2014年11月16日日曜日

15,Nov.2014 Bangkok に着いた

夕方のプノンペンからの便でバンコクに以前からあるもう一つの国際空港であるDon Mueang(ドン・ムアン)に着いた。

空港の規模は、さほど大きくなく、通路も500m歩くだけですんなりとタイランドに入国できた。タイランド協会の役員が出迎えに来てくれていた。本人は国際審判員だと言って、日本の下山さん(アジア連盟審判規則委員会主事、JVA国内事業本部長)、FIVB公認インストラクターである足立さんとは知り合いである、と話しかけてきた。

出迎えてくれた車は、ホテルのではなくタイランドFIVB development Center in Thailand  (国際バレーボール連盟タイランド普及・発展センター)からのマイクロバスであった。

乗車員は私一人だけであった。

市内の街並みは、東京の渋谷駅から国道沿いを走っている感覚であった。立体高速道路が頭上にある。街路灯もこうこうと輝いている。プノンペンとは大違いだ。タイランドとカンボジアは国の発展度において大きな差がある。バレーボールで大きな開きがあるのもやむを得ない。

協会役員は、マイクロバスに乗ってから、ずっと私に語りかけている。お蔭でだいたいの番コックバレー界の事情が呑み込めた。本人は国内で一番大きい大学(施設なのか学生数なのか聞かなかったが・・・)の教員でスポーツ体育学を教える傍ら男女のバレーボール部も指導しているとのことであった。

カンボジアにも、大学バレーボール選手権大会というものがあるが、大会直前にチームを組む程度の大会で、レベルもさほど高くない。参加チームの中には、一般のクラブチームから有料の助っ人を借りて出てくるチームもあったり、まだ正式な大学選手権大会とは言えない。

タイランド国内では、今、最上リーグ(日本のプレミアリーグ)が始まったばかりで8チームが戦っている、ということであった。

土曜の夜の渋滞の中、40分かけてホテルに着いた。時間も8時になろうとしていたので、近くのオープン食堂のようなところでその役員と一緒にタイランド名物のトムヤンクンを頂いた。

2014年11月15日土曜日

14,Nov.2014 女性観戦禁止のイラン、国際試合禁止も バレー連盟が方針

先週、このブログで紹介したが、イランにおいてのバレーの試合で、女性の試合観戦が禁じられているどころか実刑判決を言い渡された記事を紹介した。

その後、11月10日付で共同通信を通じて、日本の新聞に以下のように報じられた。私は、FIVB国際バレーボール連盟の方針を支持する。このような状況では、イランはバレーボールの国際大会を開催する権利はない。

解決策はある。しばらくの間、観客席を区分して、レディース・シートを設けることである。女性のスポーツ観戦禁止は宗教上だけの理由ではなく、興奮した男性観客がお互いに暴力を振るう可能性があり、それが女性に危害を及ぼすかも知れないという理由もあると思う。

いずれにしろ、世界では、まだ女性がスポーツすることさえ良く思われていない一部の国がアジア・アラブ・アフリカ・中南米にある。女性は貴重な労働力ということもあり、スポーツをさせている場合ではない、という考えもまだ根強い。

労働の合間の気晴らしに、男にだけでなく女性にも子供たちにもスポーツは必要だ。今回のFIVBの制裁がイランのスポーツ環境を少し変えてくれることを願ってやまない。バレーの試合に国際的に強いだけでなく、観客に思いやりのある国こそが尊敬に値する。

『 国際バレーボール連盟(FIVB)は女性のゲーム観戦を禁じる限り、イランの国際試合主催を禁じる方針を示したことが9日、明らかになった。イタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルト(電子版)などが報じた。イランでは6月、テヘランでゲームを観戦しようとした女性のゴンチェ・ガバミさんが拘束され、後に禁錮1年の実刑判決を言い渡された。
 FIVBは世界選手権などの主催大会では制限解除を求めている。同国では女性が競技場などでスポーツ観戦することは多くの場合、イスラム教上の見解で禁止されている。イランは男子がことしの世界選手権で6位に入るなど、アジア屈指の実力を誇る。(共同) 』

2014年11月14日金曜日

13,Nov.2014 明後日からThailandのBangkokに行きます

明後日の15日にPhnom Penh空港からバンコクのドン・ムアン空港に飛びます。

バンコク市にはサバナブミ(Suvarnabhumi)という長~い名前の国際空港がある。私も、この空港を4回ほど乗継で訪れたことがあるが、名前の通り、トランジット(乗り換え)のための通路も長~い。世界最長の通路ではないかと思えるほどだ。

