2014年5月31日土曜日

Fri.May 30,2014 5月を振り返って

5月19日にCambodiaに来て、11日経った。わずか11日間とも言えるし、毎日が同じ日ではないので1か月間、既に滞在しているようにも感じる。

日本との違いは何か?やはり気候である。日本よりは平均8度高い。現在の昼前の東京の気温は26度だが、こちらPhnom Penh(プノンペン)は既に34度である。日中には37度になる。そろそろ、こちらも雨季に入るのだが、雨季が待ち遠しくなるのもわかる。雨季と言っても、一日中雨が降るわけではなく、スコールのように一瞬、滝のように雨が降ってすぐに青空が広がるのがこちらの雨季である。

19日からの電気代の請求が来た。約7,000円。電気代のほとんどはクーラー代だ。早朝は、さほど暑さも感じないのでクーラーはつけないが、日中と夜はクーラーが必要だ。寝るときは、ベッドに入るまでに寝室をクーラーで冷やしておき、ベッドに入ってからはクーラーを消すようにして電気代を節約している。
(最近、朝食は自分で作っている。左の目玉焼きはぐちゃぐちゃでスクランブルエッグのようだ)

本日は、外食も節約。近くのマーケット(日本のスーパーのようなショッピングセンター)で買ってきたラーメンで夕食を済ませた。一日で一番の楽しみはバレーボールの練習。次に楽しみなのは友人たちと一緒の夕食でのお喋りなのだが、節約のために、一人夕食でしばらく辛抱しなければいけない。

2014年5月29日木曜日

Thu.May 29,2014 日本から引っ越し荷物が着いた

日本で17日に梱包した荷物が、予定通り、飛行機便にて1週間で我がアパートメントに着いた。当初は、プノンペン空港の税関まで受け取りに行かねばならないと聞いていたので、アパートまで届けてもらってよかった。業者のシステムも年々向上している。

段ボールの中を開けて、それぞれ置くべきところに置いた。生活に必要最小限のものしか持ってこなかったので、30分ぐらいで片付いてしまった。鍋も入っていたが、確かに日本の製品は、消費者に配慮した商品が多い。細やかな配慮は、スポーツにおいての技術の指導も似ている。諸外国のコーチにはなかなか真似のできない指導技術である。

きょうの練習では、スライディングレシーブの一種でパンケーキレシーブを指導した。理由としては、レシーブ練習をみていると、正面に来たボールだけ取っているのでレシーブの粘りをつけさせるために指導した。はじめは、床に寝そべっている状態から手を伸ばしたところに落下するボールを上げる。次に両立ち膝姿勢からと段階的に行うことで恐怖感はない。

2014年5月28日水曜日

Wed.May 28,2014 パイオニア女子バレーボール部が廃部

パイオニア子会社の東北パイオニアは23日、バレーボールのプレミアリーグに所属する女子バレーボール部を9月末で廃部すると発表した。前身のVリーグ時代に2度のリーグ制覇を果たしたが「グループ全体が業績回復に向けて構造改革に取り組んでいる中、運営を続けることは難しい」とコメントした。

 1979年に創部。2000~01年シーズンからVリーグ(現プレミアリーグ)に参戦。03~04年と05~06年にリーグ優勝を果たした。しかし、近年は低迷が続き、2季連続の最下位に終わっていた。
 
先月、埼玉県さいたま市で行われた入れ替え戦には、私も観戦に行った。試合前に、関係者からは、この入れ替え戦で敗退して下部リーグに転落したら廃部らしいよ、と耳打ちされていた。
 
パイオニアチームの本拠地は、私の故郷の山形県である。東北始まって以来のトップチームの誕生に心が躍ったことを思い出した。東北のバレーボールのレベルが上がると期待した。しかし、当時の監督の考えは、地域の活性化よりもチームの優勝が最優先であった。
 
地域の支えがあれば、チームはレベルダウンしてもそう簡単には廃部にはならない、と私は思っている。体育館の範囲でスポーツを考えずに体育館を含む地域で、更にはもっと広い県レベルでスポーツを捉えていきべきと思っている。
 
 

Tue.May 27,2014 毎日が出会い、発見、驚き、感心

当たり前のことだが、日本にいるときは日本中心のマスコミの報道がある。こちらに来て、私が毎日、観るTV番組はCNN(シーエヌエヌ)。CNNは、アメリカ合衆国のケーブルテレビ向けのニュース専門放送局。正式名称は、Cable News Network(ケーブルニュースネットワーク)という。

