2011年4月30日土曜日
4/30(土) 4月の終わりに・・・
今年は、新チームを短期であるがコーチングさせていただくことになった。茨城県と千葉県の高校女子のチームであるが、全国どころか県大会でも常連校ではない。2つのチームの監督さんたちには、先日お世話になったので、私でできる恩返しのつもりでコーチングさせていただく。子供たちに伝えたいのは、チャレンジすること、工夫すること、思いやりを持つこと、勇気を持つこと。そして、親の支援、先生の情熱、仲間の励ましがあるからバレーができることに感謝の気持ちを持つことを伝えたい。
バレーの技術は、体力があればさほど難しくない。大事なことは、ボールに自分の気持ちを込めて仲間にパスできるかどうかだ。演劇でいえば、魂のない言葉は相手に届かないのと同じである。
2011年4月29日金曜日
4/29(金) 昭和の日の祝日に資料の整理
本日は、祝日にふさわしく、天気も穏やかで温かい。寝室兼資料室になっている私の部屋を朝から整理している。本棚に収まりきれない図書や資料は畳の上に積み重ねられている。最近それを見て、子供たちも子供部屋があるにもかかわらず皆が集まる居間に自分達の勤務先の資料などを化粧品と一緒に積み重ねるようになってきた。これは、真似してほしくない「親の背中」になるので、最近、休みの日には少しずつ整理している次第である。
しかし、整理しながら、その図書や資料を思わず読み込んでしまうことが多々あり、なかなか先に進まない。それでも、A4サイズにして高さ60cmほどには捨てるものが出てきた。大事なものを所有していても、それを活用しないことには、所有している価値がない。ここは思い切って、捨てることだ。迷ったら捨てる。
捨てようとした、資料の中にメモがあった。20世紀の哲学者のヨハン・ホイジンガの名著『ホモルーデンス』(1938年:行く山野と年号を覚える、とメモ書き)の中で「人間は『遊ぶ存在』」である」という1節がある。メモ書きには、赤字で次のように書いてあった。「ホイジンガ曰く。真の文化は何らかの遊びの内容を持たずには存続していくことができない」。近代スポーツの競技が真面目になりすぎ、遊びの領域から遠ざかり、ますますシリアスになってきたことへの批判がホイジンガにはあった。スポーツ利権ビジネス、メディアによって演出されるビッグイベント、ナショナリズムに始まり、過剰な勝利至上主義によるドーピング問題、イベント開催地を巡るスキャンダル、マイノリティ問題など。
競技スポーツは見るスポーツ(メディア)とも一体となって発展してきた。私が楽しんでいる、ソフトバレーやママさんバレーはレクリエーション・スポーツに分類される。競技スポーツが「ハード」のイメージであれば、こちらは「ソフト」のイメージだ。そんなソフトスポーツ(ニュースポーツ)や地域に根付いている伝統的なスポーツ(祭り、芸能、神事)の再評価や高齢者・障がい者を含めたSports for All 運動で「遊びの要素」を回復することが、人間性の発揮にもつながるのではないか、などと考えに没頭しながらの整理だから、なかなか資料は整理されない。
さて、本日は、これからビデオ屋さんに行って、『24』の最終シリーズ7巻目を借りてビデオ観賞。どんな危機でも絶対死なない主人公ジャック・バウワーの活躍で頭を空っぽにして、夜はママさんバレーの指導。明後日は、いよいよ船橋市民春季ソフトバレー交流大会だ。プレイヤーとして足を攣(つ)らずにどこまでできるか?
2011年4月28日木曜日
4/28(木) ママさんバレーの千代田クラブさんと
きょうは、ホームグラウンドの千代田区体育館が、まだ震災の関係で日中でも使用禁止(5月11日以降解禁)なので、お隣の文京区体育館にて文京区のママさんチームと練習試合を行った。練習試合でのコーチングは、初めてであったので、練習試合の目的を確認した。
練習試合は、「課題の発見」と「課題の達成度の確認」をする場であり、勝ち負けにこだわる場ではない、ということを初めに話した。次に、攻撃的なサーブのコースを指示したのであるが、指示したサイドライン方向には、サーブがなかなか飛んでいかない。そこで、レベルを1段階下げて、エンドライン方向にスピードサーブを打つようにしたところ、3セット目あたりから効果が出てきた。
ママさんチームは、個人スキルの練習は十分やっているものの、戦術的なスキルになると不十分なところがある。ただ単に一生懸命プレーして結果オーライよりも、ボールをコントロールして意図したように結果の出る方が楽しさが大きいと思うが、いかがであろうか?
