2012年2月5日日曜日

2/4(土) 菜の花ママさんバレー交流大会inさいたま市



関東各県のママさんチームの中で、積極的に1クラブの主催で市内、隣市、隣県からチームを招待しているチームがかなりある。本日は、その中でも開催数が恐らくトップクラスの年間6回開催しているさいたま市(旧:浦和市)の「菜の花さん」主催の交流大会(50歳以上の部)にやってきた。会場は、埼玉国体でも会場になったコート4面取れるさいたま市総合体育館で24チームが参加した。
 菜の花クラブは、10年ほど前に浦和にある「さつきクラブ」というママさんバレーとして歴史のあるクラブから派生したクラブである。代表は、生島さんという60歳半ばだが、長身で背筋の伸びている姿は50歳代半ばにしか見えないエネルギッシュな女性。昨年は韓国のママさんチームとも交流してきた。忙しいことが、この人の元気の源のようだ。ご主人は、そんな奥様を目立たぬようにサポートしている。
 この日、私は試合のベンチにも座らず、もっぱら役員室でお茶を飲んでいる時間が多かった。途中で、協賛を考えているという企業の方が見えたので、ママさんバレー市場を説明したぐらいで、また役員室でお茶を飲んだり、参加してきたチームの選手達と世間話をしたりで、好々爺のようであった。
 そうそう、私が何でそこにいたのかって?実は、3年前に私が勤務する会社がこの大会の協力社になったからなんです。生島さんとは、10年前に私が埼玉栄高校女子バレー部を手伝っていたときに、今は解体されたクロネコヤマト社の体育館で知り合っていた。

 なんか、最近は昔のことを良く思い出しますな・・・。

(画像は、開会式で挨拶される生島さん。後ろに控えるチームメイトで役員さんもお揃いの明るいブルーのウインドブレーカーシャツを粋に着こなして勢ぞろい。2チームを作って、役員活動とゲームでのプレーとで大忙しであった)

2012年2月4日土曜日

2/3(金) アテネ・フランセで受講申し込み

もう、十数年前になるか、御茶ノ水駅からJR中央線に沿って水道橋駅に向って歩いて5分のところにアテネ・フランセと言うフランス語、ギリシア語、ラテン語、そして英語を教える専門学校がある。私は、会社務めの傍ら、夜のフランス講座に1年間通った。
 35年前に外務省国際協力事業団からチュニジアに派遣され、その国で2年間フランス語を使っていたものの、文法など無頓着の通じればいいやぐらいのフランス語を話していた。そこで十数年前に、きちんとフランス語を勉強したくなり、日仏学院とアテネ・フランセの2つの専門学校でフランス語を再学習し始めた。日仏学院は、一寸すましたような気取り屋の雰囲気があり、私は庶民的なアテネ・フランセ一本に絞り学習した。1年後はフランス語検定試験で2級に合格するほど上達した。
 そして、昨夜は、アテネフランセの事務所を十数年ぶりに訪れ、今度は英会話の講座を申し込んだ。理由は、2週間後に、アメリカン・スクールの子供たちに、この私が英語でバレーボールを指導するからである。今の私の英語レベルでも、指導する自信があるが、定年前で有休も取れるし時間があるので、ここらでまたしっかりと英会話を学習したくなったのだ。
 事務所で、授業料を払い、地下のcafeの隣にある本屋さんでテキストを購入した。建物内部は昔のままで、伝統的と言えば聞こえが良いが、相当古くなった感がした。しかし、その古さには懐かしさと共に安堵感もあり落ち着く。
 来週月曜日の19時から21時まで学習再開だ。どんな方達と一緒に学習するのか楽しみだ。恐らく、男性は少なく、私が最年長者であるかもしれない。

2/2(木) 寒冷乾燥の日本

東京は今日も寒く、乾燥している。 冷蔵庫の日本。
乾燥状態も長引いて、電気店での加湿器の売れ行きは良い。
まさに、天候ビジネス。
日本海側を中心の大雪も、災害からビジネスに転換できる知恵を生み出すことも課題だ。
物事は、マイナスだけでなくプラスの側面もあるはず。
 東京都のインフルエンザ患者数は国の情報発令基準値の30人を上回った。
学級閉鎖や学年閉鎖を行った都内の小学校は1月度だけで332例あった。
バレーチームでも、今後の対策を明確に打つ必要がある。
単に、手洗い、うがいの励行(れいこう)だけでは寂しい限り。
 例えば、各部屋に加湿器の設置。
なければ、昔ながらの火鉢に鉄瓶でお湯をチンチン沸かしておく。
そんなの江戸時代じゃないから無理!というならば、ハンガーなどで濡れタオルを部屋に吊るしておく。これ、実は歌手が夜寝るときに枕元に置いておく丸秘技なんだ。
これは、演歌歌手の双葉百合子さんが言っていた(古い!か?)。
ホテルであれば、風呂場に湯を張っておき、戸を開け放しにして、部屋の中の湿度を上げる。
これも、シャンソン歌手の丸山明宏さんが言っていた(これもレアもの?)。