世界の正に今のニュースが報道されている。お隣、タイのクーデターも詳細に特派員が報道している。英語で放送されるので、画像を見ながら英語の学習にもなっている。最近、気のせいか、英語が以前よりも聞き取りやすくなってきた。とはいっても、カンボジアの人たちの英語は慣れないと聞き取りにくい。

2014年5月27日火曜日

Mon.May 26,2014 連盟会長と会談

午前中、9時に、オリンピックスタジアムの一角にあるバレーボール連盟事務所に行った。当初は、事務所には何もない、机と椅子しかないと聞いていた。中に入って驚いた。それなりに一応、事務所らしく構えてあった。
(事務局長のキム。彼とコーチのヒムの2人が私の両腕だ。彼らの協力がなければ、来年6月の東南アジアでカンボジアチームスポーツ界始まって以来の銅メダルは獲得できない)
パソコンも2台あった。プリンターは4台あったが、2台は故障中とのこと。事務局長のキム(46歳:カンボジア人の名前は長いので、短縮した)の本来の職業は教育省の役人なのだが、時にはボランティアでバレーボール連盟事務局長も務めてる。先日わかったのだが、彼は他にもカヌー連盟の事務局長も兼任している。
(ポリスチーム監督のヒム。ナショナルチームではわたしのアシスタントコーチを務める。年のころ30歳か?まだ独身だ。私が日本から買ってきた会長へのお土産を持っている。日本の高級和菓子)
 
10時にCambodia バレーボール協会会長と会談した。


会談の中で、学校教育の中にもバレーボールを導入したいので、次回は是非とも教育省にも顔を出してほしいと言われた。

(カンボジア人は白飯をよく食べる。日本米のように、さほど粘り気はないが、チャーハンなどにすると美味しい。私は、焼きそばを注文した。焼きそばは、300円)
帰りに、お腹がすいたので、昼食をバレーボール協会幹部の人たちとと一緒に採った。彼らは、どこのレストランに行くかと思いきや中国料理店に入った。庶民が行くには少し高そうな店であった。


2014年5月26日月曜日

Sun.May 25,2014 Cambodiaに来て、1週間が経とうとしている

今週の月曜の深夜に羽田を発って、同じ月曜日に午前中にCanbodiaの首都であるPhnom Penh(プノンペン)に着いて、その日から、どこかに外出して挨拶したり、練習を見たり、国内高校生の大会を観戦したりしていた。

さすがに、昨夜は、慣れない日中の高気温の中での活動で、自分の体が重くなったのを感じた。

そして、きょうは、完全休養できた。

朝食は、歩いて2分のCaffeで採った。昼食は、先日スーパーで買った中国の工場で生産された日清食品の「出前一丁」を使ってインスタントラーメンを料理した。インスタント食品を料理した、とは言えないな・・・調理した・・・いや、単に作った、という表現が合っている。
(箸がない。割り箸はスーパーで売っていなかった。そこで家具、料理用具品付のサービスマンションの強みでフォークを探したらあった。しかし、フォークの先端が熱くなるんだな、これが。唇が火傷になっちゃう!)

(日本のNHKが観れる。白鳳と日馬富士の一戦はちょっとあっけなかったな。ファンは日本人横綱を待望しているようだ。
私は、外国人であろうが構わない、と思っている。大事なのは「相撲の心」を持っているかどうかだ。単に強いだけの横綱であるなら相撲は廃れる)

夜もラーメンでは味気がないので、歩いて3分のところにある4月に開店したばかりの寿司屋さんの「本田」に行った。生ビール小2杯とキムチ一鉢、そしてマグロ漬け丼で、〆て1,000円ちょっとであった。

2014年5月24日土曜日

Sat.May 24、2014 実技指導開始

朝7:30に運転手が迎えに来た。きょうは、国内チャンピオンチームの国家警察チームの午前の練習を指導して欲しいと言われていた。

会場は、プノンペンの市内から少し離れている。運転手は途中で道を迷ったらしい。私は3週間前に事前視察で行ったことがあったので、会場まで道を案内できた。

練習を見た。スパイクはツボにはまると、真下に打てる。但し、トス(set)が悪くても力任せに打つので、ミスが多い。オーバーハンドでのサーブレシーブは良い。但し、アンダーハンドでのサーブレシーブになると、目から腕とボールコンタクトの位置が離れすぎるので、つまり懐が狭い(スペースを作っていない)のでボールの勢いの殺しかた(パワーの削減)が上手くできない。とにかく、ミスが多い。




