2009年9月26日土曜日

転勤に伴う送別会


 私の転勤?じゃない。会社の同じ課の2名が仙台と厚木の各営業所に転勤となり、昨夜は第2回目の送別会であった。実は、私は転勤を経験したことはない。事業部を変わったことは2度あったが、勤務地を替わったことはない。仕事の内容もバレーボールの比重が高く、最近はその他の業務も重なり、今回は転勤していく彼らの仕事も引き継ぐ。定年まであと2年半の私の双肩に仕事が増えていくということは・・・、この年寄りに仕事が頂けるということで喜んでいいことだと考えている。

 昨日から、スパイクレシーブ・フォーメーションをまとめ始めているが、改めて参考書としてセリンジャー氏の著作を読んでみて、その内容の密度に感心している。スパイクレシーブ・フォーメーションは、フロア・ディフェンス・フォーメーションともいえるが、ブロックとスパイクレシーブ(ディグ)の関係性で成立している。代表的なフォーメーションに、プレーヤー・アップ(バックの一人がコート中央に上がり、主にフェイントやチップをレシーブし、他のバックプレーヤーはバックに位置する:マン・アップや6-UPとも言いスタートポジションは3・1・2型となる)とプレーヤー・バック(バックの一人がエンドラインの方に下がり、他のバック2人はコートサイドに残り位置する:マン・バックや6-バックとも言い、スタートポジションは3・3型となる)がある。我が国の中・高の女子バレーには3・1・2型が多いが、全国大会に行き速攻・コンビネーションの攻撃型のチームと対戦するとレシーブの上がる確率が下がってくる。私が外部コーチをしている今年度春高バレーやインターハイでベスト8の成績を上げている高校女子チームもその例に違わず3・1・2では限界がある。相手によっては、フォーメーションを3・3に変更する場合もあるし、同じチームとの対戦でも変更を数回やることは上位(ベスト4以上常連)入賞のためには身につけるべき必要な戦術と考える。持ち駒が豊富なそのチームであるならば、あるフォーメーションンが得意なプレーヤーをそれぞれ育成しても良いであろう。3・3型では限界でのレシーブ、スライディングやダイビングレシーブのできるプレーヤーであることが前提となる。いずれにしろ、指導者にそのことを理解していただくことが外部コーチである私の仕事である。3年前は、ブロックの重要性を理解して頂き、ベスト4に入賞できた。今度も理解して頂けるかどうかで来年の春高バレーの決勝進出がかかっている。ブロックのフォーメーションがスパイクレシーブのフォーメーションを関係づける。ブロックとスパイクレシーブが有効に関係してフロア(コート)・ディフェンスが成立する。

 今夜は、千葉県ソフトバレーボール連盟主管で、日本協会主催の「ソフトバレー・リーダー養成講習会」講師で派遣されている佐々木先生との会食がある。
(画像は久しぶりに送られてきた花屋のKさんからの画像です。高麗の巾着田に曼珠沙華を見に行き撮ってきたとのことです)

2009年9月24日木曜日

東京都ソフトバレー近隣交流大会選考会

 昨日は、世田谷区にある厚生年金スポーツセンターにて12月に開催される「近隣交流大会」の選考会を22チーム参加して行われた。参加チームの種別はフリー、レディース、シルバーの3種別であるが、シルバーの部の参加チームが3チームと少ないのが気がかりだ。都会でのスポーツ活動はチーム型よりも個人種目型という報告も最近あったが、ソフトバレーはチームといえども8人集まれば2チームできてゲームができる。50歳以上の方達にもっと広報活動していく必要がある。私の持論であるが、ソフトバレーを知っている人は1%しかいない。99%の都民に色々な手段を用いて広報していかねばならない。
 実は、昨日、伊豆諸島の三宅島から教育委員会の佐久間さんと上司の課長をこの交流大会の視察にお呼びしていた。東京都スポーツ文化事業団の牛島課長もお見えになった。三宅島は野球が盛んであったが、雄山の大噴火以来、地域住民にスポーツをする習慣が消えてしまった。そこで白羽の矢に上がったのが、同じ伊豆諸島の新島、神津島で最近盛んになってきたソフトバレーボールであったということだ。7月には先陣を切って私が講習会を行った。来月にはいよいよ第1回の三宅島ソフトバレーボール交流大会が開催される。講習会だけでは良く理解できない大会運営法を実際の大会を見て頂いて学習して頂こうと今回の視察を企画した。
担当の佐久間さんは、フリーの部の迫力あるゲームを見て、女性でも男性の力強いスパイクをいとも簡単にブロックする場面を見たり、役員の活動ぶりを間近で見たり聞いたりして随分と収穫があったようだ。10月の三宅島交流大会には、東京都から2チーム参加、計12チームが参加して開催される。この交流大会で三宅島にソフトバレーボールが地域のスポーツとして根付くかどうか実行委員会の手腕が試されている。頑張らねば。

