2009年4月6日月曜日

花見についての一考


 昨日から明後日まで、振り替え休日を取って茗荷谷駅近くの大学院に修論作成のために通っている。校門の前に見事な桜並木がある。桜の花見の習慣ははいつ頃から始まったのか、調べてみた。確かな文献は見つからないが、江戸時代前の9世紀に嵯峨天皇が花見をしたという記録が「日本後紀」という書物にある。江戸時代になって、八代将軍の徳川吉宗が町づくりの一貫で今の東京の隅田川沿いなどで桜の木の植樹を行った。そこに町人たちが集まって飲食を楽しんだ様子が浮世絵版画の錦絵に残っている。私の愛読書の一つである「居眠り磐音江戸草紙」(佐伯著)のシリーズの中にも当時の庶民が花見に興じる姿が生き生きと描かれている。

 世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし

 これは平安時代の『古今和歌集』で名歌とされている在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)の一首である。意味は、「世の中に桜などなければ、春の人の心はのどかだろうものを、なまじ桜があるばかりに、咲くまではいつ咲くか、咲いたらいつまで保つか心休まる暇も無い」と否定の形で桜の美しさを讃えている。

 さて、準備運動もできたので、いよいよ修論の最後の大事な部分である「考察」に取り掛かる。前回は、「目的」との論理的関係性が弱いと指導教官に指摘された箇所である。

(画像は先ほど校門に入る前に携帯で撮ったもの。明日は多くの中学校で満開の桜の下、入学式が行われる)


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