2008年9月18日木曜日

久しぶりの大阪


 昨日は久しぶりに大阪に日帰りで行ってきた。勤務先の新プロジェクト会議を淀屋橋の本店で行った。
 淀屋橋というところは大阪の行政・金融の中心街で、新大阪駅から地下鉄で10分と近いところにある。その昔、戦国時代から江戸時代にかけて淀屋という米問屋が日本の米問屋の中心的役割を果たし、その淀屋が作った橋の為に淀屋橋と名づけられたという。
 東京駅を早朝の新幹線で出たわけだが、やはり眠い。新聞2紙を読んだら名古屋駅まで1時間ほどうつらうつら寝てしまった。新大阪駅まで新プロジェクトに関係する資料作成のために「解剖学」のおさらいをした。新プロジェクトでは、「解剖学」「生理学」「運動力学」の知識がないと推進できないからだ。
 定年まであと数年残すところまで来たが、新しい仕事を与えられるだけで幸せと思っている。しかし、あと何年と数えるより、今からスタートと考えている自分がいることを自覚している。入社以来、バレーボール一筋で仕事をさせていただいた。まだまだやることは山積している。人の役に立つためには、更に学習を継続させなければいけない。
 明後日から2日間は、長野県にてソフトバレーボール・リーダー講習会の講師活動が待っている。長野県は全国で3番目に登録チームの多い県である。長野県ソフトバレーボール連盟の役員・受講者たちから元気な長野県ソフトバレーの秘訣を学習させていただく。

2008年9月15日月曜日

関東大学女子1部秋季リーグ戦と20数年ぶりの再会


 久しぶりに青山学院大学の体育館に行ってきた。この秋は北京オリンピックの関係で通常8チームでやってきたリーグ戦を2部の1位と2位を入れて計10チームで行われている。観客席に座って東海大学男女バレー部の部長である成田先生とお話をしているといろんな人が挨拶に来てくれる。知り合いの学生、学生の親御さん、小学生バレーの指導者など。
 中には20数年ぶりに会った人がいた。「阿部さんですよね」と声を掛けてきた女性は、見たことがあるようなないような人であった。「都立江東商業高校時代に教えていただきました」。その一言で思い出した。。あの当時、東京都男子高体連男子バレーボール専門部部部長に高橋末光先生という方がいらっしゃって、ずいぶんと可愛がっていただいた。その縁で男子部の監督さんたちと懇意にさせていただき、私の仕事に大きな助けとなったものでした。その高橋先生から誘われ、週1は会社帰りに亀戸駅を 途中下車して学校に行き練習手伝いをやっていたのです。阿部というのは私の旧姓です。彼女の娘さんが東海大学に今春入学したとのことでした。ご主人は実業団名門バスケットチームで活躍していたということも聞きました。職場結婚ということでした。しかし、よく私の顔を覚えていたものです。つまりは、私は20代の頃から今の顔だった、老け顔だったということですなあ・・・。
 それにしても、観客の少なさも20数年前から変わらない。観客の90%以上は父母の方たちだ。ゲームの内容はレベルも高く、観て楽しめるものだけに、プロモーションに力を入れれば一般の観客の増加は見込めると私は判断した。学連の大学生たちのパワーを発揮して欲しいな、という期待を抱いて体育館を後にした。
(画像は私が35歳の時、確かに今でもこの写真は通用する・・・ムム)

2008年9月14日日曜日

NHK大河ドラマ「篤姫」の魅力


 毎週日曜日の夜は、結構「篤姫」を観ている。視聴率は25回連続20%を超えて、NHK大河ドラマでは過去最高ということだ。主役の宮崎あおいちゃんも清楚で可愛いくて良いが、脇役もNHKならではのベテラン俳優さんを揃え重厚な雰囲気を出している。私が好きな場面は、日本の歴史の中で大きく変わる幕末の歴史上の出来事、歴史上の人物が出てくること、そして幼馴染の篤姫と帯脇の表に出せない恋心など、バックの音楽がまた何とも場面にあって感情を揺るがす。
 明日は青山学院大学で行われている関東大学女子バレー1部秋季リーグ戦に行ってくる。全日本女子バレー強化委員長の成田先生にお話がある。また、筑波大学元男子バレー部監督で名誉教授の杤掘先生にお会いできるかもしれない。直接会ってお話ししないと通じないことがたくさんある。