なぜ失敗するのか、その原因を説明する。きょうは通訳(日本語からカンボジア語)が付いてくれた。しかし、私の日本語が正確に選手達に伝わっているかどうかは、私にはわからない。コーチング後の彼らのプレーの変化を見て判断するしかない。

彼らの弱点を1つ発見した。ゲーム中に咄嗟のコミュニケーションができないのだ。例えば、レシーバー間に来たボールのレシーブが下手だ。お互いに声が出ないのである。これでは、フェイントやコート中央のソフトスパイクには対応できない。そして、ブロックである。彼らのブロックは目をつむって跳んでいるかのようである。他にも沢山あるが、暫くは、良いところを褒めて、次に課題点を説明するやり方をしていく。

協会から電話があって、午後にCambodia高校選手権大会の決勝があるので、観てくれないか、と依頼があった。Cambodiaには、日本のような部活はない。この日のために、各地域で選抜チームを作って練習してきたのであろう。地域スポーツクラブのようなものか?女子バレーはまだない。

屋根付の体育館を見たのは、これで3例目だ。この体育館は3,000人収容の5年前にできたということである。
(大会のスポンサーは、スポーツドリンクメーカー。私にも冷やされた缶が手渡された。飲んでみると、少し甘ったるい、マンゴーのような味だ)

(決勝は地方の高校生同士となった。レベルは千葉県中学生ベスト4くらい。とにかく単純ミスが多い。しかし、スパイクだけは大好きなのだろう。よく跳び、真下にボールを叩き付ける)

夕食は、最近オープンしたばかりの「本田」という寿司屋さんに行った。店員さんたちの言葉も全て日本語を使用するように教育されている。店の作りも、寿司ネタもシャリも日本とほとんど変わらない。
(寿司のセットを頂いた後に、キムチをおつまみに生ビールの3杯目を頂いた。週に1度くらいは、私の財布でも来れるようだ)
 





Fri.May 23,2014 スコールが・・・

南の国には「スコール」があると聞いた。スコールは英語で”Squall”。雨を伴う突風のことを意味する。

今夕、私は、そのスコールというやつを初めて経験した。雷が雷鳴したかと思うと、にわかに大粒の雨がばらばらと天から降ってきた。そのうちに風が強くなってきた。そして2,3時間後には、嘘のように雨がピタッと止み、星空が見えた。
(自宅のサービスアパートメントの窓から撮影。スコールで、マンゴウの木の葉が激しく揺れているのがわかる。そういえば、日本でマンゴウと言えば1個、数百円するが、こちらは数十円で買える。今が食べ頃のシーズンということだ)

もうすぐ6月。長い雨季のシーズンが始まる。日本の梅雨のように、朝から晩まで雨が降るという訳ではなく、こちらの雨季は、スコールと言って亜熱帯に特有の朝晩にドーンと降るだけで、日中は好天気で気温は35度まで上がる。時には体温以上の40度にもなることがあるみたいだ。

2014年5月23日金曜日

Thu.May 22,2014 私専用の運転手と車が届いた

午前中は、銀行に行って預金口座を開設した。Deposit(デポジット:預り金)で100$を手渡し、預金通帳とATMで使用するカードを受け取った。これで、日本からの送金(給料など)を受け取れる。

午後になって、こちらで知り合ったJAICAシニアボランティアの土谷さんに同行頂き、在Cambodia日本人会会長に表敬訪問に伺った。

土谷さんという方は、宮城県の高校でカヌーボートを指導され数々の輝かしい成績を残されている。ご自身もオリンピック選手候補で、あと一歩の予選会第4位で現役の幕を閉じられている。校長を歴任された後、3年前からここCambodiaの国立大学で教員養成のアドバイザーを務めている。私より3年ほど年長なのだが、精悍で強健な身体は50歳と言っても信じられるほど。

土谷先生と私のアパートの前で別れて、暫くして、Cambodia Volleyball 協会から電話が入った。私専用の運転手と車を手配したので、もうすぐアパートに着くということだ。