2012年2月1日水曜日

2/1(水) 2月を迎えて

さあ、2月だ。2月は私の誕生日のある月。定年退社まで、あと38日の始まりの月。節分がある月。それにしても、日本海側をはじめとして積雪が異常に多い。寒いだけならば我慢できるが、雪の事故は避けたい。家の玄関や窓から外に出れなくなるほど、今年の降雪は多いという。被災地では冷たい風も吹き続けているという。早く春が来て欲しい。
 一昨日に引き続き、きょうも午前中からソフトバレーの本の取材が6時間、昼食を挟んで続いた。昼食は、近くの明治大学本校ビル17階の学食に編集者2名を誘い採った。価格も安く、ボリュームもあり、2人は満足したようだ。午後は、取材の場所を喫茶店に替えてソフトバレー特有の技術の説明をした。中学生でも理解できるレベルで説明しようと考えている。
 次回は、来週月曜日に、また6時間ほど取材にくるという。今度は、どこで昼食を採ろうか?

2012年1月30日月曜日

1/30(月) 取材を受ける

取材を受けたと言っても、新聞や雑誌の類ではない。それだったら、どんなに楽で良いか・・・。今月に入って、「ソフトバレーボールの本」が出版されることをここのブログでも伝えた。編集者がソフトバレーを見たことも、やったこともないというので、先々週から2回、墨田区のジールと言うクラブで体験して頂いた。練習後の懇親会(飲み会?)も含めて、これがソフトバレーの正しい?楽しみ方である(笑)、と解説した。その編集人は、「また、来ます!」と、すっかりソフトバレーの虜になったようだ。
 そして、本日から3日間10時間ほどかけて私に取材して編集作業に入るとのことだ。私の方は、1ヶ月後に定年を控えて、まだ有休があるので、幸いに取材に十分対応できる。
 面白いソフトバレーの本ができそうだ。このブログの読者で、こんな場合の練習法はどうしたらよいかなど、ご要望があればコメントを寄せてほしい。お願いします。モデルも募集しています。ただし、墨田区立体育館で撮影するので近場の人が宜しいですね。カメラマンも一流なのでカラーでバッチリと顔の表情の隅々まで写されることを覚悟しておいてくださいね。画像が満載の本なので解りやすく、4月の発売が楽しみだ。

1/29(日) 投稿数 666回を記録しました!

