2011年12月9日金曜日

12/6(火) 全日本インカレ・バレー グループ戦を観戦



 本日から11日の日曜日までの6日間、東京、神奈川の7会場にて大学生の日本一を決める大会が開催された。午後から墨田区立体育館に行った。今年の1月の春高バレー出場を最後に県立大和南高校女子バレー監督を勇退した飯塚監督から、いつもの「来てくれよ~」コールが入った。飯塚先生が新たに指揮を執っている相模女子大学女子バレー部のゲームが墨田区であるとのことであった。
 会場に入るなり、Vチャレンジリーグ所属の佐々木監督にであった。ここで、暫く足を止められ歓談。そこに元全日本女子の主将であった野口京子が入ってきた。野口さんは、現在、長野大学女子バレー部の監督として3年目のチームを指導している。名刺を見ると準教授とある。みんな、頑張っているな~。話題が佐々木さんと野口さんお二人のお話に移った頃を見計らって移動したら、久しぶりに石野さんにであった。現在は文教大学の監督であるが、その前はIHI9人制女子バレーボール部監督として全国優勝も数多く成し遂げている。石野さんと15分ほど話していると、先ほどの佐々木さんが追いついて来て石野さんと話し始めた。ここでやっと、知人達を振り切って相模女子大のゲームを見ることができた。
 相模女子大のメンバーには、高校時代に全国大会で活躍した選手はいない。それでも、飯塚監督が就任し、半年で関東大学リーグを7部から6部に昇格した。試合の方は2敗で決勝トーナメントには進出できなかった。
 会場にいると、大和南の卒業生たちが次々と私のところに来て、挨拶をしていく。高校生の時と違って髪の毛が伸びていると一瞬、誰っだたっかな?と戸惑う学生もいたが、皆元気なようで良かった。早稲田、日本女子体育、桜美林と、この会場だけで3人もいた。
 試合後には、会場近くにある錦糸町駅前の大衆酒場で、飯塚先生と一杯と相成った。
(画像は、手前が相模女子大学。飯塚監督は監督制限ラインギリギリのところに立っている )

12/5(月) 女性のチームには女性のスタッフを

先週から、柔道指導者の不祥事でメディアが喧(かまびす)しい。不祥事の責任は本人にあるのは勿論であるが、30歳代の社会経験が未熟な若者に「客員教授」という称号を与える学校側もいかがかと思う。指導者としての資質も、発言などを聞いていると、まだ学生感覚が抜けていないのではと思うような発言が多い。
 金メダルを何個持っていようが、指導者の資質は別物である。トップアスリーととしての実績は、指導的立場になるうえでは非常に有利である。競技会という現場でトップアスリートとして経験した者でなければ得れない特別な感覚がある。しかし、そのような感覚を現役のアスリートに指導するためにはコミニュケーション能力や心理学、バイオメカニクスなどのコーチ学を身につけることで、より一層伝えることができる。現役時代の自身のプレーや心理状態を、若きアスリートに伝えるには自身を客観的に分析して理論的にまとめることが必要である。
 バレーボール界で、私の身近で名選手で名指導者であった人は、ほんの一握り。浜田勝彦さんという方をご存知であろうか?浜田さんは、そんな一握りの指導者である。2009年の私自身のここのブログに浜田さんについて載せていたのを偶然インターネットで探し当てた。
 ≪品川駅でタクシーを待っていたら、偶然同じ会場に行こうとしている富山県にあるV1チームの黒部アクアの監督の浜田勝彦さんにお会いした。そして、そのままタクシーに同乗させて頂いた。この方は日本鋼管で活躍しメキシコオリンピックの候補でもあった天才選手である。6人制の後は神奈川県の平塚クラブで9人制男子のプレーヤーで活躍し日本一は20回以上であろう。40歳まで現役であったのには驚く。その後、神奈川交通9人制女子では監督として日本一を10回以上成し遂げといる。9人制のスキルを6人制に取り入れて面白いバレーを展開する≫
 浜田さんの理論で面白いのは、1967年のユニバシアード(大学生の世界大会)前後にご本人が中心になって編み出したBクイック理論。当時、Aクイックは外国のチームに止められ始めていた。そこで、木村憲治さんや小泉勲さんの中央大学・日本鋼管コンビでAクイックよりもセッターから離れた位置で打つ速攻であるBクイックを開発した。
 おっと、タイトルの本論に戻ろう。私の結論は、女性のチームには必ず1名以上の女性のコーチングスタッフが必要ということである。私が監督であるならば、コーチかトレーナーは、女性にする。監督と選手の中間管理職として、女性の感覚で選手を見て欲しい。女性の監督というのも悪くないが、女性しか入れないような場所に、頻繁に出入りするのも、選手のフラストレーションが溜まってしまう。要は、指導者が男か女かの議論でなく指導者としての資質を持っているかどうかなのだと思う。