この通路は数キロある。一応。動く歩道なのであるが、電動歩行機に乗ってトレーニングしているようで結構カロリーを消費する。一度、道を間違えると、戻るまで、また時間がかかる。初めて、ここを利用する旅行客などは困るに違いない。

今度、利用するドンムアン(Don Mueang)空港というのは、もともとのタイランド最初の国際空港で、その前身はタイ空軍の空港であった。この空港であれば、さほど大きくもないであろうから、通路で迷うこともないと思う。

バンコクに行く目的は、観光ではない。お仕事で6泊7日滞在する。

明日は、準備で忙しくなる。

12,Nov.2014 APEC, そしてASEAN Sumit

アジアの政治・経済が動いている。

このところ、メディアには連日のようにAPEC(エイペック:Asia-Pacific Economic Cooperation;アジア・太平洋・経済協力)のニュースが流されている。いわゆる、環太平洋地域における多国間経済協力を進めるための非公式なフォーラムのことである。

中国の特別行政区である香港が参加しているため、参加国・地域を指す場合には、「国」ではなく「エコノミー」という語が用いられる。「非公式」となっているのは、「公式」とすると、台湾も参加しているので、台湾を国家として認めてしまうので、そうすると中国が参加しなくなるという、色々複雑な事情があるようだ。

ともあれ、議長国の中国、日本、アメリカ、ロシアという大国がお互いの政治的・経済的な思惑を巡って対する様子を見ていると緊張感が伝わってくる。

そして、今日からはASEAN Summit(アセアン:Association of South‐East Asian Nations)が始まった。、ASEANとは、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化に関する地域協力機構である。TV報道を見て驚いたのは、その場にオバマ大統領や日本の安倍首相がおり、ASEAN各国の首脳とまた個別に協議していることである。

国際政治の世界は、誠にダイナミックである。

文化(スポーツ)交流などは、政治・経済・社会・安全保障の後に出てくる協議課題であろう。しかし、文化(スポーツ)の充実していない国は、どこか暗く、堅苦しい印象を受ける。人類が発明した文化(芸術、芸能、学術、文学、音楽、スポーツなど)は、社会の風通しを良くするソフトパワーであると私は思っている。

2014年11月13日木曜日

11,Nov.2014 日本への郵便物を投函した

きょうは、昨日、日本からの小荷物を引出に行った中央郵便局に、今度はカンボジアから日本への郵便物を投函しに行った。

本当に日本に郵便物が着くのであろうか?地方の郵便局から日本に出した手紙やはがき類は、時々届かない場合があるような話も聞いていたので少し不安であった。

昨日と入口は違っていた。小荷物引取所は、正面玄関から少し離れているところであったが、郵便物の投函に関しては正面玄関であった。建物はフランス領時代の建築物である。次回は写真を撮っておこう。

さて、カンボジアの中央郵便局は、どんなところかな?と興味津々で玄関に入って行った。総合案内所があり、そこで国際郵便を出す窓口を聞いて、その窓口(EMS)に向かった。

手紙の中身は私の署名が必要な重要な書類であったので、書留速達にした。郵便料と合わせて総計$20(2千円)であった。私の持参した封筒をビニール製の国際共通のパッケージに入れ、私が記入した送り状をパッケージの表に貼って投函された。

一件落着。

何事も、まず自分でやってみなければわからないものである。これで次回には、誰か一緒に連れて行って、教えてあげて、その次は指示だけ出せば、やり遂げてくれるであろう。
まずは、自分で体験することで、指示も間違いのないものになると思う。

帰り際に、受付の女性と会話を少し交わして、冗談を言って笑顔で玄関を出て、車に乗って郵便局を出てから気づいた。領収書をもらうのを忘れた!


