2014年4月28日月曜日

Sat.April 26,2014  歴史を学ぶことは未来を学ぶこと


その国の歴史を知ることが、その国をよりよく理解することができる。

カンボジアと聞くと、世界文化遺産のひとつとしてよく知られているアンコールワットの名前が出てくる。アジアの至宝のひとつである。

きょうは、アンコールワットのような大規模で完成された美の宗教施設としての文化遺産ではなく、Cambodiaの歴史の中でも気の重くなる悲惨な歴史跡を2カ所廻った。1970年代のポルポト政権時代に無謀な社会主義改革が強行された。当時の国民の4人に一人、100万人以上の国民が同じ国民に拷問を受け虐殺された。今は博物館になっている刑務所の1つトゥール・スレンと処刑場になった郊外にあるキリング・フィールドの1つを訪れた。

多くの人骨や頭蓋骨を見ながら、動物は種の保存のために他の生物を補足して生きながらえているが、人間は権力のために、かくも残酷、残虐な行為ができるのか胸が苦しくなってくる。

明日は、私をこの国に招聘した政府の国家警察庁長官と対面する。この国の「精神的苦痛」を共感しておくことは、私のこの国の若者達への指導において必要事項であろう。

数年後にこの国では総選挙がある。政情不安もなないことではないが、他の国のように使者を出すような過激な行動には出ないであろう事は容易に想像できる。つい30数年前に起こった悲惨な出来事を決して繰り返してはいけない・・・穏やかな笑顔の中にカンボジアの人たちはそのような決意を秘めているように私には思えた。

2014年4月27日日曜日

Fri.April 25,2014 Arrived at Phnom Penh

カンボジアの首都Phnom Penh(プノンペン)に着いた。トランジット(乗継のための待合)も入れて10時間で着いた。伊豆諸島の小笠原諸島の父島には船で25時間かかったのと比べれば大したことはない。(・・・飛行機と船と比べるのはおかしいか?) 飛行機も昔は船と言っていた。「飛行船」が「飛行機」に呼び名が変わっていっただけだ。どちらも操る責任者を船長(キャプテン)と言うしね。

いずれにしろ、人口1400万人の国の約1割りに当たる人口130万人の首都に着いた。VISAの申請を空港内で行い、税関を通った。ここでは指紋採取があり、初入国の人は指紋採取機で両手の4指と親指が採取される。空港出口を出ると先月開店したばかりの「牛丼の吉野家」の大きな看板と店が見えた。日本人が増加することを見越して開店したのであろう。迎えの車はトヨタ車のランドクルーザー。

市内に出て驚いた。車の数も多いが、モーターバイクの数が半端でない。それも2人乗りだけでなく3人乗りもしており、車の間を器用にすり抜けて走行している。時には、反対車線に飛び出て左折や右折を平気でやっている。車も、バイクと同じように、信号のないところでも、右折左折をしている。対向車も慣れたもので、減速して通してあげる。

国際免許証は持参不要、と言う意味がこの時分かった。とても日本人、いや外国人、いやF1ドライヴァーでさえ、この曲芸のような運転はできない。専門の運転者を車付で雇う意味が分かった。

私が、これから住む住居を地元の不動産業者と一緒に物件を見て回った。ポイントはセキュリテイ(安全性)の高さである。物件全てにプールとスポーツジムが付いていた。3件見て、家具付き、清掃付で各国大使館員が住んでいる市内中心地の賃貸サービスアパートメントに決めた。

6月末には、日本のイオンショッピングモールが市内に開店する。100ほどあるテナント(店子)の1/3は日本企業とのこと。30社の日本企業の社員やその家族は一気に100名ほど増えることになるであろう。日本人学校も開校されるであろう。その日本人の方たちも私の指導するバレーボールチームを応援してくれたら嬉しい。応援し甲斐のあるナショナルチームを作らねば・・・。

(ダブルベッドのシングルユースであるから高いだろうな・・・)

(ホテルの部屋から市内を望む。20階建てのビルがあちこちで建設中だ。この国は2,3年後には大きく変貌していることであろう)

宿泊ホテルは、国内でも高級な4つ星のINTER  CONTINENTALであった。日本では、できるだけ安いホテルをインターネットで探し、余ったお金で夜のお付き合いをするというのがサラリーマンの小賢しい知恵であった。それが日本でも1泊3万はするという高級ホテルである。今夜は寝付けないだろうな・・・。

