昨日で、恒例の冬季年末合宿を終了した。先週の金曜日から1週間、前半は厚木市にある松蔭大学にて富山、静岡、栃木、宮城、山梨、千葉、神奈川の1位、2位チームが集まり汗を流した。後半は3年前より文京区にある文京学院大中学校の体育館にて神奈川、山梨、宮城、通いで千葉、そして会場校の文京学院の5チームで切磋琢磨した。私が外部コーチをしている神奈川の高校は1年生の多いチームで苦労したが、後半戦は一日づつ良くなってきた。やはり、各県2位以上のレベルの中でもまれ集中せざるを得ないゲームの中で鍛えられていく。我がチームはこのあと、1月上旬には関西にあるVリーグのチームにお世話になる。ここで、全国のトップ4以上のチームと合宿を行い更に鍛えられる。そのVリーグのチームに昨年の卒業生がいるので、そこの合宿に入れるのだ。
昨日の合宿で、指導者の一人が救急車を呼ぶほどの大怪我をした。深夜の手術になった。骨折だけで済んで不幸中の幸いであった。春高バレーの予選を半月後に控えて大変残念なことである。その指導者ご本人が大変悔しい思いをされていることであろう。救急車が到着するまで、私はその監督に毛布を掛けながら寒い寒いという体をさすりながら車を待った。普段の豪胆な話し声からは想像もできないほどか細い声で「すみません、すみません」 と繰り返していたのが今でも耳に残っている。チームの子供たちは詳しいことは何も知らされず、昨日コーチに指導を受け練習試合をこなした。
さて、私は本日から修論に取り掛かる。締め切りが1月10日なので正月は1日だけになるであろう。
言い訳はできない。泣き言は言えない。できるところまでやって、不合格であれば卒業を9月にするだけである。卒業することは結果であって、目的は学習の成果を出すことであるから、諦めないで論文と格闘していこう。
2007年12月29日土曜日
2007年12月20日木曜日
第12回全国私立高等学校男女バレーボール選手権大会開幕
本日から23日まで東京都町田市の総合体育館他15会場で、男女計160チームのマンモス大会が開催される。会場の中で,ある名門伝統校の教頭先生とばったりお会いした。なんでも監督がこの半年で2人も学校を辞めてしまい非常事態なのだという。チームの選手たち、父母も混乱、学校の中での教頭先生の立場も管理監督不足で非難されているという。そのチームはここ6年は全国大会連続出場もしているし、また一度は全国大会で準優勝もしている。監督たちは様々な人間関係で辞めざるを得なかったのであろう。しかし、私の頭をよぎったのは「立つ鳥跡を濁さず」という言葉であった。意味は、鳥が飛び立った後の水辺は、濁っているということはなく、清く澄んだままである、ということである。立ち去る者は自分のいた跡を見苦しくないようによく始末しておかねばならないというたとえである。年度途中で辞めた監督たちは、バレーの指導は上手でも、社会人として最低である。在校生も動揺し、半数は退部もしているそうだ。火中の栗を拾ってくれるような、こんなうちのチームに来てくれる指導者はいないだろうね、ナベさん・・・。教頭先生は残念無念、寂しそうな眼を床に落としたままつぶやいた。私にできることは、縁があれば新監督をご紹介してあげることだ。しかし、今時の若い指導者は苦労しないで全国に行きたがる指導者が多いのでなかなか見つからないでしょうね。名指導者という人たちは、技術指導だけでなく、それ以上に練習のできる環境整備能力に長けている方が多い。人間関係調整能力にも優れている。つまり、マネジメント能力に秀でていることが名指導者の最大の条件なのです。しかし、残された子供たちが可哀相でならない。
2007年12月18日火曜日
インカレで日本体育大学が15年ぶりに優勝
バレーの全日本大学選手権最終日は16日、東京体育館で男女の決勝があり、男子は日体大が大会2連覇を目指した全日本選手の清水のいる東海大を3―1で破り、15年ぶり5度目の優勝を果たした。4年前に競技会の抽選で不正を行い、処罰で3部に転落し、そこから這い上がってきた日本体育大学。今の4年生は1年間対外試合禁止でしたのでつらかったでしょうね。15年前の優勝と言うのは、泉川(東レ、元全日本)が3年生の時でした。法政大学との決勝の前に、レギュラーの選手達に大阪の道頓堀の宿の近くで、たこ焼きをご馳走してあげたことを思い出した。
しかし、さすが日本体育大学だ。教員の多いOBは母校の危機とばかりに、手塩にかけたエースクラスの高校生を送り込んできた。 私は、1981年から業務として日本体育大学男子バレー部に日参し、他社から弊社にユニフォームからシューズまで全て変更していただく為に活動していた。20年ほど担当させていただいた。森田淳悟先生とはその時以来のお付き合いを頂いている。平成2年に亡くなった「おやじ」と慕われた中田元監督も草葉の陰で喜ばれているでしょう。