2014年11月11日火曜日

10,Nov.2014 郵便局に国際小荷物を引き取りに行った

日本の千葉県船橋市の郵便局から小荷物を送ってもらった。

私の家内にとっては、初めての海外への送品。5ヶ月前の日本からの送金の時も、地方銀行では取り扱っていないとか、手数料がなんでこんなに高いの?とか、海外との関係を持つのは面倒!
と感じたようだ。特に、お金に関しては、世の女性は敏感だ。

ましてや、複数の銀行を経由していく毎に手数料を取られる。重いものを運んでいる訳でもなく、コンピューターの画面上で操作しているだけで利益を上げていることに納得いかないのであろう。

そして、今度は、小荷物である。

日本で梱包する前に、日本の郵便局で、これは送れません、これもダメですね、と随分と間引きされて、必要最低限の物品だけ送られてきた。歯ブラシが2本入っていた理由は解らないが、まずは我が家内の初めての海外送品が無事成功した。ご苦労様でした。(やれやれ・・・。)

カンボジアでは郵便小荷物はアパートメントまで配達されない。郵便局から連絡があって、
引き取りに行くというのがこちらのシステムらしい。しかし、連絡がない時もある。今回のように。

1975年に私が青年海外協力隊のバレーボール隊員で北アフリカのアラブの国であるチュニジアに派遣された時に日本から小包が届いた。送り主は、以前、私が新宿区内で大学浪人生活を送っていた時に、ママさんバレーボールチームを指導していたのであるが、そのチームのあるママさん選手からであった。

小包を開けてみると、日本の食品やらお菓子がたくさん詰まっていた。目の前の小包が東洋の端の小さな国から、はるばる北アフリカまでたどり着いたかと思うと、一つ一つの食品が愛おしくてなかなか手を付けることはできなかった。



2014年11月9日日曜日

07,Oct.2014 何かが違う

カンボジアに来て、そろそろ6ヶ月になろうとしている。

前に進んではいるが、あまりに遅々とした歩みなので、さほど手ごたえを感じない。砂の上で、全速力で駆けようとしても、前への推進力が砂の中に吸い込まれていくような感じである。走り甲斐があまりない。

そのような時に、どこからか懐かしい声が聞こえてきた。

青年海外協力隊の初代水泳隊員としてカンボジアに派遣された中村昌彦さんのしゃがれ声が聞こえてきた。

カンボジアに青年海外協力隊の第1陣4名が派遣されたのは1966年。この1年前に協力隊は発足したばかりであった。この4名の中に初代水泳隊員の中村昌彦さん(日本大学水泳部出身)がいた。今から48年前のことである。しかし、1970年3月18日の無血クーデターによりロンノル政権が樹立され、国内は混乱に陥り、協力隊員は全員引き上げとなった。

「お~い。元気か? なになに・・・僕が行っていたカンボジアに今、渡邉君がいるのかい? それは、それは奇遇だな。バレーボールの指導で来ているんだって? 結構じゃないか。君の得意分野なんだから遣り甲斐があるだろう。いや・・・ありすぎるか? あっ・・・は、は、は・・・」。

「中村さん・・・笑い事ではないですよ・・・。なんか・・・私は・・・疲れています」

「10年程前だったかな・・・ほら、私の勤務先の協力隊事務局特別業務室というのが新宿の住友ビル内にあった時に、渡邉君が訪ねてきてくれて、帰りがけの夕方に新宿駅の近くで一杯やった時のことを覚えている? あのとき、君は良いことを言っていたよ」

「先輩の記憶に残るような良いことを私が言っていましたか?」

「うむ・・・言っていた。きょうは、その言葉をあんたに返そう」

中村さんは、そう言って、私のお酌するコップ酒をぐいと飲み干して、普段でも大きな目を更に見開いて口を開いた。

「『あわてず、くさらず、あせらず』頭文字を取って『あくあ』・・・ラテン語で『水』という意味だと、あんた言っていたよ。それを、そっくり、あんたに返すよ。まあ、まあ・・・肩の力を抜いて、あんたらしくやって行けばいいんじゃないの? ほら、飲んで、飲んで・・・」

中村先輩は、2年前に亡くなった。まだ70歳代半ばだったはずだ。

中村さんの声がすーっと引いて行った後にパソコンでカンボジアにおける青年海外協力隊の歴史を調べた。今までも何回となく調べたのであるが、スポーツ関係の資料は見つからなかった。ところが、きょうは、なんと中村さんの派遣時代の写真が出てきた。驚いた・・・。
(後列中央に中村さんの笑顔が見える。プノンペンから車で6時間のところにある中核市バッタンバンでの水泳指導のときの1枚だ。プールなんかなかったから川で指導していたのでしょうね。写真の中の子供たちは、今60歳代になっているはず。しかし、1970年からの内戦で生存者はほとんどいないと思う。こんどバッタンバンに行ったら中村さんの教え子たちを訪ねてみよう)