2009年4月26日日曜日

南紀白浜にて小学生指導


 昨日からここ和歌山県南紀白浜の上富田町に来ている。昨日羽田空港から南紀白浜空港に1時間少しで到着するところ、あいにくの天候で雲が立ち込め着陸できず、1時間も空港上空で待機ということになった。空港に到着して出迎えてくれたのは、上富田町で5年前に立ち上げた総合型地域スポーツクラブの理事長の中山さん。まずはクラブハウスに向かった。クラブハウスは駅に待合室を改造して作られている。駅名が面白い。「朝来」と書いて「あっそ」と読む。クラブハウスに入るとGMのおばちゃんと事務局長のコムギさんが笑顔で出迎えてくれた。実は、私は、ここのクラブのアドバイザーで今回で4回目の小学生バレーの指導になる。今回は他の種目の講師も交えて座談会をやろうと企画提案していたのであるが、クラブハウスにはすでに地元和歌山放送のリポーターの方が私を待ち構えていた。まずは質問攻めで「和歌山と聞くと何を思い出しますか?」ときたので「そりゃ美味しい梅干しですね」と答えると、「はい、そういうお答の方には後日梅干しを放送局から進呈します」ときたのでラッキーであった。地元の良いところは誉めておくに限る・・・。
 他のバスケット、バドミントンの講も到着し、早速座談会になった。バドミントンの講師は女性の方で元世界チャンピオン。バスケットは大学の準教授で日本協会の強化委員。種目が違うとまた面白い考え方があるものだと改めて感心した次第である。
 その後、子供たちが待っている小学校に行き少女チーム2チームと中学生たちの指導に入った。少女チームの1チームは最近の大会で和歌山県大会で準優勝するところまでレベルが上がってきた。OGが多数進学する地元の熊野高校も県大会で準優勝するところまで来ている。会場になった最近改築されたばかりの真新しい体育館の設計はなんと理事長の設計だと聞いた。理事長の本職は1級建築士であったのだ。夜の練習も終わり、クラブのスタッフと講師の総勢16名が小料理屋に入り懇親会となった。当日は南紀白浜といえど肌寒かったので半袖しか持っていかなかった私はお酒は熱燗をいただいた。
 今朝は10時から150名の小学生たちがいろいろなスポーツを体験する「チャレンジデー」が始まった。バレーボールは午前午後の二部制で小学生バレーチームが2チームに体験初心者が集まってきた。小学生低学年の初心者に指導することは難しいが、こちらも勉強になる。声を出し、リズムを作って練習をやることに注意しながら指導を行っていった。
 今は、近くにある朝日ゴルフクラブという大きくて豪華な会員制ゴルフクラブのクラブハウス内のお風呂に入り、館内の無料インターネットでこのブログを打っているところ。この後は、コーヒーをいただき空港に送っていただいて羽田に20時30分に着く。
 明日からはまた仕事だ。がんばろう。
(画像は、クラブハウスが入っている小さな無人駅「あっそ駅」関東の人であったら茨城県の「潮来(いたこ)」と間違えて読んでしまうでしょうね・・・)

