2015年10月13日火曜日

13,Oct.2015    隣国のベトナム

2013年11月、カンボジア行きを決める7か月前、私はベトナムの女子チームで指導するのも悪くない、と考えていました。
(この画像は2年前のベトナム女子ナショナルチームですが、監督と中心選手の2人には、昨年の11月にタイのFIVB主催コーチ研修会にて受講者仲間としてお会いしました)

アジアにおけるベトナム女子のランクは、6番から8番です。試合を見ていると、基本的なところでのミス、独自の戦術不足、そして自信の無さ、が目につきました。これでは、アジア上位のベスト4チームに勝てません。私がお手伝いすれば、2年以内で、ベスト4以内に引き上げることができると自信を持っていました。

その後、ラオスにいる元JICA職員で日本語教師をしている坂巻さんと20年ぶりに連絡が取れて、ラオスに来ないか、という話も出てきました。この件は、坂巻さんがその2か月後に急逝されて立ち消えとなりました。他にもトンガはどうかという在日トンガ大使からのお誘い(これは半分外交辞令もあったと思う)もありました。

結局、その1か月後に、複数の人の手を経由して、カンボジアに来ることになった訳ですが、ベトナムは指導してみたいチームでした。中位のチームが上位のチームを破るには、まず上位のチームに持っているコンプレックスを打破しなくてはなりません。

そのためには、相手のそのチームより強い他国のチームと普段から練習試合を行い、自信をつけて行くことです。また、相手とデータを比較して、劣っているところを勝っているように鍛えます。評価項目が10項目あれば、7項目以上に於いて相手よりも勝っていれば勝算はあります。6項目では運任せの勝負になります。

おっと・・・、きょうは、そういうことを書こうとしたのではなく、昨夜NHKワールドプレミアムの番組で観た『ベトナム戦争 フィルムの若者を探して』の感想を述べようと思ったのです。ベトナム戦争中に日本の映像通信社が北ベトナムで撮影したもので、戦場に向かう若者たちを村人が送り出す村の行事を記録した貴重な映像でした。

その映像の中の一人の若者のその後の消息を追うことから番組は始まりました。戦争終結から40年の今年、出兵した当時17歳の若者は生存していました。若者は、入隊して3年後にゲリラ部隊のリーダーを任せられ、南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチンミン市)の背後であるメコン・デルタに徒歩で数百キロ歩いて回り込みます。この時に歩いた山岳道路がホーチミン・ルートと言われ、カンボジア領域内にあります。

(当時、戦況が厳しくなり、更に徴兵されていく北ベトナムの若者達。凡そ100万人が亡くなった)

結論から言いますと、戦争そのものではなく、1人の若者から見た戦争体験を振り返り、戦争の悲惨さを切々と訴えている良い番組でした。「わたしの部隊の半数は亡くなったが、頭が良いとかどうかではなく、運が良い人が生き延びただけです」という今年61歳になる彼の言葉から、生死が自分自らでなく、戦場での偶然に左右される不条理さを感じました。

また、同じベトナム人が殺し合わなければならなかったことはとても哀しいこと、と語っていたことには言葉もありません。

南ベトナムを支援するアメリカ軍は、このホーチミンルートにも度々爆撃を行いました。カンボジア人民もこの爆撃で被害を被っています。一方の北ベトナムを支援していたのは社会主義陣営のソ連(現ロシア)、中国でした。アメリカ軍には韓国、オーストラリア、タイ、フィリピンなども参戦してきました。

戦争は、現在でも特に中東地域にて行われています。そして、それらの戦争の背後には必ず大国が絡んでいます。そして一般国民が被害者になって、難民になっていきます。難民に寛容な国々は、彼らを移民として受け入れます。しばらくして、住民と移民との間で宗教・文化の衝突や差別が起きることもあります。外された人たちは保守的・先鋭的になってきます。自分たち固有の地域さらには国家を持とうと考えるようになってきます。そこで、承認しない隣国とまた衝突が生じます。

戦争は、人間のちょっとした感情から生じます。その芽を平和的に速やかに摘むことが人間の叡智であると思っています。第2次世界大戦後、70年間戦争を行っていない日本が、そのリーダーであって欲しいと願っています。  

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