全国ソフトバレーボール・レディース&メンズ交流大会




 一昨日の9月12日(金)から14日(日)までの期日で、標題の交流大会が始まった。私は実行委員会のメンバーとして昨日会場の神奈川県藤沢市にある秩父宮記念体育館に行ってきた。参加チーム計96チームにコート総数12面は少ない気もしたが、交通の利便性、宿泊のホテルの確保などを考慮すると、この体育館が最善であったのであろう。全国大会だけでなく大きな交流大会を開催する場合、会場の確保は最大の必要条件である。開催地の役員が一番頭を痛めるところである。次に予算の獲得。チームの参加料だけでは大きな規模の交流大会、想い出に残る交流大会の運営は難しい。開催地の行政の支援が必要だ。

 スポーツは地域を活性化させる力を秘めている。今回の開催地である藤沢市は地域活性化というのには、人口50万近くある中核都市なので地域という名称はそぐわないのであろうが、少なくとも参加者・関係者約700名の交流を通じてお互いの地域間交流には大きな役割を果たしていると確信した。
 夜の交流パーティでは宮崎県をはじめ多くのチームが地元自慢、宣伝活動を舞台の上で繰り広げた。最後に紹介のあった山形県からは酒田市のチームが挨拶に立った。来年は酒田市でこの交流大会が開催されることが決まっている。実は、酒田は私の故郷。人口10万人ほどの市だが江戸時代は紅花を大阪に運んだり、大阪や京からは上方文化が流入したり西回り航路として栄えた港町であった。私が24歳の時、記録に残るほどの大火で多くの商店が疲弊したが、母校の甲子園出場、NHKおしんの舞台になったことなどで少しは全国に知られるようになり少しずつ回復してきた。来年のこの全国大会をきっかけに故郷をスポーツで更に活性化することに僅かでも貢献できるように頑張っていきたい。

2008年9月12日金曜日

愛知県岡崎市ママさんバレー教室開催

 会社の業務で岡崎市のバレーボール教室に行って来ました。9日の火曜日の夕方に新幹線で移動したので、毎週火曜日練習日の船橋市の我がソフトバレークラブの練習に参加できず、練習を期待していた新入部員には申し訳ないことをした。それとも私がいなくて清清して練習を行っていたかも知れないが。
 翌10日、午前中に毎週水曜日岡崎市は登録チームから希望者を集って教室を40年前から開催している。この日も4面のコートに約100名のママさんが集り、私も指導のお手伝い。午後からはヨーコ・ゼッターランド、広瀬美代子、大谷佐知子のオリンピック銅メダリスト達も集り、受講者も交代して97名の受講者を対象に正式な教室をスタートした。
 大谷さんとは8年ぶりぐらいに再会したが、高校2年生で全日本に入った逸材の片鱗はまだ残っていた。あの当時は、大谷、宮島恵子、廣紀恵の高校生トリオと騒がれたものであった。大谷さんは現在40歳を過ぎ2児の母親という。帰りの車中で、新婚であるが子供さんのいないヨーコに、子供を早く作りなさい、人生観が変わるわよ、と例の大阪弁でまくし立てていた。

2008年9月8日月曜日

JVA公認講師研修会と神白杯ママさんバレー大会


 ここ1週間ほどこちらのブログ、お留守にしていました。まとめて報告します。
まず、8月30日、31日と年1回開催されるJVA公認講師・日本体育協会公認上級コーチ・コーチの研修会がありました。有意義な研修会でした。特に全日本男子強化委員長で北京オリンピックバレーボール団長の萩原先生の報告は納得のいくものでした。6月に最終予選を行い、その2ヵ月後にオリンピック本番を迎えても実力は十分に発揮できないものだ、との発言はその通りと思いました。全日本男子はあの最終予選のときがピークだったのですね。本番直前の最終予選に出場するチームでは本番でのベスト4以上には進出できないということです。このあたり、ロンドンオリンピックに向けての対策として、アジア予選は本番1年前にやることがアジア勢が上位進出する為の一つのポイントであると認識した次第です。
 昨日の7日(日)は埼玉県草加市にてママさんバレー大会に招待され行って来ました。第9回神白杯ママさんバレーボール大会という名称です。私が指導している千葉市のママさんチームがはじめて招待され、全国でも強豪チームの多い埼玉県と東京都から24チームが集りコート4面で開催されました。我がチームは1セットも取れませんでしたが、メンバーは今年初めての県外でのゲームで貴重な経験をさせていただきました。上位チームとの違いは、①サーバーが1番から5番まで優秀でスピードサーブや後方からの変化サーブをビシビシ打ってくる②前衛のアタッカーが3人は揃っている③アタックができるということはブロックもできるということで相手の強打のアタックをワンタッチでボールの勢いを和らげてトスをしやすくしている④ブロックのワンタッチをきちんとトスにしている⑤チャンスボールを正確にセッターにオーバーで返球している。以上5点が目立った点ですね。
 神白(かじろ)杯の神白さんは、旧姓飯田さんという。1976年のモントリオールオリンピック金メダリストで主将のあの飯田高子さんである。 中京大学出身の当時初めての大卒での全日本選手でした。その飯田さんから開会式の前に画集を頂いた。水彩画の絵であったが、飯田さんの飾らない透明な心がそのまま画風に表れている爽やかな画集であった。画集の始めのほうには現在も指導している県内のママさん3チームとの記念写真もあり、そこの1枚になんと私も一緒に並んで写っているではないですか。光栄ですね。
 飯田さんのように金メダリストでありながら、草加市や三郷市で地域のお母さん達のために活動しているアスリートの方を私は他に知りません。12月には地域の中学生のために教室を開催するとも聞きました。オッと、今しがた、その飯田さんから電話が入ってきました。昨日の大会の原稿を読売新聞の地域版に送るので、私の正式な肩書きを教えてとの事でした。(配慮される方ですね・・・)
 何はともあれ、飯田さんはコート上でも金メダル、そしてコート外のもっと広い地域でも金メダルを獲得しているのですね。まいりました。 (画像は最近の神白高子さん)
 

