日小連(日本小学生バレーボール連盟)総務委員長の山下さんとは、4年前の全日本小学生バレーボール連盟主催の全国大会開催時に知り合った。埼玉県小連の理事長も兼ねている。きょうの昼食は、都内でご一緒にさせていただいてバレーの話題を交換した。
今の時期は、どこの連盟も決算と予算や事業計画の報告と案の資料作成の準備に入っている。山下さんもこの2カ月は多忙な時期だ。
私の方も、他人ごとではない。ソフトバレーボールの新年度のルールブックの第3次校正作業がある。3月の代議員会への提出書類がある。全国審判長会議と研修会の資料準備がある。
2012年1月20日金曜日
1/17(火) ソフトバレーの練習
先週は、練習始めであったが、仲間の1人がアキレス腱を断裂。応急処置や救急車を呼んだりで練習どころではなかった。従って、今夜が事実上の練習始めのようなものであった。今週末には、茨城県結城市にて55歳以上の部の招待試合があるので、参加する7人を中心にチームを組みゲーム練習を行った。
この夜、私は来季発売予定の締め付けタイプのアンダータイツを身につけて練習に臨んだ。どうも動きにくい。サイズがワンサイズ小さすぎたようで膝の屈曲がスムーズにいかない。私には、どうも最新の機能性アンダータイツは似合わないし、受け付けないようだ。似合うのは、ゲルマン民族タイプの手足の長いすらっとした体型の若い人だ。おじさんの私が身に付けると、股引(ももひき)のように見えるようだ。
そういえば、12月の末に新潟中央高校の合宿に行った時、新潟はとても寒かろうと熱発生タイプのアンダータイツを持参したのであった。布団に入る直前に私がタイツに着替えたら、高校の監督が可笑しさをこらえるようにして、口に手を当てて、こう言った。
「ナベさん、その姿はプロレスのラッシャー木村を彷彿とさせますね」
「失礼な奴だ。これを食らえ!」と、私は監督に両足とび蹴りをお見舞いした。
まったく、その場に女子高校生がいたら、眼をパチクリさせていただろうにね。男って子供なんですよ。幾つになってもね。
ソフトの練習から戻って、自宅に戻ったら、先週アキレス腱を断裂した仲間から経過連絡が入った。怪我をした翌日に手術を行い、きょうはギブスを取って金具の装置を付けて松葉杖で歩いているとのことであった。来週からリハビリに入るとも言っていた。最近の治療法が進んだのか、そこの病院の船橋整形が優秀なのか、私が9年前にアキレス腱を部分断裂した時と比べて2週間治癒力が早い。
この夜、私は来季発売予定の締め付けタイプのアンダータイツを身につけて練習に臨んだ。どうも動きにくい。サイズがワンサイズ小さすぎたようで膝の屈曲がスムーズにいかない。私には、どうも最新の機能性アンダータイツは似合わないし、受け付けないようだ。似合うのは、ゲルマン民族タイプの手足の長いすらっとした体型の若い人だ。おじさんの私が身に付けると、股引(ももひき)のように見えるようだ。
そういえば、12月の末に新潟中央高校の合宿に行った時、新潟はとても寒かろうと熱発生タイプのアンダータイツを持参したのであった。布団に入る直前に私がタイツに着替えたら、高校の監督が可笑しさをこらえるようにして、口に手を当てて、こう言った。
「ナベさん、その姿はプロレスのラッシャー木村を彷彿とさせますね」
「失礼な奴だ。これを食らえ!」と、私は監督に両足とび蹴りをお見舞いした。
まったく、その場に女子高校生がいたら、眼をパチクリさせていただろうにね。男って子供なんですよ。幾つになってもね。
ソフトの練習から戻って、自宅に戻ったら、先週アキレス腱を断裂した仲間から経過連絡が入った。怪我をした翌日に手術を行い、きょうはギブスを取って金具の装置を付けて松葉杖で歩いているとのことであった。来週からリハビリに入るとも言っていた。最近の治療法が進んだのか、そこの病院の船橋整形が優秀なのか、私が9年前にアキレス腱を部分断裂した時と比べて2週間治癒力が早い。
2012年1月18日水曜日
1/16(月) トヨタ自動車の張さんのお話を聞く