2009年4月25日土曜日

小学生チームの指導をスタート


 船橋市内のJR津田沼駅に近い田喜野井小学校の子供たち37名の女子と4名の男子の小学生バレーチームの指導を昨日からスタートした。毎週金曜日が練習日であるが、私の出番は月1回程度で、コーチ役のお母さんたちの集団指導体制のアドバイザーだ。
 昨日は、個々の基本練習だけでなく、チームプレーと絡めた練習のやり方を示唆した。ネットとコートの大きさを意識し仲間との共同作業で、まずは相手コートから来るボールを3回で返球する習慣を身につけることがゲームにつながる練習と考えている。まずゲーム感覚を身につける。次にボールコントロールの個々の練習をする。その次にまたゲームに戻り個々の技術のチェックをする。10年前までの練習というのは、あまりに個々の技術の練習にかける時間が長すぎた。従って、今の子供たちは飽きてしまう。まずは今のレベルでできるゲームを行って楽しさを覚えさせる。例えば、ボールはつかんでもよい。ハンドボール・バレー・ゲームでも良いではないか。次に1本目だけつかんで良いルールにしてゲームを行う。工夫すればいくらでもできる。やはり楽しいのはゲームであり、攻撃の華であるスパイクであり、ボールコントロールである。そして時にはビデオで世界のプレーを見させたり、高校生トッププレーヤーの実際のプレーを間近で見させ、高校生に指導してもらう。船橋市には市立船橋高校女子バレー部という今年の春高バレーで久方ぶりに3位に入賞したチームがある。(実は、私は15年前に2年間ほどコーチしていた。)シーズンオフ時には市船バレー部の生徒たちに小学生たちを指導して貰う企画を練っている。
 コーチの模範プレーというのがあるが、一般論を知らずにそのコーチ特有の技術論を教えてしまう場合がある。例えばスパイク・ジャンプ時の逆足踏切であったり、サーブ指導で40歳代以上のママさんバレープレーヤーがよく行う(子供達には難しい)サイドハンドサーブ(ラウンドハウスサーブ)を最初に教えてしまったりすることがある。昔、安全サーブというアンダーハンドのサーブがあったがあれも実は子供達には難しい。「安全」どころか失敗する確率が高く「危険」サーブと言える。なぜ難しいか?ボールと腕の接触点を注視することでネットが目に入らないので失敗する可能性が意外に高いことだ。それに相手コートに入っても相手のチャンスになるだけで、サーブの役割である「初めの攻撃」にならない。
 スパイクにもいろいろなステップがある、スイングがある。だけど今の時期はこのステップとスイングを覚えて、そのあと自分に合ったフォームを身につけていこう、という発達段階にあった指導が大事だ。
 また、長々と書いてしまった。これから羽田に行き和歌山県白浜に近い上富田町に行く。町が総合型スポーツクラブを立ち上げて今年で5年目。私はこのクラブのアドバイザーとして任命されており、毎年この時期に訪れて小学生2チームを指導している。今夕は私からの実行委員会への提案で、他の種目のアドバイザー(日本を代表する指導者)と一緒に指導者フォーラムを初めて開催する。テーマは「上富田町総合地域スポーツクラブの方向性を語る」になるのか、地元FM局も実況放送してくれるという。やはり、私は「ラジオ向きのいい声」をしているからなのか・・・。
 さて、それでは行ってきます。
(画像は、東京都文京区にある 根津神社のツツジ。愛読者のKさんが送ってくれました。昨日散歩の途中で撮影したとのことです。今がつつじ祭り開催中で、境内にある約2000坪のつつじ苑には、約50種3000株のツツジが咲き競い、甘酒茶屋、植木市、露天が並び、土日祭日には野点、箏曲、和太鼓、奉納演芸等、各種行事が執り行われている。)

2009年4月21日火曜日

9人制女子バレーの名指導者といえば・・・


 私にとっては、石野さんしかいません。本日は仕事で北越谷まで行く用事があったので、昨日からお会いする約束をしていた。しばらくぶりに会う石野さんはお元気そうだった。私の9人制バレーの指導はこの方から教えていただいた。私が現在6人制や4人制のソフトバレーで、それなりに指導においてうまくいっているのは、9人制のスキルを応用しているという点が大きい。リバウンドでのブロックの利用の仕方、ネットプレーの活用、オーバーハンドでの強打レシーブのスキルそして一番教えていただいたのは、選手との交流。石野さんは、実業団チームの監督として国体などで日本一を何度も獲得している。お付き合いいただいて20年は経っている。石野さんの選手との接し方は、当時の6人制トップチームの監督さんとは全く違うものであった。練習はとにかく厳しい。練習後は演歌好きの単なるおやじになる。人情味の厚い人でバレー界で6人制トップチームにも人脈が多い。

