2008年4月29日火曜日

4月もあと1日で終わり


 歳を取ると、年月の進み具合が早いというが、本当にそうだ。正月が来たと思っていたら、うるう年の二月が過ぎて、娘の卒業式列席の三月。ニュースにも事欠かない。オリンピックの年でもあり、こちらの話題もメデイアに毎日満載。四月の新学期、新入社員・転勤者の歓迎会、協会・連盟の委員会・総会と続いた。
 本日は、溜まっていた新聞雑誌切抜きの整理をやった。本棚の整理もしなければいけない。資料は3年間見ていないものは「死料」と考え捨てよう。集めることも大事だが、捨てることも大事。そして、本当に大事なことだけ覚えておきたいものだ。
 夕方から、千葉市のママさんバレーの練習に行ってこよう。和歌山のお土産の「はちみつ梅干」をいつもの夜の反省会常連のベテランにあげよう。
 さて、しばらく45分ほど私なりのバレーボール技術論「SETTING」(セッター論)の追記・修正を今から行う。今やっているのは、英文表現。できるところはなるべく簡易な英文に換えている。近い将来の海外でのコーチングのときに困らないように準備の意味もある。

2008年4月28日月曜日

総合型地域スポーツクラブの支援で和歌山県に

 一昨日と昨日は、平成17年に総合型地域スポーツクラブとして立ち上がった「くちくまのクラブ『SEACA(シーカ)』(和歌山県上富田町)に行ってきた。昨年だけお休みしたが、「子供チャレンジDAY」に3回目の訪問をした。羽田から南紀白浜空港に降り立った。東京の空と比べてなんと明るいことか。海岸がすぐそばにあるからか痛いほど陽光が明るい。森の緑も新鮮な感じがする。
 小麦さんという珍しいお名前の事務局長の車での出迎えを受け、初めてクラブハウスにお邪魔した。ここのクラブハウスは、なんと無人駅の駅舎内にある。JRの朝来(あっそ)という駅です。(茨城県には潮来(いたこ)という地名があるが、間違いそう。)。和歌山県の南部に位置している。 無人駅は、JR西日本管内で685駅あるという(平成16年4月現在。JR西日本調べ)。無人駅は、管理する人がいないので高校生などのたまり場になりやすく、落書きしたりゴミを散らかしたり荒れ放題になってしまうことが少なくない。朝来駅でも同様だった。 JRから町が譲り受け、無人駅舎を「まちのほっとステーション」として改装した。町では管理運営をしてくれる団体を探していた。「くちくまのクラブ」が総合型クラブ創設への取組みを始めた平成17年の始め頃。拠点を求めるクラブと町のニーズが合って、平成17年5月から「くちくまのクラブ」のクラブハウスとして利用できることになった。クラブと町がお互い“渡りに船”というハッピーな状況でした。

 クラブ内には、貸し出し用の図書やマッサージ機もあった。その後小学生2チームに実技指導。夜は6人制ママさんチーム2チームに指導。夜9時からは、他の種目のサッカー、バスケ、バドミントン、野球の講師とクラブのスタッフの方々凡そ20名で、新鮮な海の幸を頂きながらミーティングならぬ大放談。

 翌朝は約500名の子供たちが、会場の熊野高校に親とともに集り、一人3種目以上のスポーツ種目を体験し、スタンプ表を持参してきた子供たちは体育館で抽選会を楽しむ。昼休みには4月に発足したばかりのマーチングバンド(写真)のお披露目があった。

 目下のクラブの課題は、多くの小学生がスポーツに楽しんで来たのはいいが、進学する中学校では部活が低調で、顧問が居ない種目もあるので、現在教育委員会と交渉している状況とのこと。住民が小学生バレーの指導者を務め、自身のやりがいを逆に子供たちから教えられ、共に育ちながら活動を推進している姿が微笑ましかった。

 千葉県船橋市と青森県弘前市でもバレーボール型地域スポーツクラブを立ち上げたばかり。私もアドバイザーで関わっている。和歌山のクラブとネットワークを築き、毎年少しずつの前進をしていきたい。子供たちの可能性をふくらましていきたい。