母校の大学院でゲスト講師の授業を聴講した。私が現役の時も、授業にスポーツに関係する企業の社長や会長がゲスト講師として訪れてきた。今夜は日本を代表する超巨大企業であるトヨタ自動車代表取締役会長(4代目)の張富士夫氏であった。張氏は、また昨年の4月から日本体育協会の会長職に就かれている。
張氏は、来月の2日に誕生日を迎えられ、75歳になられるという。雑誌などで良く見た八の字眉と吊りあがった細い眼が特徴的である。人生には数度、分かれ道があった・・・と青年時代に剣道の道に入ったことからお話が始まった。
その後、トヨタ自動車の前身である自動織機を発明した豊田佐吉氏やその子息の喜一郎の業績の話に移って行った。喜一郎氏が、自動社産業は「経済波及効果が高い」故に『産業報国(産業は国に報いる)』ができると唱え、「3年でアメリカのBIG3に追いつけ(生産性を上げろ)」との号令を出した。
当時のアメリカの生産性は日本の10倍であったが、米国人が10人でやることを、トヨタは1人でやろうと考えて実行した。
1943年に張氏はトヨタの生産方式を大野耐一さんから、更には鈴村さんから指導された。要は、無駄を省いて生産性を上げて行った訳である。 「仕事には付加価値があるが、無駄には付加価値がない」という。
特に印象に残った言葉は「『なぜ』を5回繰り返せ」ということであった。5W2Hとは、良く聞いた言葉であるが、トヨタにおいては、5wだけであると張氏は言った。つまり、トヨタの5wとは、『why、why、why、why、why?』のことである。そのことで、現象の裏にある原因が分かり、更にその原因の真の原因が分かる、ということだ。
原発のことにもアメリカと日本の違いのなかで触れた。アメリカにはリスク・マネジメントがあるが、日本にはない。そのことをケビン・メアーの本で知った、とも語った。
最後には、経営論からスポーツ論に話は移って、2コマ分180分のお話は幕を閉じた。最後に「勉学もスポーツも、価値は同じ」と言われたことが印象に残った。スポーツ部活で日本一になることより勉学で東大に入ることの方が大事と言っていたT高校の教員に聞かせたい言葉であった。
張氏は、来月の2日に誕生日を迎えられ、75歳になられるという。雑誌などで良く見た八の字眉と吊りあがった細い眼が特徴的である。人生には数度、分かれ道があった・・・と青年時代に剣道の道に入ったことからお話が始まった。
その後、トヨタ自動車の前身である自動織機を発明した豊田佐吉氏やその子息の喜一郎の業績の話に移って行った。喜一郎氏が、自動社産業は「経済波及効果が高い」故に『産業報国(産業は国に報いる)』ができると唱え、「3年でアメリカのBIG3に追いつけ(生産性を上げろ)」との号令を出した。
当時のアメリカの生産性は日本の10倍であったが、米国人が10人でやることを、トヨタは1人でやろうと考えて実行した。
1943年に張氏はトヨタの生産方式を大野耐一さんから、更には鈴村さんから指導された。要は、無駄を省いて生産性を上げて行った訳である。 「仕事には付加価値があるが、無駄には付加価値がない」という。
特に印象に残った言葉は「『なぜ』を5回繰り返せ」ということであった。5W2Hとは、良く聞いた言葉であるが、トヨタにおいては、5wだけであると張氏は言った。つまり、トヨタの5wとは、『why、why、why、why、why?』のことである。そのことで、現象の裏にある原因が分かり、更にその原因の真の原因が分かる、ということだ。
原発のことにもアメリカと日本の違いのなかで触れた。アメリカにはリスク・マネジメントがあるが、日本にはない。そのことをケビン・メアーの本で知った、とも語った。
最後には、経営論からスポーツ論に話は移って、2コマ分180分のお話は幕を閉じた。最後に「勉学もスポーツも、価値は同じ」と言われたことが印象に残った。スポーツ部活で日本一になることより勉学で東大に入ることの方が大事と言っていたT高校の教員に聞かせたい言葉であった。
2012年1月17日火曜日
1/15(日) 東洋高校さいかち会 新年会
東洋高校には外郭団体が4つある。同窓会、父母の会、さいかち会、そして3つの団体をまとめている後援会で構成されている。私は、さいかち会と後援会の2つに属している。さいかち会(父母の会OB,OG会)では副会長を、後援会では理事を務めている。
