2008年11月21日金曜日

島しょフトバレーボール交流大会in神津島







 お早うございます。この3日間、会社の業務で展示会をやっていました。ディーラーのお客様に対する新製品の紹介という立ち仕事なので疲れた。
 さて、先週末の15日は神津島にて「第4回の東京諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)を巡るソフトバレーボール交流大会」が開催された。14日(金)夜10時に竹芝桟橋から大型客船に乗りこんだ。船内で早速茨城県結城市から参加のチームと合流し早速宴会。夜のレインボーブリッジや東京の夜景を楽しみながら茨城県内のソフトバレー事情や情報交換をした。横浜からは世田谷区からレディースの部参加のまさに淑女の方々と合流。目が覚めたら新島であった。それから1時間後に神津島に到着。
 ゲームも楽しかったが、夜の交流パーティは鯛や平目の刺身の船盛りで食べつくせなかった。さすが全国でも有数の漁場。抽選会では、ほぼ全員に当たる確率で大興奮。名物の「赤イカ入りのイカの塩辛」が当たらなかったのは残念だったが、シルバーの部優勝賞品の島焼酎「盛若」を一人2本頂き満悦。
 この交流大会は、神津島、新島、大島、神津島と島を巡ってきたが、来年は小笠原諸島の父島にて開催予定。9月の連休をはさんで、観光(イルカウオッチング、ダイビング、釣りなど)も含めて6日間開催する予定。
 島を巡るこのソフトバレーボールはアンケートの集計結果では「価値あること、是非とも継続して欲しい」との要望が多くあった。来年の小笠原諸島の主催者の腕の見せ所。勿論、私も岩本洋先生もアドバイザーで最大限協力する。東京諸島の住民がソフトバレーボールによる連携と協働を通じて連帯感を醸成しようというテーマのこの交流大会を本土といわれる東京都中心に各地から観光・グルメ・ソフトバレー大好き愛好者が押しかけて盛り上げようではないか。
(画像は左から、船盛りの刺身、岩本先生大喜びの伊勢海老、帰りの船を背景に世田谷区淑女チームと一緒の記念写真)

2008年11月17日月曜日

ママさんバレーボールクリニックin駒澤屋内球技場


 私の業務のことで恐縮であるが、先週の13日(木)標題のクリニックを開催した。実は、このクリニックは年2回開催して、今年で4回目であるが、今回から私がプロデューサーとディレクターを全て行うことになり、準備にてんやわんやの忙しさであった。プロデュースとは企画・立案であり、デレクターとは現場監督である。イベントは準備が8割で決まる。準備に1ヶ月かかり、実施は1日で終わる。
 14日と17日の本日はイベント事後処理で物品をまた倉庫に収納したり、伝票処理、報告書の作成に追われ、まだ終了しない。
 これから、茗荷谷の大学院に行き、アンケートの集計作業を行う。多忙の「忙」は、「心を亡くす」と書く。多忙でなく、充実している、と私は思っているのだが、油断すると多忙の心中になってしまう。気をつけなくっち・・・。
(画像は愛読者のF.Kさんの箱根路の旅先から送っていただいた紅葉の画像)

2008年11月11日火曜日

恩人の逝去


 一昨日、私の自宅に新年の挨拶を欠礼する旨の葉書が届いた。私が山形県酒田市から出てきて2年目19歳の大学浪人生活を送っていたとき、新宿区で「やよいクラブ」というママさんバレーチームの指導をお願いされやっていた。その時のメンバーの一人の荻原さんというママさんとご主人が両親のいない私を不憫に思ってか、なにかれとなく面倒を見てくれた。結婚式の時も私の親代わりになって頂いた。そのおやじさんが5月に78歳で亡くなったという葉書であった。亡くなった事だけでもショックだったのだが、そのことを今まで知らなかった、足が遠のいていた自分が情けなかったた。実の親にも孝行できず、今回も看取ることもできず、何も恩返しができなかった。5年前にもバレーボールの師と仰いでいた渡辺泰行先生(名門、中村高校監督)に突然先立たれ、後ろ盾を失った私は途方にくれたものだった。
 昨夜、妻と二人の子供達を連れて新宿の荻原さん宅に弔問してきた。線香を上げながら仏壇でにこやかに微笑んでいるおやじさんに詫びた。「今頃不幸者をお許しください」これから、私たちの年代では家族や友人の高齢者が順番に先立って逝く。ママさんチームのメンバーの一人のメールに次の言葉があった。「心の準備をしていなくてはいけない」確かにそうだ。そういう年代だ、我々は・・・。
 ( 画像は愛読者のF.Kさんが法隆寺に行って、壁に掛かってた文字を写して送ってきたものです。『春風(しゅんぷう)をもって人に接し、秋霜(しゅうそう)をもって自らを慎む』。 「春風をもって人に接する」というのは、暖かい気持ちでいつも人に接しなさい。 「秋霜をもって自らつつしむ」というのは、秋の霜のように自分には厳しくあたりなさい、という意味です。坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟などに大きな影響とを与えたという、江戸時代の儒学者、佐藤一斎(いっさい)の言葉です。)