2008年4月24日木曜日

東京都ソフトバレーボール連盟総会 その2

 総会の中で、次のような質問・要望があった。「東京都は大会が8つもあって関東では大会数では№1です。但し、内容は年齢フリーの混合がほとんどで、我々50歳以上の人間の出番が非常に少ない。チーム数も少ないのですが、もう少しご配慮願えないものか」。総会の最後には恒例になったが、相談役の私から一言お話を申し上げている。今回は、上のご要望に対して私は次のように申し上げた。「確かにおっしゃるとおりです。我々連盟は皆さん方の現状対応に即する形で、つまりニーズ(必要性)に対応して今まで交流大会数を増やしてきた。これからはニーズ対応するだけでなく、未来志向型への対応としてのシーズ(種)の活動もやっていかなくてはいけない、と考えています。年齢フリーの部は交流大会においてレベルもさほど変わらないスタート時の大会の持ち方であり、数年経ち慣れてくると年代の違いがレベルの違いに如実に出てきます。このころから、年代別のゲームをフリーから枝分けすることで同じようなレベルで楽しむことができるように連盟役員は配慮して行くべきと私は考えています。できるところからやっていきます」。
 例え、50歳以上の部への出場チームが3チームであっても、それを3年間続けることが大事。チーム数が増えないのは、連盟役員の努力不足と私は考える。広報・宣伝の不足もある。ベテランは人生の先輩達。コート上でのプレーの態度もそうだが、会場内での振舞い言動に若い後輩たちは学ぶところが多い。ベテラン(高齢者という言い方を私は使わない)を大事にしない連盟組織はおそかれはやかれ衰退して行くと考える。同様に、未来を築いて行く子供たちや地域を形成する家族(ファミリー)のファミリーの部を大事にしない連盟組織も早晩衰退の道をたどる。理念のない大会を運営するだけ、参加チーム数の多さを誇るだけの「大会屋組織」「自己満足組織」に陥っている連盟組織は結構多い。我々ソフトバレーの愛好者が目指しているのは「一位」ではない。目指しているのは「一流」ではないか。

2008年4月22日火曜日

東京都ソフトバレーボール連盟総会開催

 4月20日(日)東京都体育館大会議室にて創設8年目の総会を開催した。東京都ソフトバレーボール連盟の運営が芳しくないから君と原さんとで再立ち上げしなさいと、命令とも指示とも言えないことを日本ソフト連盟の当時の会長である喜島氏から依頼されてから7年も経ったんですね。その間、私は千葉県の理事もやっていたので2足のわらじで結構忙しかった。東京都でも理事と言うわけには行かないので、常任相談役という肩書きで運営に関わってきた。その分、千葉県がなおざりになってきたのは反省している。
 さて、続きは明日にしよう。今夜は千葉県船橋市の我がソフトバレークラブの総会である。それでは・・・。

2008年4月19日土曜日

気仙沼に一泊

 会社の業務で、宮城県気仙沼市に行ってきた。朝7時26分に東京駅から仙台まで新幹線で2時間半、そこから出迎えの営業車で更に2時間半。途中は東北随一のどこまでも続く田圃地帯や満開の桜を見ながら、昼過ぎに気仙沼市に到着。まずは腹ごしらえと、港の見えるレストランにて名物の「ふかひれ丼」(1,200円)を頂く。どれがふかひれか肉眼では見えないほど細く薄いふかひれではあった。その後、得意先の新店オープンの準備に入り、夜9時で商品の搬入と飾りつけが終了。人口10万人の市だが、夜も9時過ぎになるとほとんど人も歩いていない。赤提灯の店で営業所の所長他6名でビールで乾杯。珍味というものはなかったが、ほやの塩辛は旨かった。地元の料理は、やはり地元の人が一緒に行ってくれるお店が一番良いのだが、今回は、仙台の営業所の人間ばかりなので、岩手県に近い気仙沼市の気の利いた店までは情報が入っていないようだ。
 家族とママさんバレーのお土産に、気仙沼名産の「ふかひれスープ」を買い込み、夜には千葉市のママさんバレーの練習に向かった。たまには、バレーから離れた生活も良いものだ。
 明日は、東京都ソフトバレー連盟の総会を東京都体育館大会議室で行う。

