千葉市の我がママさんバレーの代表者から連絡がきた。体育館今週の金曜日(つまり明日)から使えるようになったと教育委員会から連絡が入りました、とメールが来た。そして、1週間後の5/1に市の大会なんですが、1か月も体を満足に動かしていないので、怪我をしないか不安です、と書いてきた。
それでは、アップとストレッチを念入りに行い、ゲームを休憩を十分挟んでやろう。最後にはマッサージを十分にやって大会に臨もうと返信をした。
船橋市のソフトバレークラブの練習は、まだ夜間の体育館使用は禁止である。それで、先週の日曜日と今度の日曜日に別の小学校の体育館で午後二時間やることにしている。そして、こちらも5/1に市民大会だ。ソフトバレーの予定が先に入ったので、今回は私がプレーするソフトバレーを選択させていただく。
少しずつ日常に戻りつつある。昨日、今日と余震もなかった。原発の脅威(放射線漏洩)は、日毎に増す一方であるが、電力の方は、皆の節電で夜の体育館の活動もできるようになってきた。
1か月ぶりの明日のママさんバレーの練習、ママさんたちはどんな体型になっているか、一寸不安である。私は、毎日の腕立て伏せで胸板が厚くなった。オーバーハンドパスが12mは楽に飛びそうだ。しかしジャンプが心配だね。ジャンプするという動作は日常動作にほとんど無いから、ノージャンプ・スパイクの練習から入ろうか。
明日は、24日に開催される全国ソフトバレーボール連盟の代議員会(総会)で提出する資料の確認をやらねば・・・。
2011年4月21日木曜日
2011年4月18日月曜日
4/18(月) グランドプリンスホテル新高輪にて
品川駅を降りると高層ホテルがいくつもある。その中でも、プリンスの名前がつくホテルが多く、いつもながらたどり着くまでが一苦労である。
きょうは、グランドプリンス新高輪というホテルである。一泊でもシングルが3万円近い。私など、とても泊まれない高級ホテルである。その高級ホテルのパーティ会場で、私の勤務する会社、正確には財団が主催するスポーツに関する優良著作(スポーツライター賞)の著者と長年スポーツの振興に尽くされた方々を顕彰する会が催された。受賞者の一人に、日頃お世話になっている橋爪静夫先生がいらっしゃるので、財団の専務理事にお願いして、私もお手伝い要員で参加させていただいた。
会場で受付の手伝いをしていて、出席者の経歴に驚いた。文部科学省、日本体育協会、JOC、各競技団体の会長、専務理事クラスの方々が次々と受付されていく。日本バレーボール協会からは岩満専務理事と荒木田女子強化委員長のお二人が見えた。、顔馴染みが見えたので少しホッとした。表彰式が済み、懇親パーティ会場に移り、橋爪先生と談笑していると、結構知り合いがいることに気付いた。ヨーコ・ゼッターランド(早稲田OG)、文科省の森岡先生(筑波大OB)、JOCの河野先生(昨年、筑波大学院教授を退官)。柔道の篠原全日本監督(天理大学監督)や山下さん(東海大学体育学部長)は私が知っているだけで、向こうは知らない・・・(当然か・・・)。
森岡先生と話していて、大学院時代の私の指導教官の名前がすぐ出てこなくて、森岡先生に教えていただいたことには、少し恥じた次第。私の指導教官は菊幸一先生という、一度聞くと(菊と)忘れないお名前なんだが・・・最近記憶力が進化しすぎているようで、最近のことが直ぐに大昔のようになってしまう。菊先生は3年前に教授になられたが、文科省の体育・スポーツ関係の審議員でもある。日本のスポーツ社会学でも躍進中の学者である。森岡先生が存じ上げているのは役職上、当たり前か・・・。それにしても、本日は、日本のスポーツ界を代表される著名なリーダー達と同じ空間にいることができて良い経験となった。
(画像は、受賞後の記念写真)
4/17(日) 江戸川区バレーボール連盟の総会
市区レベルの総会にここのところ出席していない。以前は、住んでいる千葉県船橋市協会の総会に出席していたが、本日は、ここ4年ほどママさんバレー教室で講師依頼を受けているお隣の東京都江戸川区バレー連盟の総会に出席させていただいた。役員会を終えた昼ごろに、会場の鹿骨区民会館着き、総会に臨んだ。全体総会は滞りなく終え、その後、各部に分かれ春の大会の抽選会に移った。同じ日に、抽選会も行うことで、総会の出席チームをきちんと確保している。なかなかの工夫である。 総会後、役員の懇親会に誘われ、歌も1曲披露させていただいた。被災地は、まだまだ復旧していないが、そろそろ各種イベントの自粛も緩めて、日常に帰る必要がある。被災地でも、桜前線に従って、ささやかでも花見が始まった。春の息吹とともに被災地にも心の衣替えが必要だ。
2011年4月17日日曜日
4/16(土) 東洋高校に行く
