちなんでいる。ちなみに、秋は萩の花にちなんでおはぎと言う。いずれにしろ、私にとっては、ぼた餅が大好きであった。幼少の頃の七不思議の一つに、ご先祖様は一体どうやってあのぼた餅を食べにくるのか、気になっていた。

亡くなって久しいが、酒田市郊外の宮之浦に住んでいた松世叔母さん(父の姉)の家には、小学生の頃は毎週土曜日から1泊で遊びに行った。そして、彼岸でもないのにぼた餅を食べたいとおねだりしたものだ。

餅米を蒸す柔らかな匂い、小豆を煮詰める甘ったるい匂い。それらの甘い柔らかな匂いに包まれてトロトロと眠ってしまう。台所に立って和かな笑みを浮かべ「タガシ、でぎだよお」と、田舎訛りの伯母の声がまた聞きたい…。

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