明後日の15日にPhnom Penh空港からバンコクのドン・ムアン空港に飛びます。
バンコク市にはサバナブミ(Suvarnabhumi)という長~い名前の国際空港がある。私も、この空港を4回ほど乗継で訪れたことがあるが、名前の通り、トランジット(乗り換え)のための通路も長~い。世界最長の通路ではないかと思えるほどだ。
この通路は数キロある。一応。動く歩道なのであるが、電動歩行機に乗ってトレーニングしているようで結構カロリーを消費する。一度、道を間違えると、戻るまで、また時間がかかる。初めて、ここを利用する旅行客などは困るに違いない。
今度、利用するドンムアン(Don Mueang)空港というのは、もともとのタイランド最初の国際空港で、その前身はタイ空軍の空港であった。この空港であれば、さほど大きくもないであろうから、通路で迷うこともないと思う。
バンコクに行く目的は、観光ではない。お仕事で6泊7日滞在する。
明日は、準備で忙しくなる。
2014年11月14日金曜日
12,Nov.2014 APEC, そしてASEAN Sumit
アジアの政治・経済が動いている。
このところ、メディアには連日のようにAPEC(エイペック:Asia-Pacific Economic Cooperation;アジア・太平洋・経済協力)のニュースが流されている。いわゆる、環太平洋地域における多国間経済協力を進めるための非公式なフォーラムのことである。
中国の特別行政区である香港が参加しているため、参加国・地域を指す場合には、「国」ではなく「エコノミー」という語が用いられる。「非公式」となっているのは、「公式」とすると、台湾も参加しているので、台湾を国家として認めてしまうので、そうすると中国が参加しなくなるという、色々複雑な事情があるようだ。
ともあれ、議長国の中国、日本、アメリカ、ロシアという大国がお互いの政治的・経済的な思惑を巡って対する様子を見ていると緊張感が伝わってくる。
そして、今日からはASEAN Summit(アセアン:Association of South‐East Asian Nations)が始まった。、ASEANとは、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化に関する地域協力機構である。TV報道を見て驚いたのは、その場にオバマ大統領や日本の安倍首相がおり、ASEAN各国の首脳とまた個別に協議していることである。
国際政治の世界は、誠にダイナミックである。
文化(スポーツ)交流などは、政治・経済・社会・安全保障の後に出てくる協議課題であろう。しかし、文化(スポーツ)の充実していない国は、どこか暗く、堅苦しい印象を受ける。人類が発明した文化(芸術、芸能、学術、文学、音楽、スポーツなど)は、社会の風通しを良くするソフトパワーであると私は思っている。
このところ、メディアには連日のようにAPEC(エイペック:Asia-Pacific Economic Cooperation;アジア・太平洋・経済協力)のニュースが流されている。いわゆる、環太平洋地域における多国間経済協力を進めるための非公式なフォーラムのことである。
中国の特別行政区である香港が参加しているため、参加国・地域を指す場合には、「国」ではなく「エコノミー」という語が用いられる。「非公式」となっているのは、「公式」とすると、台湾も参加しているので、台湾を国家として認めてしまうので、そうすると中国が参加しなくなるという、色々複雑な事情があるようだ。
ともあれ、議長国の中国、日本、アメリカ、ロシアという大国がお互いの政治的・経済的な思惑を巡って対する様子を見ていると緊張感が伝わってくる。
そして、今日からはASEAN Summit(アセアン:Association of South‐East Asian Nations)が始まった。、ASEANとは、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化に関する地域協力機構である。TV報道を見て驚いたのは、その場にオバマ大統領や日本の安倍首相がおり、ASEAN各国の首脳とまた個別に協議していることである。
国際政治の世界は、誠にダイナミックである。
文化(スポーツ)交流などは、政治・経済・社会・安全保障の後に出てくる協議課題であろう。しかし、文化(スポーツ)の充実していない国は、どこか暗く、堅苦しい印象を受ける。人類が発明した文化(芸術、芸能、学術、文学、音楽、スポーツなど)は、社会の風通しを良くするソフトパワーであると私は思っている。
2014年11月13日木曜日
11,Nov.2014 日本への郵便物を投函した
きょうは、昨日、日本からの小荷物を引出に行った中央郵便局に、今度はカンボジアから日本への郵便物を投函しに行った。
本当に日本に郵便物が着くのであろうか?地方の郵便局から日本に出した手紙やはがき類は、時々届かない場合があるような話も聞いていたので少し不安であった。
昨日と入口は違っていた。小荷物引取所は、正面玄関から少し離れているところであったが、郵便物の投函に関しては正面玄関であった。建物はフランス領時代の建築物である。次回は写真を撮っておこう。
さて、カンボジアの中央郵便局は、どんなところかな?と興味津々で玄関に入って行った。総合案内所があり、そこで国際郵便を出す窓口を聞いて、その窓口(EMS)に向かった。
手紙の中身は私の署名が必要な重要な書類であったので、書留速達にした。郵便料と合わせて総計$20(2千円)であった。私の持参した封筒をビニール製の国際共通のパッケージに入れ、私が記入した送り状をパッケージの表に貼って投函された。
一件落着。
何事も、まず自分でやってみなければわからないものである。これで次回には、誰か一緒に連れて行って、教えてあげて、その次は指示だけ出せば、やり遂げてくれるであろう。
まずは、自分で体験することで、指示も間違いのないものになると思う。
帰り際に、受付の女性と会話を少し交わして、冗談を言って笑顔で玄関を出て、車に乗って郵便局を出てから気づいた。領収書をもらうのを忘れた!
