2012年3月28日水曜日

3/25(日) 千葉県バレーボール協会 理事会に出席



 毎年、JVA審判規則委員会第2日目と千葉県バレーボール協会理事会の開催日は重なる。そして、いつも審判規則委員会第2日目の6人制実技研修会の方を欠席している。

 千葉県バレーボール協会理事会で今月頭にあったJVA指導普及委員会での事項を報告し、閉会後帰ろうとしたら、県ママさんバレー連盟(新年度、家庭婦人連盟から改称)会長の藤間さんから呼び止められた。

 「ナベさん、これ届けてくれない?」

 この人の笑顔には、誰も断れない。昨日の話題に出させていただいた月岡先生からの依頼を「北風」とすると、藤間さんの依頼は「太陽」のようなもので、あったかい・・・。

 見ると、モントリオール金メダリスト達の中でも私が懇意にして頂いている白井貴子さんと飯田高子さんのプレー中の写真が綺麗に撮られてあった。何でも同じ市内に住む元プロカメラマンで全日本チームに帯同された方から藤間さんが託されたということだ。

 中には、飯田さんの結婚式のカラー写真もあった。丁度、来週の金曜日に飯田さんが指導する三郷ママチームに伺う予定であった。白井さんの10代の写真もあった。これは、お宝だ。

(画像は、その中の一枚。AKBのメンバーの観戦風景ではありません。誰が誰だかわかりますか?先月、惜しまれながら亡くなったコーチの米田さんも写っていますね。懐かしいですね・・・。彼女たちの服装に注目して欲しいですね。休日の試合観戦の場合、当時ほとんどのチームはジャージで体育館に来ていましたが、日立中心の全日本女子のメンバーは私服で来ていました。これは山田監督の指示でした。女性としてのファッション感覚を磨きなさいという指示でした。彼女達もお洒落できるということです。そして、山田監督はそのファッションセンスから選手達の個性を読みとって行ったのでしょうね。山田監督らしい細かな配慮と戦術ですね)

3/24(土) JVA審判規則委員会 会議に出席

JVA日本バレーボール審判規則委員会会議に日本ソフトバレーボール連盟の審判規則委員長として出席した。この会に出席するようになって、今年で6年目になる。新委員長である水谷先生の挨拶に始まり、指導部、登録部、規則部の各部長が平成23年度報告、平成24年度計画を述べていく。内容は、主に6人制のルールに関してだ。
 審判委員会には同じ部署の規則部員以外あまり見知った顔はいない。但し、上層部の役員に顔見知りが多いのは、今までの勤務先の関係で国際大会などで知り合えたお陰である。その中の1人にインストラクターの月岡先生がいらっしゃる。
 実は、月岡先生は東京の東洋高校男子バレー部の第1期生にして主将であった。最初の監督を「あんた向いていない」と就任即座に辞めさせた逸話の持ち主である。先生は、その後、日本体育大学に進学し、バレー部ではなく応援団部に入った。卒業して攻玉社高校で保健体育の教員として就職。進学校ながら男子バレーを率いて関東大会にも数度出場。審判の世界では、日本リーグ(現在のVリーグ)で多くの試合を吹かれた。この先生の判定には、名プレーヤーといえども誰も素直に従う。審判台の上の月岡先生には、質問すらしてはいけないという神々しさ(恐ろしさ?)が漂っている。そして、一歩審判台を降りると、豪快な笑いで辺りを煙に巻く。
 東洋高校男子バレー部の祝勝会などでは、いつもニコニコされて昔話を聞かせてくれる。いつも、いつまでも東洋高校男子バレー部の行く末を案じて頂いている。国体と春高バレーでは日本一になった。次はインターハイでの日本一が残っている。月岡先生が元気なうちに新監督の赤羽先生の手で優勝を成してげて欲しい。

3/23(金) 東京アメリカンスクールチームの指導もあと2回



 本日と明後日で計12回の指導(Winter session:冬期)が終了する。本日は、学校が終業式ということで、子供たちの練習参加が10名とメンバーの約半分。子供達は恐らく家族と旅行か食事にでも出かけたのであろう。それにしても、欠席の届け出が事前にないことにたいしては多少立腹した。このようなことも含めて、子供たちに指導していかねばならない。技術の指導の前提は、『規律』の指導なのだから。そのためには、なぜ『規律』が必要か子供たちに英語で説明しなければならない。日本語でも説明が難しい・・・むむむ。 