東洋高校の外郭団体は、4つある。現役父母で構成する「父母の会」(PTA)、「同窓会」(卒業生)で構成、「さいかち会」(父母の会のOB・OGで構成)、そしてそれらを統括する「後援会」。私は「さいかち会」と「後援会」に属している。 17日は、さいかち会の今年度に入って初めての会合であった。学校は現在、18時になると学校内施設は使えなくなっている。18:30までには生徒・教職員全て施設外に出ていること、となっている。節電のためである。従って、例年ならば金曜日の18:00から行われる外郭団体の会合も、今は土曜日に行われるようになった。17:00に集まり、学校側から理事長兼校長、事務長も出席し、3/11の学校内での避難状況、今年度の入学者数、教室での簡素な入学式の報告、会計報告など行われ、新役員の話に移った。どうも、4年ほど前倒しして、私が要職に推挙される気配になってきた。現在、監査役である私は引き受けるとも言わず、このような平時でない時期では、現状のままの役員でいかれたらよろしいのではと提案するにとどめた。さいかち会の活動は他の外郭団体と比べて現役生徒と父母に対する影響力は強くないとはいえ、卒業していった父母達の会費で運営している。簡単に要職を引き受けるわけにはいかない。この日は、その後、私のなじみのお店の「庄屋」に会議メンバー全員で行き、懇親会となった。
2011年4月14日木曜日
4/14(木) 花粉症と生産性低下
花粉症なんて、年をとれば無くなるもんだと思っていた。だから、昨年の12月に予防の対策は打たなかった。アレルギーは若い感受性の鋭い時期に活発になるもんさ、などと根拠のない理論を信じていた。また、ヨーグルトを食べていると予防になると言われ、これも食べ続けていた。ところが、ヨーグルトは会社の食堂から2週間前からパッタリと明治も森永も姿を消した。食堂のおばさんによると、乳牛が原発で汚染され、また震災の影響で、パッケージを作る工場が被災して生産量が落ちているとのことだ。来年、赤いちゃんちゃんこを着る予定の私が、ちゃんちゃんこを着る前に、おめめが、花粉症で真っ赤になってしまった。職場でも鼻をすすり、鼻をかみかみ、マスクをかけたり電話の時には取ったり、煩雑極まりない。生産性が上がるわけはない、と己の能力のなさを花粉症のせいにしている。
明日は、大阪本社でのバレーボール・マーケティングの会議である。朝6時台の新幹線に乗るので、相当早起きしなければならないんで嫌になる。毎朝、眼が目ヤニで開かないんだね。朝は、頭もボーっつとするしね。そして、夕方の新幹線に乗っての日帰りはキツイぞ。
明日は、大阪本社でのバレーボール・マーケティングの会議である。朝6時台の新幹線に乗るので、相当早起きしなければならないんで嫌になる。毎朝、眼が目ヤニで開かないんだね。朝は、頭もボーっつとするしね。そして、夕方の新幹線に乗っての日帰りはキツイぞ。
2011年4月13日水曜日
4/13(水) スポーツウエアを被災地に送る
日本赤十字や共同募金に集まった義援金は、総額で1,000億円を超えたということだ。しかし、被災地の人々に分配されていない。理由は、被災地が広範囲で配分調整ができないからだと聞いた。しかし着のみ着のままで逃げた人たちに、今必要なのは日常の身の回りの品を買うお金であろう。段階的にでも、配布できないものであろうか。 私は、きょう自宅にあるまだ着用していないスポーツウエアやソックス、シューズをダンボールケースにまとめて、近くのコンビニから神奈川県大和市の中学校で女子バレー部の監督をしている先生に送った。その先生から先週の日曜日に電話があった。知り合いのチームが陸前高田市にあり、部活を始めようにも、全て流されてしまった。練習着やシューズがない。協力していただけないかと連絡が入り、私に提供の話が来たのだ。私の勤務する会社は会社として義援金やスポーツ品の協力はしている。但し、それらの義援金や物品がどこに行ったのかは知らされていない。今回のように具体的に行き先がわかるのがよい。その先生は、市内の他の先生たちと金曜日の夜に車で陸前高田市に届けるということだ。ウエアは、なるべく新品を詰め込んだ。数回使ったものは、自分でアイロンをかけて畳んだ。 義援金や物品協力は、自分流で良いと思う。そして、この協力は復興するまで継続するであろう。今回の震災は、それほどダメージが大きい。余震は、東京においても、きょうも体感したものだけで6回あった。買いたいものは特別ないが、なるべく東北産のものを買うようにしている。これも、義援のひとつの形である。
2011年4月11日月曜日
4/11(月) 今日の余震は大きかった
いつまで続くんだろう、この余震ってやつは・・・。本日の5時すぎであったろうか、私は会社の5階のデスクにいたのであるが、思わず机の下に身を隠そうかと思ったほど横揺れが大きく長く続いた。6時退社時間になって、夕礼を終え、パソコンの電源を切り、机の引き出しの中にしまって、会社の同僚を横目にさっと会社を後にした。総武線JRお茶の水駅は混んでいた。車内も朝のラッシュと同じように体が触れるほど乗客が多かった。 もう余震は十分だ。原発を収束させ、一歩一歩、復興に向けて歩み始めたい。 昨日、神奈川県大和市にある中学女子バレー部の監督から、物資支援の連絡が入った。知り合いのバレー部の部員の一部が津波でシューズやウエアを流された。練習もままならない。なんとか、できないものか、とスポーツメーカーに勤める私にヘルプの電話が入った。会社としては支援金、物資をスポーツ業界取りまとめの組織に既に送っているので、後は、私個人の協力になるが、自宅にあるものでほとんど使っていないものを送ろうと準備したところである。
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