先週末に行われたボクシング‘Fight of the Century' (世紀の対戦)には、世界各地で色々な反応を示しました。
驚いたのは、一国の首相が、この試合に賭けをしていたことを公然と発表したことです。新聞報道によると、その首相は負けた側に賭けていたようです。そして、あの試合の判定には納得していない、引き分けだ、と主張して、掛け金の3,300ポンド(60万円)は支払わない、と言ったとのことです。
慌てた、政府のスポークスマン(報道官)は、「あれは、首相がいつも言っている冗談です」と釈明しました。いずれにしろ、政府高官は冗談を公の場で発言するのは控えたほうがよろしいと思います。特に批判的な冗談は、冗談が冗談で済まされなくなり場合があります。
こういう時に英国の故チャーチル元首相は、どのようなエスプリの効いたスピーチをしたであろうか想像してみたくなります。
2015年5月6日水曜日
2015年5月4日月曜日
04,April 2015 Boxing 世紀の対戦
普段は、私はボクシングにはあまり興味がありません。しかし、今回は気になりました。
気になった理由は2つあります。1つは、やはりファイトマネーが合わせて2億ドル(約244億円)という驚くような金額だからです。たった1日1回だけの試合での賞金としては史上最高ではないでしょうか。
もう1つは、5階級制覇のメイウェザー(米国)と対戦するボクサーを、知識としてですが、知っていたからです。対戦者のパッキャオ選手は、史上2人目の6階級制覇している、フィリピンでは知らない人がいないというほどの英雄です。
パッキャオ選手(36歳)は、フィリピンのスーパースターです。それも単なるスポーツマンとしてではなく、2010年からは下院議員としても活躍しています。スポーツ長者番付けでは常に上位にランクされ、その収入によって貧困層の生活・教育支援や、雇用促進による自立支援を行っています。
フィリピンは、これまで数多くの世界チャンピオン・ボクサーを輩出してきましたが、現役時代の栄光とは裏腹に、引退後は零落したチャンピオンたちも少なくありません。その点、彼は社会の弱者に手を差し伸べています。恐らく、ご両親の教育が良かったのでしょう。
アジアで、アセアン諸国の中で彼を知らずしてスポーツを語ることはできません。
昨日の対戦で、彼は判定で敗れました。試合後のインタビューで、敗因は右肩の故障が完治していなかったからと語りました。試合を延期することも考えたが、彼は断行したと言っていました。この対戦の企画は、5年前には決まっており、いまさら延期とは、周囲が許さなかったのであろう。
30代後半に入ろうという時の身体の故障は、回復に時間がかかるものです。しかし、故障なく試合に臨むのがトップアスリートです。不運というのであれば、運も味方に付けるのがトップアスリートです。
敗退したとはいえ、パッキャオはフィリピンの英雄です。かたや、また無敗のボクサーになったメイウェザーは勝利者ですが、今後の人生では勝利者として歩み続けられるでしょうか?
All good things must come to an end. (よいことは全て終わるもの)
余計なことですが、メイウェザーもこのあたりで引退するのが日本的な「花道」というものなのかも知れません。反対に、とことん負けるまで現役を続けるというのも彼なりの「花道」なのかも知れませんね。
小心者の私には、ビッグすぎる二人の心境は正直なところわかりません。
気になった理由は2つあります。1つは、やはりファイトマネーが合わせて2億ドル(約244億円)という驚くような金額だからです。たった1日1回だけの試合での賞金としては史上最高ではないでしょうか。
もう1つは、5階級制覇のメイウェザー(米国)と対戦するボクサーを、知識としてですが、知っていたからです。対戦者のパッキャオ選手は、史上2人目の6階級制覇している、フィリピンでは知らない人がいないというほどの英雄です。
パッキャオ選手(36歳)は、フィリピンのスーパースターです。それも単なるスポーツマンとしてではなく、2010年からは下院議員としても活躍しています。スポーツ長者番付けでは常に上位にランクされ、その収入によって貧困層の生活・教育支援や、雇用促進による自立支援を行っています。
フィリピンは、これまで数多くの世界チャンピオン・ボクサーを輩出してきましたが、現役時代の栄光とは裏腹に、引退後は零落したチャンピオンたちも少なくありません。その点、彼は社会の弱者に手を差し伸べています。恐らく、ご両親の教育が良かったのでしょう。
アジアで、アセアン諸国の中で彼を知らずしてスポーツを語ることはできません。
昨日の対戦で、彼は判定で敗れました。試合後のインタビューで、敗因は右肩の故障が完治していなかったからと語りました。試合を延期することも考えたが、彼は断行したと言っていました。この対戦の企画は、5年前には決まっており、いまさら延期とは、周囲が許さなかったのであろう。
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| (AFPBB News より。試合後のプレス・インタビューで故障していた右肩に手をやるPacquiao) |
30代後半に入ろうという時の身体の故障は、回復に時間がかかるものです。しかし、故障なく試合に臨むのがトップアスリートです。不運というのであれば、運も味方に付けるのがトップアスリートです。
敗退したとはいえ、パッキャオはフィリピンの英雄です。かたや、また無敗のボクサーになったメイウェザーは勝利者ですが、今後の人生では勝利者として歩み続けられるでしょうか?