 今日も延々と2時間ファミレスでコーヒー3杯お代わりしながらのお話になった。今年で65歳になったかな。まだまだバレーの指導に燃えている。「俺には理論がない思いつきの指導だ」なんて言っているが、その指導にはしっかりとした根拠がある。実は石野さんと一緒に開発したスキルがある。日本バレー界で数年間タッチ攻撃が反則になった時期があった。当時のイトーヨーカドーの小田選手がクイックからのタッチプレーで一世を風靡したのだが、「あのような逃げの攻撃では世界は制覇できない。子供たちが真似したらいかん」ということで一時反則扱いとなった。そこで、私が「じゃあ、全力スイングでチップすればヒットしているのだから反則にはならない」と言ったことに対して、石野さんが全力スイングタッチ攻撃を開発したのであった。初めのうちは打っても打っても上方にクルクルと上がっていくだけでかえって相手にとってチャンスボールになってしまう。何とか形になったのは1年後だ。その年、平成元年度の春高バレーの女子優勝は東京の順心女子高であった。そこから入社してきたキャプテンの子がたちまちそのプレーをマスターして、相手レシーバーの前にストンと落ちるスパイクを強打と併用して駆使し相手レシーバーを悩ませた。なにせ、アタッカーが全力スイングしているのに、強打でもなくフェイントでもなくピッという感じであっという間に床にボールが落ちるのだからレシーバー泣かせである。

 コツは、手の形にある。おっと、これ以上は企業秘密ですから・・・本日はここまで。我がママさんチームにもそろそろこの秘伝を伝授しようかなと思っているところだ。弱いチームは色々工夫しないとね。
(画像は愛読者Kさんから送られてきたもの。「しゃが」という名の一日花。朝に咲いて夕べに散る。「射千」とか「著峩」とも書く)

2009年4月18日土曜日

修士論文提出しました。

 昨日、修士論文を教務課に提出しました。1月の時は提出時間に2時間遅れたため「不受理」扱いとなってしまい、再度このためだけに1学期分の授業料(約18万円)を支払い、今回は何としても論文を提出しようと背水の陣の気持ちで取り組んできた。昨日は休日出勤の振り替え休日を会社から頂き、朝から大学の情報処理室に他の仲間3名と励まし合いながら最後の7章の「成果と結果」をパソコンで打っては修正の繰り返しを行った。論文4部を印刷・製本し、必要書類に記入し、担当教員の印を頂いて教務室に持参し、全て終了したのが規定の時間19時の15分前であった。余裕を持ってことに対処することの大事さを今回ほど痛く感じたことはない。初めてのことに対処するときはなおさらだ。ギリギリは良くない。「時は金なり」の金言を今回は骨身にしみて感じた。お金がない人は、時間の余裕を持たねばならない。
 論文を提出するまでの昨年10月からこの4月までの6か月程は、正直なところ論文の重圧で苦しかった。社会人生活が長ければ長いほど、論文スタイルでの文章の構築は難しい。レポートや報告書は業務で慣れているが、論文の文章構成は独特のスタイルがあり、内容が良くともスタイルの約束事を守らねば不出来と評価される。ここのところが、社会人ベテランの私には戸惑った。4日前にはこんなことがあった。情報処理室で一緒に論文作成していた5期生で修了を目指していた30歳代の女性が、突然論文提出を断念し、来年の1月提出に切り替えると言い出し、学校を出て行った。彼女も悩んでいた一人である。毎日通学してくる一般学生と違い、我々社会人学生は給料を頂いている会社の業務が第一である。毎日、論文のことだけやっているわけにはいかない。
 まあ、しかしそんな訳で、何とか多くの方の励ましで論文を提出することができた。次は論文審査。そして論文審査が通れば、今度は1ヶ月後の口頭試問。そして発表会がある。まだまだ油断はできない。
学習は継続していなければいけない。
 さて、これから関東大学女子バレーボール春季リーグ戦に行く。夕方は初めていくクラブであるが、都内でソフトバレーの練習をやりに行く。明日は久しぶりの完全休養日だ。
ああ、修論という肩の荷が下りた・・・。体が軽くなった感じだ。これで明後日からの仕事に集中できる。