 クラブの管理責任者からは、次のSpring session(春期:4月~6月の金・日)のコーチも依頼された。今度は、高校生のチームも追加された。

(画像は、帰りにいつも見る東京タワー。今夜は、タワーのオレンジカラーが雨に煙ってしっとりと溶け込んでいる)

2012年3月22日木曜日

3/20(火) 大学院の科長が退官






今日は、春分の日。午前中は、御茶の水にあるアテネフランセにて英会話初級教室を受けた。受講者は、私を入れて五人。講師は英国出身の三十代の女性。英国英語と米語の違いも分かり面白い。

三時間程、英語のシャワーを浴びて大学院に行く途中で先ほどまで教室に一緒にいた受講者の二人と顔が会った。お二人とも、身なりから見て間違いなくセレブの奥様方だ。どちらからともなくランチに行きましょうか、と英語が出た。それからスタバに入ってからは、残念ながら日本語で英語の五倍のスピードで会話が進展した。教室では、私も結構積極的に話しているが、教室外では私の方が聞き役だ。お陰で、四月以降の科目選択の役に立った。

ランチを終えて、退官される先生方の最終講義のある大学院に急いだ。夕方からは、近くにある茗溪会館で御祝いの会に出席した。多くの懐かしい同窓生に再会した。九州から出て来た人もいた。私の同期の四期生は三人いた。

二次会まで行きたかったが、本の校正作業もあるので、万歳三唱の後すぐに退出した。二週間前は、私も送られる立ち場にあった。三月の日本は、どこでも同じような光景が繰り広げられるのであろう。

(画像はお祝いの会の様子。退官される先生方はまだ六十歳代。他の私立大学やご自身の研究所で研究を継続される。私も後に続かなくては)






3/19(月) 「ソフトバレーボールの本」校正に入る

本日からiPhoneにて、作成する。スマホを購入して三週間になろうとしている。ここのところ多忙で更新が遅れ気味であった。このブログは、私の生存証明のようなものである。三日でも更新がないと、「お~い、ナベさん生きているか?」と、静岡県方面の中学校の先生から電話がくる。今日からは、電車中でもサクサクっと更新ができる。
さて、ソフトバレーボールの本の校正が始まった。今週中に初校をしなければいけない。審判関係のハンドシグナルの画像を撮ってもらっている時に、思い出した。今日から金曜日迄、毎日午前中は、英会話教室を集中して受講する予定だった。受講料は払い済みだ。花粉症の所為か、いやいや、初老のせいか、スケジュール管理が確認できていない。
こういう時は、睡眠に限る。それにしても、なんかせわしないね。しかし、これも自分が決めたこと。やるっきゃない。



2012年3月21日水曜日

3/18(日) ソフトバレー全国審判長会議・研修会の開催



全国からソフトバレーボール県連盟の審判長や理事長が集まって会議と研修会を開催した。会議は、過去2回開催されているが、実技を伴った研修会は、連盟創設23年目で初めてのことだ。昨年も開催の準備を進めていたが、3・11の震災で中止となった。
 今年は、会場探しが難航した。開催2か月前になっても、卒業式などで学校が借りられない。主要な公立の体育館内の会議室やサブアリーナも来年の東京国体開催の影響なのか予約が既に満杯。参加者の交通の便宜を考えて都内の民間の会議室を探したが、価格が高く、時間だけが過ぎ去っていった。こうなったら、身銭を切ってでも会議室と体育館を借りるしかないと思っていたところに、朗報が東京都ソフトバレー連盟副理事長の吉井さんから届いた。JR原宿駅から歩いて3分のところにある渋谷区立外苑原宿中学校さんが視聴覚室と体育館を貸してくれるということであった。吉井さんや学校の関係者の顔が仏のお顔に見えた。有難し!
 主任講師には、日本バレー協会の吉村先生をお迎えした。吉村先生は、日本ソフトバレー連盟が立ちあがったときから、ルールブックの編集に現在でも携わって頂いている。ソフトバレーのルールの歴史をこの方ほど知っている人はいない。3日前に先生が校長を務めている大阪の高校で入試を終えたばかりで多忙であったのに、資料も作成して頂き、日帰りで主任講師を務めて頂いた。
 モデルチームも、短い時間帯であったが、「自分達も勉強できますから、お手伝いさせていただいてありがとうございます」と吉村先生の指示に従ってプレーして頂いた。
 会議・研修会の為に、思いがけず大きな横幕を作成して送って頂いた北海道連盟の前理事長の逸見さんにも感謝申し上げたい。
 多くの人たちに支えられて、初めての全国審判長会議・研修会は閉幕した。ホッとした・・・。一番感謝するべきは、出席してくれた全国の審判長・理事長・会長さん達だ。このあと、まとめとしての報告書を作成して送付することで終了としなければいけない。まだ、気を緩めることはできない。
 JR原宿駅で皆さんとお別れして、タクシーに飛び乗り、港区にある東京アメリカンクラブに急いで向かった。アメリカンgirlsへのバレーの指導が18:00から始まる。