今夜は、さいかち会の新年会であった。さいかち会は父母の会OB,OGと理事長・校長・教頭・事務長で構成されている。来賓は他の外郭団体の会長である。新年会は、毎年、都内のホテルで開催される。実は、私はホテルでのテーブル席での新年会が苦手だ。新年会は畳敷きの大広間が良い。自由に移動して人の話に割り行って会話ができるからだ。
ホテルのテーブル席は、私にはどうも気取っているようで苦手である。2時間ほどで会が終わって、会場をいの一番に飛び出し、家路に急いだ。
今夜は、さいかち会の新年会であった。さいかち会は父母の会OB,OGと理事長・校長・教頭・事務長で構成されている。来賓は他の外郭団体の会長である。新年会は、毎年、都内のホテルで開催される。実は、私はホテルでのテーブル席での新年会が苦手だ。新年会は畳敷きの大広間が良い。自由に移動して人の話に割り行って会話ができるからだ。
ホテルのテーブル席は、私にはどうも気取っているようで苦手である。2時間ほどで会が終わって、会場をいの一番に飛び出し、家路に急いだ。
2012年1月15日日曜日
1/14(土) 大学院の新年会
1年半ぶりに、大塚にある大学院を訪れた。地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅を降りて地上に出ると、懐かしい風景と完成した高層マンションの姿が目の前に広がった。東京では、2年間も経つと景色が一変するものだ。変わらないものと変ったものを見比べながら校門から校舎に入って行った。
大学院の校舎も、2年前までは東京教育大学時代の建物を放送大学と一緒に使用していて、全面改築の間は、神田の方に移転していた。完成したばかりの新校舎に入ると、どこかのホテルのようにロビーは空間が広く取られてあり、アカデミックの匂いはなかった。講義室はガラス張りで中の授業の様子は、外から丸見えだ。
この日は、通常の授業が、朝から行われており、講師は大学院修了者が非常勤講師として務めていた。これは、新しい試みということだ。きょうの講師はJOC(日本オリンピック委員会)で職員をされている1期生の方であった。
教員の先生方にも久しぶりにお会いした。女子柔道界の女三四郎と命名され世界の大舞台で活躍された山口香さんも、母校のこちらで准教授で教壇に立っている。山口先生となつかしさで暫く談笑した。
夕方から、3年前に創設した同窓会総会に出席した。その後、近くの大衆酒場懇親会となった。参加したのは30名ほど。大学院は、今年の春に10期生を迎える。毎年30数名の社会人(平均年齢40歳)が入学してくる。私は4期生である。この夜、同期は私を含めて2名だけであった。大学の教員や職員、日本体育協会、JOC、競技団体職員、元オリンピック選手、現役ナショナルチームの監督など多士済々だ。
皆さんとの情報交換の中で、私が最年長のOBであることが改めて判明した。そして、私の定年後には、私には時間がたっぷりとあるであろうということで、どうも私に同窓会の事務局的な活動を期待しているのが分かった。社会の第一線で活躍されているこれだけの人材を、ただ単にネットワークを繋げているだけでなく、有機的に活用できないであろうかという期待・希望が出てきた。今春から専攻科長の任に着くであろう私の指導教官でもある菊幸一先生からも、新たな学会設立のお話も飛び出た。
定年後の方が多忙になるであろう私ではあるが、世話役は決して嫌いではないので、お引き受けするつもりだ。アカデミックな場所もたまにはいいものだ。1つの事象を、複眼的に研究、検証することはコーチ学のためにも必要なことだ。
来週の月曜日には、授業にゲスト講師としてトヨタ自動車、前会長の張氏が見えるとのこと。これは聴きに来ないといけない。一番前で聴講しよう。
大学院の校舎も、2年前までは東京教育大学時代の建物を放送大学と一緒に使用していて、全面改築の間は、神田の方に移転していた。完成したばかりの新校舎に入ると、どこかのホテルのようにロビーは空間が広く取られてあり、アカデミックの匂いはなかった。講義室はガラス張りで中の授業の様子は、外から丸見えだ。