2008年11月10日月曜日

江戸川区ママさんバレーボール・クリニック

 昨日9日(日)は、江戸川区ママさんバレーボール・クリニックを開催した。江戸川区にはママサンチームが約90チームも登録がある。役員だけでも15名いる。その登録チームの中から64名が参加して篠崎中学校体育館にて私の指導を受けていただいた。今年で3年連続の講師依頼であった。
 ママサンのチームには監督はいるが、技術を指導できるコーチは少ない。今回は、練習の仕方を中心に懇切丁寧に初心者でも理解できる平易な表現と例えを用いコーチングした。資料も事前の質問に回答する形で7ページ作成し、全員に配布した。
 この3年間、千葉市のママサンチームを毎週指導している経験が生きて、実業団9人制とは違うママサン9人制の指導も板についてきたようだ。実業団9人制は10年前に8年間ほど石川島播磨重工(今のIHI)バレー部で外部コーチとして学習させていただいたので要領はわかっていたが、ママさんバレーの指導はまた違う。千葉市のママサンチームが最近やっと競技成績が上向いてきたのと私のママサンバレー指導力の向上もここに来て最近正比例してきた。やはり、現場で指導している現役のコーチである私が指導することがママサンたちにマッチングするようで、受講者達も見る間にどんどん知識を吸収し身体で表現できるようになっていく。嬉しい限りである。
 ソフトバレー講習会の指導もお陰さまで好評なのは、私が現役プレーヤーで指導もやっているからであろう。ソフトの講習会で講師自身が日常的にプレーしていないで技術指導をやっていられる講師がいるが、例え過去に6人制で日本一になった指導者でもソフトバレーや9人制を指導できるとは思わない。そんな意味で、私の場合はソフトや9人制バレーで日常的に私の指導を受けてくれる仲間がいることに感謝したい。「選手がいるから監督(指導者)の存在がある」ことを多くの指導者に理解して頂きたい。
 では、今からある大変お世話になった方のお焼香に行きます。生かされているものがもっと頑張らんといかん。

2008年11月7日金曜日

米国新大統領の誕生


 米国の新大統領にオバマ氏が選出された。アフリカ系黒人の政治家が初めて米国の頂点に立った。同じ黒人の故マーチン・ルーサー・キング牧師が1968年に公民権運動のリーダーとして「ワシントン大行進」で演説した名文句を思い出した。
 ”I have a dream(私には夢がある)”で始める演説であるが、英語の学習で何度も暗唱したものだ。夢を追い続ける途上で暗殺されたキング牧師。夢そのものになったオバマ氏。
 オバマ氏の双肩には、エネルギー、環境、経済の困難を伴うグローバルな課題がかかっている。オバマ氏は当選演説でこう締めくくった。”Yes、we can!” アメリカ合衆国は変わろうとしている。では、我が国はどうであろうか。表面だけ変わろうとしているのが見え見えのような気がする。新たな日米関係に着手する気概を持っていただきたいものだ。
 ”I have a dream”・・・そうだ、私にも夢がある。ソフトバレー愛好者の100万人目標、ママさんバレー我がチームの全国出場、 外部コーチする高校女子チームの再度の全国3位、来年3月の大学院修了・・・。夢を叶えるには、今日も精一杯頑張るしかない。「きょうは、残された日々の最初の日」
(画像は故キング牧師の演説風景)

第20回全国家庭婦人バレーボールいそじ大会開幕


 昨日は、埼玉県川越市運動総合体育館にて開催されたママさんの50歳以上の全国大会に行って来た。全国から64チームが参加し明後日までさいたま市記念総合体育館と2会場を使用し開催された。昨日は開会式が執り行われた。入場行進を間近で見ていたが、50歳以上とはいえ随分と体格が良くなってきた感がある。中には178cmのスラットした方もいた。

