新年を迎えたと思ったら、もう2月も3日を余すあまり。私の誕生日は、2月27日なのだが、2月29日であったならうるう年でなければ年を取らないので、どうやって年齢を計算するのか、どうでもいいことだが、毎年この時期になると、ふとそんな気苦労が頭を横切る。
週明けには、会社にて55歳以上の社員対象に60歳以降のセカンドライフの説明会がある。企業年金、厚生年金はどうだこうだのお話である。
来年の今頃の私は、定年退職1か月前の身である。実は、先月から「おじさん就活」を始めている。体育系大学の学長や実業団元監督さんに相談にお伺いし、金メダリストたちとも協働している。指導の現場でまだまだ働けるので、海外チームから国内の私立学校までを対象に指導者として就職活動中である。世界と戦うチーム作りを拠点を設けてやりたいと考えている。できればVのチームを拠点に、地域の行政、協会、学校、医学部のあるスポーツ学部のある大学と連携して日本バレー界に貢献できる組織作りをやりたい。対象とする範囲は関東か東北としたい。何か、良い情報があればすぐに飛んでいくので、宜しくお願いしたい(tkwatana@mizuno.co.jp)。
どうも私は、人生の後半に頑張るタイプであるようだ。『論語』の孔子先生に言わせると、40歳にして惑わず、だそうだが、私は40歳でも惑っていた。もっとも、それまでは寄り道ばかりで、ちゃらちゃら生きてきたから、大人になり始めるのが遅かったのであろう。
40歳頃から、人の一生が見えてきた。同時にバレーボールの指導も解りかけてきた。一般の6人制女子バレーボールチームを創って全国大会に連続で出場した。ソフトバレーボールをやり始めたのもその頃だ。JVAの公認講師に推薦されたのもそれからしばらくしてからだ。その時はJVAで最年少の講師で、各地で年配の受講者に意地悪な質問をされては鍛えられた。教えることは学ぶことである、ということをその時学んだ。
さてさて、明日は指導者仲間で国際連盟インストラクターの足立さんとお会いし、彼が業者と企画している市販用のDVD制作のお話を伺う。その後は千葉市の我がママさんチームの練習である。
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