All good things must come to an end. (よいことは全て終わるもの)
余計なことですが、メイウェザーもこのあたりで引退するのが日本的な「花道」というものなのかも知れません。反対に、とことん負けるまで現役を続けるというのも彼なりの「花道」なのかも知れませんね。
小心者の私には、ビッグすぎる二人の心境は正直なところわかりません。
2015年5月3日日曜日
03,May 2015 久しぶりに日曜日はアパートメントでくつろいで
今週末は、練習がなく、普段できなかった資料作成などができました。
午後に、知り合いのドライバーのトゥクトゥク(バイク牽引のカンボジア名物の乗り物)に乗って、10分ほどの所にあるショッピングモールのイオンに買い物に行きました。
お目当ては、扇風機でしたが、あいにくと卓上でこれといって欲しいものはありませんでした。お店の副店長が日本人ですので、彼に頼んで良いのが入荷したら知らせて欲しい旨を言い残して、その後、食料品フロアにいきました。3,000円ほど買いだめをして、待たせたあったトゥクトゥクに乗り込みアパートメントに戻ってきました。
扇風機を購入する理由は2つです。1つは電気代の節約です。この国の電気代は日本の2倍ほどします。隣国から電気を買っている国ですから、電気代は高いのです。停電もよくします。私のアパートメントは、自家発電モーターを備え付けているので、停電による影響はほとんどありません。
もう1つの理由は、私がクーラーをあまり好きではないからです。暑い時は、少し汗をかくぐらいがちょうど良いと思っています。あまり快適すぎる環境は人間の抵抗力を低下させるので良くないと思っています。そこで、我慢できないような暑さの時は、扇風機の風に当たれば十分と思っています。
プノンペン市の今日の最高気温は37度でした。5月末まで、乾期が終わるまで、このような気温が続きます。市内を歩くときは、帽子とサングラスは必携です。それでも、私の顔も浅黒くなってきました。お風呂に入るときに、自分の裸体を観察すると、顔と前腕と膝下だけが日焼けして黒くなっていて、胴体だけ生白いのです。何か、別の生き物のようです。
午後に、知り合いのドライバーのトゥクトゥク(バイク牽引のカンボジア名物の乗り物)に乗って、10分ほどの所にあるショッピングモールのイオンに買い物に行きました。
お目当ては、扇風機でしたが、あいにくと卓上でこれといって欲しいものはありませんでした。お店の副店長が日本人ですので、彼に頼んで良いのが入荷したら知らせて欲しい旨を言い残して、その後、食料品フロアにいきました。3,000円ほど買いだめをして、待たせたあったトゥクトゥクに乗り込みアパートメントに戻ってきました。
扇風機を購入する理由は2つです。1つは電気代の節約です。この国の電気代は日本の2倍ほどします。隣国から電気を買っている国ですから、電気代は高いのです。停電もよくします。私のアパートメントは、自家発電モーターを備え付けているので、停電による影響はほとんどありません。
もう1つの理由は、私がクーラーをあまり好きではないからです。暑い時は、少し汗をかくぐらいがちょうど良いと思っています。あまり快適すぎる環境は人間の抵抗力を低下させるので良くないと思っています。そこで、我慢できないような暑さの時は、扇風機の風に当たれば十分と思っています。
プノンペン市の今日の最高気温は37度でした。5月末まで、乾期が終わるまで、このような気温が続きます。市内を歩くときは、帽子とサングラスは必携です。それでも、私の顔も浅黒くなってきました。お風呂に入るときに、自分の裸体を観察すると、顔と前腕と膝下だけが日焼けして黒くなっていて、胴体だけ生白いのです。何か、別の生き物のようです。
02,May 2015 わが故郷酒田市でプレミアVリーグを目指して新チームが始動
私の故郷は山形県酒田市(人口9万人)です。
高校時代まで、そこで育ちました。高校を卒業しても、就職した会社がスポーツ関係でしたので、毎年数回は故郷の得意先であるスポーツ店やバレーボール協会、体育協会関係者にお会いしていました。特に酒田市のソフトバレーボール関係者との縁は、年々強くなっていく一方です。
2003年長崎インターハイに山形県代表で出場した県立酒田中央高等学校女子バレーボール部には、私も県予選会直前にアドバイザーで関わりました。監督は私の高校時の後輩でしたので、結構アドヴァイスもズバズバ直球で行うことができました。そのチームを、私は関東でもトップクラスの高校チームに連れて行き、合宿を繰り返しました。それが功を奏したようです。チームは30数年ぶりに全国大会出場を決めました。