2014年4月26日土曜日

Thu.April 24,2014 羽田からタイのバンコク空港へ

羽田国際空港へ出国のために行ったのは、18年振りであろうか。18年前は、ポルトガルのリスボンに全日本高校選抜女子バレーボールチームのサービスマンとして同行した。リスボンはユーラシア大陸最西端のところにあった。チームは、確か・・・韓国に負けて2位だったと記憶している。監督は八王子実践の菊間先生。コーチは熊本信愛女子学院の松本先生であった。

羽田空港は、18年前と全く変わっていた。以前はただ大きいだけの実用的な空港であった。現在ちの空港は日本情緒を演出しながらも初めての海外出発の人にも飛行機搭乗までわかり易い親切な誘導性を兼ね備えている。空港内の全てのショップは、共通イベントを行っているようで、この週は江戸時代の風情を路地や店構えに出している。Cool Japanの一つであるアニメやゲームを取り揃えたアミューズメントコーナーもある。

羽田をANA全日空機で翌25日0:20にタイのバンコクに向けて飛び立った。機内はほとんどが日本人。バンコクの国際空港に着いたのは7:00。時差が2時間あるので時計を2時間戻して5:00にした。
(空港内の長~い長~い動く歩道)

この空港は、やけに細長い。全長2kmはある。掲示板はタイ語、中国語、英語の併記。タイ語の表記は頭が混乱するのでなるべく読まずに英語を読む。

(目印になる空港内通路の最端にあるタイ風の売店)
空港内での3時間のトランジット(待合)をスタバでアイスコーヒーとクロワッサンを注文して時間を過ごした。初めての東南アジアでのトランジットなので、飛行機到着が遅れた場合や乗継に余裕を持たせることを考えて3時間のトランジットとした。次回からのトランジットは、1時間半程度でよいであろう。

8:00にバンコクエアウウィズという航空会社の飛行機に搭乗し最終目的地に向かった。1時間で着くようだ。 

2014年4月25日金曜日

Weds.April 23,2014 今年最後のママさんバレー指導?

船橋市内で3チームのママさんバレーチームを指導しているが、今夜は幼稚園ママさんチームのOGママ達が昨年設立したばかりのチーム「Belle」(美しい、という意味のフランス語)の練習に出かけた。

出かけた、と言うよりは、いつも自宅の近くまでメンバーが交代で出迎えに来て、連れ去られるかのように私は練習会場の市内中学校体育館に運ばれる。

 
 
 
どこのチームも同じであるが、フォーメーションの理解、そしてシステムの理解が今一である。6人制と比べてローテーションはない。つまり固定式なのでポジション毎の役割を理解して、特に選手間のボールの処理の原則や約束を繰り返しのプレーで身に付ければ、ミスは減少する。そして、
ラリーが続くようになる。ラリーが続くことでバレーボールがより一層楽しくなる。
 
ラリーを続かせ、ポジションの動きや約束事を覚えてもらう良い練習として、攻撃のスピードを緩めてレシーブしやすくする「ラリーゲーム」が効果的だ。70~80%の確率でレシーブできるサーブやスパイクでゲームを行うことがフォーメーションやシステムを理解する近道なのである。間違っても先輩が強打を放ったり、コーチが強打を放って自己顕示欲満たして、結果、ラリーをなくすようなことをするべきではない。
 
練習を終えて、彼女たちから高級作務衣を頂いた。東南アジアの国で是非とも身に着けて欲しいということだ。作務衣を身に着けてベンチに座っている自分の姿を想像した。・・・作務衣は自宅の外国人専用マンション内で身に着けるほうが似合いそうだ

2014年4月24日木曜日

Tues.April 22,2014  青年海外協力隊バレーボール隊員OG・OBの数は・・・ 

2年間、異国でバレーボールの指導をやってきた仲間が現在300名を超えたようだ。昨年来、これらのOG・OGをネットワーク化しようと、2年前に定年退社して時間に余裕のある私のような者が先輩らしく活動を始めた。

早速、後輩たちが反応した。それも私が考えている以上にスピードが速い。ITを駆使して、あっという間に60名ほど集めてしまった。今後も加速度的に集まってくるようだ。

そして、今夜、第1回の準備委員会に7名が集まり開催された。12月には設立しようと決めて、二次会に向かった。初めて顔を合わせても、そこは同じ苦労をしてきた仲間だ。すぐに打ち解け、話題は中南米、アジア、アフリカ、アラブという世界のバレーボール。日本では非常識な練習も世界の国では常識というアッと驚く練習がたくさんある。そんな話を集めるだけでも1冊の本が出来上がるほどだ。