(画像は、体育館での研修会の様子。吉村先生は、持参したスピーカー付きの拡声器で実技を行った。ワイヤレスマイクの設備のないところでも、これだと声が良く通る。3万円ほどするという・・・もう少し安くなると私でも手が出るのだが・・・)

3/17(土) 日本ソフトバレーボール連盟の代議員会開催

1年に1回、この時期に開催される代議員会。各都道府県ソフトバレーボール連盟の代表者である理事長もしくは会長が出席し、日本連盟の前年度事業報告と新年度の事業計画が述べられ審議、承認される。
 代議員会に先立ち、午前には理事会が開催された。MRS登録数が毎年減少している。個人的な見解であるが、この日本バレーボール協会の制度は、ソフトバレーのような生涯スポーツの団体には向いていないようだ。登録の仕方がITを通じて行うということが障壁となっている。対策として、従来のような紙媒体での県連盟を通じての登録(但し、個人情報保護の観点から登録者ご本人の承諾を得て県連盟役員が登録作業を行う)を昨年から行ってきた。今年度からは、個人個人でなく、チーム全体としての登録もできるようになった。登録の仕方の改善だけでなく、登録のメリットを訴えることも大事だ。全国大会予選会に出場できるだけでなく、魅力のある県交流大会、講習会、研修会の開催も工夫が必要だ。
 夕方から、一部の有志が集まり、「サミット会」なる懇親の会を開催した。この会は、既に10年ほど開催している。出席者は北海道から九州まで全国各地から理事長さん、会長さんが集まり、日本のソフトバレーの活性化のために賑やかに議論している。例年は12名ほどの参加者であったが、今回は約20名ほど集まり、情報交換した。
 賑やかな話の中で、昨年1月に突然亡くなった宮城県連盟理事長で全国ブロック長代表でもあった三浦さんのことを思い出していた。参加者全員が私と同じ気持ちであったことであろう。あえて、この会の中で三浦さんの名前を出さなくとも、皆、三浦さんが我々の側にいつもいることを感じている。こんな時、三浦さんだったらどうするだろう、何て言うだろう。三浦さんは、いつも我々の側にいて見守っている。

2012年3月20日火曜日

3/16(金) アメリカンgirls 進歩してきたぞ

毎週金曜日と日曜日の夕方から1時間半は、港区にある東京アメリカンクラブでmiddle school girls volleyball teamの練習日である。今回も、先週日曜日に引き続きassistantのyokoさんが来てくれた。
 最近、このブログの読者から、メールが来て「渡邉さん、watanabe girlsを立派に育ててくださいね」と励ましのmailが届いた。世間には、「山ガール」というトレッキングする女性達を称する可愛らしい造語もできたが、watanabe girlsとは面白いことを言うもんだと妙に感心した。そして、私の方のgirlsは本物のgirlsなんだね。日本でいうと、小学6年生から中学2年生のキャピキャピgirlsなんだ。私の孫みたいなものだ。
 きょうは、スパイクの基本の壁打ちを指導した。壁に向かって、1人で連続してボールを打つ練習である。正確には、壁に打つのではなく、床にボールを打って、壁に跳ね返させて連続して打つやり方である。”Hit the ball into the floor!”と指示して、選手一人一人の側に行って”Snap your Wrist!”と大きな声でコーチした。正確な発音で、大きな声でコーチすることを心がけている。
 Mini gameでは、5 on 5を行った。人と人の間にボールがまだ落ちてしまい、ラリーが続かない。ボールを誰が捕るのかの状況判断と自分が捕るよとの意思表示の声の指導が必要だ。”Mine!”や”I got it!”と言わせているが、まだまだ直ぐには出てこない。いわゆる「お見合い」が多い。
 指導者には何より情熱が必要だが、知識(理論)も必要だ。選手に納得させる話術、論理的な 説明が欠かせない。そのためには、私には英語力をもっと、もっとつけなければならない。

