前に進んではいるが、あまりに遅々とした歩みなので、さほど手ごたえを感じない。砂の上で、全速力で駆けようとしても、前への推進力が砂の中に吸い込まれていくような感じである。走り甲斐があまりない。
そのような時に、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。
青年海外協力隊の初代水泳隊員としてカンボジアに派遣された中村昌彦さんのしゃがれ声が聞こえてきた。
カンボジアに青年海外協力隊の第1陣4名が派遣されたのは1966年。この1年前に協力隊は発足したばかりであった。この4名の中に初代水泳隊員の中村昌彦さん(日本大学水泳部出身)がいた。今から48年前のことである。しかし、1970年3月18日の無血クーデターによりロンノル政権が樹立され、国内は混乱に陥り、協力隊員は全員引き上げとなった。
「お~い。元気か? なになに・・・僕が行っていたカンボジアに今、渡邉君がいるのかい? それは、それは奇遇だな。バレーボールの指導で来ているんだって? 結構じゃないか。君の得意分野なんだから遣り甲斐があるだろう。いや・・・ありすぎるか? あっ・・・は、は、は・・・」。
「中村さん・・・笑い事ではないですよ・・・。なんか・・・私は・・・疲れています」
「10年程前だったかな・・・ほら、私の勤務先の協力隊事務局特別業務室というのが新宿の住友ビル内にあった時に、渡邉君が訪ねてきてくれて、帰りがけの夕方に新宿駅の近くで一杯やった時のことを覚えている? あのとき、君は良いことを言っていたよ」
「先輩の記憶に残るような良いことを私が言っていましたか?」
「うむ・・・言っていた。きょうは、その言葉をあんたに返そう」
中村さんは、そう言って、私のお酌するコップ酒をぐいと飲み干して、普段でも大きな目を更に見開いて口を開いた。
「『あわてず、くさらず、あせらず』頭文字を取って『あくあ』・・・ラテン語で『水』という意味だと、あんた言っていたよ。それを、そっくり、あんたに返すよ。まあ、まあ・・・肩の力を抜いて、あんたらしくやって行けばいいんじゃないの? ほら、飲んで、飲んで・・・」
中村先輩は、2年前に亡くなった。まだ70歳代半ばだったはずだ。
中村さんの声がすーっと引いて行った後にパソコンでカンボジアにおける青年海外協力隊の歴史を調べた。今までも何回となく調べたのであるが、スポーツ関係の資料は見つからなかった。ところが、きょうは、なんと中村さんの派遣時代の写真が出てきた。驚いた・・・。
(後列中央に中村さんの笑顔が見える。プノンペンから車で6時間のところにある中核市バッタンバンでの水泳指導のときの1枚だ。プールなんかなかったから川で指導していたのでしょうね。写真の中の子供たちは、今60歳代になっているはず。しかし、1970年からの内戦で生存者はほとんどいないと思う。こんどバッタンバンに行ったら中村さんの教え子たちを訪ねてみよう) |
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