2008年4月12日土曜日

ソフトバレー全国大会実行委員会開催

 本日は、やっと春らしくなって気持ちの良い日だった。東京体育館の会議室にて、午前中に日本連盟の企画委員会(常任理事会に相当するもので最近のスポーツ界はこのような名称を使いたがる)、午後からは協賛者の名鉄観光さん同席し、全国大会(ファミリー、シルバー、レディース&メンズ)開催地連盟役員との第1回実行委員会を開催した。私はシルバー交流大会(宮城県)に行き、大会副委員長を務めることとなった。
 閉会後、体育館近くのレストランのテラスで、西山会長、成田理事長、原総務委員長と一緒に春風を頬に受けながらビールをご馳走になった。成田理事長の携帯には頻繁に外部から連絡が入る。成田理事長は、国内事業本部長そして、全日本女子の強化委員長も兼ねている。世界最終予選会(OQT)を5月に控え、チーム編成も最終段階に来ているようだ。女子のアジア代表は間違いないと思うのであるが、韓国も侮れないので一抹の不安を抱いている。男子は女子の後最終予選が同じ東京体育館にて行われるが、男子は相当に厳しい戦いとなるのではないか。
 さて、明日は相模原市のほうで会社のお仕事。久しぶりにお店の中で販売応援に立つ。会社のこの仕事は2週間前に急に入ってきた。仕事だから致し方ないが、おかげで明日予定していた私の地元の市民ソフトバレー交流大会には不参加だ。またまた運動不足でメタボラになりそう。

2008年4月10日木曜日

“かし爺さん”のコメントに回答します

 かし爺さん、こんにちは。ブログ読者とのこと、私としては緊張しますね。さて、ここのブログは私個人のブログですので、ここでの回答は私人の立場での回答になることをご了承下さい。では回答させていただきます。
 【質問】「ソフトバレーの場合、ネット下でのオーバーネットの反則は有るのでしょうか?」
この質問は、「ネット下をボールが通過した場合」の判定ですね。ルールブックでは「ボールがネット下を通過して相手コートに入った時は、ボールアウトである」(p.23)と規定されています。主審は、ボールが完全にネット下を通過した時点で吹笛します。ボールがネット下を完全に通過する前に自コートにボールを取り戻すことはできます。この場合、ネット上でのオーバー・ネットの反則に該当する「アンダー・ネットの反則」というようなものはありませんので注意してください。また、6人制のようなアンテナ外や支柱外側通過のボールの取り戻しはできません。隣接するコート上でプレーするソフトバレーの場合は安全性への優先配慮で、取り戻しはできないとしています。この場合もネット延長線上をボールが完全に通過した時点でボール・アウトの吹笛をします。

【お願いその1】ボールがネット下を通過した場合のハンドシグナルについて。
現行ルールのハンドシグナルでは、ボール・アウトのハンドシグナルを示すように取り決めています。
この件に関しては、多くの愛好者から6.9人制と同様のハンドシグナルにしていただきたいとの声を聞いています。6,9人制との整合性を図る意味でも、6,9人制同様のハンドシグナルにする方向で修正していくのが望ましいと考えます。

【お願いその2】ボールがネットとアンテナ同時に触れた場合の対処について

「ボールがアンテナとネット同時に接触した場合、プレーの続行ができる」としたのは、それでなくとも狭いコート内で「ラリーの継続を楽しんでいただく」と言う理由で採用しているルールです。ボールがネットとアンテナ同時に接触したのか、同時に接触した後にアンテナだけに接触したのか、審判団は自分の眼で確認した『事実に基づいて』判定してください。「微妙な接触」に関しては、スポーツにおける判定は『疑わしきは罰せず』の姿勢で「ラリーの継続性を保証する」ように対応してください。

 最後に、審判規則委員長に就任して2年目を迎えることができました。一委員の立場と委員長の立場はまったく違います。提出する文書、発言に責任が付いてきますので相緊張する日々を送っています。ルールの改正・修正、取り扱いを決めていく過程には、日本ソフトバレーボール連盟審判規則委員会での検討、連盟の承認、日本バレーボール協会審判規則委員会の規則部での検討と承認、更には日本バレーボール協会の指導普及委員会の承認という流れがあります。当たり前のことですが、ルールは審判長が作っているわけではありません。愛好者からの要望・意見、バレーボール界全体からの意見・提言・指導をまとめながら、最後は愛好者の納得の元、ルールの改正・修正にあたっています。

 『納得』という文言を私は大事にします。6,9人制のママさんバレーや高校生の全国トップのチームも日常技術指導していますが、一方的な指示命令で私は指導しません。そのような指導ではある程度までは上手になりますが、それ以降の進歩は期待できません。私は、きょうの練習のポイントはこういうところ、ゲームでこのようなケースではこの戦術を用いるので、その時選択する技術はこれこれがある。この技術を技能(スキル)のレベルまで持っていくには、これだけの時間練習しなければいけない、君達はそれをやるかい?以上のように指導者の理解とプレーヤーの理解をシンクロさせて目標達成に向かわせます。シンクロとは『納得の上での理解』ということです

