2010年6月30日水曜日

6/29(火) 我がソフトバレークラブで練習


 毎週火曜日は我がソフトバレークラブ「大穴クラブ」で練習で、3週間ぶりに練習に出た。今週末の日曜日が船橋春季市民大会が開催される。ここのところ体重が増加したようで、ジャンプにキレがない。ここのところ夜の飲み会が多く少し油断をしてしまったようだ。それにしても私のブロックが止まらない。
10年前までは、ワザとスパイク相手の得意コースを空けて、打つ瞬間にそのコースをふさいで良くブロック・シャットを積み重ねていたものだ。ジャンプも同じ年代よりはしていた。やはり、寄る年波と50歳に切ったアキレス腱断裂が響いている。
 それでも、トレーニングしてそこそこソフトバレーを楽しむぐらいに復調してきた。あと2年以内で還暦を迎えるが、もう一度全国年輪ピックに出て仲間とソフトバレーを楽しみたい。できれば、当時は50歳でも年輪ピックに出れる年齢条件であったが、今度は正真正銘の60歳で出場して、再度優勝してみたい。
(画像は、読者のT子さんから送られてきました。ベランダに咲いている額あじさいという花です。梅雨もうっとしいですが、そんな中で鮮やかに咲いている紫陽花を観ると風情を感じます)

6/28(月) 日本バレーボール協会評議員会に出席


 日本バレーボール協会の組織は評議員会、理事会の2つの役員会があり、その下に執行役員会がある。執行役員会には国内事業部、国際事業部、強化事業部など5事業部がある。評議員会は47都道府県協会の代表者(主に理事長)と加盟団体(ソフトバレーボール連盟など)から70名が出席して年に2,3回開催される決議機関である。
 会場は品川駅前の品川プリンスホテル。関東・東北ブロックの県協会理事長や連盟理事長に顔見知りが多くさほど緊張感は感じなかった。成田先生(日本ソフト連盟理事長)は、強化事業本部長として既に着席している。原さん(日本ソフト連盟副理事長)は執行役員として、田中先生(日本ソフト連盟副理事長)はクラブ連盟代表で出席している。私は今回代理なので投票権がないということだ。
 議事の多くは、決算事項に関する件でこの3年間黒字であったことが報告された。もう一つは、来年4月から移行する公益法人に関する定款に関することであった。
(画像はKさんから送られてきたハイキング途中で見つけた「岩たばこ」という花です。この方は海外も含めて色んなところに行きますね。セレブなんでしょうね)

2010年6月28日月曜日

6/27 ソフトバレー・マスターリーダー講習会開催

 26日、27日と東京都江戸川区スポーツセンターにて、年に1回開催される新規マスターリーダー養成講習会、更新講習会が約80名の出席者で開催された。27日の午前中からが私の出番で、今年度のルール改正を説明。その後Q&Aで多くの方から質問を頂いた。質問は、やはりルールに関してがダントツ多い。次に多い質問は、登録関係。
 午後からは、競技、指導普及、審判規則の各委員会に分かれて今年度第1回の委員会会議。私のところの審判規則委員会は1名の欠席があったが、5名の委員で今年度の事業計画の確認、役割分担決めで2時間ほど実り多い時間を過ごした。事業計画の中で「全国審判長会議」を来年の3月に開催することを改めて確認した。都道府県の審判長に集まっていただき、審判関係の共通認識を図っていきたい。私自身も更に「審判員とは」「判定とは」「ルールとは」「審判員のインセンティブとは」「委員会活性化とは」などを追及していきたい。私自身が問題を認識し、課題を発見する努力を継続していかない限り委員会の組織の発展はないものと考えている。
 夕方からは、東京都ソフトバレーボール連盟の理事会に出席。来年の連盟10周年記念事業を中心に討議した。
 明日は(財)日本バレーボール協会の評議員会に日本ソフトバレーボール連盟を代表して初めて出席する。代理出席ではあるが、全国の都道府県協会会長・理事長、各連盟の理事長が出席して重要案件が決められる場である。品川のプリンスホテルで開催される。

6/26 小田急ママさんバレークリニック


 小田急ママさんバレークリニックが神奈川県大和市アリーナにて開催された。小田急バレーボールクリニック事務局局長の岩本氏、主任講師の丸山由美さん他元全日本の講師5人に私がお手伝いで入ってママさん120名対象に基本妓を中心に指導。

 先月からのミニ・クリニック指導、そして先週の春季大会に引き続いての大和市であったので、私の自宅から大和市までの約二時間の移動も慣れてきた。千葉県から東京都を抜けて神奈川県まで行くのであるから大変なようでもあるが交通費は700円ぐらいで済む。関東の首都圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の境界が接しているところは電車網が細かく発展しているので移動時間は意外とかからない。地理的距離は長くとも、時間的距離は短いというところか。