2009年9月21日月曜日

連休3日目の過ごし方

 久し振りに午前中は近くのドトール・コーヒー店に入り、日本経済新聞を広げ隅々まで読む。女優の秋吉久美子さん(55歳)が早稲田大学大学院で公共経営研究科を修了し同級生10人を代表し総代を務めた、との記事が社会面に写真入りで出ていた。年齢が近いせいもあるが、経済新聞が秋吉さんを取り上げるのが、何とも不釣り合いで面白い。
 そういえば、私の周りでも新たに大学院に合格した人がいた。先週の岡崎でのバレークリニックを終えて、講師の一人であったゼッターランドヨーコさんと一緒の新幹線で帰った。車中で彼女から「今し方合格との連絡が家からあった」と報告があった。
 「どこの大学?」
 「鹿屋大学」
 「えっ・・・鹿児島県の・・・あんな遠いところに行くの?」
 「いいえ、サテライト(分校みたいなもんですな)で神田に今度できるの」
 「そう・・・ヨーコさんのことだから、博士課程まで行くんでしょう?」
 「はい、そうします」
大学院に進み、研究を積み重ね、大学の教員になりたいとのことらしい。そのきっかけを作ったのは、こともあろうに、この私らしい。私の悲惨な大学院生活が羨ましかったというのだ。確かに入学直後は、授業も楽しく、多少は誇らしかったのも事実であるが、修了までの1年は苦行であった。論文との格闘であった。1月に提出できなくて、再チャレンジで7月に提出できた時は解放された気分であった。
 午後からビデオ屋さんに行き、最新版の「24(Twenty four)」を借りてきて鑑賞した。主人公のジャックバウアーは決して死なない、と分かっていても、ストーリーの展開にスピードとスリルがあり、娯楽作品として良くできている。
 夜の今からは、私のバレーボール理論の改訂版作業だ。2週間前に神奈川県協会の招きで指導者講習会講師を務めた折に、受講者の方に「自分のテキスト」を作ってくださいとお願いしたが、私自身6年前からコツコツとその作業を繰り返している。自分が納得できることしか自信を持っての指導はできない。そして、プレーヤーが納得してプレーすることが上達のポイントの一つと信じている。
 明日は船橋市のソフトバレーの練習はお休みとの連絡が来たので、千葉市のママさんバレーの練習に行く予定だ。

2009年9月20日日曜日

シルバーweekの過ごし方

 昨日から始まったシルバーウイークという連休の過ごし方であるが、小笠原が延期になって、なんか拍子抜けしたみたいで、家でグタッとしている。遅い夏疲れかも知れない。こんな時は自分の体の感覚に素直に従う。
 午前中に山形県酒田市の佐藤さんから23日に全国大会のリハーサル大会を行うので、来ませんか、とお誘いの電話がきた。小笠原行きがダメになったのをこのブログから知ったらしい。行きたいのは山々であるが、私が行かなくとも地元の役員で十分対応できることではあるし、私が行くことで余計な気を遣わせることにもなるので、丁重にお断りした。
 快適になったパソコン環境で、溜まっていたバレーボール・スキル・ノート(reception編)の改訂作業を行って、これまた溜まっていた新聞の切り抜きを2週間分やって、午後を迎えようとしている。