森田先生には、今後の全日本強化を再度お願いしたい。世界の顔の森田先生の再度の登板で男子バレーのほうも復活と行きたいですね。
(写真は後援社の朝日新聞から)
しかし、さすが日本体育大学だ。教員の多いOBは母校の危機とばかりに、手塩にかけたエースクラスの高校生を送り込んできた。 私は、1981年から業務として日本体育大学男子バレー部に日参し、他社から弊社にユニフォームからシューズまで全て変更していただく為に活動していた。20年ほど担当させていただいた。森田淳悟先生とはその時以来のお付き合いを頂いている。平成2年に亡くなった「おやじ」と慕われた中田元監督も草葉の陰で喜ばれているでしょう。
森田先生には、今後の全日本強化を再度お願いしたい。世界の顔の森田先生の再度の登板で男子バレーのほうも復活と行きたいですね。
(写真は後援社の朝日新聞から)
2007年12月15日土曜日
16時間 ママさんバレーボール
昨日は朝からママさんバレーボール漬けの日でした。まず、埼玉県三郷市総合体育館にて得意先のスポーツ店のママさんバレー教室・大会の決勝。私は特別監督ということで数チームのベンチに座りコーチングするという形式での指導。優勝した東京都のチームは昨年全国大会でベスト4にも入っているチームでなかなか見ごたえがあった。会場では久しぶりにお会いした方々が多かった。モントリオールオリンピック金メダリストの旧姓飯田高子さん、ヤシカOGで足立区U&U総合型地域スポーツクラブのGMである石山和子さん、富士フィルム女子バレー部、イトーヨーカドー女子バレーボール部で監督を歴任された遠藤さん。
夜は、千葉市の我がママさんチームの忘年会。昨年は私が出席できなかったので、今回はわざわざ私の都合の良い日に設定してくれた。ありがたいですね。今回の忘年会は地域の子ども会と見間違えるほど乳幼児から中学生まで子連れの新入部員5名の参加を得て開催された。身近に子供の声が聞こえるというのは良いものです。同じ体育館の空間でママさんと子供たち、そして子守役・コーチとしてのお父さんたちが一緒にスポーツを楽しむことは家族同士の触れ合いの形成ができます。そしてそれが地域内での連携を形成して行きます。地域で子供たちを守り、育てる「スポーツの力」です。
さて、これからインカレの準決勝観戦に東京都体育館に行き、学連の会長の市川先生、元大東文化大学監督の飯塚先生との歓談に行きます。その後、千葉県バレーボール協会の忘年会です。忘年会3連続です。そろそろ肝臓が疲れてきました。明後日は大和南と文京学院の練習試合で会場の文京学院大高校に行きます。
夜は、千葉市の我がママさんチームの忘年会。昨年は私が出席できなかったので、今回はわざわざ私の都合の良い日に設定してくれた。ありがたいですね。今回の忘年会は地域の子ども会と見間違えるほど乳幼児から中学生まで子連れの新入部員5名の参加を得て開催された。身近に子供の声が聞こえるというのは良いものです。同じ体育館の空間でママさんと子供たち、そして子守役・コーチとしてのお父さんたちが一緒にスポーツを楽しむことは家族同士の触れ合いの形成ができます。そしてそれが地域内での連携を形成して行きます。地域で子供たちを守り、育てる「スポーツの力」です。
さて、これからインカレの準決勝観戦に東京都体育館に行き、学連の会長の市川先生、元大東文化大学監督の飯塚先生との歓談に行きます。その後、千葉県バレーボール協会の忘年会です。忘年会3連続です。そろそろ肝臓が疲れてきました。明後日は大和南と文京学院の練習試合で会場の文京学院大高校に行きます。
2007年12月12日水曜日
全日本バレーボール大学男女選手権大会
通称、インカレと言いますが、男子は今回で60回、女子で54回なんですね。12月10日から東京都、千葉、埼玉、神奈川の8会場にて男女計236校が全国から集まり、まずグループ戦からスタートした。全国大会への予選会がないとはいえ、学生にとっては貴重な12月のアルバイト時期であり、交通費もかかるこの大会に出場した各校に敬意を表します。かく言う私も学生時代、2年生でありながら監督兼任選手として同好会チームだったのを関東大学学連に登録し12部からスタートした。12部からインカレに出場したチームはその時、同時期に登録した創価大学と私の和光大学だけであった。あの時は燃えていましたね。4年生になる直前、大学の体育会会長に推薦されたのですが、その寸前に青年海外協力隊に合格し、大学はそのまま休学し、チュニジアに派遣されたことなどを想いだしながら、現役諸君のゲームを眺めていました。午後4時から東京都体育館第2研修室にて日本バレーボール協会主催のA級審判員研修会にオブザーバーで出席し、審判員の学習をしてきた。最近は、日本協会の審判規則委員の役員も、チーム強化指導者のイメージがある私がそこにいることに抵抗がないようだ。以前は、「おい、ナベちゃん、ここで何しているんだ?」と怪訝な顔をされたものだ。自分の不得意科目はもっともっと学習しなければいけない。不得意が解消されれば、得意な面がさらに磐石になると考えている。