勿論、一番頑張ったのは、選手達と遠征費を出してくれた親御さんたちです。そして、遠征を決断した後輩の監督です。
勿論、一番頑張ったのは、選手達と遠征費を出してくれた親御さんたちです。そして、遠征を決断した後輩の監督です。
昨年夏ごろから、酒田市に新たに6人制の女子バレーチームが発足するらしいという噂は聞いていました。そして、準備を重ねて、ようやく本格的にスタートしたようです。
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| (朝日新聞より転載) |
4月29日の朝日新聞、県内版に酒田市をホームにした新たに結成された女子バレーチームが紹介されていました。まずは、下位のチャレンジリーグⅡへの参戦に向け、この4月から本格的に活動を始めたということです。
チームを結成した母体は酒田市でコールセンターを運営するプレステージ・インターナショナル(本社・東京)という企業です。
私にもお手伝いする機会があれば、喜んで協力致します。
01,May 2015 日本サッカー協会に学ぶ
昨日、バーレーンで行われた国際サッカー連盟FIFA理事選挙で日本協会の田嶋幸三副会長(57)がトップ当選を果たしました。
田嶋さん、いや田嶋先生とは、面識があります。実は、私が54歳で大学院に社会人入学した理由の一つに、そこの大学院に当時日本サッカー協会の技術委員長(バレー協会で言うと強化委員長)として活躍されていた田嶋先生が准教授でいらっしゃったからです。
現場でも活躍されている方にスポーツマネジメントの話を聞くのは、非常に興味がありました。私は「理論」と「現場」は別物と考えています。そして理論は現場から生み出されると思っています。その意味で、書店に並んでいる理論書は、経営書もそうですが、既に過去のものになっており、参考になっても、今の最先端の現場に必ずしも当てはまるものではないと考えています。
新しい実学であるスポーツマネジメントの理論も、従って現場でいま何が起きているのか、何をしようとしているのか、そこから新しい理論が構築されます。大学での研究者の任務の一つです。
残念ながら、田嶋先生は、私が入学した後期に大学を去り、協会の仕事だけに専念することになりました。そしてしばらくして、専務理事を経て副会長に就任、アジア連盟理事にも就任し現在に至っています。同期生たちからは、田嶋先生は、近い将来、日本サッカー協会を牽引する立場に就く人で、そのようにサッカー協会は人材育成を計画的に進めている、との情報も聞きました。
田嶋さん、いや田嶋先生とは、面識があります。実は、私が54歳で大学院に社会人入学した理由の一つに、そこの大学院に当時日本サッカー協会の技術委員長(バレー協会で言うと強化委員長)として活躍されていた田嶋先生が准教授でいらっしゃったからです。
現場でも活躍されている方にスポーツマネジメントの話を聞くのは、非常に興味がありました。私は「理論」と「現場」は別物と考えています。そして理論は現場から生み出されると思っています。その意味で、書店に並んでいる理論書は、経営書もそうですが、既に過去のものになっており、参考になっても、今の最先端の現場に必ずしも当てはまるものではないと考えています。
新しい実学であるスポーツマネジメントの理論も、従って現場でいま何が起きているのか、何をしようとしているのか、そこから新しい理論が構築されます。大学での研究者の任務の一つです。
残念ながら、田嶋先生は、私が入学した後期に大学を去り、協会の仕事だけに専念することになりました。そしてしばらくして、専務理事を経て副会長に就任、アジア連盟理事にも就任し現在に至っています。同期生たちからは、田嶋先生は、近い将来、日本サッカー協会を牽引する立場に就く人で、そのようにサッカー協会は人材育成を計画的に進めている、との情報も聞きました。
そして、その通りに田嶋先生は、アジアサッカー連盟AFCの中から選ばれる国際サッカー連盟(FIFA)理事選挙でトップ当選しました。今後2019年までの4年任期のFIFA理事として日本では4人目のFIFA理事が誕生しました。
この背景には、2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致成功も大きかったと思います。しかし、それ以上に私が評価したいのは、日本サッカー協会が長年続けているアジア貢献事業で派遣した日本人指導者がアジアの発展途上国で成果を出していることです。