次回は2か月後に開催と決めて千葉、埼玉、神奈川、群馬の各自宅に向けて別れた。

Sat.Sun.April 19-20,2014 新潟市へ

全国大会初出場を目指す新潟県立新潟中央高等学校女子バレーボール部の練習のお手伝いをした。

前回、1月の県新人戦で2年ぶりの決勝戦に進出した時よりもパワーアップしていた。課題はメンタルである。特にリードされた時の粘りがもっと必要だ。Wash Game(3回連続ポイントを取って1点、途中で切れれば流れるルールでのゲーム)をこれからの1か月間での練習内容とすることを提案した。

怪我などなければ、ベスト4以上は行くであろう。練習での苦労が試合の笑顔につながる。

Fri.April 18,2014 世田谷区ママさんバレーボール教室

2週間前に引き続き、世田谷区ママさんバレーボール連盟から今回第2回目を依頼された。

リーダーの金当さんは、私のために朝食用のおにぎりを準備していてくれる。この方は全国家庭婦人バレーボール連盟当時の経理委員長の任に就いていらした。お金を扱う委員会で、さぞや気苦労されたと思うが、この人の困った顔を見たことはない。口では「困ったわね〜」と言いながら、眼は笑っている。お名前が「金に当たる」だから、「何とかなるでしょう〜」と涼しい顔をされている。

この方が頑張っている限り、私も弱音を吐けない。

2014年4月22日火曜日

Thu.April 17,2014 無事祈願で川崎大師へ

午前中は、船橋市内の幼稚園ママさんバレーボールチームの「コスモス」の練習。私がコーチに就任して2年になろうとしているが、随分と上手になったものだ。
 午後になって、パートの仕事から戻ってきた家内と神奈川にある川崎大師へ無事祈願のお参りに行った。ここは年始に来ると大勢の参詣者で境内は身動きできないほどになるが、4月の平日にもなると、参詣者は少なく、閑散として落ち着きがあり、いい所だ。神社、仏閣という所は人の少ないのが、建造物を愛で、仏像を拝顔できるのが良い。

2014年4月21日月曜日

Weds.April 16,2014 ミュンヘン金メダルトレーナーといえば

1972年、ミュンヘンオリンピックで8年計画の集大成として、全日本男子バレーボールチームが金メダルを獲得した。その快挙に日本中が沸いた。そして、平均身長で参加チーム3番目に大きかったのが日本であったことはあまり知られていない。当時の日本人の平均身長が165cmほどの時代に190cm前後の大男たちに機敏性をつけさせることは並大抵なことではなかったはずだ。

しかし、それをやってのけて世界をアッと驚かしたのが齋藤式トレーニングを編み出した齋藤勝先生だ。先生の生い立ちから現在まで私は良く知っているが、それは別の機会に小出しで紹介するとして、今日は新宿駅南口にある高層ビルの中にあるレストランで先生と一緒にランチを頂いた。

先生には30年ほど前からバレーボールの指導に関してお世話になっている。先生が全日本男子の監督に就任して、暫くして、協会上層部と意見の違いでお悩みになって1年ほどで監督をお辞めになったときも私は側で食事を一緒にさせて頂いていた。

きょうは、私がお呼び立てしてご馳走するはずなのに、先生が伝票を持ってさっさとレジに行かれた。先生はいつも気さくだ。いつもバレーボールの話だけされる。そこは、私との共通項だ。今年で77歳、喜寿になられる。先生の考案された齋藤体操は現代でも新しい。理にかなっている。東南アジアの国で指導する際にも、私は先生の体操を継承していく。

Tue.April 15,2014 協力隊事務局に20数年振りに訪問

JICA(国際協力事業団)を訪問した。20数年ぶりであった。以前は港区広尾のほうにあった。今は同じ港区であるが、現代的な高層ビルの中にあった。お隣はベルギー大使館であった。
(ガラスの表面にベルギー大使館の表示があった。オシャレな表示である)

ASEAN(東南アジア)担当者の方にお会いした。今回で2回目の対面であった。現地の差しさわりのない程度で情報をお聞きした。私が行くかも知れないその国には青年海外協力隊(20歳以上39歳まで)とシニア協力隊(40歳以上65歳まで)を合わせて30数名既に派遣されている。