その車が間もなくしてアパートの前に横付けした。運転手は獅子舞のような形相をしている。ところが、英語が全くできない。今から、市内にある日本レストランに行きたいので、その旨伝えても全く通じない。そこで、地図を出し、絵を描き、ここからそこのレストランにこのような道順で行ってくれと何度かやり取りをして、やっと通じた。
(大きな十字路でも、まだ信号機のないところが多い。車もバイクもお互いに譲り合って通行している。歩いている人は、ほとんど見かけない)

(カンボジアの生ビールは雑穀ビールのようなもので、アルコール度5%程度。だから、ジョッキであるが、日本円で100円ほど。今日は、日本から冷凍の枝豆が入ったというので注文した。店の名前は「時代屋」)

Wed.May 21,2014 表敬訪問開始

Cambodiaには、昨年の統計で日系企業が約100社進出している。ここ2年で3倍に増加している。その関係で日本人を取り巻く公的、私的な団体が存在している。きょうは、その中でも私と関係の深いJICA(ジャイカ:独立行政法人 国際協力機構)の事務所を訪問した。
(JICAの入っているビルの玄関)

昨日、所長にはアポ(訪問の約束)を取っていた。所長は50歳代の方でボランティアコーディネーターの30歳代の若い男性も同席した。所長はミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得した松平全日本のことを選手の名前まで出して覚えていた。若い男性職員は、当然ながら、金メダルを取ったことさえ知らなかった。

昼には、近くにある外国人のお客が多いスーパーに買い物に行った。そろそろ、外食を止めて
自炊生活を始めなくては私の財布の中身も心もとなくなってしまう。電気釜は、まだない。6月末にイオンモールがCambodiaで初めてテナント90店舗で出店する。日本からも電器のノジマはじめ30社が出店する。その日まで待とうと思ったが、どこかで調達したほうが良いかもしれない。
(朝食は、私のサービスアパートから歩いて1分のところにあるお洒落な店で採った。今年の2月頃に開店。日本人女性が経営者とのことであった。今朝は、フランスの朝食でクロックムッシュ。値段は日本より少し安いぐらいで350円。アイスコーヒーが250円。合計ではちょっと高い朝食だ)

(ここもサービスアパートから歩いて6分のところにある外国人が良く来るスーパー。日本と同じで何でもある。但し、店員のサービスは日本が世界一であろう。この国で多い外国人は、中国、韓国からの人が圧倒的に多い。レストランやアパートの経営をしているようだ)

2014年5月22日木曜日

Tue.May 20,2014 協会幹部と打ち合わせ

昨日は空港から私のこれから住むことになるサービスアパート(賃貸アパート)に直行して頂き、まず契約を済ませた。周囲は各国大使館員が住んでいる同じような高級アパートが多い。その昔、フランスの統治化にあったので街路樹は鬱蒼と茂り、フランス風の建物も多い。訪問者は、直接各部屋にはいくことができず、必ずガードマンに用件を告げ、ガードマンと一緒に住人の部屋を訪れるシステムになっている。

しかし、私の見るところ、ガードマンたちは必ずしも屈強とは見えない。細身の男性が多いが、お隣のタイ王国で盛んなキックのボクサーかも知れない。いずれにしろ、基本的に、自分の身は自分で守るしかない。まずは、怪しいところに夜遅く一人で行かないことだ。

午後から、協会幹部たちと私の部屋で第1回の打ち合わせを行った。彼らが来るときに、私から飲料水とトイレットペーパーを買って来てと依頼した。そうしたら、ミネラルウオーターをこれでもかというぐらい沢山もって来た。

彼らのカンボジア語なまりの英語は聞き取りにくい。こちらの英語も、なんか、なまってきたようだ。

Mon.May 19,2014 羽田を発つ

18日の夜10:00までに羽田国際空港に自家用車で着いた。3週間前の事前視察と同じように全日空のカウンターに行って、スーツケースを預けた。重量が超過していたので3000円支払った。飛行機に持ち込みのキャリーバックも4kg超過していたので、中から取り出して別の紙袋に入れて持つようにした。

家内と長女が一緒に見送りに付いてきたが、レストランに早く行こうと急き立てられた。どうも見送りとは名ばかりで、空港内で食事をしたかったようだ。

日付けが変わって、19日の0:25に全日空機はタイのバンコク空港を目指して飛び立った。飛び立って、しばらくして機内食が出た。先ほど家族とうどん食べたばかりでもあったので、深夜の食事は遠慮した。5時間ほどして、バンコク国際空港に着いた。

