昨日はA市でのサマー大会に出場した。11チーム参加の混合の部はフリーの部しかなく、20代から30代の参加者がメーンになっている。私のチームのような50歳60歳がメンバーにいるようなチームは他に1チーム見受けるほど。毎年参加しているが、40歳以上の部とかに年代を区分していけば中高年齢者も増加していくと思うのであるが、過去に1,2回40歳以上の部を設けても参加チームが2チームしかいないとか理由をあげ、またフリーの部だけに戻している。
ソフトバレーボールが対象にしている年代は、まず中高年齢者ではなかったのか。40歳を過ぎたあたりから、硬いボールではバレーボールを楽しめない、何とか中年以降でも初心者でも楽しめるバレーボールを開発してくれないか、という愛好者の要望に応えて「ソフトバレーボール」が誕生したのが1988年、今から21年前である。フリーの部はソフトバレー草分けの時代にはチームを作りやすい方策であり、中高年チームと若者チームとも優劣の差はなかった。しかし、次第に若い人たちは中高年を凌駕していった。その兆しのところで交流大会運営に当たる人たちは年代を区分して同じような体力同士でゲームを楽しませる工夫が必要であった。望ましい方向に各種の工夫(インセンティブ)を用いて導いていくのが市や県の連盟の任務の一つであると私は考える。1クラブが主催する招待交流試合は、そのクラブの独自の考えで運営するのは構わない。しかし、登録料を頂き、市や県のスポーツ行政の後援を頂いて運営する連盟主催の交流大会の運営には生涯スポーツの理念が反映されていなくてはならない。
A市でのゲームも予選グループ戦、順位別ゲームも終えて帰路に着こうとして、表彰のあり方に疑問を持った。表彰は1位グループの3位まで、ということだ。これでは中高部活の競技スポーツの延長ではないか。私達はNo.1でなくオンリィ1を評価してきたはず。1位グループの1位、2位グループの1位・・・審判活動のベストレフェリーチーム、ベストマナーチームなどを評価して新しいスポーツ文化を作ってきたはずだ。それがこの地域では、まだ従来の価値観で運営されている。年々混合チーム数が減少しているというのもうなずける。誕生して20年以上経っていても競技スポーツの考えを引きずっている現実を目の当たりに見て、私は正直がっかりした。
帰る直前に、責任者に私の意見を述べさせていただいた。しかし、その責任者は「市協会の上の方がこのままで良いというので・・・」と、自分の力ではどうしようもないとあきらめ顔で言う。
日本の至る所で上のような現実があると思います。そのようなとき、どうするか?市や県の連盟の総会があるはずです。その場で愛好者たちは自分たちの意見を、要望を発言すべきです。見解の相違があれば、その相違を論理的に展開し相互理解に努めます。どちらが正しいかでなくお互いに理解するといことが大事です。その上で連盟サイドが愛好者の意見に理解を示さないのであれば、残念ながらその連盟を去るしかないでしょうね。そして、新たな組織を立ち上げ、自分たちで愛好者のためのソフトバレーの理念を満たした組織運営、大会運営をやっていけばよろしいと思います。
さて、このような発言は過激でしょうか。私は当たり前のことと思います。愛好者はもっと発言したほうが良い。そして発言には必ずその根拠、理由を付け加える。そのことが論理的な発言となる。数ヶ月前に、ある県で理事長が不祥事の責任を取って辞任した。私は、その責任はその理事長だけにあるのではなく、今までその理事長の暴走を見逃していた、見て見ぬふりをしていた理事にも責任はあると思う。企業にもそのような不祥事はよくある。原因はリーダーが「裸の王様」状態になっていることに多くの要因がある。ワンマン体質が年月とともに大きな権力となり、リーダーも勘違い、部下は進言しても却下されそのうち何も言わなくなる。悪い情報は次第にリーダーの元に届かず、どうもこうもしようがない最悪の状態になってからリーダーは実態を知ることとなる。リーダーも組織を皆から預かっている組織を自分の所有物と勘違いしてくる。そして、そこに内部告発があり・・・。
このようなことを書いていくと、暗くなるのでこの辺りで止めよう。
いずれにしろ、他にも事例はたくさんあるが、私がそこから引き出した法則は、リーダーは10年以上その地位に留まってはいけない、ということ。清らかな水も流れが鈍ってくると腐ってくる。