2008年4月7日月曜日

俳優チャールトン・ヘストン氏の死去

 先日、休日はSF物を好んで観ている、と書いたが、そのきっかけを作ってくれたのは、私が十代や二十代の時に映画館で観た彼が主役の「十戒」や「猿の惑星」であった。主人公のチャールトン・ヘストンは正にその役にうってつけの人物であった。彼は一生スクリーン中で生きていると思ったが、後年、背広姿で、全米ライフル協会会長の肩書きで世間に出てきたときは、未だに映画少年の私には驚きであった。私は、人間は「銃」を個人で所有すべきではないと考えているので、憧れのスターにやや幻滅もした。チャールトン・ヘストンには猿の惑星のように素手が似合う、十戒のモーゼのように杖が似合う。
 しかし、「十戒」のあの海が割れて道が出てきた特撮シーンには驚かされましたね。あの映画で私はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などを学習できた。「猿の惑星」で人間の果てない欲望の愚かさを学んだ。映画は優良なテキストだ。
 将来、スポーツ社会学を「スポーツ映画で学ぶ社会学」のタイトルでカリキュラムを作りたいね。学び方にはいろいろなスタイルがある。映画を観るだけで単位が取れるほど生易しくはないが、理解の促進を図るには絶好の材料と思う。
 最後に、なくなる数年前の画像はまさに「猿の惑星」をノーメイクで通用する表情になっていたことを付け加える。映画の魅力的な世界に誘っていただいたチャールトンさん、ご冥福を祈ります。(4月5日ビバリーヒルズの自宅にて逝去。享年84歳)

2008年4月6日日曜日

柔道のオリンピック選考

 先ほどまで、自宅で珍しくTVで柔道の体重別選手権大会を観ていた。男子の100k級は井上選手の優勝で代表に望みが残った。昨日の準決勝で敗れた過去のオリンピック3連覇中の野村選手は選ばれずなかった。多少、すっきりしなかったのが45k級の谷選手の5回連続のオリンピック出場が決まったこと。
 どうも、全柔連は、世界大会での実績と国内での選考会との評価とは微妙に違うようだ。谷は決勝で山岸絵美(三井住友海上)と対戦。試合開始直後に足払いで効果を取ったが、その後、ともえ投げと大外刈りを返されて二つの有効を奪われ、敗れた。谷は決勝で山岸絵美(三井住友海上)と対戦。試合開始直後に足払いで効果を取ったが、その後、ともえ投げと大外刈りを返されて二つの有効を奪われ、敗れた。
 全柔連にもそれなりの選考理由はあるのであろう。あとは、北京の本番で代表選手には良い成績を期待するしかない。しかし、谷さんも「ママでも金」でがんばっていることは評価できるが、勝った選手や
所属チームのコーチは残念無念であろう。谷さんにはがんばってほしい。そして選考委員会の評価が正しかったことを本番で証明してほしい。
 柔道は、今や世界のJUDOになっている。北京以降の日本の柔道は相当厳しいと柔道関係者から聞いている。現状のジュニア世界選手権では日本柔道は瀕死状態と聞いている。国際柔道連盟にも日本から理事は締め出されたばかり。お情けで特別理事という決定権のない理事の役職を頂いている現状。国際大会でのコーチは自分のところのコーチではなく、選手として過去に実績を上げただけのコーチが多いと聞いた。
 明日の新聞の論評はどのようになるのであろうか。そして、記事の近くに全柔連の大スポンサーでもあり谷選手の所属先のトヨタの広告が大きく載るのであろうか。おっとここまで書くと、どこかの三流夕刊紙みたいになるので止めよう。

