2012年9月29日土曜日

Sat.Sept. 29,2012 「梅ちゃん先生」最終回

 NHK朝のTVドラマ「梅ちゃん先生」が今日で最終回を迎えた。視聴率は毎週1位~3位であった。平均視聴率が20.7%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と、朝ドラとしては、9年ぶりに20%を超えた。私もドラマがスタートしたときから観ていた。朝は何かと忙しかったので録画で観ていた。

 朝ドラらしく、深刻な場面は出てこない。それでも敗戦から立ち上がって経済成長を支えた庶民の生活が生き生きと描かれていた。視聴率が高かったのは、私のようにドラマに当時の自分を重ねて観ていた団塊の世代周辺の方達が多かったからではないであろうか。私の好きな役者は大学病院の医者の役で頑固者、融通の利かない親父役の高橋克実さん(51歳)である。38歳までまったく売れない役者であったが、司会業、NHK土曜ドラマ「フルスイング」で人気が定着してきた感がする。年の割りに頭部が見事に光っているが、これをご自分の武器とすれば、ますます活躍できる役者さんであろう。
(画像は当時の社宅に良く似た光景。こんなに立派ではなかった)

 あの頃は、隣近所、みんな助け合って生活していた。また、そうして生活するのが当たり前であった。ドラマの中でもお互いにオカズを持ち寄ったり食料品を譲り合ったりしていた。私の中学・高校生時代は父の勤務先の鉄鋼会社所有の社宅に住んでいた。当時の社宅は、家々が壁1つで5家族ほど仕切られ繋がって1棟を成していた。江戸時代の長屋の昭和版である。お隣の兄弟喧嘩など壁を通して良く聞こえてきたものである。親1人子1人の私の家族は、父が組合活動の長期出張で留守の時は、お隣のお風呂に入れさせてもらったり、夕ご飯をご馳走になったり、大変お世話になった。
 お隣のご夫婦は、残念ながら既に他界されたと聞いている。恩返しもできないままに時だけが過ぎていったことに忸怩たる思い である。息子さんとは年賀状を交わしている。10年前に横浜のほうで自営されているので、今度会ってみたいと思う。

Thu.Sept. 27,2012 互いの違いを知ることから理解は始まる

   日本と中国・韓国との関係が壊れかけている。東アジアの領土をめぐって日中、日韓の対立が深刻化している。しかし、国家間の政治矛盾と我々スポーツ人は別と考えている。確かにスポーツは政治に利用され翻弄されてきた歴史がある。先週も、東アジアで開催された多くの国際大会で日中韓の選手が安全性の確保のために大会参加を取りやめた。

  作家の村上春樹さんが日中韓文化交流への影響を憂慮するエッセーを朝日新聞に寄稿した。その中で、村上さんは、今回の件を「それは安酒の酔いに似ている」と書いている。「安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ」。そして「そのような中国側の行動に対して、どうか報復的行動を取らないで頂きたい。『我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない』という静かな姿勢を示すことがてきれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。それは、まさに安酒の酔いの対極に位置するものとなるだろう。安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはいけない」。

  我々スポーツ界の仲間は、こんな安酒を飲むような人間ではない。我々は歴史的にも政治的にも、近くて遠い国である。お互いの違いを明確に認識しながら美酒を酌み交わす機会を数多く設けることで、近くて近い国の関係を築くことができる。
  中国の南京市には私のバレー仲間がいる。彼も今回の件には心を痛めている。大方の国民は冷静である。




2012年9月27日木曜日

Wed.September 26,2012 英会話教室通いを再開 

  昨夜、我がソフトバレークラブの定期練習に行った。3週間後には、宮城県加美町総合体育館で開催される「全国年輪ねんりんピック」ソフトバレーボール交流大会(60歳以上)に出場する。
                                            (マスコットのむすび丸)
 
まだまだ、サーブ練習が足りない。あれこれ、サーブ練習メニューを考えながら体育館に入ると、女性達がニコニコしている。脇にはトロフィーが2つ飾ってあった。先週の23日(日)、私が秋田県に講習会で行っていた日に船橋市民秋季ソフトバレー交流大会が開催され、40歳以上のミックスの部と50歳以上のレディースの部でダブル優勝しました、と総監督の私に報告があった。

 「なかなかやるじゃないか!すごいね~」
 我がクラブのメンバーは、実は誉めるとますます頑張るタイプのメンバーが多い。さてさて、優勝して自信のついたプレーを見せてもらおうと、早速ゲーム形式での練習を行ったら、これがまったく体が動いていない。日曜日のゲームでスタミナを使い果たしたのか、エネルギーが充足されていない。まあ、しょうがないか・・・。

 最近、40歳代の女性のメンバーがポツポツと3、4人、新規入部者が増えてきた。コートは、まだ2コート空いているので4コート全てソフトバレー愛好者で埋まると壮観だなあ・・・。

 今夜、御茶ノ水にあるアテネ・フランセの英会話教室(冬季講習)を申し込んで、早速、授業を受けてきた。久しぶりに2時間、ネイティブ(アメリカ人)の英語に触れての授業は心地よかった。頭の中の脳がシェイク(振られる)されたようで、脳神経がパチパチ火花を出し始めた。初対面のクラスの仲間6人とこれから12月まで週2回(月・水の夜)の学習を頑張ろう!
 
