4月29日というのは、もともと昭和の時代には「天皇誕生日」という祝日でした。それが、昭和64年(1989年)に昭和天皇が崩御されたことを受けて、年号が平成に改まり、「みどりの日」となり、更には多くの国民の要望を受けて、平成17年に現在の「昭和の日」となりました。
本日は、祝日にふさわしく、天気も穏やかで温かい。寝室兼資料室になっている私の部屋を朝から整理している。本棚に収まりきれない図書や資料は畳の上に積み重ねられている。最近それを見て、子供たちも子供部屋があるにもかかわらず皆が集まる居間に自分達の勤務先の資料などを化粧品と一緒に積み重ねるようになってきた。これは、真似してほしくない「親の背中」になるので、最近、休みの日には少しずつ整理している次第である。
しかし、整理しながら、その図書や資料を思わず読み込んでしまうことが多々あり、なかなか先に進まない。それでも、A4サイズにして高さ60cmほどには捨てるものが出てきた。大事なものを所有していても、それを活用しないことには、所有している価値がない。ここは思い切って、捨てることだ。迷ったら捨てる。
捨てようとした、資料の中にメモがあった。20世紀の哲学者のヨハン・ホイジンガの名著『ホモルーデンス』(1938年:行く山野と年号を覚える、とメモ書き)の中で「人間は『遊ぶ存在』」である」という1節がある。メモ書きには、赤字で次のように書いてあった。「ホイジンガ曰く。真の文化は何らかの遊びの内容を持たずには存続していくことができない」。近代スポーツの競技が真面目になりすぎ、遊びの領域から遠ざかり、ますますシリアスになってきたことへの批判がホイジンガにはあった。スポーツ利権ビジネス、メディアによって演出されるビッグイベント、ナショナリズムに始まり、過剰な勝利至上主義によるドーピング問題、イベント開催地を巡るスキャンダル、マイノリティ問題など。
競技スポーツは見るスポーツ(メディア)とも一体となって発展してきた。私が楽しんでいる、ソフトバレーやママさんバレーはレクリエーション・スポーツに分類される。競技スポーツが「ハード」のイメージであれば、こちらは「ソフト」のイメージだ。そんなソフトスポーツ(ニュースポーツ)や地域に根付いている伝統的なスポーツ(祭り、芸能、神事)の再評価や高齢者・障がい者を含めたSports for All 運動で「遊びの要素」を回復することが、人間性の発揮にもつながるのではないか、などと考えに没頭しながらの整理だから、なかなか資料は整理されない。
さて、本日は、これからビデオ屋さんに行って、『24』の最終シリーズ7巻目を借りてビデオ観賞。どんな危機でも絶対死なない主人公ジャック・バウワーの活躍で頭を空っぽにして、夜はママさんバレーの指導。明後日は、いよいよ船橋市民春季ソフトバレー交流大会だ。プレイヤーとして足を攣(つ)らずにどこまでできるか?
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