2012年3月19日月曜日

3/13(火) オジサンはIT武装で進化

初老の私の身体は進化しようにも老朽化してきた。そこで、進化を続けるIT産業界のパワーを借りて私自身の進化を図ろうと、大型電器店にIT機器の買い物に出かけた。
 なにせ、退職前までは、会社のモバイルパソコン、携帯電話、カラープリンターは使い放題とまではいかなくとも、結構活用させて頂いた。私の退職後の我が部・課の使用料金は、間違いなくガクンと削減されていることであろう。
 しかし、これから私は自営業者のようなもの。私用のパソコン、携帯を備えなければならない。携帯は昨年亡くなられたスティーブ・ジョブズ氏に敬意を表しiphone S4を購入した。まだ使い方が良く解らない。大体説明書がいたってシンプルすぎてわからない。結局は書店でマニュアル本を買うしかなかった。タッチ式なので、時々指が震えるだけで違うアイコンにタッチしてしまい、余計な時間がかかってしまう。同じ人に間違い電話を何度もかけてしまったことも始めはあった。
 さて、電器店では、東芝の春モデルのノートパソコンを購入した。10万円以上するもので目が飛び出たが、安いものは早く壊れてしまうということもあるし、一級品のパソコンで二流の頭脳の私を支えてもらおうという作戦をもっているので購入した。ついでに、両面即座に印刷できる最新のCANON製のプリンターも購入した。
 そのどさくさにまぎれて、同行してきた家内が洗濯機を購入した。10万円はする。洗濯機は家内のためというよりは、主夫労働も行う私の為でもあるらしい。ああ・・・、そのうち家事労働が少しずつ私の方に移行してくるのであろう・・・。私は暇ではない!・・・と声高々に叫んでも、毎月決まった給料が振り込まれなくなった少額年金生活者には意外と冷たい。家内は、私のパートで支えているんですから、と言わんばかりに、帰宅すると「ああ・・・疲れた」を連発する。
 帰りがけに、グリーンジャンボくじを20枚購入して、家内に手渡した。
「これで5億円当たる確率があるから、宜しく!」
 すかさず家内からの反撃があった。「何言ってんのよ!?今までで宝くじ1回も当たったことないじゃないの!?」
 反撃の反撃で「今度は初めての大当たりだよ。Ha、Ha、Ha・・・当たった時の心配をしておけ!」
反撃の反撃の反撃で「何言ってんだか・・・?」

2012年3月15日木曜日

3/12(月) 毎日が日曜日!どころではない。

定年になっても、やることは多い。今日は、健康保険証の書き換えで、市役所で家内の所得証明書を申請し、それを持って年金事務所に行き、手続きを行った。
 数日後には、離職届が自宅に届き、最大150日間の失業保険の申請に出かける。企業年金の申請もあった。携帯のデータ移行もしなければならない。多くの友人・知人達は、会社の携帯やパソコンが全く通じなくなって当惑していることであろう。
 明日は、パソコンも買い替えて新規プロバイダーに登録して新しいe-mailアドレスを取得する。来週には、定年退職の通知と在職中の御礼の正式な葉書を印刷して郵送する。
 おっと、週末には日本ソフトバレーボール連盟の理事会・代議員会と全国審判長会議・研修会が開催される。日本ソフトバレーボール連盟として審判関係の実技研修会を各都道府県の審判長に集まって頂いて開催するのは連盟創設23年目にして初めてのことだ。何としても成功させたい。