明日は、家で資料の整理。捨てるかどうか迷ったら、捨てる、という強い決意で書籍や資料を整理しよう。
2011年4月25日月曜日
4/25(月) 元全日本女子監督 岩本先生の計画とは
大きな組織が動かなくとも、岩本先生は動く。岩本先生は、自分から個人の資格で動いてしまう。そんな先生に私も元全日本の選手たちも、メダリストも付いていく。おっと・・・先生の奥様も付いていくということだ。
どこに行くか、決まったら、ここのブログで発表しますね。
4/24(日) 日本ソフトバレーボール連盟の代議員会
午前中の理事会では、今年度に再度全国審判長会議と研修会を開催する計画を承認していただき、これから2年間の審判規則委員会のメンバーの選考を委員長に一任させていただいた。私も5年目に入る。そろそろ次期委員長を育成する時期だ。
代議員会を終え、情報交換会となり、各ブロックの代議員とソフトバレーの話になった。その後、千駄ヶ谷駅近くの行きつけの赤ちょうちんのお店に、6県の理事長を引き込み談笑となり、更に後から駆けつけてきた九州の熊本と鹿児島の理事長2名と新宿駅南口で3次会となった。九州の人は、話していて面白い。いや、話さないと面白くない、というか、いずれにしろ豪快である。代議員会で、ちょいと面白くないことがあったのであるが、そんなことは小さなことに思えてくるほどに、九州男児は芯が太か~。
2011年4月23日土曜日
4/23(土) 1ヶ月半ぶりのママさん練習を終えて
入念なアップを行った。ボールを使ったコーディネーション遊びを沢山行った。そのあと、足を使ったレシーブ練習を軽くやり、サービスの勘を取り戻し、ジャンプをしないでの攻撃というルールで5対6のゲームを行った。ジャンプをしないことで、攻撃力が落ちるのでレシーブ力の勝負になる。途中で私からのコーチングが入る。「アタッカーの人は、どうして、体が向いている方向しかボールを打たないのですか?腕のスイングでコースを変えたり、手首でコースを変えたり、ネットに近いトスはゲンコツで返したりしてみよう」。レシーバーのミスで失点が出る。「2人の間のボールは誰が捕った方がよいのか、どちらが先に声を出した方がよいのか?さあ、思い出しましょう」。「レシーブはボールだけ見ていても予測はできないよ。ボールを扱う意思を持つ人も見ないとね。ボール、人、ボールの順番で眼を動かそう。そして、ボールを操る人とボールの接点をギリギリまで観察しよう」。
練習後、近くのファミレスにて、月1回のミーティングを行った。仕事の都合で練習には間に合わなかったメンバーも駆けつけてきて、練習再開を喜びあった。
明日は、日本ソフトバレーボール連盟の理事会と代議員会が開催される。代議員は、各都道府県連盟の代表の理事長や会長が出席する。その中の数名が、ここ8年ほど前から前日の夕方に集まりソフトバレーボールの将来を語り合っている。夕方6時30分から水道橋駅の近くにある庄屋兵左衛門というお店に4年ほど前から集まっている。今年は、宮城県理事長の三浦さんのいないのが本当に寂しいが、新たな仲間も加わる。総勢11名になった。元全日本女子バレー監督の岩本先生も駆けつけてくることになった。被災地の方たちにソフトバレーでできることを相談したいということだ。
スポーツの力を発揮できるのはこれからだ。そして、発揮するのは単発ではなく、しばらく続きそうだ。
本日、山形県酒田市に避難されている方達用に自宅にあるスポーツウエアを段ボールに詰めて発送した。衣類たちも、普段1,2回しか袖を通さない私のようなご主人様より、大事に繰り返し着てくれるご主人様の方がよっぽど嬉しいであろう。頼んだよ衣類たち。
4/22(金) 詩人の島田陽子さん死去と大阪万博テーマ曲の作詞
6年前から癌を患い、病への恐れを詩に託し、昨秋発表した。詩には恐れだけでなく、希望もある。
滝は滝になりたくてなったのではない
落ちなければならないことなど
崖っぷちに来るまで知らなかった
まっさかさまに
落ちて落ちて落ちて
たたきつけられた奈落に
思いがけない平安が待っていた
新しい旅も用意されていた
岩を縫って川は再び走り始める
詳細は、23日付けの朝日新聞天声人語をお読みください。
絶望の後には希望がある、ということか・・・。
2011年4月21日木曜日
4/21(木) 夜の体育館開放再開なる!