 帰りの際に市協会新会長の荻原さんからお土産の和菓子を頂いた。我が家の婦女子にはこの和菓子が大好評で「パパ、また大和市に行ってきてね~」ときた。まったく、食べ物だけしか生き甲斐のないような我が家の婦女子達である。
(画像はお土産の和菓子。最近洋菓子を多くいただく機会があったが、和菓子は珍しい。甘さを程よく抑えて、季節感を目でも楽しみ、舌の上で触感も楽しみながら頂く。日本人で良かった・・・)

 

2010年6月23日水曜日

6/21~22 元気な寿年代が長野県に集結




 バレーボール関係者で男子バレーボールの中村祐造さんを知らない人はいないであろう。ミュンヘン金メダリスト、その後、全日本男子チーム監督としても活躍した闘将である。その中村さん自身がプロデュースした第四回 中村祐造杯ママさんバレー交流大会が6/21-22と長野県北志賀竜王にあるホテル田川の付属体育館にて開催された。

 しかし残念なことながら、肝心のご本人が体調を崩され不参加となっってしまった。そこで、中村さんと縁のある小田急の岩本先生と私が急遽ピンチヒッターと相成った次第である。関西、関東から「祐造さん命」の60才以上の元気なママさん24チーム、凡そ300名が集まってきた。初日は教室を行い、二日目はゲームを4コートに分かれて行った。

 ゲームのレベルも高く、中には81才のアタッカーや強打でコースを巧みに打ち分ける63才のエースもいた。その元気の秘訣を聞いてみた。「筋トレやっていますの」と回答があった。恐れ入りました。圧巻は夜の懇親会。言葉では言えないハチャメチャ混乱会。しかし、会の締めは一転して凛とした雰囲気に豹変する。大人の遊びのルールがある。我が国のバレーボールの行く末はこんな元気で粋なおばあちゃん達に育てられたお孫さんに期待がもてる。

(画像は私の席から取った宴席の模様。舞台上での画像もあるが、ちょっとここでは披露する勇気がない。私もデュエットを2曲ばかり歌わされて、頬にチュされて・・・)



 

2010年6月20日日曜日

6/20(日) 全国家庭婦人バレー関東ブロック・リーダー講習会

 本日は、インターハイ関東各県予選会が行われた。私は、表題の講習会が前から入っていたので会場の千葉県スポーツセンターに向かった。向かったというより、正確には連盟役員さんが車で運んでくれた。午前中は千葉市消防署の協力でEAD研修、午後から私が講師で「生涯スポーツとは」「チャンスボールの処理」「2段トスの上げ方」「ゲームでのコーチング」をテーマに関東各県から受講者108名が出席して開催した。
 受講者は各チームの監督・主将クラスの方達ということで、あまり激しい練習は控え、初心者指導のポイントをメインに指導を行った。最近ポイントの説明が以前より簡潔明瞭になってきた、と我ながら驚いている。これもこのような講習会に講師として読んで頂いての経験からくるものであろう。私は不器用なので準備に本番の3倍以上の時間をかけて予習を行う。帰りがけに市川市家庭婦人連盟の14チームへの講習会できないものか指導を依頼された。これもありがたいお話である。お引き受けした次第である。
 夕方帰宅すると、神奈川、山梨、東京都のチームから結果報告が携帯メールに入ってきた。驚いたことに22年連続インターハイ出場している国学院栃木高校が敗退したということである。主力が1年生ではあるが、まさか!という思いである。勝負は怖い。東京都は4つの順位が毎回替わる。今年のインターハイ出場は下北沢成徳と共栄学園。八王子実践と文京学院大学高校は1勝2敗セット率で3位と4位であった。山梨県は男子が30年ぶりで県立甲府工業がインターハイ出場に決まった。女子は全日本ユースアタッカーを有する県立増穂商業が貫録で代表に決まった。2位の日本航空学園も下級生主体で健闘したということだ。神奈川県女子はベスト4が決定した。大和南、橘、伊勢原、そして関東大会に出れなかったものの返り咲いた鶴峯。鶴峯にはコチキャラでゼッターランドヨーコさんが4月から付いている。来週代表2チームが決まるが何か波乱が起きる予感がするのであるが・・・。来週は東京都男子も決まる。
 さて、明日から私は長野県に入りまたもやママさんバレーの指導である。今度は60歳以上のママさん達16チームの指導である。いや、私の方がお姉さん達に教育的?指導される予感がする・・・。

