2008年12月14日日曜日

小笠原村父島・母島バレー行脚 その2

■12月7日(日)
 朝7:00に起き、朝食をカップラーメンで頂く。船内には立派なレストランが備えられているが、料理の価格がやや高い。そこで旅慣れている方はおにぎりやカップラーメンなど船内に持ち込んで倹約する。
船内で岩本先生が母島に帰る青年と話している。顔なじみらしい。先生から手招きされ、私が二人にそばまで行き、その青年を紹介された。 握手しながら目鼻立ちがはっきりしているその青年が口を開いた。「渡邉さん、以前お会いしています。私の職場は渡邉さんお勤めの会社のすぐ近くでした。『あきもと』という理髪店です」なんと、私が25年前から頭髪のお世話になっている(私の頭髪の歴史を知っている)床屋さんにその青年は10年ほど前に3年間ほど勤めていたとのことである。いやあ、驚きましたね。9日には母島で講習会を開催するがその時に受講するとのことであった。
 さて、おがさわら丸(通称おが丸)は、昼過ぎの12:30に予定より1時間遅れで小雨の父島二見港に到着。波止場には、2年前に「行ってらっしや~い」との小笠原特有?の別れの言葉にて送別してくれた教育委員会の方々が出迎えていてくれる。昨日NHK総合TVで『篤姫』第49回再放送を見た。天璋院篤姫は幼馴染で恋心を寄せられている薩摩藩家老職の小松帯刀に別れは寂しいことではないと励まされる。「別れとは寂しいことではない。次に再会できる喜びをもって別れるのです」「行ってらっしゃ~い」には「帰ってきて再会しましょう」という意味が込められている。なんと憎い言い回しではないか。
 港近くにある定宿の民宿に行き、一休み。ゆったりした船酔いの余韻がまだ残っている頭を横になって休める。昼食は近くの観光客用らしいレストランでパスタ料理を頂いた。その後、小中学生の教室、夜にはストレッチ教室とソフトバレー体験教室。遅い夕食を頂き、民宿に戻ったのは10時半を回っていた。岩本先生も少し目を窪ませて疲労感が出ていた。この日、海は時化て乗り継ぎの母島行きの船は出なかった。民宿にはその船に乗れなかった母島の関係者が7名ほど同宿していた。
(画像は接岸している「おが丸」。10日(水)に帰る日まで3日間停泊して内地に持ち帰る電化製品廃棄物、小笠原で採れた産物、郵便、宅配便などを積み込む。)

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