(中央が足立さん。向かって左側が、今朝この写真を送ってくれた大分の近江さん。2011年新潟で開催されたFIVBコーチ講習会(レベルⅡ)の時に一緒に写真に納まっていました) |
1年前の今日、日本にいる友人達から、彼が心筋梗塞で突然亡くなったことをメールで知らされました。まだ50歳代前半であったと思います。
彼は、高校まで日本に住み、卒業後は単身米国に渡り、特技のバレーボールで大学の奨学生に選ばれ、大学のチームでセッターとして活躍しました。その後、スイスでもプロ選手としてプレーしたり、フランスでも指導者として頭角を出してきました。
彼が日本に戻るきっかけは、もう15年前になりますでしょうか、松平康隆氏が作りました。松平氏は、彼を日本バレーボール協会の職員として採用し、M&M(簡単に言うとスポンサー獲得とJVAブランドの販売)を担当させました。
そのころ、私達も知り合いました。私は、当時、mizunoの社員で、JVAブランドの商品化権を日本協会と一緒になって契約書などを作成していました。
彼の講習会での講師としての才能は、それまでの日本人講師にない切り口をITを駆使して行ったことです。特に、受講者の視覚に訴えたのがパワーポイントを使った講義でした。パワーポイントは、当時、大学の講義などでは使われ始めていましたが、従来の日本人講師にはまだ使いこなせなく、板書形式と紙媒体の併用が講義の主流でした。
また、日本人講師のほとんどが、日本の理論を中心に講義を展開するのに対して、彼の場合は、基本は日本の技術、しかし応用は欧米が進歩的と評価していたところも特徴的でした。
2年前に全日本男子監督に初めて外国人監督を迎えた時、彼は「これで日本のバレーは数年間沈滞してしまうかも知れない」と喝破していました。実は、私も独自のルートでアメリカバレーボール界の重鎮から「日本は何を考えているのだかわからない」と聞かされていました。結果は、初めて世界選手権大会の出場を逃すということになってしまいました。
そのように、世界のバレーボール界にも精通し、世界トップクラスの指導者達とも自然体で付き合っていた彼が、1年前に突然この世を去りました。
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