 全国の役員とも最近は顔なじみになり、特に関東ブロックの役員は皆和気あいあい。選手の顔にも知っている顔が結構多くなった。神奈川県からは、先週ソフトバレーシルバー全国大会で出場した元全日本女子監督の岩本先生の奥様が、これも選手として全国大会初出場を果たした。

 50歳以上の大会なのでチームの中には60歳代もいるし、70歳代もいる。ママさんバレーの方たちは姿勢もよく、肌つやも良い。見た目は実年齢より5歳から10歳は若い。売店での記念品への購買意欲も高い。日本経済もこのような元気ママさんが増えれば景気回復もそう難しくない。

 今晩は、我がママさんチームの定期練習日。9日(日)に公式試合の3回戦からの試合があるので、対戦チーム研究をメーンに行う。粘り強く、ボールを落とさぬように、諦めず、元気にプレーしてくれれば良いのだが、要求が多すぎるかな?
(画像は、開会式で勢ぞろいした64チーム。開会式終えるまでの30分間立ちっぱなしであった。さすが、ママサンバレーボーラーですな)

2008年11月3日月曜日

第16回全国ソフトバレーボール・シルバー・フェスティバル開催











 10月31日(金)から昨日の11月2日(日)まで、標題の交流大会に役員で行ってきた。昨年の広島県三次市での同交流大会には行けなかったこともあり、今回は何としても行きたかったのだ。会場は宮城県北部にある栗原市。今年の6月14日に岩手宮城内陸地震で甚大な被害を被ったところ。宮城県ソフトバレーボール連盟と私は、実は10年前の連盟発足当時からの長いおつきあいがある。会長の佐野さん、理事長の三浦さん、役員の方々とは毎年のように県主催の講習会を開催していただき、一緒になって東北のソフトバレーボールの普及のために、まず宮城県からがんばろう、と10年ほど活動してきた。
  県内での普及が進むにつれ、岩手県に近い北部の栗駒山のふもとにある瀬峰町からもチームが県大会に参加してきた。その中に、今回の地元開催地実行委員会会長である佐々木幸一さんがいた。当時は町議会の議長の要職にあるにもかかわらず、「ソフトバレーは楽しい」と練習を続け、とうとう全国ねんりんピックや全国シルバーにも県代表で出場するまでに腕を上げてきた。5年前であったろうか、三浦理事長と佐々木さんとで話し合っているときに、誰からともなく「全国大会を宮城県でもやって、全国の仲間に宮城県に来てほしいね」そんな会話が出てきた。そして、3年前に平成の大合併で、10町村が合併し人口8万余りの「栗原市」が誕生した。では合併記念交流大会を開催できないものかと佐々木さんに相談したところ、栗原市でも議長に就任した佐々木さんが奔走して今回の開催となったわけである。1年かけての準備が着々と進んでいく中で、今回の地震が我々の夢実現の前に立ちはだかった。死者も出た震災の復興もままならないこの時期にスポーツイベントをやってよいものか、市民感情を害しないか、日本連盟も悩んでいたが、栗原市長の「だからこそ開催してください。市民を元気づけていただきたい。全国から人が大勢来てくれることが栗原市が元気になる源です」との言葉で8月に開催を決意した。
 閉会式,佐々木さんが閉会のあいさつで全チームの前に立った。マイクを前にして顔を床に落としたまましばらく声が出なかった。佐々木さんは泣いていた。ここまでこぎつけた苦労が一気に感極まり言葉が出てこなかったのであろう。涙声で、それでも言葉を一言ひとこと全国の参加者にお礼の言葉を述べた。選手も、私も目頭が熱くなった。「栗原市は頑張ります」そう言って佐々木さんの挨拶は終わった。数年して復興したら、今度は「復興記念大会」をやろう。私の次の目標が決まった。
スポーツは人を元気にする、と以前は考えていた。今回の経験はそれが間違っていたことを学習した。スポーツが人を元気にするのでなく、「人がスポーツを介して人を元気にする」のだ。人が元気になれば、地域も元気になる。地域が元気になれば日本も元気になる。
(画像は上から、①日本一の白鳥飛来地を実感、②大会風景、③東京都ソフトバレー連盟の役員応援団 、④東京都代表チームの役員で構成している「TOKYO」の入場行進、元全日本監督女子の岩本先生も選手としては全国大会初出場で緊張気味。「国際大会のベンチで指揮するより緊張した。全日本の選手たちの気持ちがよくわかった」と言ったとか言わなかったとか・・・)