2008年8月28日木曜日

アフガニスタンでの悲劇は回避できたのではないか



 めっきり朝晩が涼しくなってきました。私もきょうから長袖シャツで出勤。

 昨夜から報道されているが、アフガニスタンで誘拐された日本人青年(31歳)の遺体が発見された。青年は非政府組織NGO(Non Goverment Organaization)の一つであるペシャワール会スタッフの一人であった。アフガニスタンでは現政権への失望や不満が充満し、治安が悪化していた。ペシャワール会現地代表の中村哲医師は「情勢認識が甘かった」と述べていたが、私も同感だ。

 国際社会で紛争や貧困などで苦境に陥っている国や地域に入り、地域の復興や自立に向けて先進各国からボランティア が活躍している。日本政府はアフガニスタンに総額20億ドルの支援を表明している。内容は医療、衛生から農業、教育など多岐に渡っている。日本政府から外務省傘下のJICA(ジャイカ:日本国際協力機構)や日本からのNGOがこれらの資金を使い現地で復興や支援活動に当たっている。
 
 今回の背景にあるのは、米欧の対テロ戦だ。特にアフガニスタンと隣国のパキスタンにいる国際テロ組織アルカイダやイスラム原理主義勢力タリバンの打倒が対テロの目標となっている。
 今から、34年前、私はJICAの下部組織である青年海外協力隊の隊員としてアラブ中近東のチュニジア共和国にバレーボール指導で2年間派遣された。隣国は当時カダフィー大佐率いるリビア
とアルジェリア。ある日、リビアからゲリラがチュニジアの首都であるチュニスに潜入し銃撃戦となった。
市内には戒厳令が敷かれ外出禁止となった。怖いもの見たさの22歳の血気にはやる私は戸外に出てみた。とたんに「パン」という乾いた音と同時に目の前をピューンという音が通過していった。銃撃されたようであった。慌てて石造りに家の中に逃げ込んだことを今回の記事で思い出した。
 戦争になると人の心は変わってしまう。普段はおとなしく優しい人も、戦争という極限状態になると神経が麻痺してしまうのか犬畜生以下の獣になってしまう。アラブ人は特に気性が激しい。今回のアフガンの状況が悪化していたことは以前に解っていたと思う。犯人はテロリストでないかもしれない。一般人かも知れない。一般人でも、戦争状態では理性を失ってしまう。日本政府は早めに撤去指示を出しているべきではなかったかと私は考える。
 望むことは無理だが、亡くなった青年の将来の40歳代、50歳代の姿を見てみたかった。惜しい日本人を無くしてしまった。子供に先に立たれた親御さんの無念さはいかばかりか。私もそうであったが、その青年も異国の地でひょとしたら亡くなるかもしれないという恐れは持っていたと思う。事実、青年海外協力隊でも事故、怪我、病気で亡くなる率は国内にいるより以上に高い。しかし、海外に出て自分の力を試してみたい、生かしてみたいという希望が現地でのリスクの恐れを上回り、私の仲間達は発展途上国に旅立っていった。
 伊藤和也さんのご冥福を祈る。