午後には、いつもお世話になっている御茶ノ水の歯医者に行った。現地で歯医者にはかかりたくない。歯のクリーニングを行った。 

Mon.April 14,2014 ベテランのアナリストが協力してくれる

午前中は、品川の海外旅行専門のクリニックにて第2回目の予防接種に行った。予防接種2回目は、狂犬病のワクチン接種だけで終了した。接種してくれる看護師さんとお喋りする時間が短く、チョット残念・・・。3回目は5/2になる。予防接種がこれほど時間がかかるものだとは知らなかった。

午後は、5年前に私が修了した大学院の高橋准教授に会いに行った。勉強不足で知らなかったが、高橋義雄先生は昨年から(公財)日本バレーボール協会の運営委員の任に就いていた。サッカー協会の組織運営にも詳しい先生と1時間ほどお話をして先生の研究室を出た。
(私は青年海外協力隊に参加するために私大を休学そして中退した。その後サラリーマン生活を続けながら放送大学で不足単位を取り卒業した。そして中年になって筑波大学大学院を修了した。2つの大学が同じ敷地の同じ建物にあるのも縁であろうか)
6年後の東京オリンピク開催は、国内各スポーツ団体にとっては成長のためのチャンスである。団体によっては、ラストチャンスになるやも知れない。20年前に日本サッカー界がJリーグ構想を打ち立てたとき、当時のサッカー協会は賛成派と反対派に2分していた。反対派を振り切ってJリーグをスタートさせたのは川淵さんと会長の長沼さんのリーダー達であった。組織は改革を繰り返して成長していく。変わることを恐れて前年踏襲では時代に取り残されてしまう。

夕方、神田にあるイタリア田舎料理店に専修大学教授の吉田さんを誘ってバレー談話をした。吉田さんは、FC東京男子バレー部の総監督も務めている。私との関係は先生が岩手県出身で私が山形県出身、つまり東北人ということで意気投合して、ここ10年ほどお付き合いしている。この日、先生はアナリスト(データ分析者)を同行してきた。過去に全日本男子やVリーグ男子のアナリストを務めた経験のあるまだ30歳代の若い方であった。

ワイン1本開けて、バレー談議はどんどん拡大していく。先生の知人の中に私の故郷の酒田市出身で先生の上司に当たるスポーツ心理学の教授がいることが判明し、少し酔ってきた先生がその心理学の先生に電話した。そして、驚いたことに、その心理学の先生は私が卒業した中学校の後輩であることが判った。更に驚いたことに、今週中に一緒に食事をしたいと申し込んできた。私にスポーツ整形外科を紹介したいと言う。私が就任するかもしれない知れないASEANのある国にそのドクターが分院を経営されているというのだ。

私は吉田先生に1つお願いした。私が赴任する国のナショナルチームのメンバーを近いうちにFC東京で選手として使って欲しい旨をお願いした。Vリーグには現在、外国人枠があり、1名しか登録できない。今後は世界ランキング20位以上を例えばワールドA枠として1名、ASEANなど21位以下の国にはワールドB枠として1名、チームに計2名外国人がいても宜しいのではないのか?そのことで、B枠のバレー発展途上国の選手が肌でバレーを経験して、その選手を通して母国にレベル向上をもたらすのではないかと考える。そのためには、外国人の登録システムを変えて行かねばならない。

バレーボールを日本だけで考えずに、少なくともアジア全体でバレーボールの強化と普及を考える時代ではないかと私は考えている。日本サッカー協会は今年初めに既にベトナムの選手を獲得した。このことでベトナムのメディアは連日その選手の日本での活躍を報道する。スポーツにおける人的交流はそのスポーツの強化普及だけではない。国と国との交流にも発展していく。そこに両国の経済や政治も無縁ではない。 



Sun.April 13,2014 Vリーグ男子決勝戦を観戦

午前中に東京ビッグサイトに行った。昨日から東京都ソフトバレーボール連盟の協賛社である東京花キューピット様が展示しているフラワードリームというビッグイベントに出かけた。私は、東京都ソフトバレーボール連盟の相談役の任に着いている。ご挨拶に伺うのは役員としての礼儀と心得ている。
 

 
 
 
(東京花キューピットのブース。ソフトバレーボールの活動に寄与しているというアピール度を来年度もう少し上げる必要がある)
午後は、昨日に引き続き、東京体育館に行った。昨日の女子の決勝戦より観客が2割ほど少ない。決勝で対戦するのは3年連続決勝戦進出のPanasonic、そして古豪であるが、まだ優勝経験のないJT。
結果はチャンスボールを確実に点数に結び付けるPanasonicが3-2でJTを退けた。個人的な
感想であるが新人セッターの深津の丁寧なセット(トス)が印象に残った。具体的には、レシーブボールの落下点に移動する判断とスピードが速いということ。チームとしては、ミドルブロッカーのサイドへの移動が速かった。