3/11(日) My assistantは、オリンピック銅メダリスト

毎週金曜日と日曜日の夕方に、アメリカンスクールのmiddleのgirls(日本の小学生6年生~中学2年生に相当)にバレーの指導を始めた。全員、初心者の子供達で私の年代からは孫に当たる。アメリカ人の子供達に指導するのも初めてなら、初心者に指導するのも船橋市で小学生バレーチームを4年前に立ち上げて以来。ましてや、Englishで指導するというのが条件。英語での指導は、こちらとしても願ってもないことで、8月に試験されるFIVBインストラクターの候補者としての試験対策になる。しかし、英語での指導はhardだ。通常の英会話であれば、さほど問題はないのであるが、子供たちに納得させ、専門用語を教え、練習のやり方を訓練するのは中学生時代に取った英検3級レベル程度の日本人には難しい。
 そこで、先週、ランチをご馳走したバルセロナオリンピック銅メダリストのヨーコ・ゼッターランドにアシスタントをお願いしたのであるが、なんと彼女は二つ返事でOKしてくれた。子供達は同じUSAの女子バレーメダリストを目の前で見て興奮気味であった。18名一人一人に銅メダルを手渡した。
 私は子供達に(勿論、英語で)言った。
 「皆も将来オリンピックに行って欲しい。他のスポーツでもよい。君達の子供達でもよい。オリンピックに出場して欲しいなあ」
 ヨーコのおかげで、子供たちに動機付けができたようだ。その後の練習はスムーズに行った。そして、ヨーコは久しぶりに英語で指導したと言っていたが、英語の巧さに舌を巻いた。さすが、USAナショナルチームで2回オリンピックに出場しただけある。大したもんだ!

2012年3月14日水曜日

3/10(土) 江戸川区バレー協会主催ママさん教室へ

今年で、私が講師を引き受けて、5年目になる。昨年は震災の翌日に開催される予定であった。午前10:00の開講式で3・11の1日前であるが、受講者48名と一緒に1分間の黙祷をささげた。
 教室の内容は、事前に受講者の方々から頂いた要望事項に沿って進めていった。今年の講師は私1人だけであった。女性アシスタントに声をかけたのであるが、あいにく卒業式シーズンでもあり、私1人でやらざるを得なかった。それでも、協会の指導普及委員の方々に積極的に協力して頂き、自己評価75点ぐらいで乗り切った。
 いつものことながら、ママさんチームには専門のコーチが付いているチームは稀なので、基本技が疎(おろそ)かになっている。例えば、スパイクレシーブの練習を行う前提として、転び方(滑り方)をマスターしておかなくてはならないのであるが、それができない。従って、遠くのボールを追いかけるときや瞬間的に床すれすれのボールに体を投げ出してのレシーブができない。また、バランスを崩して床に転ぶ時も顔や腰、膝からまともに床に打ち付ける場合も出てくる。柔道で、まず受け身を学ぶように、ママさん達もバレーの受け身であるスライディングや横転をまずは覚えたほうが安全に楽しくボールを追いかけ回すことができる。きょうは、このあたりの基本練習を少し長めにやった。
 講習後に、役員20名ほどで反省会を行い、更には発声練習(カラオケのこと)を10名ほどで行い、2年振りに江戸川区バレー協会役員の皆さんと交歓できた。

3/9(金) きょうは、定年退職の日



 26歳で途中入社したミズノ(株)を去る日がやってきた。34年間サラリーマン人生を送らせていただいた。途中、山あり谷あり、会社を辞めるかもしれないような危機も数回あった。その度、危機を救ってくれたのは、家族、同僚、バレー仲間、社外のご意見番の方達であった。

 一緒に定年を迎えた、高卒から42年間、勤務された先輩社員の方が言っていた。

 「同期の入社の人間で、女性は寿退社でほとんど辞めていったけど、男性で定年を迎えたのは20%ぐらいだね。リストラで辞めていったり、病気や事故で亡くなったり、いろいろあったね・・・。ナベちゃんのような途中入社組では2%位じゃない?お互いよく頑張ったね」

 午前中に、東京本社の各階ごとに感謝状の授与があった。所属する部の100名ほどの社員が見守る中で副社長から感謝状と銀杯を頂き、簡単なスピーチを行った。

 午後に、ネクタイを黒に切り替え、故松平康隆氏のお別れの会に出かけた。会場の青山葬儀場には、あいにくの小雨にもかかわらず約1,000名ほどの弔問客が訪れた。私は、遠くの方から両手を合わせ、ご冥福を祈った。

 今年は、世界のリーダー達の選挙の年である。ロシアは先週、プーチン氏が大統領に返り咲いた。今後、アメリカ、フランス、中国などで指導者が交代する可能性がある。わが国も総選挙が行われれば、また1年足らずで首相が交代するかもしれない。波乱の2012年だ。