 

2012年9月25日火曜日

Tue.September 25,2012 岩田三郎さん ご逝去

岩田三郎さんが亡くなられた。1924(大正13)年生まれだから享年88歳。初めてお会いしたのは、今から18年前にソフトバレーボールの会場だった。50歳以上の交流大会であったが、岩田さんだけ大会参加者で最高齢の70歳。スパイクは、牛若丸のように、ふあっと跳躍してピッ!とタッチ攻撃を決め、ひらりと床に微動だにせず降り立つ。派手なガッツポーズもなく、どちらかと言うと、はにかんでいる少年のようだ。

 バレーを始めたのは藤沢商業(現藤沢翔陵)に入学した37(昭和12)年。卒業後、早大に進学、第1回全日本学生バレー選手権で優勝。身長172cmの甘いマスクと華麗なプレーで男子バレー界のプリンスと言われた。当時のコートは屋外であったが、田園コロシアムの会場には多いときで1万人もの岩田ファンが押しかけたと伝説になっている
 早大卒業後は、日本鋼管に入社して黄金時代を作った。現役引退後は日本鋼管女子、早稲田大学女子バレー部の監督も歴任された。その後、晩年は神奈川県ソフトバレーボール連盟名誉会長としてソフトバレーの普及にも貢献。お亡くなりになる直前までソフトバレーの現役選手であった。座右の銘は「生涯現役」。

 通夜は、本日執り行われた。告別式は、明日9月26日に和田湘南斎場で12時から行われる。
岩田さんのことだから、天国でも田園コロシアム以上の多くのファンの前でソフトバレーの妙技を軽やかに披露して楽しんでいることでしょう。
 合掌
  

Mon.September 24,2012  アッシー

   私が中学生の頃、TV番組に「名犬ラッシー」という長寿番組があった。シェパード犬で、見た目も利口そうで、人語も理解しているかのようであった。
  私は、午後からカミさんのお買い物の「アッシー」、つまり運転手として、横浜市中区にある元町に出かけた。元町(もとまち)というところは、オシャレなお買い物をする地域として熟女の方々にはメッカのようなものである。横浜という街は、日本が最初に本格的に文明開化した土地柄(1859年横浜港開港)で、洋風な建物や街並みが多い。かと思うと、お隣の山下町には中華街が接していたりして面白い街だ。
  元町の近くまで来て駐車場を探した。ナビゲーターであるカミさんの言葉どおり車を走らせても、なかなか目的地に行かない。ウロウロしながら、「外人墓地」や「海の見える丘公園」「フェリス女学院大学」などよく知られた名所、建物などの側をいくつも通り過ぎた。「迷犬アッシー」はカミさん語を良く理解できない。自分の嗅覚を頼りに進んだら駐車場が易々と見つかった。
 
  元町は、今週がセールの真っ最中で50歳代を中心に熟女グループが歩行者天国のストリートをあの店、この店と物色して歩く様は、圧巻である。三周ぐらいストリートを歩き回ると両手に買い物袋が一杯になっている。
  凄まじきなるかな、熟女のお買い物は!
 カミさんも、3周以上歩き回って、結局、バッグ老舗のKitamuraで買い物をして、両手にずっしりとぶら下げて駐車場にいる私の元に戻ってきた。その後、道路を挟んでお隣の町の横浜中華街に食事に行った。

  16年ほど前は、この近くにある横浜市立港商業女子バレー部のアドバイザーを3年間やっていた。チームは熱心な監督の指導が実って、岩手インターハイに見事初出場した。当時、その監督に教えてもらった場末であるが美味しい中華料理店を探した。しかし、同じようなきらびやかな装飾の料理店が並ぶ中華街では16年前の記憶では役に立たなかった。時間も夕暮れになってきたので、適当な店を選んで入った。お客は月曜日ということもあるのか、ここのところのギクシャクとした日中関係を反映してか少なかった。
 あの当時の監督は、全国大会に出場して2年後に学校を辞めた。私は仕事が忙しくなり、アドバイザーを辞退して3年後だ。あれから、もう既に13年経った・・・。