カンボジアのサッカーナショナルチームの新監督も、この4月から日本サッカー協会派遣の小原さんが就任しました。ASEAN地域では、他にベトナムも日本人です。
この背景には、2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致成功も大きかったと思います。しかし、それ以上に私が評価したいのは、日本サッカー協会が長年続けているアジア貢献事業で派遣した日本人指導者がアジアの発展途上国で成果を出していることです。
カンボジアのサッカーナショナルチームの新監督も、この4月から日本サッカー協会派遣の小原さんが就任しました。ASEAN地域では、他にベトナムも日本人です。
日本バレーボール協会も1980年代は、アジアバレーボール連盟の会長、副会長はじめ理事、そして国際バレーボール連盟でも副会長、各委員長に多くの日本人役員が要職についていました。
その背景には、日本が強化の面でアジアをリードしていたことは勿論ですが、日本協会が政府の事業(外務省、JICA、国際交流基金、国立大学、民間企業)と一体になってアジアバレーボールの普及と強化に人的支援を継続的にやっていたことがありました。
2000年前後から日本バレーボール協会のアジア貢献事業は下降していきました。そして、現在、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けての「sports for tomorrow」という国の事業と連携し世界のバレーボール発展途上の国々に指導者を派遣して行こうと動きが再び具体的に出てきました。
日本人指導者の評価はもともと世界的に高い評価を受けています。日本人指導者の指導は緻密です。そして相手の立場を理解して指導することができます。日本のバレーボールを指導するのではなく、相手国のスポーツ環境に配慮して、世界標準のバレーボールの基本を丁寧に指導します。
そのような指導者は、日本に沢山います。課題は、語学です。高度の理論や多くの経験を持っていても、伝える手段としての語学力(コミュニケーション力)が乏しいと指導力も半減します。
老いも若きも、指導者はアジアに出て行って欲しい。欧州や南米、アフリカ、アラブも良いのですがアジアだって「世界」なのです。これからの世界バレーの指導者は日本人が多い、と言われるようになりたいものです。そして日本協会が彼らの支援をしてあげて欲しいと思っています。
1980年代は、日本サッカー界が日本バレー界をお手本にして学習しました。今度はバレー界がサッカー界から学習する番です。そして、次はスポーツ界が他の世界から学習する番になります。
その背景には、日本が強化の面でアジアをリードしていたことは勿論ですが、日本協会が政府の事業(外務省、JICA、国際交流基金、国立大学、民間企業)と一体になってアジアバレーボールの普及と強化に人的支援を継続的にやっていたことがありました。
2000年前後から日本バレーボール協会のアジア貢献事業は下降していきました。そして、現在、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向けての「sports for tomorrow」という国の事業と連携し世界のバレーボール発展途上の国々に指導者を派遣して行こうと動きが再び具体的に出てきました。
日本人指導者の評価はもともと世界的に高い評価を受けています。日本人指導者の指導は緻密です。そして相手の立場を理解して指導することができます。日本のバレーボールを指導するのではなく、相手国のスポーツ環境に配慮して、世界標準のバレーボールの基本を丁寧に指導します。
そのような指導者は、日本に沢山います。課題は、語学です。高度の理論や多くの経験を持っていても、伝える手段としての語学力(コミュニケーション力)が乏しいと指導力も半減します。
老いも若きも、指導者はアジアに出て行って欲しい。欧州や南米、アフリカ、アラブも良いのですがアジアだって「世界」なのです。これからの世界バレーの指導者は日本人が多い、と言われるようになりたいものです。そして日本協会が彼らの支援をしてあげて欲しいと思っています。
1980年代は、日本サッカー界が日本バレー界をお手本にして学習しました。今度はバレー界がサッカー界から学習する番です。そして、次はスポーツ界が他の世界から学習する番になります。
30,April 2015 セネガルのバレーボール関係者が接近してきて・・・
1週間前に、ナショナルチームが練習している会場に、1人の長身の黒人が姿を現した。