この日は、通常の授業が、朝から行われており、講師は大学院修了者が非常勤講師として務めていた。これは、新しい試みということだ。きょうの講師はJOC(日本オリンピック委員会)で職員をされている1期生の方であった。
教員の先生方にも久しぶりにお会いした。女子柔道界の女三四郎と命名され世界の大舞台で活躍された山口香さんも、母校のこちらで准教授で教壇に立っている。山口先生となつかしさで暫く談笑した。
夕方から、3年前に創設した同窓会総会に出席した。その後、近くの大衆酒場懇親会となった。参加したのは30名ほど。大学院は、今年の春に10期生を迎える。毎年30数名の社会人(平均年齢40歳)が入学してくる。私は4期生である。この夜、同期は私を含めて2名だけであった。大学の教員や職員、日本体育協会、JOC、競技団体職員、元オリンピック選手、現役ナショナルチームの監督など多士済々だ。
皆さんとの情報交換の中で、私が最年長のOBであることが改めて判明した。そして、私の定年後には、私には時間がたっぷりとあるであろうということで、どうも私に同窓会の事務局的な活動を期待しているのが分かった。社会の第一線で活躍されているこれだけの人材を、ただ単にネットワークを繋げているだけでなく、有機的に活用できないであろうかという期待・希望が出てきた。今春から専攻科長の任に着くであろう私の指導教官でもある菊幸一先生からも、新たな学会設立のお話も飛び出た。
定年後の方が多忙になるであろう私ではあるが、世話役は決して嫌いではないので、お引き受けするつもりだ。アカデミックな場所もたまにはいいものだ。1つの事象を、複眼的に研究、検証することはコーチ学のためにも必要なことだ。
来週の月曜日には、授業にゲスト講師としてトヨタ自動車、前会長の張氏が見えるとのこと。これは聴きに来ないといけない。一番前で聴講しよう。
2012年1月13日金曜日
1/13(金) ソフトバレーボールの本が出版される!

勤務先のある神田には、書店が並んでいる。町で本を売っているところは「本屋」という。街で本を売っているところを「書店」という。書店の方が本屋より大きい。従って、古書を扱っているところは「古本屋」という。出版社も多い。小さな出版社から大手の出版社まで神田界隈には沢山ある。
本日は全日本女子元監督の岩本洋先生から呼び出されて新宿まで行った。西口交番の前で会って、そこで紹介されたのが、大手出版社の編集者2人の方達であった。そして、落ち着いて打ち合わせのできるところに移動した。コーヒー好きの先生らしく、入ったお店は本格的な喫茶店であった。1杯で昼食のランチが食べれる金額である。
打ち合わせは、ソフトバレーボール愛好者のために画像を沢山入れた解りやすい『確実に上手になるソフトバレーボール』(仮題)の出版のお話であった。確かに、今まで出版されている本は、指導者用のテキストの類で、字が多く、写真が少ない。もっと上手になりたいという一般の愛好者のための本がなかった。
さっそく、打ち合わせが始まり、発行は5月と決まった。写真撮りは2月中旬。行きがかり上、私が中心となって原稿を書くことになった。私からの提案で、まず編集者の方に実際のソフトバレーボールを経験して頂くことにした。墨田区の全国大会にも数度出場した経験のあるチームに連絡したら、20日(金)夜7時の練習に来てください、との承諾を頂いた。
なにやら、定年前になって、慌ただしくなってきた。編集者が帰った後、岩本先生はニコニコして、チーズ・ケーキセットを注文された。1セットで夕食代のお値段である。この後に、実はバレーの戦術に関する深~いお話があった。先生が小田急チームの監督として、日本リーグ(現在のVリーグ)で久光と戦った時の「落ちるサーブの使い方」に関する成功事例のお話であった。詳細は・・・また明日にしましょうか・・・。
(画像は、久しぶりに読者のKさんから送られてきた大黒天さまの像です。品川の七福神をお正月に回ってきたということです)
1/12(木) 東京アメリカン・クラブって知っていますか?