ここからCambodiaのPhnom Penh(プノンペン)空港に行くための乗り換えが大変なのである。何が大変かというと、乗り換えの距離がとてつもなく長く、2kmぐらいはありそうで、表示もタイ語がクネクネして、寝不足の頭も明瞭でなく、フラフラしている。

30分ほどして、ようやく前回も入ったことのあるスターバックのお店に入りアイスコーヒーを注文した。支払いはUSドルで、お釣りはタイの紙幣とコインであった。ぼんやりした頭でバンコクからプノンペンに出るタイ航空の飛行機の出発時間を1時間待った。

タイ航空機に乗ると、すぐに機内食が出た。タイ料理のようである。隣に座ったアメリカのテキサスから研修できたという女子大生達が私に話しかけてきた。キャビンアテンダント(昔のスチュワーデス)と私の会話がフランス語なので興味を持ってきたらしい。

「あなたは、どこの国の人ですか?」
「私は日本人です」
「そうですか?私たちはテキサスから15時間かけて来ました」

そんな会話をしているうちに、プノンペン空港に着いた。
ビザを取得して、入国審査を受けるために進んでいくと、3週間前にも会ったCambodia Volleyball 協会の事務局長がニコニコして審査官の前で出迎えてくれた。

施設の外に出ると、国内チャンピオンで、ポリスチームの監督(ナショナルチームのコーチ:独身)とやはりポリスの上司が出迎えてくれていた。車は、その監督の自家用車でトヨタのハイブリットカーであった。パトカーではなかったのが救いであった。やれやれ・・・。

Mon.May 18,2014 ブログ更新速度が落ちて・・・

この1週間、Cambodia に行く直前の1週間は慌ただしかった。以下、まとめて報告させていただく。

5/12(月):豊田博先生(元日本バレーボール協会専務理事)にお会いして、再度ASEAN諸国バレーボール協会の情勢を教えて頂いた。タイ、インドネシア、ベトナムのバレーボールレベルは近年高くなってきた。特にタイの女子は、昨年のアジア選手権大会の準決勝で中国を、そして決勝で全日本女子を破って優勝している。男子もタイが強い。

5/13(火):会社の取締役主催の壮行会。東京駅そばにある会社から歩いて10分で銀座に着く。そこの一角にある会社でよく使う焼き肉店で部・課長と広報担当者の5名が集まって私の壮行会を開いて下さった。

5/14(水):昼に、私の育ての親の一人である荻原さんのご自宅に家内と一緒に挨拶に出かけた。荻原さんは、私が山形県酒田市の田舎から18歳で東京に大学浪人生で出てきたときに大変お世話になった方だ。当初は、新宿の「弥生クラブ」というチームでママさんバレーを楽しんでいた荻原さん達にコーチとして指導していた。私はその年に父を亡くして天涯孤独という環境にあった。荻原さんは、そんな私に本当の親のように接してくれた。4年後に、大学を休学して青年海外協力隊員としてアフリカのチュニジアに2年間派遣されていた時も、毎月、日本食を送って頂いた。そして、家内も紹介して頂き、お見合いで結婚して現在に至るという訳である。その大恩人は、70歳を過ぎ、いつのまにか背中も曲がってきた。他人なのに、どうしてそこまで親切にしてくれたのであろうか。
足を向けて寝れないお母さんである。

夕方に、依頼があって千葉県市川にある千葉商科大学付属高校男子バレー部の監督さんとの会食に招待された。セッティングしたのは、私の知り合いの父母お二人である。チームは、昨年のインターハイに初出場を果たし、今年も連続出場を狙っている。1年生には190cm超の新人が2人も入部してきた。監督さんとは楽しいバレー談議ができたが、果たして強化の参考になったかどうかは定かではない。

5/15(木):私が2年前に定年退職したミズノ(株)上治(うえじ)相談役に面談した。上治氏は、東京オリンピック招致活動の事務方で活躍された方で日本のスポーツ界のみならず国際的にも交友関係が広く、高名な方である。お話を伺っているなかで、1990年代にCambodiaとミズノとの間に深い関係があることがわかった。ミズノも国際貢献活動を当時やっていたのだ。手帳に書ききれないほど上治氏からは個人名など情報が溢れ出てくる。この方の記憶力はどうなっているのであろうか。先週も世界女子バレーボール・クラブ選手権大会で欧州に行き、帰ってきたばかりだというのに表情は生き生きとしてエネルギッシュだ。