2009年9月19日土曜日

小笠原ソフトバレーボール交流大会は延期に


 既に5日前に小笠原村教育委員会の方から、今回の交流大会は延期にしました、との連絡があった。台風14号が本日島の北東を通り過ぎるようだ。本州には影響はほとんどないようだ。大変残念だが、海は相当時化(しけ)るので船でしか行けない昨年に続く小笠原行きは断念せざるを得ない。延期ということは、年度内に実施予定ということで、来年の3月の第2週を予定しているようだ。しかし、この時は今回の内地からの参加者のように40名という人数は集まらないであろう。今回の連休は、本当に内地の人には、島を訪問したがっている人たちには、またとないチャンスであった。このような連休は、次回は2015年にあるということだ。

 連休中の予定が、台風とともに吹っ飛んで行ってしまったので、私もこの5日間をどう過ごすか戸惑っている。昨日は休む予定であった千葉市のママさんバレーに行った。ママたちと一緒に来ている小学生低学年の子供たちが、「バレーを教えて」と、珍しく自分たちから近づいてきた。こちらも真面目に教えると、5分で見違えるほどパスができるようになった。他にも中学年の女の子が2名、親御さんと来ていて練習を見学していた。ママさんバレーやソフトバレーがバレーの人口拡大のポイント。親や大人たちが楽しそうに、時には真剣に、激しく練習している光景を見れば子供たちが興味を示してくれる。家庭婦人連盟、ソフトバレー連盟と連携してバレーボール人口の底上げを図っていきたい。

 さて、午前中は通信回線のブロードバンド(高速大容量)回線をADSLから光ファイバーに変更する簡単な工事をやってもらった。プロバイダーもこの際変えた。従って自宅のパソコンメールアドレスも変更した。明日は、溜まった書籍や書類の整理をやりましょうかね。
(画像は、本日の台風14号の位置。丁度小笠原の父島の上にいる。小笠原の人達に大きな被害がないように祈るだけ)

2009年9月9日水曜日

ソフトバレーボールと写真家土門拳の関係


今年の全国ソフトバレーボールレディース&メンズ交流大会は、山形県酒田市にて開催される。実は、酒田は私の生まれ育ったところである。交流大会には、私が大会副委員長として日本ソフトバレーボール連盟から派遣される。地元開催地責任者の佐藤三幸さん始め、故郷の仲間たちと再会できる喜びと全国から来酒する仲間たちとの再開との二重の喜びを感じている次第である。
 ふるさと酒田の出身で私が畏敬の念を抱いている大先輩がいる。大先輩と言わせて頂くのは、その方が私と同じ高校の出身者だからである。その方とは、写真家の土門拳氏のことである。たまたまではあるが、三日前の9月6日の日本経済新聞日曜欄の連載「美の美」(見開き2P)に氏の紹介と業績が載っていたのを読んだ。
 タイトルは『鬼が愛した美ー土門拳㊤』(文責 富田律之)「鬼と呼ばれた写真家、土門拳が誕生して、今年で100年。強烈な個性で戦後のリアリズム写真を牽引した一人の男が生涯を通じて愛した寺や仏像の写真には、一切の妥協を排した揺るぎない美意識が刻まれている」「単なる記録でなく、文字通り真実を写し撮るため、被写体のどこに美が隠されているのか、それをどのように表現するのか追求した」
 指導者の端くれである私には大先輩からのエールが聞こえてきた。「渡邉君、おっと、旧姓の阿部君の方が良かったかな。君も僕の後輩ならば、選手に隠されている長所を見出し、プレーで表現させるように導いてあげることではないかな。芸術は美を追求するが、スポーツの指導者は選手の長所を見出し磨いてあげることではないかな」
 市内には土門拳記念館が建っている。最近建てられたもので、私もまだ訪れたことがない。今回の帰郷をきっかけに大先輩の作品とじっくりと向き合ってみるのも良いかも知れない。


(画像は中宮寺の弥勒菩薩像)