6/19(土) 大和市ママさんバレー連盟春季大会開催


 朝から神奈川県大和市でのママさんバレー春季大会に挨拶に出かけた。開会式で挨拶した後、各チームのゲームを観戦した。登録チームを8チーずつ6グループに分け2会場6コートを使用して夜9時近くまでゲームを行う。大和市には昨年度神奈川県「やまゆり杯」という登録チーム800チームのほとんどが予選から出場する大会で優勝したチームもいる。
 各コートを巡っていくと、「こんにちは渡邉さん」と良く声をかけられる。ほとんどが大和南女子バレー部のお母さん達。その中に、市立横浜港商業女子バレー部のエースの子がいた。子というよりも、今は30歳代のお母さんだ。港商業がインターハイに行く2年前まで、実は現在の大和南の飯塚監督と私が交替でコーチング協力をしていた。その2年前のチームのエースの子が得点版の前でニコニコして私の前にいる。「おお、あの体の固いお前か?」とお前呼ばわりになる。更には、20年前の県立藤沢高校のOGも立派なお母さんになって目の前でママさんバレーをやっている子もいた。動きは高校時代の1/3ぐらいに低下しているが、プレーぶりは変わらない。 
(画像はコート4面で夜まで繰り広げられた大会模様。神奈川県で一番レベルが高いと言ってよい。そして、役員の質が高い。使命感の強い役員が多い)

2010年6月17日木曜日

6/15(火) 東洋高校男子バレー部祝賀会


 関東地方が梅雨に入ろうかという15日夜、東洋高校男子バレー部28年ぶりの日本一(春高バレー)の祝賀会が催された。会場は、学校から歩いて5分、お隣の区である文京区の後楽園の中にある東京ドームホテルである。感激の春高バレーから3カ月も経っての祝賀会であったが、生徒たちの顔を見て関係者の顔を見て、優勝の瞬間のあの感動が蘇ってきた。

 祝辞のトップバッターは、3日前に手術を終えたばかりのJVA名誉会長の松平康隆氏。酸素呼吸器を引きずりながら登壇した。この方は話が本当に上手だ。自然体であるが計算された話の内容にはいつも敬服させられる。続いて、JVAから成田先生が思い出話を交えてお祝いの言葉を述べる。4番手に全国高校体育連盟バレーボール専門部長の倉橋先生が型通りだが生徒への配慮のある言葉が紡がれる。3番手が全国私学バレーボール連盟会長である中村四郎先生。実はこの先生は春高バレー第1回優勝校の中大付属高校の監督でもあった。奇しくも、春高バレーは第1回と最終の第41回が東京都で締められた形になった。

 監督挨拶で北畠先生が挨拶する。性格通りの紋切り型の挨拶であったが、そればまた先生らしくて良かった。歓談では、実に多くのバレー界の先生達やOBと話した。東亜学園の監督も出席していた。2週間後にはインターハイ予選会がある。

 ひな壇の横には、春高バレー関係のカップやトロフィーが沢山飾られていた。一段高い所に北畠監督の胴上げのパネル写真があった。それは、28年前に全国初優勝の島根国体での前監督の山口先生(故人)のパネル写真と全く同じであった。島根国体のコーチが北畠現監督である。私が山口先生と出会ったのは、今から32年前の東北の秋田県で開催されたミニ国体であった。私にとっては恩人であり、バレー界の兄貴であった・・・。話せば長くなるので本日はここまで。

(画像は、勢ぞろいした2,3年生達。諸君、君達の先輩達が築いてきた道の先に今の栄光があることを忘れないでくれよ)

2010年6月16日水曜日

6/13(日) 取手市ソフトバレーボール連盟主催審判研修会

 当日は千葉県のお隣にある茨城県取手市ソフトバレーボール連盟依頼の審判研修会及び親睦交流会が開催された。 本年度の競技規則改修正点を説明し、ウオーミングアップ、基本練習と進んでいくうちに参加者のレベルがまだソフトバレーを やり始めて間もないことに気づいた。午後からは、ゲームの楽しみ方を中心にして、簡単なフォーメーション理論を指導して 全9チームが4セット楽しめるように工夫をして、疲れを翌日まで持ち越さないようにマッサージを入念に行い、3時半には閉講とした。  その後の役員との懇親会が盛り上がった。実は、ここの連盟と私との関係は13年前からと結構古い。スタートは1クラブあったが、 その後チームが増えて、暖簾別けの様に新クラブが独立し、現状では6クラブあるのであろうか。 2代目の県理事長もここのクラブから 選出された。若い生きのいい役員も大勢いる。これからの取手市ソフトバレーボール連盟の成長が楽しみである。