本当に日本に郵便物が着くのであろうか?地方の郵便局から日本に出した手紙やはがき類は、時々届かない場合があるような話も聞いていたので少し不安であった。
昨日と入口は違っていた。小荷物引取所は、正面玄関から少し離れているところであったが、郵便物の投函に関しては正面玄関であった。建物はフランス領時代の建築物である。次回は写真を撮っておこう。
さて、カンボジアの中央郵便局は、どんなところかな?と興味津々で玄関に入って行った。総合案内所があり、そこで国際郵便を出す窓口を聞いて、その窓口(EMS)に向かった。
手紙の中身は私の署名が必要な重要な書類であったので、書留速達にした。郵便料と合わせて総計$20(2千円)であった。私の持参した封筒をビニール製の国際共通のパッケージに入れ、私が記入した送り状をパッケージの表に貼って投函された。
一件落着。
何事も、まず自分でやってみなければわからないものである。これで次回には、誰か一緒に連れて行って、教えてあげて、その次は指示だけ出せば、やり遂げてくれるであろう。
まずは、自分で体験することで、指示も間違いのないものになると思う。
帰り際に、受付の女性と会話を少し交わして、冗談を言って笑顔で玄関を出て、車に乗って郵便局を出てから気づいた。領収書をもらうのを忘れた!
2014年11月11日火曜日
10,Nov.2014 郵便局に国際小荷物を引き取りに行った
日本の千葉県船橋市の郵便局から小荷物を送ってもらった。
私の家内にとっては、初めての海外への送品。5ヶ月前の日本からの送金の時も、地方銀行では取り扱っていないとか、手数料がなんでこんなに高いの?とか、海外との関係を持つのは面倒!
と感じたようだ。特に、お金に関しては、世の女性は敏感だ。
ましてや、複数の銀行を経由していく毎に手数料を取られる。重いものを運んでいる訳でもなく、コンピューターの画面上で操作しているだけで利益を上げていることに納得いかないのであろう。
そして、今度は、小荷物である。
日本で梱包する前に、日本の郵便局で、これは送れません、これもダメですね、と随分と間引きされて、必要最低限の物品だけ送られてきた。歯ブラシが2本入っていた理由は解らないが、まずは我が家内の初めての海外送品が無事成功した。ご苦労様でした。(やれやれ・・・。)
カンボジアでは郵便小荷物はアパートメントまで配達されない。郵便局から連絡があって、
引き取りに行くというのがこちらのシステムらしい。しかし、連絡がない時もある。今回のように。
1975年に私が青年海外協力隊のバレーボール隊員で北アフリカのアラブの国であるチュニジアに派遣された時に日本から小包が届いた。送り主は、以前、私が新宿区内で大学浪人生活を送っていた時に、ママさんバレーボールチームを指導していたのであるが、そのチームのあるママさん選手からであった。
小包を開けてみると、日本の食品やらお菓子がたくさん詰まっていた。目の前の小包が東洋の端の小さな国から、はるばる北アフリカまでたどり着いたかと思うと、一つ一つの食品が愛おしくてなかなか手を付けることはできなかった。
私の家内にとっては、初めての海外への送品。5ヶ月前の日本からの送金の時も、地方銀行では取り扱っていないとか、手数料がなんでこんなに高いの?とか、海外との関係を持つのは面倒!