帰りにち核にあるmizuno本店によって、Cambodiaで着用する ウエアやシューズを購入した。私には、未だに他社の製品を身に着けて指導する気持ちはない。古巣のmizunoの製品には愛着がある。そして品質は最高だ。Cambodiaのナショナルチームにもmizuno製品を身に着けさせたい。来年の東南アジア大会で過去最高の3位に入れば、mizunoは契約してくれるであろうか。いや、何としても3位に食い込み、相談役にご提供を頼み込まなければいけない。

5/16(金):マルハン(株)は、6年前に東南アジアで銀行業をスタートさせた。きょうは、その関係の取締役会が開催された。会議が終了して、代表取締役会長からお声がかかり、私も宴席に出なさいと指示があった。年商で2兆円を超える大企業の取締役の方たちの前で、私はcambodiaでの抱負を語らせて頂いた。使命感がますます重くなってきた・・・。反面、社内の期待感もひしひしと感じとることができた。期待は、私の場合重圧にはならない。期待されていることに感謝である。

5/17(土):Cambodiaへの荷物を送る専門の業者が自宅に来た。一番多い荷物は、英語でのバレーボールの本。衣類は冬物は不要なのでかさばらない。海外送品用の厚みのある段ボール箱、計4個口に送品は収まった。国民保険から社会保険への切り替え、船橋市からの市民としての除籍、とりあえず1か月間の生活費の準備・・・。明日は、いよいよ出発だ。

Sun.May 10,2014 関東大学バレーボール2部男子リーグ戦を観戦

会場は千葉県我孫子市にある中央学院大学。大学男子2部の観戦は、10年振りぐらいだ。このレベルが、今度私が赴任するカンボジア男子チームのレベルに相当すると思って出かけた。

観戦した結果、期待したよりもレベルが今ひとつであった。理由がある。最近、リーグのチーム数が変更した。1部が従来の6チームから12チームに。2部も12チームにチーム数が増えた。従って、以前の6チームで一つの部を形成していたシステムで考えると、現在の2部の6位までのチームは、従来の3倍に相当する。

高校時代に全国区で活躍した選手のいるチームが、上位にいるのは経験がものを言うバレーボールであるから納得できる。彼らを更に鍛えれば、チーム力ももっと向上するに違いない。個々には良い選手が多い。戦術の指導が少し不足しているのが、ゲームを観戦して思った次第である。

2014年5月19日月曜日

Fri.May 9,2014 入社3日目

会社では人事部に所属している。毎日、久しぶりのギュウギュウ詰めの通勤電車に乗り、東京駅で降りる。新幹線側の改札口を出て、地下通路を5分歩くと、会社のある31階だてのビルに着く。雨の日には便利だ。

会社には30分前に入り、静脈チェックで出勤を確定する。初めは、これに慣れるのに苦労した。朝礼はスーツの上着着用で社の理念を各階で唱和する。

会社が違えば風土も違う。ここの社員の平均年齢は40歳位であろうか、若い。ここ20年で急速に成長した企業であるため、若い社員が多い。そのために、社の歴史や理念の共有など研修時間が多いようだ。

サービス産業であるという認識をもたせるために、礼儀が徹底されている。女性のファッションのセンスも良い。

2014年5月17日土曜日

Wed. May7,2014 2回目の入社

今回のカンボジアでの私の指導は、カンボジア政府とカンボジアに進出している日本企業との契約による。そして日本協会から私が推薦され、その企業と私とが契約した。

企業名は、株式会社マルハン。年商2兆円を超えるアミューズメント産業を主体にした大企業である。日本企業の中で、ここ20年間で一番業績の伸びた会社である。カリスマ創業者の会長と長男の社長との経営手腕が大きい。
(東京本社の入っている東京駅脇の後方のビル。このビルの最上階である31階に私の仮のデスクを頂いた)

創業会長が、6年前にASEAN諸国で銀行業を始めた。カンボジアで、まず先陣を切った。そこに政府の要人が会長を務めているバレーボール協会からコーチ要請の話が出た。昨年の東南アジア大会のバレーボール競技で男子バレーボールは最下位という成績であった。過去にはアジア大会で4位にも入賞したこともあるカンボジア協会としては、最下位というのが悔しかったのであろう。