2010年6月12日土曜日

6/11(金) 江戸川区のママさんバレーチーム訪問

 昨日は、江戸川区バレーボール連盟副会長のママさんバレーチームにお邪魔した。江戸川区のママさんバレーの部は8部まである。各部に10チームあり、毎年1回秋の「連盟杯」で1か月間にも渡って79チームがゲームを繰り広げ、自動的に昇・降格がありチームが入れ替わる。昨日の会場はJR小岩駅から車で5分のところにある小岩5中で、神殿のような体育館の2階にバレーボールコートがあった。コーチはその中学校で校長をやっていたという温厚な先生で日本体育大学OBという。練習の前に日本体育大学の昔の話になり、実際のコーチングに入ったのは7時半からになった。チームは1部常連と言うだけありアタッカーは揃っている。依頼されていたテーマの「サーブ」「2段トス」「スパイク・レシーブ」の練習を時間一杯の9時半まで行った。元校長の教え子の男性達が5人も補助コーチとして毎回来ている。今夜は、連盟の総務委員長と彼女のチームメイトが3人見学に見えていて、途中からは連盟会長も顔を出してきた。最後の30分をA,Bチームで乱打ゲームを行い体育館を後にした。チームの監督・コーチの性格が温厚なせいか、チーム全体も柔らかくふんわりした感じのチームであった。
 見学に見えていた、総務委員長のチームにも2週間後以降にコーチング行くことになり忙しくなってきた。しかし「良く分かりました」とか「勉強になりました」とかお世辞でも言われると、こちらも嬉しくなりまた教えたくなる。まあ、人が好いということかな・・・。
 明日は、取手市ソフトバレーボール連盟からの依頼で審判研修会に行く。茨城県ソフトバレーボール連盟も理事長が変わり、今後の連盟運営の手腕が試される。その新理事長である近藤さんと明日会えるであろう。

2010年6月10日木曜日

6/6(日) 高校女子バレー練習試合


 関東大会でベスト8に入れなかったチームが3チーム、埼玉県の高校に集まって練習試合を行った。私もその中の2チームに関係しているので、前橋からチームのバスで帯同した。集まったチームはそれぞれの県で全国出場常連のチームである。実は、関東大会という大会にはインターハイ出場権がかかっていない。従って、この2週間後に県大会を控えているチームにとっては関東大会で優勝することよりもインターハイ県予選会に標準を定めているチームが多い。中には怪我人を抱えているチームもある。自チームの戦術を見せたくないチームもある。
 埼玉県の高校に集まってきた昨日の負けチームもそのような事情を抱えている。各チームとも色々な思惑を抱えながらそれぞれ6セット消化した。2週間後に結果は出る。
(画像は愛読者のKさんから送られてきた薔薇の花です。なんて難しい漢字なんでしょう)

6/6(土) 関東高校男女大会開催


 6月4日~6日まで関東高校大会が開催された。男子は東京都町田市にて、女子は群馬県前橋市にて同時期に開催された。5年ほど前までは、男子と女子の開催は1週ずれていたので、両方に行けたのだが、ここのところどちらか片方にしか行けなくなった。

 今年は、女子に行くことにして5日のベスト8決定戦に前橋に朝早く出かけた。会場の群馬アリーナはコートが6面取れるほどの大きな体育館である。同じ敷地内にある武道館の2面も使用して、計8面のコートで関東代表の50チームのゲームを2日間で消化できる。観客にとってはほとんど全てのゲームを観れるので大助かりである。最終日の結果は、ベスト4に東京勢のベスト4(共栄学園、下北沢成徳、文京学院大、八王子実践)が全て入り、優勝は春高バレーでベスト8の共栄学園であった。男子の結果は、東洋が2年連続4回目の優勝で、準優勝が東亜学園とこちらも東京都勢が活躍した。会社のパソコンから親しい関係者に東洋の優勝を3回目と伝えたら、すぐさま卒業生の宗雲先生(現、慶応大学男子バレー部監督)から「ナベさん、私達の時が2連覇でしたから4回目だと思いますが・・・」とメールで連絡が入った。そういえば、28年前に宗雲、小泉、明石、土屋、藤井・・・とか、平均身長188cmの当時としたら大型チームが東洋高校にできた年があった。宗雲は1年生の時のスパイクが凄かった。どう凄かったかと言うと、打つスパイクがほとんど壁に直撃するのだが、壁に穴が開いてしまうほどの破壊力なのだ。彼はその後、春高バレー、インターハイで準優勝、日本体育大学に進学して大学選手権日本一のエーススパイカーとして活躍する。そして慶応高校で教員となり、昨年慶応大学男子バレー部の監督で関東大学1部に数十年ぶりに復帰させた。

 なんか今日は、宗雲の話になってしまった。来週の火曜日は東洋高校の全国私学、春の高校バレー、関東2連覇の祝勝会が開催される。宗雲と会うのも久し振りだ。
(画像は、伊香保温泉のシンボルの石階段。出場チームの殆どはこの伊香保温泉に泊まっている。1泊一万以上するのだが、それだけの価値のある風情のある旅館が多い)