カンボジア人ではないことは、肌の黒さでわかった。英語できる人はいませんか?というので、私が対応した。聞けば、彼はセネガルから来ており、カンボジアのバレボールに興味があるという。
そのときは、それだけ話して彼は体育館を出て行った。
そして、本日、彼から電話が入った。私に会いたいという。一瞬、彼に会うか会うまいか戸惑った。とりあえず、後でこちらから電話すると伝えた。1週間前の彼の物腰や表情を思い出そうとした。危険な匂いは感じられなかった。
会うだけなら問題はなかろうと思い、練習後の夕方に彼の宿泊しているホテルに訪ねて行った。ホテルは、川沿いにある外国人バックパッカーが宿泊する安宿街の一角にあった。このあたりのホテルは一般的に○○ゲスト・ハウスという名称になっており、1泊1,000円ほどである。
ホテルの近くのCafeでジュースを飲みながら、英語とフランス語(セネガルの公用語)を交えて、彼の話を聞いた。職業は、旅行代理店や輸出入業、そしてバレー選手が海外でプレーする場合の代理人業。セネガル人は身長が高く、腕が長い、しかし優秀なコーチがいない。選手達の月収は、月4万円ほど。職場は、スペインのバルセロナ、セネガル、そしてここプノンペンの3都市を2カ月毎に移動しながら業務をこなしている。
私をセネガルで雇いたいと言って、私の年俸は幾らかと聞いて、彼は絶句した。無理もない。セネガルは、最近、世界の最貧国からようやく低所得国に格上げになったばかりの国である。国民一人あたりの年収も10万円程度でカンボジアより更に低い。
彼は、私を雇うことを断念し、代わりに短期のワークショップ(講習会)を開催する場合に来てくれるかという話に移った。それに対しては、私は「現在はエボラ熱とかの問題も貴国にはあるし、第一に私の契約しているスポンサーの承諾が必要」と答えておいた。
いずれにしろ、カンボジアにいてアフリカのバレー事情を知ることになろうとは思ってもいなかった。
カンボジア人ではないことは、肌の黒さでわかった。英語できる人はいませんか?というので、私が対応した。聞けば、彼はセネガルから来ており、カンボジアのバレボールに興味があるという。
そのときは、それだけ話して彼は体育館を出て行った。
そして、本日、彼から電話が入った。私に会いたいという。一瞬、彼に会うか会うまいか戸惑った。とりあえず、後でこちらから電話すると伝えた。1週間前の彼の物腰や表情を思い出そうとした。危険な匂いは感じられなかった。
会うだけなら問題はなかろうと思い、練習後の夕方に彼の宿泊しているホテルに訪ねて行った。ホテルは、川沿いにある外国人バックパッカーが宿泊する安宿街の一角にあった。このあたりのホテルは一般的に○○ゲスト・ハウスという名称になっており、1泊1,000円ほどである。
ホテルの近くのCafeでジュースを飲みながら、英語とフランス語(セネガルの公用語)を交えて、彼の話を聞いた。職業は、旅行代理店や輸出入業、そしてバレー選手が海外でプレーする場合の代理人業。セネガル人は身長が高く、腕が長い、しかし優秀なコーチがいない。選手達の月収は、月4万円ほど。職場は、スペインのバルセロナ、セネガル、そしてここプノンペンの3都市を2カ月毎に移動しながら業務をこなしている。
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| (セネガルは、アフリカ大陸最西端に位置している。鉱物資源としては金や鉄鉱石が採掘されている。もし、私がセネガルに行って講習会講師を引き受けたら、謝礼金は$ではなく金(ゴールド)になるかも知れないが・・・まさかね) |
私をセネガルで雇いたいと言って、私の年俸は幾らかと聞いて、彼は絶句した。無理もない。セネガルは、最近、世界の最貧国からようやく低所得国に格上げになったばかりの国である。国民一人あたりの年収も10万円程度でカンボジアより更に低い。
彼は、私を雇うことを断念し、代わりに短期のワークショップ(講習会)を開催する場合に来てくれるかという話に移った。それに対しては、私は「現在はエボラ熱とかの問題も貴国にはあるし、第一に私の契約しているスポンサーの承諾が必要」と答えておいた。
いずれにしろ、カンボジアにいてアフリカのバレー事情を知ることになろうとは思ってもいなかった。
2015年5月1日金曜日
28,April 2015 クラブチームの練習試合に同行
ナショナルチームのかくになる選手達は、プノンペン市内で活動している「内務省チーム」から8人選考しています。