久しぶりの休日



 本日は久しぶりの日曜日休み。こういう時、私はビデオ鑑賞。近くのレンタル屋さんに行き、2本借りてくる。よく観るのは、SFの近未来物語や政治サスペンス物。本日もこれから、ぶらぶら歩いて借りに出かける。途中の道端の花々を愛でるのも休日ならではの余裕。
 さて、4日の投稿コメントにリコークラブのリコークラブのびろりんさんからコメントがあった。リコークラブのHPにこのブログをリンクさせてほしいということである。私の拙い日常の描写でもよろしければ、リンクされて結構です。こちらこそ宜しく。
 横須賀市で起きた米兵の事件であるが、なかなか根深い問題ではある。一番良い解決策は、米軍が日本から撤退すればよいのであるが、事はそう簡単には行かない。わが国と米国との関係は、実は幕末のペリーの来航から始まっている。米国がわが国に仕掛けてきた最初の歴史的接触であり、1853年のペリー来航の目的は、アジア・ロシアの防波堤として、アジア資源獲得の最前線として、太平洋制圧作戦のためであると歴史の書では結論されている。当時は帝国主義の時代であり、力で植民地を獲得していた時代であったからごく一般的な行動であたのであろう。1853年という年代がすらっと出てくるのは、実は私の誕生年が1952年なので、よく覚えているというわけ。しかし、米国との本格的な関係はたかだか155年前だったんだね。2年前、東京都教育委員会の依頼で小笠原にバレーボール教室で行ったのであるが、宿で資料などを読み進めてわかったのは、ペリーがその年の11月に浦和に現れる前の6月の小笠原の父島に寄航していること。その当時の住民は20数名であったこと。そんなことを思い出しながら、今日どうしても言いたいことは次のこと。


 罰則を厳しくしないと、今後も横須賀市や沖縄市のような痛ましい事件は続く、ということを言いたい。


日本軍にも過去に戦地で同様なことがあった。朝方。本棚からたまたま手に取った「座右の銘」(大橋武夫)という本のなかに次のように書いてあった。『日清戦争や日露戦争までは、良民を選抜し、年月をかけて訓練し、良兵として出征させていたので、指揮官の管轄外に脱線するものはいなかった。ところが大東亜戦争となると、動員兵力は日露戦争時の40倍の八百万となり、きのうまで盛り場をうろついていた暴力団まがいの者までも徴兵し、ろくろく教育もしないで戦地に送り、武器を持たせ、住民の生殺与奪の権を握らせるようなことさえ起こりかねなかった』 今回の強盗殺人事件にも相通ずるところがある。安易に貧しい国から、または前科のある人間を、市民権を餌として、安直に兵士として育成しているところも今回の事件の要因の一つではないかと、先日ここのブログで書いたのであるが、本当に根が深い問題である。 

2008年4月5日土曜日

今年度の審判講習会始め

 本日は、船橋アリーナにて午前中に千葉県ソフトバレーボール連盟の審判伝達講習会、午後からは同じ会場で船橋市ソフトバレーボールの部の審判研修会であった。午前中の講習会で「しばらくです」と声をかけられた方向を見ると、千葉県から何度も全国大会に出場している全国でも知られているクラブの責任者の顔がそこにあった。「渡邉さんのブログ読んでいますよ。がんばってください。」そうか、彼も読んでくれているのか、ということで単純な私は喜んじゃって、今ここでまたブログ作成しているというわけだ。
 それにしても、質問に回答していて、改めて「ソフトバレーのルールはこのままでいいのか」と考えてしまう。「ルールは誰のためにあるのか」昨年、日本連盟の審判規則委員長に推挙されてから、ずっと考えている。「ルールは愛好者のためにある」。6人制のルール変更は「メデイア」を通じての視聴者を対象にしている感がある。ここ8年間ほど変更のなかった6人制のルールが今年の北京オリンピック後に数点改正されそうだ。「パッシング」「タッチネット」「ボールのサイズ」などだ。では、ソフトバレーボールのルールはどうか。誰でもが楽しめるようなルールが望ましいと私は考えている。身長が高い人に圧倒的に有利になるようなルールもソフトバレーにふさわしくないと考えている。審判の主観に多くを頼るのも困る 。などなど・・・。
 新年度の審判規則委員会は6月末に東京都で開催する。委員は全国から推薦頂いている、8ブロックからの代表の方たちだ。今年検討することが来年のルールブックに全て反映されるわけではないが、すぐできることと、2年後の連盟発足20周年を目指してやって行くことを分けて検討して行きたい。
  ソフトバレーボールはもっと楽しくできる。もっとレクリエーション的にできる。もっと競技的にだってできる。もっと体育としてできる。もっと健康の役に立つ。もっとな仲間を呼び寄せることができる。そして、家族が元気になる。地域が元気になる。日本が元気になる。