2009年5月から、グーグルでブログを再開して、今回で666回となった。特別な思いはないが、なにか数字の面白さがある。
 きょうは、Vチャレンジリーグの総当たり1回戦終了での1位2位を決める大事な試合があった。また、全国的に高校バレーの新人戦決勝も行われた。私は、躊躇なく、Vチャレンジの会場の一つである茨城県結城市に向かった。会場は、先週ソフトバレー交流大会でも訪れた鹿窪(かなくぼ)体育館である。但し、きょうは電車で向かった。小山駅で接続に45分もかかることがわかった。次の駅まで電車で8分なのに・・・タクシーで行こうと思って、結城市のバレー界の親分である望月さんに電話をして、車で行ったらどのくらい時間がかかるか尋ねたら、「迎えに行くから待っててね」ときた。さすが、義理と人情の望月さん!思いがけず、早く体育館に着くことができた。
 ゲームは3試合行われていて、3試合目が、1位2位を決める重要な試合の上尾メディカル(埼玉)と日立リヴァーレ(茨城)の対戦であった。先の2試合は、正直言ってレベルは今一つの感があった。しかし、これは、指導者のレベルではなく、チーム環境が、十分に整備されていないからであろう。練習時間は高校・大学時代と比べて半分以下の練習量であろう。シーズンオフだと、週に2回から3回の練習日しかないというのがVチャレンジのほとんどのチームの実態であろう。
 2ゲームが終了して、休憩の合間に、GSSサンビームズ(東京)の主将を務めているミナミが本部席に座っている私を見つけて、椅子の側に膝を付けてしゃがんで話かけてきた。彼女は、大和南高でミドルブロッカーとして活躍し、東海大学に進学した後も活躍した。
 「幾つになった?」
 「25です」
 「そうか・・・もう少しできるな!?」
 「はい。もう少しやろうと考えています。ただ、私にとっては、シーズンオフには練習量が少ないので、飯塚先生が監督をやっている相模女子大に練習行っています」
 この日は、彼女のお母さんも娘の応援に見えていた。更には、大和南高の卒業生で東海大学を今春卒業する河野も柏エンゼルクロス(千葉)に就職するとのことでチームと一緒に来ていると聞いた。河野(こうの)は、12月のインカレでレフトに抜擢されて大活躍した。彼女が中学生で高校に入学してきた時もパワーだけはあったが、現在はVプレミアでも十分通用するだけの高さとスキルも身に付けている。これからますます期待が持てる選手だ。
 第3ゲームが始まる直前に、新潟県立中央高校女子バレー部監督から電話があった。県新人戦の決勝を先ほどやって、初優勝しました、とのことであった。私は、昨年末の28日から3日間、年が明けて7日から3日間、合宿と練習試合に一緒にいた。そして、ある程度の手ごたえを感じていた。
 「おめでとう。しかし、インターハイの予選は6月。新入生が入って、チーム力も新人戦と違ってくる。これからが、本当のスタートだから気を引き締めてやって行こうね」
 優勝の瞬間の子供たちや、親御さん達の笑顔が眼に見えるようだ。良かった・・・。
 さて、肝心の第3ゲームであるが、結果は3-0で上尾であった。日立はスタメンの多治見麻子も欠場して元気がなく、全日本エースの江畑も決定打が少なかった。

2012年1月29日日曜日

1/28(土) 船橋市バレー協会創立 50周年




 記念式典と祝賀会が夕方から開催され、私も出席した。会場は、西船橋駅から歩いて2分のところにある普段は結婚式場などで使われているところだ。西船橋駅近くに住む私にとっても好都合であった。10年前の40周年では、市協会の指導普及部員として活動していた私も表彰された。今回は勤務先のスポンサー活動に対して感謝状を社を代表して頂いた。出席者は300名ほどであったか、中学校の関係者が一番多く、次いでママさん、ソフトの順であった。

 私のバレー協会や連盟関係の役員のスタートは、ここ船橋市協会がスタートであった。40歳になった時に、当時の副会長であった雨宮先生(大穴中学校女子バレー部監督で県ベスト4常連)に夜の部のソフトバレーの指導を依頼されたのがきっかけであった。船橋市ソフト部の役員、千葉県ソフトバレー連盟の指導普及委員長、千葉県バレーボール協会の指導普及委員長、そして日本ソフトバレーボール連盟の審判規則委員長、日本バレー協会の審判規則部員と携わってきた。

 壇上での表彰式を見ながら、そんな20年前のことを思い出していた。そろそろ、次の世代へのバトンタッチの時期である。

 『権腐10年』という言葉がある。10年も同じポジションにいると、利権によってその人間は腐ってくる、という意味である。私には、今の役職にいても利権などは皆無であるが、大きな組織のトップに君臨するような人には、当てはまる言葉かもしれない。いずれにしろ、私は、今のポジションをあと1,2年で交代するために次の人材の育成に入っている。活性化していかなければ組織は発展していかない。発想を変えていかなければいけない。発想が変わらなければ、人そのものを代えていかなければならない。


(画像は、来賓挨拶での県協会名誉会長の新堀先生。私が初めて県協会の指導普及委員会メンバーに入った時に、当時会長であった新堀先生(千葉大名誉教授)は役員会の後、二人きりでの赤提灯での飲み屋にしばしば誘って頂いた。先生の口癖は「俺は日本選手団の団長を何回もやったが、全部が共産圏なんだよな・・・先進国なんか行ったことはない」。「先生・・・それは、失礼ですが、先生の頑強なお体は共産圏向けと日本協会がお考えになったからではないですか」。「渡邉君、君もそう思うかね・・・確かに、俺は何を食べても、選手は下痢しても俺だけピンピンしていたものな・・・ガハハハ」。3年前に、私は先生の母校の大学の大学院を修了して、先生の後輩となった。先生は、そのことを自分のことのように喜んでくれた。もうすぐ80歳になろうとしているが、60周年もピンピンお元気でいることであろう)