内務省チームといっても、選手達は警察官候補生ですので、一般的にチームは「警官チーム」と呼ばれています。この国では、完全選抜のナショナルチームは作れません。理由は、地方クラブの選手を多く選考すると、彼らがなかなか合宿に集合してくれないからです。それ故に、まず1つのクラブチームを核にして、そこに数名(今回は4名)地方からスーパーパースター的な選手を入れています。
きょうは、その核になる警官チームに地方のプレイベン(Prey Veng)のクラブチームから親善試合の招待状が来て、私も同行することにしました。
プノンペンを朝6時に出発して、ベトナムのホーチミン市の方向に車を走らせました。途中、メコン川を渡りました。ここには総事業費121億円のほぼ全額を日本が無償で供与した「つばさ橋」が完成し、2015年4月6日に開通しました。着工から完成まで5年かかったと聞きました。それまでは、フェリーが半日かけてメコン川を往復していました。
橋を渡るとプレイベン州でした。時間は7時30分。朝食をカンボ人たちが入っているレストラントに入りました。若いお坊さんたちも隣のテーブルで朝食を採っていました。
そこから更に45分ほど車を走らせ、会場に着きました。着いたとたんに、スポーツセンター(スポーツ省の下部組織)から電話が入り、今日の2時から東南アジア大会に出場する役員・スタッフの採寸を行うので集まってください、と例のごとく突然の招集連絡が入りました。
そこで、試合の方は観戦せずに、着いたその場からプノンペン市に引き返すことにしました。警官チームのコーチには、私から「今日のゲームは、勝たねばならない試合とは違うので、ナショナルチームのフォーメーションで警官チームをプレーさせて欲しい」とお願いしました。
夜になって、警官チームの選手から報告が入り、3‐1で勝利したとのことでした。選手達は、ナショナルチームのフォーメーションの方がミスが少なくなると肌で感じていました。指導者達のほうが学習不足なのです。どこが不足しているのか理解できないというところが、実はカンボジア・バレーボール指導者達の課題なのです。
内務省チームといっても、選手達は警察官候補生ですので、一般的にチームは「警官チーム」と呼ばれています。この国では、完全選抜のナショナルチームは作れません。理由は、地方クラブの選手を多く選考すると、彼らがなかなか合宿に集合してくれないからです。それ故に、まず1つのクラブチームを核にして、そこに数名(今回は4名)地方からスーパーパースター的な選手を入れています。
きょうは、その核になる警官チームに地方のプレイベン(Prey Veng)のクラブチームから親善試合の招待状が来て、私も同行することにしました。
| (プノンペンからプレイべン州の中心まで車で凡そ2時間) |
プノンペンを朝6時に出発して、ベトナムのホーチミン市の方向に車を走らせました。途中、メコン川を渡りました。ここには総事業費121億円のほぼ全額を日本が無償で供与した「つばさ橋」が完成し、2015年4月6日に開通しました。着工から完成まで5年かかったと聞きました。それまでは、フェリーが半日かけてメコン川を往復していました。
| (この橋の完成のおかげで、タイからベトナムへの物流にかける時間が大幅に短縮される。経済効果は相当に大きい) |
橋を渡るとプレイベン州でした。時間は7時30分。朝食をカンボ人たちが入っているレストラントに入りました。若いお坊さんたちも隣のテーブルで朝食を採っていました。
| (カンボジア朝食の定番。醤油が日本のキッコーマンであったのには驚いた) |
そこから更に45分ほど車を走らせ、会場に着きました。着いたとたんに、スポーツセンター(スポーツ省の下部組織)から電話が入り、今日の2時から東南アジア大会に出場する役員・スタッフの採寸を行うので集まってください、と例のごとく突然の招集連絡が入りました。
| (会場を見たが、この国でよく見るコンクリートの床であった。怪我防止のためにも 表面に薄いラバーを被せて欲しい) |
そこで、試合の方は観戦せずに、着いたその場からプノンペン市に引き返すことにしました。警官チームのコーチには、私から「今日のゲームは、勝たねばならない試合とは違うので、ナショナルチームのフォーメーションで警官チームをプレーさせて欲しい」とお願いしました。
夜になって、警官チームの選手から報告が入り、3‐1で勝利したとのことでした。選手達は、ナショナルチームのフォーメーションの方がミスが少なくなると肌で感じていました。指導者達のほうが学習不足なのです。どこが不足しているのか理解できないというところが、実はカンボジア・バレーボール指導者達の課題なのです。
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