本日は久しぶりの日曜日休み。こういう時、私はビデオ鑑賞。近くのレンタル屋さんに行き、2本借りてくる。よく観るのは、SFの近未来物語や政治サスペンス物。本日もこれから、ぶらぶら歩いて借りに出かける。途中の道端の花々を愛でるのも休日ならではの余裕。
さて、4日の投稿コメントにリコークラブのリコークラブのびろりんさんからコメントがあった。リコークラブのHPにこのブログをリンクさせてほしいということである。私の拙い日常の描写でもよろしければ、リンクされて結構です。こちらこそ宜しく。
横須賀市で起きた米兵の事件であるが、なかなか根深い問題ではある。一番良い解決策は、米軍が日本から撤退すればよいのであるが、事はそう簡単には行かない。わが国と米国との関係は、実は幕末のペリーの来航から始まっている。米国がわが国に仕掛けてきた最初の歴史的接触であり、1853年のペリー来航の目的は、アジア・ロシアの防波堤として、アジア資源獲得の最前線として、太平洋制圧作戦のためであると歴史の書では結論されている。当時は帝国主義の時代であり、力で植民地を獲得していた時代であったからごく一般的な行動であたのであろう。1853年という年代がすらっと出てくるのは、実は私の誕生年が1952年なので、よく覚えているというわけ。しかし、米国との本格的な関係はたかだか155年前だったんだね。2年前、東京都教育委員会の依頼で小笠原にバレーボール教室で行ったのであるが、宿で資料などを読み進めてわかったのは、ペリーがその年の11月に浦和に現れる前の6月の小笠原の父島に寄航していること。その当時の住民は20数名であったこと。そんなことを思い出しながら、今日どうしても言いたいことは次のこと。
さて、4日の投稿コメントにリコークラブのリコークラブのびろりんさんからコメントがあった。リコークラブのHPにこのブログをリンクさせてほしいということである。私の拙い日常の描写でもよろしければ、リンクされて結構です。こちらこそ宜しく。
横須賀市で起きた米兵の事件であるが、なかなか根深い問題ではある。一番良い解決策は、米軍が日本から撤退すればよいのであるが、事はそう簡単には行かない。わが国と米国との関係は、実は幕末のペリーの来航から始まっている。米国がわが国に仕掛けてきた最初の歴史的接触であり、1853年のペリー来航の目的は、アジア・ロシアの防波堤として、アジア資源獲得の最前線として、太平洋制圧作戦のためであると歴史の書では結論されている。当時は帝国主義の時代であり、力で植民地を獲得していた時代であったからごく一般的な行動であたのであろう。1853年という年代がすらっと出てくるのは、実は私の誕生年が1952年なので、よく覚えているというわけ。しかし、米国との本格的な関係はたかだか155年前だったんだね。2年前、東京都教育委員会の依頼で小笠原にバレーボール教室で行ったのであるが、宿で資料などを読み進めてわかったのは、ペリーがその年の11月に浦和に現れる前の6月の小笠原の父島に寄航していること。その当時の住民は20数名であったこと。そんなことを思い出しながら、今日どうしても言いたいことは次のこと。
罰則を厳しくしないと、今後も横須賀市や沖縄市のような痛ましい事件は続く、ということを言いたい。
日本軍にも過去に戦地で同様なことがあった。朝方。本棚からたまたま手に取った「座右の銘」(大橋武夫)という本のなかに次のように書いてあった。『日清戦争や日露戦争までは、良民を選抜し、年月をかけて訓練し、良兵として出征させていたので、指揮官の管轄外に脱線するものはいなかった。ところが大東亜戦争となると、動員兵力は日露戦争時の40倍の八百万となり、きのうまで盛り場をうろついていた暴力団まがいの者までも徴兵し、ろくろく教育もしないで戦地に送り、武器を持たせ、住民の生殺与奪の権を握らせるようなことさえ起こりかねなかった』 今回の強盗殺人事件にも相通ずるところがある。安易に貧しい国から、または前科のある人間を、市民権を餌として、安直に兵士として育成しているところも今回の事件の要因の一つではないかと、先日ここのブログで書いたのであるが、本当に根が深い問題である。
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