と感じたようだ。特に、お金に関しては、世の女性は敏感だ。
ましてや、複数の銀行を経由していく毎に手数料を取られる。重いものを運んでいる訳でもなく、コンピューターの画面上で操作しているだけで利益を上げていることに納得いかないのであろう。
そして、今度は、小荷物である。
日本で梱包する前に、日本の郵便局で、これは送れません、これもダメですね、と随分と間引きされて、必要最低限の物品だけ送られてきた。歯ブラシが2本入っていた理由は解らないが、まずは我が家内の初めての海外送品が無事成功した。ご苦労様でした。(やれやれ・・・。)
カンボジアでは郵便小荷物はアパートメントまで配達されない。郵便局から連絡があって、
引き取りに行くというのがこちらのシステムらしい。しかし、連絡がない時もある。今回のように。
1975年に私が青年海外協力隊のバレーボール隊員で北アフリカのアラブの国であるチュニジアに派遣された時に日本から小包が届いた。送り主は、以前、私が新宿区内で大学浪人生活を送っていた時に、ママさんバレーボールチームを指導していたのであるが、そのチームのあるママさん選手からであった。
小包を開けてみると、日本の食品やらお菓子がたくさん詰まっていた。目の前の小包が東洋の端の小さな国から、はるばる北アフリカまでたどり着いたかと思うと、一つ一つの食品が愛おしくてなかなか手を付けることはできなかった。
2014年11月9日日曜日
07,Oct.2014 何かが違う
カンボジアに来て、そろそろ6ヶ月になろうとしている。
前に進んではいるが、あまりに遅々とした歩みなので、さほど手ごたえを感じない。砂の上で、全速力で駆けようとしても、前への推進力が砂の中に吸い込まれていくような感じである。走り甲斐があまりない。
そのような時に、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。
青年海外協力隊の初代水泳隊員としてカンボジアに派遣された中村昌彦さんのしゃがれ声が聞こえてきた。
カンボジアに青年海外協力隊の第1陣4名が派遣されたのは1966年。この1年前に協力隊は発足したばかりであった。この4名の中に初代水泳隊員の中村昌彦さん(日本大学水泳部出身)がいた。今から48年前のことである。しかし、1970年3月18日の無血クーデターによりロンノル政権が樹立され、国内は混乱に陥り、協力隊員は全員引き上げとなった。
「お~い。元気か? なになに・・・僕が行っていたカンボジアに今、渡邉君がいるのかい? それは、それは奇遇だな。バレーボールの指導で来ているんだって? 結構じゃないか。君の得意分野なんだから遣り甲斐があるだろう。いや・・・ありすぎるか? あっ・・・は、は、は・・・」。
「中村さん・・・笑い事ではないですよ・・・。なんか・・・私は・・・疲れています」
「10年程前だったかな・・・ほら、私の勤務先の協力隊事務局特別業務室というのが新宿の住友ビル内にあった時に、渡邉君が訪ねてきてくれて、帰りがけの夕方に新宿駅の近くで一杯やった時のことを覚えている? あのとき、君は良いことを言っていたよ」
「先輩の記憶に残るような良いことを私が言っていましたか?」
「うむ・・・言っていた。きょうは、その言葉をあんたに返そう」
中村さんは、そう言って、私のお酌するコップ酒をぐいと飲み干して、普段でも大きな目を更に見開いて口を開いた。
「『あわてず、くさらず、あせらず』頭文字を取って『あくあ』・・・ラテン語で『水』という意味だと、あんた言っていたよ。それを、そっくり、あんたに返すよ。まあ、まあ・・・肩の力を抜いて、あんたらしくやって行けばいいんじゃないの? ほら、飲んで、飲んで・・・」
中村先輩は、2年前に亡くなった。まだ70歳代半ばだったはずだ。
中村さんの声がすーっと引いて行った後にパソコンでカンボジアにおける青年海外協力隊の歴史を調べた。今までも何回となく調べたのであるが、スポーツ関係の資料は見つからなかった。ところが、きょうは、なんと中村さんの派遣時代の写真が出てきた。驚いた・・・。
前に進んではいるが、あまりに遅々とした歩みなので、さほど手ごたえを感じない。砂の上で、全速力で駆けようとしても、前への推進力が砂の中に吸い込まれていくような感じである。走り甲斐があまりない。
そのような時に、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。
青年海外協力隊の初代水泳隊員としてカンボジアに派遣された中村昌彦さんのしゃがれ声が聞こえてきた。