それでは、アップとストレッチを念入りに行い、ゲームを休憩を十分挟んでやろう。最後にはマッサージを十分にやって大会に臨もうと返信をした。
船橋市のソフトバレークラブの練習は、まだ夜間の体育館使用は禁止である。それで、先週の日曜日と今度の日曜日に別の小学校の体育館で午後二時間やることにしている。そして、こちらも5/1に市民大会だ。ソフトバレーの予定が先に入ったので、今回は私がプレーするソフトバレーを選択させていただく。
少しずつ日常に戻りつつある。昨日、今日と余震もなかった。原発の脅威(放射線漏洩)は、日毎に増す一方であるが、電力の方は、皆の節電で夜の体育館の活動もできるようになってきた。
1か月ぶりの明日のママさんバレーの練習、ママさんたちはどんな体型になっているか、一寸不安である。私は、毎日の腕立て伏せで胸板が厚くなった。オーバーハンドパスが12mは楽に飛びそうだ。しかしジャンプが心配だね。ジャンプするという動作は日常動作にほとんど無いから、ノージャンプ・スパイクの練習から入ろうか。
明日は、24日に開催される全国ソフトバレーボール連盟の代議員会(総会)で提出する資料の確認をやらねば・・・。
2011年4月18日月曜日
4/18(月) グランドプリンスホテル新高輪にて
4/17(日) 江戸川区バレーボール連盟の総会
2011年4月17日日曜日
4/16(土) 東洋高校に行く
2011年4月14日木曜日
4/14(木) 花粉症と生産性低下
明日は、大阪本社でのバレーボール・マーケティングの会議である。朝6時台の新幹線に乗るので、相当早起きしなければならないんで嫌になる。毎朝、眼が目ヤニで開かないんだね。朝は、頭もボーっつとするしね。そして、夕方の新幹線に乗っての日帰りはキツイぞ。
2011年4月13日水曜日
4/13(水) スポーツウエアを被災地に送る
2011年4月11日月曜日
4/11(月) 今日の余震は大きかった
2011年4月10日日曜日
4/10(日) 自宅で休養
2011年4月9日土曜日
4/9(土) 全国ソフトバレーシルバー交流大会の開催は?
本日、東京都体育館会議室にて、日本ソフトバレーボール連盟の企画委員会(会長、副会長、理事長、副理事長、専門委員会委員長、ブロック代表理事の11名)が開催された。今年は役員改選期に当たるので、理事の退任、新任、専門委員長の留任から始まり、日本ソフト連盟が主催、共催する3つの全国大会の大会要項の事前確認を午前中に行い、午後から全国大会開催地連盟の責任者と協賛社の名鉄観光の担当者とともに細部の打合せを行った。
ファミリー(東京都墨田区)、レディース&メンズ(北海道)はスムーズに打ち合わせが進んだのだが、シルバー(50歳以上と60歳以上の混合の部:福島県福島市)で皆、話が行き詰った。東日本大震災、特に福島原子力第一発電所の放射線漏れの影響で大会開催が難しくなってきたのだ。今日、東京に来るのにも、連盟役員の庄司会長と伊藤副理事長はバスで4時間以上かかって着いた。県連盟役員の所在や安否も全員掴めていないという。体育館は修理しないといけないが、6月の市議会で承認されて初めて工事に入るとのこと。こういう時だからこそ、開催はしたい。しかし、体育館の修理が間に合うかどうか。それ以上に心配なのは、風評被害。原子力からの放射線漏れが世界的な話題になっている時期に福島県内に入ってくれるかどうか、福島県産の食物を参加者が食べてくれるかどうか。本日は結論が出なかったが、6月までには、中止にするのか、延期するのか、会場を代えて他県で開催するのか、結論を出したいということであった。
地震や、津波は怖い。しかし、眼に見えない放射線はそれ以上に怖い。いつ収束するか分からない危機、というのも頭にどんよりとした空気がまとわりついているようで嫌なものである。先が見えないというのがつらい。我々はいつまで苦しまなければいけないのであろうか。福島県で、今年全国大会が開催されるという前提で、私は日本連盟から派遣される大会の担当者(大会委員長か副委員長)に手を挙げた。
東北の福島県で全国大会をやろうよ、と5年ほど前から活動してきた。宮城県連盟理事長の故三浦さんを筆頭に東北各県連盟の会長・理事長が推進してきた。やれるところまでやるしかない・・・。