2007年12月11日火曜日
ソフトバレーボールの来年度のルール改修正点 他
12月8日(土)に日本バレーボール協会事務局会議室にて、第4回JVA審判規則委員会規則部編集会議を11:00から開始。午後には秋田に講習会で飛ぶ予定のある私のソフトバレーから校正の第1回(初校)を行った。来年度のルールに関して大きな変更はない。字句の修正がほとんど。更に愛好者にわかりやすいルールブックの作成に関して、来年度がホップ・ステップ・ジャンプのステップの時期になる。そのためにも委員長である私がもっと審判業務、委員会活動に精通していなくてはならない。その意味で、本日11日からの東京都体育館でスタートするインカレにおける「A級審判員技術強化事業」にオブザーバーで参加する。
さて、8日午後の羽田から秋田への便に飛び乗り、秋田県での日本体育協会公認スポーツ指導員養成講習会講師活動に向かった。秋田空港は気温0℃で空港玄関を出ると1mほど積もったままの雪が溶けずに残っていた。夕方から、県協会から横屋理事長、金田副会長、森田普及委員長と一緒に食事会。きりたんぽナベを頂き体も暖まり大満足であった。9日の講習会ではJOCカップの監督コーチのスタッフも受講生におり活発な質問を受けた。技術指導より、チームマネジメントで受講者の中学・高校の指導者は苦労されている。確かに、部員数が6名から8名では技術指導よりどうやって部員数を確保するかとか、練習会場と時間を確保するかのほうが切実な問題である。私が回答した中で主なことを上げてみる。校長先生をチームの応援団長にする。職場では雑事に積極的に関わることで、いざと言う時に他の顧問の先生にお願い事ができる。人数が少ないチームは近くのチームと合同で公的な施設を借りて使用料金の折半、チーム練習の相手の確保ができる。・・・などのアイデアを提供しました。私自身の今後のテーマとして中・高等学校部活の課題を考えていきたい。
2007年12月3日月曜日
ワールドカップ男子最終戦での痛恨のミステイク
バレーボールのワールドカップ(W杯)男子大会最終日は12月2日、東京体育館などで行われ、ブラジルが日本を3-1で退け、10勝1敗で2大会連続2度目の優勝を果たした。日本は3勝8敗で前回と同じ12チーム中9位だった。ちなみに最低の成績は前々回8年前の10位。いずれにしろ世界のトップクラスとの差は縮まっていない。
ブラジルはこれで2002年世界選手権以来、五輪を含む3大大会5連覇。1977年W杯~82年世界選手権のソ連と並ぶ男子の最多記録に並んだ。ロシアが2位、ブルガリアが3位に入って北京五輪出場権を得た。最優秀選手にはゴドイフィリョ・ジルベルト(愛称ジバ:ブラジル)が選ばれた。
痛恨のミステイクはリードしていた4セット目の7-2で起きた。監督がスターティング・ラインアップ・シートを間違って提出したのである。審判団のチェックミスもあるが、これはチームの自己責任。結果として間違ったメンバーで得点した7点は取り消され、相手に1点とサービス権が移動して0-3からのスタートとなった。 新聞紙面でも数社がこの件を報じていたが、ちなみに「メンバー用紙」という文言は違う。通称「目玉」という用紙への記入ミスである。この大会を通じて全日本男子には昨年と比べて成長を感じた。これは植田監督の手腕によるところ大である。しかし、諸外国のチームはそれ以上に成長している。そして、現場での今回のような戦術指示ミスは頂けない。単純ミスなのだが、えてしてミスは単純なところから起きうる。チェックのチェックをするリスクマネジメントの欠如である。トップスポーツは結果が第一に問われる。 1点を争うゲームにおいて何とも後味の悪い結果となってしまった。
日本国内というホームでの今回の結果は素直に喜べない。海外で同じチームがリーグ戦をやったとしたら、日本は12位の最下位であったかもしれない。チャンスサーブしか打てないスタメンプレーヤーが数人いた。単純なミスも結構目に付いた。思い切りのないスパイクもあった。救いは、期待できる若手がいるということ。環境に甘えず、日本のバレーを脱構築して行きたい。