2012年9月24日月曜日

Sun.September 23,2012 ソフトバレーボール・リーダー養成講習会 in秋田

受講者は34名。男女比がほとんど同じくらい。平均年齢は若く30歳代後半。最近のリーダー養成講習会受講者の特徴そのものである。バレーボール経験者は凡そ半分。私個人的には、バレーボール未経験者が更に増加してくれると嬉しい。

 昨日の講義の時間では、パソコンとプロジェクターを使い講義が進められていった。私が主任講師で講義を行う場合、5年ほど前からITを活用して、今回のように受講者にわかり易い講義をするために文字だけでなく画像を盛り込んで行う方式に改めてきた。私の要望が叶わない県連盟もあったが、ここ秋田県連盟は、吉田理事長がお勤め先の会社で日常的にパソコンを使いこなしているので問題なく機器を揃えてくれた。


会場は、秋田市郊外にある北部市民サービスセンター。昨年できたばかりとあって、3階建ての内部は大学の講義室のようで内部に窓は無く、壁がほとんどガラス張りになって廊下から部屋の活動が良く見える。我々の講習会は1Fの小ホールで行われたが、まるでミニ・シアターのようでスクリーンは大きく、天井は明るく高く、ステージまでもある。


 昨日の夕食は、官公庁街の近くにある東北地区最大の郷土料理店が並ぶ「川反(かわばた)通り」で連盟の役員と一緒に歓談しながら頂いた。地鶏の比内(ひない)地鶏、時期は早いが、高級魚の鱩(ハタハタ;別名 かみなりうお;今回は冷凍もの)。そしてきりたんぽ鍋と稲庭(いなにわ)うどん。きりたんぽの美味しい季節は、勿論冬場であるが、今の時期は新米を使ったものでこれが一番美味しいと地元の人は言う。

 県協会からは2年前に会長に就任された山本先生が出席された。ソフトバレー連盟の会合に県協会の会長が出席されるのは、今回が初めてのようだ。どうやら、バレー談議のために私に会いに来られたようだ。2年ぶりの再会であった。

 実は、仕事の関係で、私は山本先生が県立角館南高校女子バレーボール部監督時代からお付き合いさせて頂いている。第2回全国春の高校バレー決勝戦で同じ東北勢同士の岩手県立高田高校と戦ったことは今でも語り草になっている。そのときのエースアタッカーでその後、日立・全日本で活躍しモントリオールでは金メダリストの荒木田裕子さんも教え子である。ロスの銅メダリストの利部(かがぶ)さんも教え子である。その名指導者の山本先生が夕食会に入ったことで座が一層賑やかになりバレー談議に花が咲いた。

 本日の実技ではj受講者の平均年齢30歳後半の特徴が反映され、元気なプレーにこちらも触発され、少しレベルを上げてしまった。初心者指導法のカリキュラムなのに、ジャンピング・スパイク・サーブの指導までやってしまって、少し反省。
 来年の10月に、秋田県連盟は、秋田市にて日本ソフトバレーボール連盟と一緒になって、全国ソフトバレーボール交流大会を企画している。全国大会を企画の段階から行うということは大きな苦労を伴うことであるが、そのことが秋田県連盟の今後の血肉になっていくことは間違いないことなので是非とも成し遂げて頂きたい。連盟会長の近江さんと新理事長の吉田さんとのコンビは東北ブロックの中で新風を吹き込んでくれるに違いない。

2012年9月22日土曜日

Sat.September 22,2012 秋田市に飛ぶ 

 本日は、日本バレーボール協会主催のソフトバレーボール・リーダー養成講習会講師を務めるため秋田市に飛行機で飛んだ。羽田発の朝早い便なので、自宅を6時ごろ出た。駅まで愛車の「ママチャリ号」で・・・いえいえ、今日からはコンパクトな折りたたみ式の「ミッキー号」で颯爽(さっそう)とペダルを踏んだ。なんと、ミニサイクルなのに変速機が付いているので楽チン!我輩の身体にも変速機が欲しい!実は、次女の所有物であったのを、私が是非にとも三顧の礼をもって拝み倒して、手に入れた新車同然の自転車である。車体には次女の好きなミッキーの絵がプリントされているところが私とミスマッチか?。

 半年間の短い期間の付き合いであったが、カミサンから頂いた「ママチャリ号」は、マンションの管理人が処分してくれることになった。どうやら、「ママチャリ号」は、管理人の知人に解体されて、アジアの遠くの国でまた活躍するようだ。ボロボロで錆(さ)びちゃった「ママチャリ号」、今まで尽くしてくれてありがとう!

 羽田空港を発って、1時間5分で秋田空港に着いた。うとうとする暇もない。空港では、今年度から秋田県ソフトバレーボール連盟二代目理事長に就任した吉田さんが待っていた..
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