2009年9月6日日曜日

茨城県筑西市ママさんバレークリニック

 本日は弊社の仕事で、筑西市へ行ってきた。筑西市って聞いたことありますか。ほとんどの方が知らないでしょうね。筑西市は「筑波山の西にある市」という意味の市ですが、以前の名前を下館市という。町村合併で名前が変わったんですね。お隣が結城紬で有名な結城市です。
 そんな福島県に近い筑西市に講師の面々の岩本先生や永富さんが朝日の上がる前に列車に乗り2時間半以上の時間を費やして現地に着いた。82名の受講者のママさん達は素直そのもので、岩本先生も思わず力が入り時間延長の指導ぶりであった。講習会中にに岩本先生を訪ねて来客がある。お隣の結城市のバレー協会の会長や副会長がお土産を持参して現れる。どこで岩本先生の参上を知ったのかあのような人たちが良く現れる。私もおすそ分けでお土産を頂く。(ありがたきかな・・・)昼過ぎにはⅤリーグで活躍して今はイタリアのチームにプロで行っているS君のお父さんもお土産持参で駆けつけてきた。まったく、岩本先生はどれだけの人に恩恵を施しているのであろうか、私には皆目見当がつかない。
 クリニックも怪我人がなく無事終わり(私のウオーミングアップ指導がが良かったのか・・・そうに違いない)、講師もや役員も三々五々別れた。私は東京に帰る社員の運転する社用車に同乗し、会社の話題を話しながら2時間半かけて着いた。今回のクリニックは成功だと私は思っている。教育委員会のU先生、協会のN部長、後援のスポーツ店の社長、皆の仕事がうまく連携し合っている。私も打ち合わせに2回ほど通った。アンケートを受講者全員に取ったが、来年も是非とも開催してくださいという声が圧倒的であった。来年また今回の受講者の方々の成長した姿にお会いするために開催できるよう運ぶのが私の仕事になる。そのためには、費用対効果として、地元のスポーツ店の売上を上げなくてはいけない。しかし、そんなことぐらい今日来たママさんバレーの愛好者にとっては、難しいことではないようだ。商品を売る方も買う方もお互いに感謝して売買して頂き、その結果、また岩本先生のクリニックを受講できれば幸せというもの。私の心配は瑣末な危惧と言うべきものであるようだ。来年度もこの時期に開催しようかなと考えている。

2009年9月5日土曜日

第2回関東U-14クラブチャンピオン男子バレーボール大会

 標題の大会が、本日千葉県市川市の塩浜体育館にて開催された。この大会は、JVAが男子バレーボーラーの裾野拡大のために4年前から各都道府県大会を始め、今年は千葉県が関東大会開催県と相成ったわけである。U-14というのは14歳以下という意味であるが、単独の中学校チームではだめという規定がある。いわゆる、地域スポーツクラブのチームで、ゲームの時は、コート上には必ず小学生が1名以上入っていなければならないというルールがある。千葉県大会での参加チームはここ4年間で4チームから6チームであった。大会に参加するには以上の規定を守らねばならない。しかし、普段から日常的に小学生を入れたり、複数の中学チームで練習しているクラブチームは少ない。多少時期尚早という意見もある。そのような意見がある中で2年後には全国大会を開催する意向であるというのがJVAの見解。別の見方もある。つまり、ヤングバレーボール大会に集約されて行くのではないかという見方もある。


 男子バレーボーラー拡大作戦として私見がある。ママさんバレーやソフトバレーボールについてくる子供たちがいる。その子供たちを小学生バレーチームとして育てていくことである。中学生になってから他競技からバレーに子供たちを引っ張ってくることは難しい環境に我が国はある。お父さんお母さんたちがやっているバレーボールに子供たちが興味を示すのは自然である。ママさんバレーボーラーたちが小学生チームを創設する動きが最近高まっている。本日伺った市川市塩浜体育館で普段練習をやっているママさん達も3年前に小学生チームを立ち上げ、その子供たちがスコアラーでお手伝いしていた。自分たちが楽しむだけでなく、子供たちにもバレーボールの魅力を知ってもらいたいというママさんバレーが僅かではあるが増えつつある。ソフトバレーボールの愛好者も子供たちのソフトバレーチーム、そして小学生バレーチームの立ち上げに尽力してくれるともっと地域が賑わってくると考えるのだが、いかがであろうか。
(画像は、関東大会で熱戦を繰り広げる各県代表チームの試合の模様)