ブラジルはこれで2002年世界選手権以来、五輪を含む3大大会5連覇。1977年W杯~82年世界選手権のソ連と並ぶ男子の最多記録に並んだ。ロシアが2位、ブルガリアが3位に入って北京五輪出場権を得た。最優秀選手にはゴドイフィリョ・ジルベルト(愛称ジバ:ブラジル)が選ばれた。
痛恨のミステイクはリードしていた4セット目の7-2で起きた。監督がスターティング・ラインアップ・シートを間違って提出したのである。審判団のチェックミスもあるが、これはチームの自己責任。結果として間違ったメンバーで得点した7点は取り消され、相手に1点とサービス権が移動して0-3からのスタートとなった。 新聞紙面でも数社がこの件を報じていたが、ちなみに「メンバー用紙」という文言は違う。通称「目玉」という用紙への記入ミスである。この大会を通じて全日本男子には昨年と比べて成長を感じた。これは植田監督の手腕によるところ大である。しかし、諸外国のチームはそれ以上に成長している。そして、現場での今回のような戦術指示ミスは頂けない。単純ミスなのだが、えてしてミスは単純なところから起きうる。チェックのチェックをするリスクマネジメントの欠如である。トップスポーツは結果が第一に問われる。 1点を争うゲームにおいて何とも後味の悪い結果となってしまった。
日本国内というホームでの今回の結果は素直に喜べない。海外で同じチームがリーグ戦をやったとしたら、日本は12位の最下位であったかもしれない。チャンスサーブしか打てないスタメンプレーヤーが数人いた。単純なミスも結構目に付いた。思い切りのないスパイクもあった。救いは、期待できる若手がいるということ。環境に甘えず、日本のバレーを脱構築して行きたい。
第4回東京都島しょソフトバレーボール交流大会
ブログをほぼ毎日書くという行為も実は大変。日の経つのは早いものである。インターネットで調べて見たら、ブログ (Blog) とは、狭義にはウェブ上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種ということらしい。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになったとのこと。まあ日記というか忘備録のようなものであろうか。
さて、12月1日(土)は、第4回の東京都島嶼(伊豆諸島と小笠原諸島の9島)ソフトバレーボール交流大会が開催された。今年の4回目は私にとっても感慨深いものになった。実は大学院の修士論文(修論)のテーマにに島嶼のスポーツを取り上げたからだ。テーマは「東京諸島におけるスポーツによるコミュニティの連帯感醸成に関する研究」。各島々の内では教育委員会が中心になって各種スポーツ・イベントが開催されているが、9つの各島々を結ぶスポーツ・イベントはほとんどないのではないだろうか、というのが仮説である。先月、東京七島新聞社に行き過去の紙面閲覧を始めて、仮説が間違っていないことに確信を得たところである。懇親会にて参加された島の人たちと会話をしていて自分がどんどん島に魅惑されて行くのを感じた。島は自然資源しかない生活も厳しいところ、交通も不便なところであるが、その不便さが良い場合もある。島でなければの良さは「人が最大の資源」と思っている。暮らしやすい島になれば、島は憧れの島に生まれ変われる。ひょこりひょうたん島計画などある島があってもよい。産業を興すことと同時に、島々の住民の連帯感をスポーツで形成できれば良いなと考えている。
さて、12月1日(土)は、第4回の東京都島嶼(伊豆諸島と小笠原諸島の9島)ソフトバレーボール交流大会が開催された。今年の4回目は私にとっても感慨深いものになった。実は大学院の修士論文(修論)のテーマにに島嶼のスポーツを取り上げたからだ。テーマは「東京諸島におけるスポーツによるコミュニティの連帯感醸成に関する研究」。各島々の内では教育委員会が中心になって各種スポーツ・イベントが開催されているが、9つの各島々を結ぶスポーツ・イベントはほとんどないのではないだろうか、というのが仮説である。先月、東京七島新聞社に行き過去の紙面閲覧を始めて、仮説が間違っていないことに確信を得たところである。懇親会にて参加された島の人たちと会話をしていて自分がどんどん島に魅惑されて行くのを感じた。島は自然資源しかない生活も厳しいところ、交通も不便なところであるが、その不便さが良い場合もある。島でなければの良さは「人が最大の資源」と思っている。暮らしやすい島になれば、島は憧れの島に生まれ変われる。ひょこりひょうたん島計画などある島があってもよい。産業を興すことと同時に、島々の住民の連帯感をスポーツで形成できれば良いなと考えている。
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