昨年の東南アジア大会のためにつながりの深い中国からコーチを呼んでいたが、2か月で母国に帰って行ってしまった。理由は聞いていない。

そのマルハン社でたった一人の入社式が本日あった。早速、社長を始め専務、副会長、取締役と重役の個室をご挨拶に伺った。これが私にとって、ミズノ(株)に次いでの2回目の入社式であった。久しぶりに袖を通すスーツに希望という緊張感が走った。


2014年5月16日金曜日

Tue.May 6,2014 引き継ぎ

私は4つのバレーボール関係団体で役員を務めている。ボランティア役員ではあるが、組織運営に支障のないように引き継いで行かねばならない。今年は、2年1期の2年目である。残り、1年の任務を果たすために役職はそのままで、代行を立てることにした。

きょうは、千葉県バレーボール協会指導普及委員長の代行を現副委員長に依頼していたが、直接会って説明した。代行を引き受ける本人も納得して頂き、これで全ての役職の代行への引継ぎが終了した。これから来年の3月までは、カンボジアと日本でメールを交換しながらの残り任期の活動となる。


2014年5月15日木曜日

Sun.May 4,2014 黒鷲旗杯全日本バレーボール観戦で大阪へ

昨日から、大阪市立中央体育館に来ている。

新年度最初のビッグゲームが1日から繰り広げられている。高校、大学、Vリーグのトップチームが集結している。きょうからBest8以上の激突が男女とも行われる。


この時期、大阪市内のホテルはゴールデンウイークと重なり、どこも満杯。梅田地区の狭いカプセルホテルに行こうかと思っていた時に助け舟が出た。本部室にいた毎日新聞社の記者2名が私の苦境を見て、彼らの知っている限りのホテルを当たってくれた。そして、見つけてくれた。

人の苦境を見て、直ぐに援助の手を具体的に差し伸べる。浪速っ子の粋を感じた。このことだけでも、大阪に来た価値はあった。

2014年5月8日木曜日

Fri.May 2,2014  肝臓の再検査の結果は?

午前中に第3回目の予防接種のために品川のクリニックに行った。1か月前からやっていた予防接種もこれで最終だ。優しい看護師さんともお別れだ。ワクチンは1か月で抗体となる。これで、東南アジアに長期滞在できる。

午後には地元船橋の病院に行き、2週間前に検査で肝炎の疑いがあると出たので血液で再検査をしていた。今日が結果が出る日だ。担当のドクターから言われたのは・・・渡邉さん、このくらいの値であれば大丈夫です。但し、コレステロールは高いですので果物も食べすぎはダメですよ。あと、ビールはプリン体が多いですから、注意してください。ビールは少し辛抱するとして、いずれにしても肝臓は大丈夫であった。

これで、今月中にCambodiaに出発できる!大いにホッ・・・とした。お祝いに思わず・・・自宅でビールを飲んでしまった!

Thu.May1,2014 メディアの力は凄い!

昨日の夕方のNNHのニュースで、私の取材の様子が放映された。今朝の各紙面でも写真入りでスポーツ版や地方版に掲載された。

早速、反響がきた。今まで音信不通であったバレーの指導者たちからも連絡がきた。メディアのパワーは大きい。カンボジアでも、私への記者会見がある。キチンとした対応ができるように今から原稿を作っておこう。こういうのを「メディアトレーニング」というのだな。

Weds.April 30,2014 酒田市役所に表敬訪問

市長さんが出張中で不在とのことで、副市長の丸山氏が対応してくれた。

市長用の接客室で一通りカンボジアに行く旨の説明をし終わると、NHKはじめ地元のメディアの方々が5社ほど部屋の中になだれこんで来た。何か、私が悪いことでもやって謝罪会見かなと思ったほど、普段あまり善行などしたことがない私にとっては、少し背筋がキュンとした。

謝罪会見でないことが分かって、少し落ち着いて取材に対応することができた。
今回の私のこのようなことでも市民の方たちの話題になっていただければ嬉しい。翌日のTVではバカな顔をしていないかちょっと心配になった・・・。

取材が終わったと思ったら、近くでFMの録音があると、そちらにも引っ張られていった。この日のサンコウさんは、すっかり私のマネージャーだ。


Tue.April 29,2014 故郷に降り立ち

私の生まれ故郷は、山形県酒田市。江戸時代は、北前船の港として栄えた歴史を持つ。この一帯は庄内地方と呼ばれ、今でも米の一大産地である。最上川の河口に港町だった酒田は、川村瑞賢が北前船の西回り航路を整備したことで、一気に江戸時代の主要港町に踊り出ることになり、それは「西の堺、東の酒田」と謳われたほどだ。