ソフトバレーボールが対象にしている年代は、まず中高年齢者ではなかったのか。40歳を過ぎたあたりから、硬いボールではバレーボールを楽しめない、何とか中年以降でも初心者でも楽しめるバレーボールを開発してくれないか、という愛好者の要望に応えて「ソフトバレーボール」が誕生したのが1988年、今から21年前である。フリーの部はソフトバレー草分けの時代にはチームを作りやすい方策であり、中高年チームと若者チームとも優劣の差はなかった。しかし、次第に若い人たちは中高年を凌駕していった。その兆しのところで交流大会運営に当たる人たちは年代を区分して同じような体力同士でゲームを楽しませる工夫が必要であった。望ましい方向に各種の工夫(インセンティブ)を用いて導いていくのが市や県の連盟の任務の一つであると私は考える。1クラブが主催する招待交流試合は、そのクラブの独自の考えで運営するのは構わない。しかし、登録料を頂き、市や県のスポーツ行政の後援を頂いて運営する連盟主催の交流大会の運営には生涯スポーツの理念が反映されていなくてはならない。
A市でのゲームも予選グループ戦、順位別ゲームも終えて帰路に着こうとして、表彰のあり方に疑問を持った。表彰は1位グループの3位まで、ということだ。これでは中高部活の競技スポーツの延長ではないか。私達はNo.1でなくオンリィ1を評価してきたはず。1位グループの1位、2位グループの1位・・・審判活動のベストレフェリーチーム、ベストマナーチームなどを評価して新しいスポーツ文化を作ってきたはずだ。それがこの地域では、まだ従来の価値観で運営されている。年々混合チーム数が減少しているというのもうなずける。誕生して20年以上経っていても競技スポーツの考えを引きずっている現実を目の当たりに見て、私は正直がっかりした。
帰る直前に、責任者に私の意見を述べさせていただいた。しかし、その責任者は「市協会の上の方がこのままで良いというので・・・」と、自分の力ではどうしようもないとあきらめ顔で言う。
日本の至る所で上のような現実があると思います。そのようなとき、どうするか?市や県の連盟の総会があるはずです。その場で愛好者たちは自分たちの意見を、要望を発言すべきです。見解の相違があれば、その相違を論理的に展開し相互理解に努めます。どちらが正しいかでなくお互いに理解するといことが大事です。その上で連盟サイドが愛好者の意見に理解を示さないのであれば、残念ながらその連盟を去るしかないでしょうね。そして、新たな組織を立ち上げ、自分たちで愛好者のためのソフトバレーの理念を満たした組織運営、大会運営をやっていけばよろしいと思います。
さて、このような発言は過激でしょうか。私は当たり前のことと思います。愛好者はもっと発言したほうが良い。そして発言には必ずその根拠、理由を付け加える。そのことが論理的な発言となる。数ヶ月前に、ある県で理事長が不祥事の責任を取って辞任した。私は、その責任はその理事長だけにあるのではなく、今までその理事長の暴走を見逃していた、見て見ぬふりをしていた理事にも責任はあると思う。企業にもそのような不祥事はよくある。原因はリーダーが「裸の王様」状態になっていることに多くの要因がある。ワンマン体質が年月とともに大きな権力となり、リーダーも勘違い、部下は進言しても却下されそのうち何も言わなくなる。悪い情報は次第にリーダーの元に届かず、どうもこうもしようがない最悪の状態になってからリーダーは実態を知ることとなる。リーダーも組織を皆から預かっている組織を自分の所有物と勘違いしてくる。そして、そこに内部告発があり・・・。
このようなことを書いていくと、暗くなるのでこの辺りで止めよう。
いずれにしろ、他にも事例はたくさんあるが、私がそこから引き出した法則は、リーダーは10年以上その地位に留まってはいけない、ということ。清らかな水も流れが鈍ってくると腐ってくる。
(画像はクレマチスという花。いつものKさんが送ってくれました。花屋さんみたいと言ったら、本職の花屋さんでした。日本語では6枚の花弁のものが「鉄線」といい、8枚のものが「風車」と言うとのことです)
1 件のコメント:
私もA市の大会に参加していた40台後半の男性です
筆者の方のおっしゃるとおりだと思います
大会そのものは若者チームは手加減してくれてそれなりに
10点くらいまでは遊んでくれましたが
本気でやられたら多分試合にならないと感じました
そういう意味では若者チームの優しさは有難いのですが...
なんだか彼らにも気を使ってもらって
悪いと思ってしまいます
自分の友人知人も9人制でバレーもやっていて
以前にソフトのこの市の大会に参加しましたが
やはり若者の速さと高さとパワーに圧倒され
’なんか俺たちここにいちゃいけないんじゃないかな’
と感じて出場しなくなってしまいました
そいう意味ではある程度のすみわけによって
6人制や9人制はそろそろ限界だけど
ソフトならって人はたくさんいると思うんですが
こういう層をキチンと拾ってくれると
もっと裾野が拡大していくと感じてます
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