カンボジアに青年海外協力隊の第1陣4名が派遣されたのは1966年。この1年前に協力隊は発足したばかりであった。この4名の中に初代水泳隊員の中村昌彦さん(日本大学水泳部出身)がいた。今から48年前のことである。しかし、1970年3月18日の無血クーデターによりロンノル政権が樹立され、国内は混乱に陥り、協力隊員は全員引き上げとなった。
「お~い。元気か? なになに・・・僕が行っていたカンボジアに今、渡邉君がいるのかい? それは、それは奇遇だな。バレーボールの指導で来ているんだって? 結構じゃないか。君の得意分野なんだから遣り甲斐があるだろう。いや・・・ありすぎるか? あっ・・・は、は、は・・・」。
「中村さん・・・笑い事ではないですよ・・・。なんか・・・私は・・・疲れています」
「10年程前だったかな・・・ほら、私の勤務先の協力隊事務局特別業務室というのが新宿の住友ビル内にあった時に、渡邉君が訪ねてきてくれて、帰りがけの夕方に新宿駅の近くで一杯やった時のことを覚えている? あのとき、君は良いことを言っていたよ」
「先輩の記憶に残るような良いことを私が言っていましたか?」
「うむ・・・言っていた。きょうは、その言葉をあんたに返そう」
中村さんは、そう言って、私のお酌するコップ酒をぐいと飲み干して、普段でも大きな目を更に見開いて口を開いた。
「『あわてず、くさらず、あせらず』頭文字を取って『あくあ』・・・ラテン語で『水』という意味だと、あんた言っていたよ。それを、そっくり、あんたに返すよ。まあ、まあ・・・肩の力を抜いて、あんたらしくやって行けばいいんじゃないの? ほら、飲んで、飲んで・・・」
中村先輩は、2年前に亡くなった。まだ70歳代半ばだったはずだ。
中村さんの声がすーっと引いて行った後にパソコンでカンボジアにおける青年海外協力隊の歴史を調べた。今までも何回となく調べたのであるが、スポーツ関係の資料は見つからなかった。ところが、きょうは、なんと中村さんの派遣時代の写真が出てきた。驚いた・・・。
![]() |
| (後列中央に中村さんの笑顔が見える。プノンペンから車で6時間のところにある中核市バッタンバンでの水泳指導のときの1枚だ。プールなんかなかったから川で指導していたのでしょうね。写真の中の子供たちは、今60歳代になっているはず。しかし、1970年からの内戦で生存者はほとんどいないと思う。こんどバッタンバンに行ったら中村さんの教え子たちを訪ねてみよう) |
2014年11月7日金曜日
06,Nov.2014 Water Festival (水祭り)- day2(二日目)
昨夜の花火大会は、自宅のアパートメントの屋上で観た。
花火の打ち上げられている近くで見れば、もっと楽しいのであろうが、私はもともと人混みがあまり好きではないたち(性質)なので、遠くから見物して楽しむことにした。
風がそよそよと流れて涼しい屋上から見るカンボジアの花火も風流である。日本各地で見た花火大会を思い出した。日本の花火大会で一番楽しかったのは、私の二人の娘たちがまだ幼かった頃に家族で見た花火大会である。
花火大会には子供たちの驚きの声が良く似合う。夜空に打ち上げられた花火がサーッと大輪を広げ、暫くしてからドン!とお腹に響くように鳴る。その音に合わせて「わあ~」「キャ~」という子供たちの甲高い声が響き渡るのが良い。
4年ぶりに再開されたWater Festivalであるが、プノンペン市に見物に見えた人の数はどれ程であったのか新聞で確認してみた。当局の発表では例年約200万人が地方からプノンペンに押し寄せていたということであるが、今年は約30万人ほど少ない、ということであった。
花火の打ち上げられている近くで見れば、もっと楽しいのであろうが、私はもともと人混みがあまり好きではないたち(性質)なので、遠くから見物して楽しむことにした。
風がそよそよと流れて涼しい屋上から見るカンボジアの花火も風流である。日本各地で見た花火大会を思い出した。日本の花火大会で一番楽しかったのは、私の二人の娘たちがまだ幼かった頃に家族で見た花火大会である。
花火大会には子供たちの驚きの声が良く似合う。夜空に打ち上げられた花火がサーッと大輪を広げ、暫くしてからドン!とお腹に響くように鳴る。その音に合わせて「わあ~」「キャ~」という子供たちの甲高い声が響き渡るのが良い。
