パナソニック(旧 松下電器)がバドミントン部とバスケット部を今季限りで休部することを発表した。業績悪化による経営合理化の一環で野球部、バレーボール部、ラグビー部については、活動は継続する。「休部」とは、この世界で使う言葉としては「廃部」と同意義である。「廃部」と表現するとショッキングなので、柔らかく、復活の可能性も込めて「休部」と表現するのがこの国の発表の仕方である。そして、過去20年の例を見ても、休部した企業スポーツが復活した例は見られない。企業スポーツは、産業構造の変化とともに、また企業収益の低下とともに、衰退の道を歩んでいる。
2年連続7,000億円の赤字を計上したパナソニックの赤字は、同じ時期に発表されたシャープの赤字とは内容が違う。税引き後利益は両社とも赤字だが、パナソニックは本業の儲けを示す営業利益は1,400億円の黒字を確保する。シャープは営業利益も赤字で深刻だ。一部の評論化筋によれば「パナソニックもシャープも経営者の判断の誤りが業績悪化の原因だ」と手厳しい。パナソニックの場合は、確かにM&A(合併・買収)で三洋電機を8,000億円で買収したものの事業環境が大きく変わり結局5,000億円の減損損失の計上を迫られた。携帯電話事業もスマートフォーンの出遅れなど経営判断の遅れが原因になっている。電池事業部も収益計画を下回り、本業の家電の薄型テレビ事業が円高、ライバルとの価格競争激化、中国での日本製品不買運動などで利益が減り大不振だ。
三洋電機からはオグ・シオコンビでも人気を集め、日本リーグ15回優勝と伝統のあるバドミントン部を引き継いだが、結局、休部となった。電池というと、今は定年退職され、現在Vリーグ機構の会長の木村憲治さん(中大→松下電器→ミュンヘン金メダリスト→中大監督→松下電器監督)は、定年前、電池事業部長であった。今の古巣の窮状をどうお思われているのであろうか。
実は、きょうも家内の実家に来ている。80歳を過ぎて年老いた義父・義母の話し相手になればと思って週1回泊りがけで来ている。2階に上がって、預かって頂いている本棚の前で本の背表紙を眺めていると不思議と落ち着く。最近、華々しく出てきた電子書籍にはない趣がある。本棚の背表紙を眺めていると、松下電器を興された松下幸之助、本田を興された本田総一郎関連の本が眼に留まった。再読しようと船橋の家に持ち帰ることにした。ダンスの本は、ママさんバレーのウオーム・アップに取り入れようと、これも本棚にあった。
経営の世界もスポーツの世界も、不振の時は歴史に学ぶときかもしれない。特に創業時の社訓は、時代が変わってもその変化に対応できる知恵が詰まっている。組織が大きくなると、創業者自信もコントロールできなくなることは松下電器も経験した。
1977年に、松下電器は3代目の社長に役員26名中、下から2番目の序列にいた平取締役の山下俊彦(当時58歳)を突然、社長に抜擢した。年功序列の日本企業の慣習をあえて破った創業者、松下幸之助の決断に世間はただ驚いた。体操選手の山下治広が披露した跳馬の技にちなんで「山下跳び」と呼ばれた。
当時の松下電器の問題点は、第一に組織の官僚化、高齢化であった。その弊害で創業以来の家電中心、販売主導の経営から脱皮できず、エレクトロニクス技術を基盤にした情報分野への電気産業界への市場変化に対応できなくなっていた。松下の課題は、販売から技術へ、単品からシステムへと経営の重心を移動させることであった。
そして、山下さんは困難な課題を正確に認識し、着実に解決して9期連続増収増益を達成した。その山下さんのビデオテープがやはり本棚にあった。社長就任の打診を松下幸之助から受けて再三断り続けたこと、カリスマ創業経営者の松下幸之助のもと社風が「幸之助教」などと一種の宗教的な雰囲気がある中で堂々と幸之助の提案に発言したことなど、再読いや再聴することで、今のバレー界を打破すべくヒントがあるかもしれない。
私は、これからの日本バレー界の成長をアジアバレー界と連携したうえでの世界のバレー界の成長という視点を持つべきであると考えている。
山下さんは、今年の2月に92歳で旅立った。先人のリーダーに学ぶべきことは沢山ある。何をやったかでなく、どのような視点でどのように実践したかが時代を超えて参考になる。
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