2011年12月8日木曜日

12/4(日) 国分寺市小学生バレー教室にあの金メダリストが



 2013年、東京都にて国民体育大会が開催される。多摩地区と島嶼(とうしょ:伊豆諸島の島々)地区が中心となる。国分寺市ではバレーボール成年の部が開催される。本日は、東京国体の関連事業で、午後から国分寺市スポーツセンターを会場に小学生対象の教室が開催された。

 主任講師には、今週初めにもお会いしたモントリオール・オリンピック金メダリストの白井貴子さんが、開催地である国分寺市から招聘された。私は、補助講師として、主催者である東京都バレーボール協会から派遣された。

 小学生97名、市バレーボール連盟の補助コーチ10名、父母が凡そ40名でバレーコートが2面取れる体育館内はざわざわしている。本部席の机上には、白井さんが持参した金メダルがきらきらと輝いている。子供たちの眼は、女性にしては長身(182cm)の白井さんと金メダルにくぎ付けになっている。

 2時間ほどの教室の中で、子供達には走ること、ボールを投げて受けること、サービスの打ち方・サーブレシーブのやり方と練習のやり方を説明し、反復練習を行った。今年に入って、白井さんと一緒の教室や講習会は4回ほどであろうか、コンビのリズムは良くなった。

 開講式では、市の教育長が挨拶され、閉講式には市長が挨拶されて全体的に格調も高くなった。全員での集合写真を撮った後、金メダルに触っていいよ、と白井さんから許可が出た。小学生から親御さんまで一列に並んで、金メダルに触れて感激に浸っていた。

 白井さんの自宅は、国分寺市からさほど遠くない杉並区。電車ではJR中央線の荻窪駅で下車する。夕方から、その荻窪駅の近くの焼き鳥屋さんで反省会となった。途中からは白井さんのお嬢さんもお仲間に入り、更に中頃からは国分寺市教育委員の担当女性の方も業務を終えて駆けつけてくれた。

 今回の教室の内容が良かったということで、来年度にはバレーボールの指導者講習会を企画したいとのお話も出た。ソフトバレー親子教室も開催したい、とのお話しも出てきた。

 東京都民のベッドタウンとしての国分寺市は、スポーツ環境、特に施設関係のインフラは必ずしも充実しているとはいえない。今回の教室開催を契機に、行政ウーマンと金メダリストがタッグを組んでスポーツ環境作りに着実に取り組んでいく下地ができたようだ。いつの時代でも、熱い心の人達が、歴史を作っていく。熱が冷めないように、私も熱く支援していきたい。

(画像は、集合写真。私の講評の中で、「この中に将来オリンピック選手になれる可能性を持っている子たちがいます」と申しあげた。お世辞ではなく、子供たちの真剣なまなざしを観ていると、心からそう思えてくる。彼らの可能性を伸ばしてあげるのは我々先輩の仕事である)

2011年12月3日土曜日

12/3(土) 江戸川区ママさんバレー「連盟杯」に挨拶

World Cup menの話題はもう十分。今夜のゲームの結果で、上位2チームの五輪出場が決まった。ロシアとポーランドの欧州勢が3位以上を確定した。明日の最終戦で、イタリア、ブラジルの内、もう1チームが決まる。日本と当たるブラジルは、1セットも落とすことはできない。それだけ、日本も厳しいゲームになることは間違いない。
 そんなわけで、ワールドカップよりも、きょうは、ママさんバレーということで、江戸川区の「連盟杯」に出かけた。JR小岩駅からバスに乗って15分ほどで会場の江戸川区総合体育館に着いた。コートは2コートだけなので、5日間かけて約80チームが、1部から10部のレベル分けの中でゲームを行う。1回戦で負けてしまうと、下部に転落してしまうので、どこのチームも必死の形相でプレーしている。
 ママさんバレーの技能レベルは、確かにさほど高くはないが、真剣なプレーには、いつも心を打たれる。会場に着いたとき、昨年チームに訪問して一度だけ指導したことのある3部のチームがゲーム中であった。1本目のサービスのコース打ちを昨年指導したように実行していたのを見て嬉しかった。そして、そのゲームを2-0で勝利したので余計に嬉しかった。
 明日は、国分寺市で午後から小学生バレー教室だ。肩の痛みも少し引いてきた。