その後、明治になり鉄道が敷かれ、高速道路が整備され、内陸の山形市が流通の中心になっていった。酒田はNHKドラマ「おしん」の幼少期の舞台と言った方が分かりやすいかもしれない。

学生の頃の帰郷は、上野駅から夜行列車であった。寝台車は料金が高かったので椅子席で揺られて帰った。サラリーマン時代は、東京から新潟まで新幹線、それから特急いなほ号に乗り継いで帰った。最近は、酒田と鶴岡の中間点に庄内空港ができたので、もっぱら飛行機を利用するようになった。

出迎えには、サンコウさんが来てくれた。サンコウさんはニックネームで、本名は三幸(みつゆき)さん。地元酒田市ではソフトバレーボール連盟会長としてリーダーシップを発揮している。また、市のスポーツ振興全般にも関わり、地元では知名人である。私の帰郷時には、どこから情報を得てくるのか、必ずといっていい程、「何時に着くの?」とメールが入ってくる。

この日も、サンコウさんは、いつものニコニコとした笑顔で出迎えてくれた。私の今回の帰郷の目的は亡父の墓参である。市郊外にある墓地での墓参、市内では唯一の親戚である従兄弟の二女夫婦への挨拶。サンコーさんは自分の車で運転手を務めてくれる。この日のために、きょうは勤務を休んでくれたのであろう。

夜は、私の壮行会を催してくれた。遠く米沢市、新庄市、鶴岡市からもバレーボール関係者が駆けつけて来てくれた。感謝という言葉しか出ない。出席者のお気持ちをパワーにしてカンボジアでの任務を達成したい。


2014年5月4日日曜日

Mon.April 28,2014 帰国の途に

今晩の飛行機で、プノンペンを発つ。タイのバンコクを経由して、待ち時間合わせて、9時間後の日本時間では6:30頃に羽田に着く。

プノンペンでの3日間は、私の住まい探しに始まり、生活環境調査、この国の歴史探訪、カンボジア王国国家警察庁長官(バレーボール協会会長)挨拶、バレーボール協会幹部との話し合い、国内チャンピオンチームの練習見学で終了した。慌ただしくも、実に中身の濃い活動であった。

造語であるが、「三現主義」という言葉がある。現品、現場、現実のことを言う。人から聞いたり、本を読んで物事を知ることは有益である。更には、実際に見たり、触れたり、現場に行くことで、より詳細がわかる。今回は、ハードスケジュールではあったが、事前視察のお陰で、現状が良くわかり、準備すべき必要物資や心構えを整えることができた。

プノンペン空港で、出発する前に、空港内にできた今月開店したばかりの吉野家の牛丼を注文した。値段は日本円で400円。地ビールのアンコールビールを味噌汁代わりに一緒に頂いた。心は早くも日本に向いた。

2014年5月3日土曜日

Sun.April 27,2014 練習試合の現場で

早朝に、国内チャンピオンチームの紅白試合があるので、ぜひとも見てほしい。そのような要望がカンボジアバレーボール協会から入った。7:30からウオーミングアップが始まるという。なぜそんなに早い時間から始めるのか、理由がある。

この国の4月と5月は1年で最も気候が乾燥して気温は40度になることも普通である。従って、まだ涼しい朝方に練習する。私はホテルを6:30に出た。昨日、会場への道を覚えたので、一度も道を迷わずに会場に着いた。

途中、イスラム系の住民が多く住む町の中を通り抜けた。38年前にアラブの国で今のように男子バレーを指導していたことを思い出した。あの時の異文化社会での経験があるから、この国で指導をやってみようと躊躇することなく決心した。

さて、会場に着いた。選手達が始動し始めたばかりであった。私の前任者は、中国人であった。この国は、まだ発展途上だ。中国、韓国、ロシア、日本、フランスなどから経済協力を受けている。産業界での技術者育成のために、各国に対し指導者の派遣要請がなされている。スポーツ界も同様に指導者の人的協力要請を各国に行っている。

私の前任者である中国人指導者は、就任半年ほどで母国に帰って行った。カンボジア協会幹部にその理由を聞いても、言ってくれない。いずれにしろ、昨年ミャンマーで開催されたSEA Games(東南アジア諸国大会:2年毎に開催)で出場7ヶ国で最下位になったことにショックを受けたようだ。