2010年4月23日金曜日

今日は4月23日


 久し振りの休日。朝から趣味の新聞の切り抜きを行い、この半月の記事をプレーバック。目立つのは我が国の首相の支持率急落。一国のリーダーの意思決定の重さを思う。
 明日は得意先販売応援で埼玉県坂戸市に向かう。明後日の日曜日は、大和南高校で練習試合に立ち会う。日本の指導者の多くは学校の教員だ。そのせいか、教える姿勢が強すぎて選手の考える力を育てていないように感じる。教えることはティーチング、指導することはコーチング。高校生ともなれば、ティーチングからコーチングに転換していくことが必要ではないかと考えている。具体的には「5W2H」を選手に問い、一緒に考え、工夫していくことだ。
 成長する時には「壁」を打ち破らねばならない。壁際まで、我々コーチは導くことはできる。そこから壁を突き破るのは選手本人の頑張りだ。壁を破ることで「潜在能力」が「顕在能力」となる。今まで、時々にしかできなかったことが、常にできるようになる。
 明日。壁を破る子が、破ろうとしている子が何人出てくるか楽しみだ。
(画像は愛読者のママさんバレーのF.Kさんからの咲き誇る八重桜)

2010年4月13日火曜日

4月9日(土)日本ソフトバレーボール連盟全国交流大会実行委員会開催

東京都体育館会議室にて、今年度のソフトバレーボール全国交流大会(ファミリー、シルバー、メンズ&レディース)の実行委員会を開催した。開催県連盟役員も出席し開催に向けて綿密な打ち合わせを行った。私は、愛媛県松山市にて開催されるレディース&メンズ交流大会の大会副委員長で派遣されることとなった。わが大穴クラブも千葉県代表で初出場するので、私にとっては好都合だ。但し、監督・プレーヤーをしながら大会役員もできるか大会委員長の承認を得なければならない。車で10時間ほどなのでわがクラブは車を連ねて経費を浮かせながら行くことであろう。安全運転頼むよ~。
 会議の終わったのが3時過ぎ。隣のメインコートでは、Vプレミアの決勝戦が始まる直前であったが、私は迷わず電車に乗って新宿駅に向かった。隣県でちょいとアドバイスしている高校女子の合宿練習試合があるので、特急に飛び乗って合宿先に向かった。

2010年4月5日月曜日

結城市ソフトバレーボール審判講習会

 4日(日)は、朝早くから新幹線で茨城県結城市での審判講習会に出かけた。2年前から地元の会長の望月さんからの依頼事項であった。受講者は約50名の一般の愛好者。今年度初めての審判講習会で講義・実技と丸一日有意義な時間を過ごすことができた。今回のルールでは私が委員長になって初めて改正を1点させていただいた。「ネットタッチの反則」をシンプルに分かりやすく「インプレー中にネットに触れたら反則」ということにした。ソフトバレーボールの審判員は専門の審判員ではない。相互審判と言って、プレーヤーが審判する。従って、ルールはシンプルで分かりやすさがなければいけない。だからと言ってシンプルし過ぎてもいけない。奥深さも必要だ。
 講習後、県審判長の吉田さんも加わって、3人で茨城県のソフトバレーを語り合った。望月さんにはもっともっと県連盟のために望月さんの経験、知識、ネットワークを生かしていただきたい。

菜の花ママさんクラブ主催交流大会

 4月3日(土)さいたま市総合体育館(旧浦和市)で開催された菜の花クラブ主催のママさんバレー交流大会に顔を出してきた。コート数4面、参加チーム数24チームで一クラブの主催交流大会としては大規模と思う。菜の花クラブの代表は生島さんという情熱的な方。会員は40名ほどで50歳以上のチームも有している。当日は、埼玉県内はもちろん、東京都練馬区、足立区、群馬県から過去全国大会に出場したチームが4チームも出場していて、レベルは高かった。
 途中から、公式大会じゃないから、渡邉さん監督でベンチに座ってくださいと言われ、気安く引き受けた。しかし、こりゃ渡邉が監督するのだから、負けるわけにはいかなくなっちゃったなと後悔はしたものの後の祭りで、辛勝の連続で決勝戦まで何とか行き着いた。途中対戦したチームの中には20数年前にコーチしていた都立江東商業高校の生徒だったママさんがいたり、春日部共栄ではお世話になりましたという声もあったりで、ああ私も年を取ったんだなと実感した次第である。
 さて、決勝戦であるが、時間の都合で2セットゲームのため、両セットとも21-15で同点となり、大会特別ルールで9人でのじゃんけん総対決となった。結果、バレーが上手な菜の花クラブもじゃんけんには弱いらしく3-6で相手のBEETという2年前の家庭婦人全国大会埼玉県代表チームの優勝となった。
 しかしママさんもトップレベルとなると前衛に170cm台のプレーヤーが4、5人並ぶので壮観であった。そこに細かな戦術が加わったら更に面白くなるでしょうね。

2010年4月2日金曜日

春高バレー閉幕 東洋高校初優勝!

 優勝した瞬間、東洋高校との付き合いの今までの31年間が走馬灯のようにぐるぐる回った。翌朝、前監督の亡き山口先生と枕元で夢現のままお話できた。28年前の春高バレーの決勝戦で藤沢商業高校に敗退した後、山口先生とどこかのスナックに入った。先生は「悔し~い」「でもしょうがない。阿部ちゃん(私の旧姓)、歌おう」と当時流行り始めたカラオケを現監督で当時コーチの北畠先生と歌い始めた。優勝した後、いろんなことを考えたが、いまだにまとまらない。

 来週、子供たちに会って言うことは決まっている。「君たちの能力は、あの春高バレーが最高ではないはず。君たちはまだまだ上手になれる。強くなれる。これまでの多くの先輩たちが築いてきた伝統に感謝し、謙虚さを失わずにもっと強くなれ」。