2009年4月17日金曜日

東京都ソフトバレーボール連盟総会

 昨夜は東京都ソフトバレーボール連盟の総会であった。昨日は朝から新幹線で大阪に行き会議をこなし夜の7:45分には総会会場の千駄ヶ谷の体育館会議室に着いた。閉会の前に、恒例の私からの挨拶があり、少しお話をさせていただいた。「大阪の電車に乗っていましたら、中吊り広告のキャッチ・コピー(宣伝文句)に目が行きました。そこにはある出版社の文庫版「竜馬が行く」(司馬遼太郎著)のコピーが載っていました。『・・・あなたが愛したこの国は何処に行くのでしょうか・・・(松たか子)』松たか子さんというのは女優さんだと思います。確かに私たち庶民にはこの国が何処に行くのか判らない。しかし、ソフトバレーボールに関しては何処に行こうとしているのか判る。なぜなら、私たちがその当事者だからです。この国の総理大臣は私たちが直接選んだわけではない。しかし、ソフトバレーに関しては東京都連盟が変われば確実に日本のソフトバレーボールが変わる」。・・・そんなことを制限時間5分間を超えてお話させていただいた。
 今年は、愛好者の方々にソフトバレーボールの理念を今一度思い起こして頂き、「生涯スポーツ」の意味を講習会等で噛み砕いて説明していきたい。

2009年4月12日日曜日

今週末の出来事


 今週末も色々ありました。昨日の土曜日は、午前中から東京体育館の会議室にて、日本ソフトバレーボール連盟の企画会議(常任理事会のようなもの)、午後からは全国大会の実行委員会で開催3県の県連盟役員、協賛社の名鉄観光さんの地域支社担当者が一堂に揃い打ち合わせを行った。全国大会での私の担当は、山形県酒田市にて開催の「全国レディース&メンズ交流大会」の大会副委員長である。酒田は私の生まれ故郷で役員も大半は高校の先輩や後輩が占めている。今から田舎での交流大会を楽しみにしている。
 実行委員会が終わってから、同じ体育館にてVプレミアリーグの女子決勝戦が行われているので一寸覗いてみた。観客は満杯近く入っていて9,000名位はいた。しかし内容が良くない。東レが決して強いわけではないのに、わずか1時間でゲームは終了した。日本一を決める試合がミスで点数が入り合うのは褒められたものではない。戦術も単純。この調子ではロンドンオリンピックに果たしてアジア代表で行けるかどうかも怪しい。日本での最終予選会という切り札を使わなくとも、堂々と中国と韓国を撃破してアジア代表にすんなりとなってほしいものだ。
 その後、大学院に行き、指導教官から懇切丁寧に論文の指導を頂き、家路に就くために学校を出たのは既に深夜の11時であった。
 今日は、船橋市ソフトバレーボール春季大会であった。我がクラブからは2チーム出して優勝はしたが、ここ5年ほどでレディースの部が盛んになり混合の部は13チームしかない。レディースは40チームほどある。ソフトバレーのチーム基本構成は混合とし、男女仲よく助け合って生涯スポーツを楽しもうというのが理念。混合の部を育てる工夫が欲しい。
 ソフトのゲームが終了したのが3時であったので、車で一時間のところにある千葉市で行われている家庭婦人バレーボール千葉市民大会に移動した。我がチームはコート決勝まで残っていて、結果はフルセットの惜敗であった。現状の実力は千葉市約100チームの中でベスト12まで上昇してきたが、目標は県大会ベスト8以上。まだまだ満足するわけにはいかない。
(画像は読者のKさんから送られてきた小石川植物園のタンポポ)

2009年4月7日火曜日

入学式日和


 本日も地下鉄丸の内線の茗荷谷駅を下車して、と思ったら、論文の概念図を考えていて終点の池袋まで乗り過ごしてしまった。Uターンして茗荷谷駅を下車すると丁度入学式を終えたらしい集団とすれ違った。胸に愛らしい小さなリボンをつけた中学生たちや着飾った親御さんたちが晴れやかな表情で駅に向かってくる。希望と不安に皆胸いっぱいなんだろうな。
 論文作成の前に、ルールのことで質問のあったある県の審判長に当てての回答文を作成してFAXで返信した。さて、これからが論文のラスト・スパートである。
(画像は読者のAさんから送られてきた千鳥が淵の見事な桜)