4年ぶりに再開されたWater Festivalであるが、プノンペン市に見物に見えた人の数はどれ程であったのか新聞で確認してみた。当局の発表では例年約200万人が地方からプノンペンに押し寄せていたということであるが、今年は約30万人ほど少ない、ということであった。
2014年11月6日木曜日
05,Nov.2014 Water Festival が開幕
カンボジアでは、正月に次いで国民的なお祭りであるWater Festival(水祭り)が開幕した。
この水祭りは、カンボジアの首都プノンペン市とアンコールワット遺跡のあることで有名なシェムリアップ市の2つの市で11月に行われる、雨期明けを祝う祭りである。
祭りを盛り上げる王宮前でのボートレースは、16世紀のカンボジア王国時代に水軍の勢力誇示のために行なわれたボートレースを起源とする説など諸説がある。
開催は4年振りである。実は2010年のときに大勢の観客が橋の上にも押しかけ、300名以上の見物人が不幸にして折り重なるようにして圧死した。
この3年間、主催者の行政側は、「水祭り」開催を取りやめてきた。
お祭りは、本日から3日間、開催される。初日の今日は、恒例のボートレースで幕を切って落とされた。会場は、メコン川に通ずるトンレサップ川である。4年前参加のボート数は440隻であったが、今年は245隻と激減した。
理由は、ボートレース開催の告知が1か月前であり、練習など準備ができなかったこと。もう一つは、前回の事故の影響で、人々にはまだ不安があり、出場を見合わせたチームが多かったことである。
実際、昨日の観客数は極端に少なかったようで、出店などの売り上げは例年の半分以下と新聞で報じられていた。
主催者である行政側は、安全に細心の注意を払い、警官の数も増やした。特別手当(bonus)も1日につき5㌦付けた。確かにメインストリートには普段よりも警官の数が多い。見回りには一部軍隊も協力している。
この3日間、いや火曜日から金曜日まで4日間、スポーツの行事も、練習も一切ない。おかげで、私は自宅の近くのCaféで連日、このブログを打っているという訳である。
アパートメントに戻って、部屋の中に入ると、管理人が置いて行ったものと思しき「カンボジア風バナナちまき」が置いてあった。正月やお盆などお祭りには欠かせないカンボジアのお菓子である。材料は、もち米にココナッツミルク、バナナ、白糖の代わりのヤシ砂糖、これらをバナナの葉で包んで蒸し焼きにする。
どこからかお坊さんたちの読経の声が聞こえてきた。ここも、仏教の国なのだ。
この水祭りは、カンボジアの首都プノンペン市とアンコールワット遺跡のあることで有名なシェムリアップ市の2つの市で11月に行われる、雨期明けを祝う祭りである。
祭りを盛り上げる王宮前でのボートレースは、16世紀のカンボジア王国時代に水軍の勢力誇示のために行なわれたボートレースを起源とする説など諸説がある。
開催は4年振りである。実は2010年のときに大勢の観客が橋の上にも押しかけ、300名以上の見物人が不幸にして折り重なるようにして圧死した。
お祭りは、本日から3日間、開催される。初日の今日は、恒例のボートレースで幕を切って落とされた。会場は、メコン川に通ずるトンレサップ川である。4年前参加のボート数は440隻であったが、今年は245隻と激減した。
理由は、ボートレース開催の告知が1か月前であり、練習など準備ができなかったこと。もう一つは、前回の事故の影響で、人々にはまだ不安があり、出場を見合わせたチームが多かったことである。
実際、昨日の観客数は極端に少なかったようで、出店などの売り上げは例年の半分以下と新聞で報じられていた。
主催者である行政側は、安全に細心の注意を払い、警官の数も増やした。特別手当(bonus)も1日につき5㌦付けた。確かにメインストリートには普段よりも警官の数が多い。見回りには一部軍隊も協力している。
この3日間、いや火曜日から金曜日まで4日間、スポーツの行事も、練習も一切ない。おかげで、私は自宅の近くのCaféで連日、このブログを打っているという訳である。
アパートメントに戻って、部屋の中に入ると、管理人が置いて行ったものと思しき「カンボジア風バナナちまき」が置いてあった。正月やお盆などお祭りには欠かせないカンボジアのお菓子である。材料は、もち米にココナッツミルク、バナナ、白糖の代わりのヤシ砂糖、これらをバナナの葉で包んで蒸し焼きにする。
どこからかお坊さんたちの読経の声が聞こえてきた。ここも、仏教の国なのだ。
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