(画像は、定年退職での私の挨拶の様子。2日前に購入したiPhoneS4で撮ってもらった。最近の携帯のカメラ機能は相当進化していて、デジカメを買う必要はないね。私自身の機能は退化してきているので進化したIT機器で補って行くことにする)



 

2012年3月13日火曜日

3/6(火) タケさん、怪我からの復帰

我がソフトバレークラブの「タケさん」がアキレス腱断裂から体育館に戻ってきた。1月の練習始めの最中にバランスを崩して倒れて以来2カ月ぶりに会ったタケさんは元気だった。65歳だが、まだまだソフトバレーにかける思いは熱い。
 きょうは、挨拶だけで帰って行った。来月には練習に復帰、そして復活。タケさん、10月に宮城県で開催される全国健康福祉祭(年輪ピック)に一緒に行こうね。

2012年3月11日日曜日

3/5(月) ヨーコさんと昼食

ヨーコ・ゼッターランドさんとランチに出かけた。3週間前から、私は既に4回、アメリカンスクールの子供たちにバレーボールを指導している。金曜日と日曜日の夕方から1時間ほどだ。私が病気や出張などで欠席の場合の指導のことを考えてアシスタントが必要と考え、候補者を探していた。最初に頭に浮かんだのが、ヨーコさんなのだが、果たして多忙な彼女が少額のアルバイト料で引き受けてくれるかどうかわからなかった。そこで、ランチをご馳走するから御茶ノ水まで出てこない?とお誘いしたわけだ。 
 結論は、実際の現場を見てから決めますとのことで、早速、今週末の日曜日に来ていただけることとなった。バルセロナオリンピック銅メダリストのヨーコさんを見て、子供たちの驚く顔が見えるようだ。私のアシスタントを引き受けてくれるといいな・・・。

3/4(日) JVA全国指導普及委員長会議 2日目

二日目が朝9時から始まった。事業報告、計画案が発表された。新年度の事業計画の特徴は、小・中の連携を密にしていこうという「プロジェクトチーム」の発足だ。特に、小学生に対して力を入れていくということだ。名称は『JVAゴールデンプログラム』。保育園・幼稚園児に対してソフトバレーに親しむ機会をつくろうというプログラムも出てきた。小学校ソフトバレーボール授業支援事業もでてきた。ちょっと気になったのは、主催に日本ソフトバレーボール連盟がまったく関わっていないということ。
 午後から、愛知県ソフトバレーボール連盟会長の吉田和夫さんをFIVB国際バレーボール連盟公認インストラクターの足立龍哉さんに紹介するために新宿に向かった。外は小雨が降っていた。

2012年3月6日火曜日

3/3(土) JVA全国指導普及委員長会議開催

私は、千葉県バレーボール協会の指導・強化・普及委員会のメンバーになって15年経つ。2年前の千葉国民体育大会開催の4年前から、強化委員会と指導普及委員会の2つに分けて頂き、私は指導普及委員長として5年間活動してきた。昨年から、また強化と一緒になっての活動となった。
 日本バレーボール協会(JVA)の全国指導・普及委員会にはオブザーバーや代理出席も含めて、かれこれ20年間出席させていただいた。歴代の委員長の吉原、豊田、橋爪、山根と諸先生方とも親しくして頂いた。副委員長の中村四郎先生、渡辺康行先生など日本一を何度も成した先生方には指導法など沢山教えて頂いた。
 夕方の情報交換会(懇親会とも言う)で、お会いした各都道府県協会の委員長さんも随分若い人が増えてきた。今夜は、いつものように、情報交換会が終わってから、会場の本郷近くのいつものお店に集まった。今回お声をかけたのは、いつもの東北ブロックのメンバーに九州ブロックのメンバー。果たしてお国なまりで通じ合うかなと心配したが、杞憂にすぎなかった。盛り上がりに盛り上がり、2件目となっって、これも直ぐ近くのいつものラーメン屋さんに入った。そこでじゃんけんに勝った2人が全員分支払うというルールが何がなんやら判らぬうちに決まって、じゃんけんポン!となった。勝ち残ったのは、勝負事には、負けず嫌いの私と東北ブロックの委員長であった。
 店を出ると、最終電車の時間であった。千葉、神奈川、東京、埼玉の委員長には宿泊料の補助がない。JR御茶ノ水駅を目指して、慌ててタクシーに飛び乗った。