1年に40日ある慰労休暇ですが、普段取っていないので、本日は大学院修了に向けて最後の関門の「論文抄録」作成と提出のために取りました。昼近くまで自宅で新聞の切り抜きなど行い、昼過ぎには茗荷谷の東京キャンパスに着きました。さっそく、学会発表で台湾出張後の指導教官にお会いし、今夜8時に「論文抄録」に目を通していただくことになりました。その後、9時までに専攻事務所に提出して、これで全て終了です。昨年、4年制大学の娘の卒業論文を手伝ったことがあるが、大学院の修了論文がこれほど大変であったとは思いもしなかった。論文提出直前に提出を断念して休学してしまう先輩や同輩・後輩を目の前で数人見てきたが、確かに入学するよりも、学習するよりも、研究した結果を論文という形式に当てはめて形にするのは並大抵ではない。同じ社会人でも理系の研究をやっている方には慣れていることでも、私のような現場型の「企業内報告書」に慣れている社会人にはつらい作業ではある。「報告書と論文は違いますよ」私は何べんとなく指導教官から注意された。「自分の仕事を客観的に論述してください」、「根拠は?独自性は?論理性は?仮説と検証は?」、「論文での表現は『~と思う』でなく、『~と考える』ですよ」、「『私が~』でなく『筆者が~』と書かなくてはいけません。渡邉さんは本を書いているつもりですか」、「できなかったこと、失敗したことも立派な成果ですよ」などとも繰り返し言われた。我々社会人の仕事は、成果をあげるのが仕事。結果で判断される。失敗しても、それは成果と言われるのは新入社員の内。
しかし、科学的に問い詰めていく「研究」というスタイルは理解できたと手前みそだが感じている。さて、ウオーミングアップはこれくらいにして、そろそろ「論文抄録(論文を8ページぐらいにまとめる長い概要のようなもの)」あと1ページでの完成に向けてパソコンに向かおう。
しかし、科学的に問い詰めていく「研究」というスタイルは理解できたと手前みそだが感じている。さて、ウオーミングアップはこれくらいにして、そろそろ「論文抄録(論文を8ページぐらいにまとめる長い概要のようなもの)」あと1ページでの完成に向けてパソコンに向かおう。
(画像は、読者のAさんから頂きました。彼女のお母さまから昨年頂いた紫陽花(あじさい)が彼女の自宅のベランダで今年も見事に咲き始めたとのことです。お母様の温かで強い思いやりが根を張り、花を咲かせたのでしょうね)
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