2009年4月6日月曜日

花見についての一考


 昨日から明後日まで、振り替え休日を取って茗荷谷駅近くの大学院に修論作成のために通っている。校門の前に見事な桜並木がある。桜の花見の習慣ははいつ頃から始まったのか、調べてみた。確かな文献は見つからないが、江戸時代前の9世紀に嵯峨天皇が花見をしたという記録が「日本後紀」という書物にある。江戸時代になって、八代将軍の徳川吉宗が町づくりの一貫で今の東京の隅田川沿いなどで桜の木の植樹を行った。そこに町人たちが集まって飲食を楽しんだ様子が浮世絵版画の錦絵に残っている。私の愛読書の一つである「居眠り磐音江戸草紙」(佐伯著)のシリーズの中にも当時の庶民が花見に興じる姿が生き生きと描かれている。

 世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし

 これは平安時代の『古今和歌集』で名歌とされている在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)の一首である。意味は、「世の中に桜などなければ、春の人の心はのどかだろうものを、なまじ桜があるばかりに、咲くまではいつ咲くか、咲いたらいつまで保つか心休まる暇も無い」と否定の形で桜の美しさを讃えている。

 さて、準備運動もできたので、いよいよ修論の最後の大事な部分である「考察」に取り掛かる。前回は、「目的」との論理的関係性が弱いと指導教官に指摘された箇所である。

(画像は先ほど校門に入る前に携帯で撮ったもの。明日は多くの中学校で満開の桜の下、入学式が行われる)


2009年4月4日土曜日

練習の後は夜桜を愛でて・・・

   





  毎週金曜日は、千葉市のママさんバレーの練習日。昨夜は、恒例のお花見。練習は小一時間で上げた。先月からサーブをオーバーハンドで上げる練習をしている。多少のスピードボールでも恐怖感もなくオーバーハンドで上げれるようになってきた。あとはコントロールである。
 さて、近くの公園に皆さん持ち寄りの飲み物や食べ物を持参し、いよいよ宴会の始まりである。持ち寄りのなかにはガス付きのおでん鍋まである。豚汁も鍋ごと追加された。子供たちも参加している。しばらくして、お父さんたちも寄ってくる。いつも子供たちの面倒を見てくれる独身の「けんチャン」もウクレレと焼酎のボトルを持参でやってきた。練習に出れず、遅れてやってきたママさんは、たこ焼きをお土産に持ってきてくれる。監督が外部コーチしている中学校の卒業生も練習に参加して、そのまま夜桜見物に参加してきた。三世代が良くもたくさん集まったものだ。30人ぐらいは集まっただろうか。公園貸し切り状態だ。私は熱燗のお銚子を十分頂き満足満足。 
 こういうお花見も実は大事な練習。ボールを扱うだけが練習ではない。ボールに気持ちを込める、コミュニケーション・トレーニングも大事な練習だ。近所のこと、家族のこと、自分のことを七分咲きの艶やかな桜の花の下で語り合うことで絆ができる。人間、みんな違うが、みんな同じだ、ということに気づく。仲間が助け合えば、料理だって質素でもこんなにバラエティ豊かなメニューが目の前に並ぶ。同じように悩み、同じように喜ぶことで共感が生まれる。共感が連帯感を作る。連帯感こそチームワークである。最近の全日本は世界でベスト8ぐらいの実力だ。もうひとつ上に行くには、練習を体育館だけでなく、体育外でもやるべきと考えている。体育館という空間だけでの練習漬けでなく社会という空間でも練習漬けになる必要があるのではないか。例えば、語学、例えば学校の部活に出向いて指導のお手伝いなど考えられる。
 ママさん達には、四季の豊かな自然を満喫しながらスポーツを楽しんでもらいたい。勝つために与えられた環境の中で最大限の努力をするが、結果として勝てれば良い。 
(画像は昨夜の夜桜会。風もなく本当に夜桜見物には最高の夜でした)