2008年6月23日月曜日

第5回軽井沢町ソフトバレーボール交流大会と義援金

 21日、22日と長野県軽井沢町にて第5回軽井沢町さわやかソフトバレーボール交流大会の運営と選手としての交流を行ってきた。この交流大会は軽井沢町の町議員さんから企画の依頼を受けスタートしたものである。この時期の軽井沢町に何とか宿泊客を呼ぶことができないものか、と相談を受け、ではソフトバレーボールは如何ですかと始めたのがきっかけである。町立体育館はさほど大きくなくコートは6コートが限度。それでも今年は28チームが茨城、千葉、東京、静岡、愛知、伊豆諸島の新島、神津島、地元長野県からリピーター70%以上で集まってきた。
 昨年度までの反省で、夜の交流パーティを今回は外のガーデンで行った。幸い、その時間帯だけ梅雨の晴れ間が訪れ、まさしくさわやかな軽井沢の風の中で地ビールや地酒、バーべキュウを堪能できた。
 生演奏をバックにパーティも進行し、私の挨拶のところで震災の話しをさせていただいた。今年の全国シルバーソフトバレー開催予定の栗原市のソフトバレーの仲間に義援金を集ったところ、気持ちよく参加者のご懇情を頂くことができた。参加者の中には全国シルバー大会に県代表で行くチームもおり、何とか大会を開催して欲しい、と言っていた。
 全国のソフトバレーの仲間が栗駒栗原市の震災のことで心を痛め、復旧・復興を応援したいという気持ちを抱いていることを些少ではあるが今回の義援金という形で示したい。しかし、さすがソフトバレーボール愛好者だ。仲間の窮地に対して共感できる心情を失っていない。困ったときはお互い様である。この義援金は今月29日にマスターリーダーの講習会、日本ソフトバレーボールの企画委員会(常任理事会)で紹介し、出席の宮城県ソフトバレーボール連盟理事長の三浦さんに手渡すようにしている。
  個人的なことで申し訳ないが、私の父は私が18歳のとき海で亡くなった。父は享年47歳。叔母から悲報が入り、夜行で上野駅から酒田に戻り、亡骸と対面しその事実を受け入れることができた。 栗原市では死者12名で行方不明者がまだ10名いると聞く。自衛隊は捜索を打ち切り引き上げた。残された家族のためにも早急に行方不明者が発見されることを祈らずにはいられない。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

お疲れ様です。

夜のレセプションは、昨年の方が良かったかもしれません。

全部のバスが集まる前に飲食を開始していたため、あとから到着した私達は座席がありませんでした。スタッフに相談しても、マイクで「座席をつめてください」と繰り返すだけで、着席できるまでに10分以上かかり、食事を取りに行ってる最中に「乾杯」されてしまいました。
また、かなりムリを言ってスペースを開けてもらったので、かなり嫌な顔をされてしまいました。
全員が着席してから、スタートしていれば、こんなことはなかったと想います。
また、昨年は、座席にチーム名があったので、チームが分かりやすかったです。
トイレも男女兼用で1つしかないのが残念です。
100名以上集まるのに、宴会でトイレ1つでは・・・