12/2(金) World Cup men 10日目

大会も、あと2試合を残すのみとなった。今夜の日本の相手はロシアであった。結果はストレート負け。敗因はいつも同じ。植田監督自身が次のように分析している。サーブのミスが多い。精神的スタミナがない。そこまで分かっていて、3年前の北京オリンピック以降、対策が打てていないのはなぜであろう?
 今回の大会の成績は、出場12チーム中10位以下は確実だ。ワールドカップ過去最低の成績であろう。開催国の権利で、日本の試合時間は唯一18:30からのゲーム開始という最高のコンディションの中でこの成績とは情けない。少なくとも、あと2ゲームは勝ちとり、8位は確保できたと思う。
 サーブのミスであるが、ミスの内容が悪すぎる。ネットの中央にサーブをぶつけてしまうというようなミスを全日本の選手がやっていいのであろうか?勝負するサーブでもライン際でかろうじてアウトになる「ナイス・ミス」であれば、相手のジャッジミスも誘発できる。ここは、サーブで勝負ではないという場合は、コントロール・サーブというスピードを抑えて、フローターに切り替えて、コントロール重視のサーブでレシーバーの間やクイッカーの前に落としたりして、相手アタッカーのアプローチ(助走)のタイミングを崩すことを考えるべきだ。
 男子強化委員会は、今回の大会成績をどのように総括するのであろうか?

2011年12月2日金曜日

12/1(木) 12月 師走のスタート




早いものです。幼少の時代は、時間は長かった。最近は、時間がますます短くなってきた。新聞は2紙、配達してもらっている、朝日新聞は家で読み、日本経済新聞は通勤の車中か会社近くのドトールというコーヒー店で読んでいる。
 日本経済新聞の連載物で「私の履歴書」といコーナーがある。主に70歳以上で功なり名を挙げた政・財界、文化人の方達である。今月の執筆者は歌舞伎俳優の松本幸四郎さんで来年には古希(70歳)を迎えられる。幸四郎さんが、今の私の気持ちにぴったりの言葉を書いてくれた。
 「役者は、勇気、感動、希望を与えるという、なかなかできないことを仕事にしている。常にそれを肝に銘じてきたつもりだが、3.11の大震災という悲劇が起きた中で、役者としての自分が改めて問われていると思った」。
 スポーツアスリートやスポーツ・イベントに携わる我々も同じである。松本さんと表現が違うところが、「与える」というところ。「与える」のではなく「感じていただく」ものだと思っている。プレーするアスリート自身が与えると考えていても、プレーそのものが観衆やファンに感じられなければ、独りよがりのプレーである。「与える」という言葉は、松本さんのような大俳優であるからこそ言える言葉であって、30歳そこそこのトップアスリートが使える言葉ではないと思っている。
 松本さんは舞台劇の『ラ・マンチャの男』で演じるドン・キホーテ役でも知られている。2005年にスペインに行き、劇中で有名な実際の風車を訪ねたときに思わず口をついて出た言葉があったという。
 「今まで見ていたのは、夢のための夢だ。男60を過ぎて、これから見る夢こそが本当の夢」。
 私も、来年は60歳。サラリーマン生活を離れて、これからが夢の実現と思っている。


(画像は、自分を名馬だと思い込んでいるロシナンテという愛馬に立ち、風車に向っていくドン・キホーテ。ギュスターヴ・ドレの挿絵が素晴らしい。セルバンテス作の『ドン・キホーテ』は、近代小説の始まりとも言われている。作品は聖書の次に多くの国で出版されているとのこと)

2011年12月1日木曜日

11/30(水) 金メダリストが蜜柑を持ってやって来た



 金メダリストいっても、そんじょそこらの金メダリストとは違う。モントリオール・オリンピック、世界選手権大会、ワールドカップの三冠を取っている女子バレーボール界の大エースアタッカーと言えば、白井貴子さんしかいない。この人は、ミュンヘン・オリンピックでも、18歳のとき、銀メダルを取っている。2000年度にバレー殿堂に入ったのも頷ける。それも、恩師の山田重雄監督よりも先に殿堂入りを果たしている。その白井さん、ニックネームは大きいからBig(ビッグ)さん、が御茶ノ水にある私の勤務する会社にやってきた。

 「ナベさん、これ食べて。甘いから。私の田舎の岡山の友達が持って来てくれたの」


優しいね・・・。そう、実はビッグさんは優しい。最近は、2カ月に一回は講習会などにご一緒させていただいている。

 近くにある靖国通りに面した会社の直営店にて、スポーツウエアやシューズを買い求めて頂いた。近くのスタバにてコーヒーをご馳走になった。最近の話題を一通り物凄いスピードで話し終え、ビッグさんは風のように去って行った。

 今週の日曜日の午後には、国分寺市での小学生バレー教室に二人で指導することになっている。会場は、国分寺市スポーツセンター。昔昔、小平市に日立バレー部の体育館があって、そこに行くにはJR国分寺駅で降りてタクシーに乗って行くのが一番早かったことを思い出した。

(画像は、岡山の友達から頂いたという蜜柑。果肉の薄皮は柔らかく、本当に甘かった)