本日は、千葉市に登録しているチームの2部の試合があった。参加チーム数は16チーム。2回戦に勝てば、新年度は1部に昇格する。我がチームのレフトエースが参加できなくなり、戦力ダウンを余儀なくされた。結果は1回戦敗退であった。
試合後、各人にゲームで良かったところ、課題点を述べてもらった。その後、皆でファミレスにて昼食を取り帰宅した。
敗北から学ぶところはたくさんある。次のゲームでその学習成果を出してもらうことを期待して自宅で焼酎を飲んでいる。アルコールは焼酎でも100ccで100カロリーある。ファミレスで3杯、自宅で3杯で600kal。高脂血症改善には、まだほど遠いか・・・。
世間では、大相撲の八百長騒動でマスコミが騒々しい。相撲はスポーツか?私に言わせれば、スポーツではない。相撲は、昔から興行である。プロレスと同じ興行である。つまり、筋書きの入り込む余地のある格闘技である。「八百長」という言葉も江戸時代の相撲から出てきた言葉(八百屋の長兵衛さんが仕組んだ出来レースが発祥)であって、今に始まった言葉ではない。従って、相撲協会は、公益法人から外れて通常の法人組織で運営していけばよい。相撲が日本の国技と良くいわれるが、国技であると日本のどこの組織が定めているのか誰も知らない。
「歌舞伎の『双蝶蝶曲輪(ふたつちょうちょうくるわ)日記』の『角力場(すもうば)』の場面は、タニマチ筋への恩義のため濡れ髪長五郎(ぬれがみちょうごろう)が放駒長吉(はなれごまちょうきち)に勝ちを譲るその心の葛藤を描いている。両力士とも実在の人物で「放駒」は現在も相撲部屋として残っている(『続スポーツ解体新書 』玉木正之著2010年より)」。その名前を継承している人が現在の相撲協会の現理事長の放駒親方(元関脇魁傑)である。歴史の巡り合わせと言うか何と言うか、現放駒親方も昨年に続く相撲界の存亡の危機に心を痛めていることであろう。午後の会見の放映を見る限り、眼の焦点が虚ろで合っていない。
昔の八百長には、情があった。今の八百長は金儲けの為である。マスメディアはこの点にくらいついている。この八百長騒動が賭けごとと結びついていると刑罰の対象になる。こうなると、相撲協会はどん底に突き落とされる。NHKでの放映も1年間以上取りやめになるであろう。弟子への体罰・死亡事件、横綱朝青竜品格問題、野球賭博、そして八百長と相撲協会は窮地に立たされた。
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