2008年4月4日金曜日

タクシー殺人米兵逮捕から見えてくること

 今朝の朝日新聞朝刊一面記事は、先月横須賀市であったタクシー運転手強盗殺人容疑で逮捕した米兵の記事であった。記事を読み進めて行くと、ナイジェリア国籍とある。更に読み進めて行くと、米国では独立戦争時から外国人兵士を採用していると書いてあった。米国では永住権(グリーンカード)のある外国人居住者は一般兵士として軍に志願することが認められているという。基地内の大学進学や将来の米国市民権(国籍)取得をにらんで入隊する外国人も少なくないという。2002年にブッシュ大統領は対テロ戦争下で、居住年数の要件撤廃など大幅に緩和した。そして、イラクやアフガニスタンでの戦死者のなかで外国籍兵士は既に3ケタに上がっているという。
 今回の事件の背景には以上のようなことがあったのだ。つまり、戦争で犠牲になるのは戦地の市民だけでなく、我が国に米軍基地のある市民もそうだということだ。貧しい国から市民権を餌に呼び寄せ安直に兵士を養成し、そして戦地に送り出している構図が浮かび出てくる。
 さて、今からママさんバレーの夜桜会に行きます。選手の子供たち(乳児、幼児、児童、生徒)やお父さんたちを合わせると40名くらいなるかな。そろそろ自宅を出ないと、お酒がなくなってしまう。急がなきゃあ。

2008年4月3日木曜日

花冷え


 急に寒くなってきましたね。「花冷え」と言うんですってね。お陰で、桜も今週末まで楽しめそうです。私の指導するチームの一つに千葉市のママさんチームがあります。昨年、平均年齢が40歳代後半になっているのを危惧して、私のほうから新人募集を提案し、部員がチラシなど作成・配布した効果があり、20歳代後半から30歳代前半が数名入部してきた。おまけに可愛い子供たちも付いてきた。そのチームの恒例の「夜桜見学会」が明後日行われるので、この花冷えは良かった。
 ママさんを指導していると、色々と教わることが多い。ソフトバレーの指導と違って、ボールが重いので、しっかりした運動力学に則ってフォームを作らないと、ボールは飛ばないし、コントロールもできない。近々「運動力学(バイオメカニクス)によるバレーボール指導」というテキストを作成したいと考えている。そのために、力学の基本を学習しているところだ。
  さて、先週末は日本バレーボール協会の審判規則委員会もあったのだが、ソフトバレーボールにおいて近い将来には日本協会公認のC級審判員の資格を取れるように日本ソフト連盟から日本バレー協会に承認を求めていこうかな、と考えている。現状のリーダー資格は審判、競技、指導の分野で活動できる能力に対しての資格である。審判員として更に研鑽を積みたい方に、ソフトバレーボール連盟でもC級資格取得できるようにする方向性は必要か否か委員会で各委員に意見を聞いてみたい。
 

2008年4月1日火曜日

4月1日色々あります。

 春高バレーの終わった後、ぐったりする暇もなく、今度は仕事の関係で千駄ヶ谷にある日本バレーボール協会事務局にほぼ毎日通いつめた。仕事上のトラブルである。基本的なミスであるが、原因は判っている。慣れから生じる「自分に都合の良いように考えていた」ところから生じたミスであった。
 幸い、社内のある部長が「渡邉さん、この件何とか没にしないで、成立させようよ」と精力的に動いていただいたので、問題発生から3週間後に日本バレーボール協会と合意に至った次第である。その間、私は針のむしろ状態で生気がなかった。その部長とは部署も違い、今までまったく口を聞いたこともなかった。今回の仕事はその部長の部署にも迷惑を及ぼすことになるやも知れない、ということで事情をお話したらすぐに動いてくれたのだ。自分より役職が下でも威張らず、腰が低く、相手のために自分の時間を使ってくれるのだから、こちらが恐れ入ってしまった。わが社にもこんな人がいるんだな、と弊社に改めて誇りを持てた次第である。
 日本協会側にも話のわかる役員はいた。皆、自分の仕事に誇りを持って、ルールに則って、言うべきことは言い合って、その後、両者が良い方向にいくように落としどころを探っていった。今回の仕事は全国的な事業で、全国の都道府県ソフトバレーボール連盟が潤う、つまりは愛好者に恩恵が還元されることなので是非とも成功させたい。スタートでつまづいたが、まだまだ十分取り戻せる。
 「仕事の私」と「日本ソフト連盟役員の私」と今後は峻別しながら行動していくことを肝に銘じて、フレッシュな気持ちで四月をスタートしたい。花粉症もあとわずかです。がんばろう。