午前中は、月に1回訪問する、千代田区のセレブママさんチームの指導。きょうは、明治大学バレー部OBの市川さんという方がお手伝いに見えられていた。この方、御年74歳のはずなのに、スポーツクラブで運動の力テストを受けてみたら、なんとデータは47歳を示していたとのこと。練習最後の40分間は6対6でゲームを行ったところ、この方は昔取った杵柄でチェストパスで楽楽とレシーブしてしまう。表情にはプレーしながら笑みさえ浮かべている。 「ママさん達、君達は、真似したら駄目だよ。これは昔のバレーの技術だからね」と、孫のような40歳代前後のママさん達に言い聞かせている。しかし、あのスキルはマネしようにもできない高等技術だ。
練習を終えて、千代田区体育館近くの行きつけの中華料理店でメンバーと一緒に昼食を採った。市川さんはアキレス腱を両足断裂している。そこのところが私と共通点。
「市川さん、運動能力が高い人は、アキレス腱を切るんですよね」
「君は、良く分かっているね。そうなんだよ。お陰でジャンプ力が30cm落ちてしまった」
「え~っ、それでも、あんなに動きが敏速なんですか?」
「君ね、松平なんて慶応にいたけど、あんなもんじゃないよ、僕は」 それから、20分間、往年の名選手の名前が後から後から出てきた・・・。
午後になって、港区にある東京アメリカン・クラブを訪問した。私は、3月に定年退職を迎えるが、そのアメリカン・クラブで指導者を募集しているということを友人から聞いて応募していて、きょうが一次面接の日であった。地下鉄日比谷線の神谷町駅を下車して10分ほど歩いて行くと、眼の前に警官隊が大勢集まっていた。何事かあったか?と辺りを見回してみたものの、通行人はゆったりと歩いているだけ。更に、辺りの上方を見上げてみると、国旗がなびいている。ロシアの国旗だ。なんとロシア大使館であった。
警備の警官に聞いてみた。
「東京アメリカン・クラブはこのあたりでしょうか?」
「はい、このお隣です」
なんと、ロシア大使館の隣にアメリカ合衆国関係の5階建ての建物がある?それって何?なんで? そんな疑問を抱きながら、正門まで行くと、大きな警備員室があって大男が立っていた。要件を言うと、入口が2つあるから、手前の方から入ってくださいと丁寧な口調で答えてくれた。警備員室から入り口まで100mあった。プレートの文字は当たり前だが全て英語だ。ここはアメリカだ。
受付では、日本語で面会の要件を伝えた。出迎えてくれたのは日系らしいチャーミングな女性だ。受付から更にクネクネと廊下を曲がりmeeting roomに入った。そこには、またまた妙齢の女性が待っていた。その後お二人の説明で概要が判った。都内にある数校のアメリカンスクールの中・高校女子生徒にバレーボールを週2回指導して欲しいということであった。曜日は金曜日と日曜日の夕方から2時間。条件は、指導は全て英語でお願いします、ということであった。
「私の英語は、大丈夫です。まかせなさい!」
お二人は、それを聞いて安心したようだ。バレーボールは1895年にアメリカ合衆国で発明されたスポーツである。バレーボールの専門用語は英語。大丈夫!ハリーポッターを原書で読んでいる成果をいよいよ発揮する時である。(しかし、私って、ラテン系ですな・・・ハリーだって、まだ1巻しか読んでいないのに・・・) その後、体育館に案内され、5階にあるプールも案内して頂いた。25mプールを覆う透明なドーム屋根からは、直ぐ近くにある東京タワーが見えていた。晴れた日には富士山まで見えるらしい。
2時間ほど、東京アメリカン・クラブにいて、従業員出口から退出した。次回は、ここからお入り下さい、と言われたものの、次回の二次面接に呼ばれるのかどうか・・・?
(画像は、オレンジ色にライトアップされた東京タワー。この姿はスカイツリーより美しい。お二人の面接官も美しかった。はたして、採用されて、週2日、同じ所でこの東京タワー見ることができるのであろうか・・・?)
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