監督の南部さんには目で祝福した。南部さんは、勝利インタビューなどに引っ張られて彼と話すことはできなかった。5月連休中に大阪で黒鷲旗杯があるので、そこで話し合う時間を作っていただこうと思う。



Sat.April 12,2014 日本ソフトバレーボール連盟の企画委員会

企画委員会という言い方はバレーボール組織内だけの言い方なのであろうか、定かなことは知らない。通常の組織での言い方であれば、常任理事会に当たる。その企画委員会が、本日の午前中に東京都体育館内の会議室で行われた。
(日本ソフトバレーボール連盟の企画委員メンバー)

体育館アリーナでは11:00からVプレミア女子の3位と決勝戦のゲームが行われることになっている。会議室の前の長椅子に決勝戦を控えた久光製薬バレーボールチームのスタッフが座っていた。コーチの安保さん、監督の久美さんと挨拶代わりに握手を交わした。決戦の直前なので、表情は少し硬かった。

企画委員会では、全国大会の見直しなどが検討された。最後に、私のASEAN行きを私自身の言葉で発表した。

午後からは、4つある全国ソフトバレーボール交流大会の実行委員会を開催地連盟役員を交えて行った。

夕方から、東京都ソフトバレーボール連盟の今年度の総会開催に同席。その後の役員懇親会にも出席。本日は12時間の外出となり、帰宅したのは深夜12:30であった。

2014年4月18日金曜日

Fri.April 11,2014 何となく気忙しい日々が続く

午前中は、船橋市内の幼稚園ママさんの練習。

練習後、電車で2時間かけて成田市役所に行った。8月開催の日本体育協会主催公認指導員要請講習会の会場を下見するために、体育課職員に同行をお願いしに行った。千葉県バレーボール協会指導普及委員会のメンバーも同行してもらった。

夕方に、船橋市に戻って、JICA(国際協力事業団)の元職員でASEANのスポーツ事情を良く知るO氏と面談した。出版物には載っていない生々しい現実を知らされた。日本は平和すぎる。陸続きの国々は政治的に複雑な歴史を持っている。

Thu.April 10,2014 恩師からのアドヴァイス

日本で、バレーボールの指導書を数多く(恐らく1番)執筆し出版された方をご存知だろうか?私の手元にあるだけでその方の著作は10冊ある。対象は、小学生からママさんと幅広い。分野としては、初心者指導法とバレーボールの科学だ。

その方の名は、豊田博先生。バレーボール指導者の間で知らない人はいない。日本のみならず世界のバレーボール界の重鎮である。昨年、全てのバレーボール関係の役職から身を引かれた。今年で79歳になる。

その豊田先生のご自宅の近くのJR飯田橋駅に隣接している珈琲店で先生と半年ぶりにお会いした。先生は、私のために発展途上国におけるナショナルチームのマネジメントについてのポイントを自筆で3枚の紙にまとめていた。

先生は、ASEAN諸国の協会役員で主だった人物の名前をあげて、国々の実情を述べてくれた。男子ではタイ、ベトナム、インドネシア、フィリピンがトップグループを形成しているようだ。スポーツの強化・普及はその国の経済発展と正比例するのが一般的だ。ASEANもその例に当てはまる。

先生からは、現場把握をしっかりやって、中期計画を立案することを教授していただいた。そして、短期で成果をあげようとせず、着実に進捗させることが大事と言われた。表現を変えると、私の能力を一気に出さず、小出しにしなさい、ということだ。このあたりは処世術にも受け取れるが、外国人が海外で長く活動を継続させる知恵かもしれない。

「Mr.渡邉のいう通りにプレーしたら、少しずつ上手になってきた。もう少しコーチングしてもらえば、もっと上手に、もっと強くなれるかもしれない」。・・・こうであれば、期待されるコーチとして私も評価されるであろう。

「Mr.渡邉からは沢山のことを学んだ。大会での成績も急激に向上した。彼からは、もう学ぶことはない。日本に帰ってもらおう」。・・・先生は、この状態になることを危惧しているのか?

それとも「渡邉君はそんなに能力はないのだから、あるふりをしてコーチ生命を延命しなさい」と言いたかったのであろうか?・・・いずれにしろ、慌てずに、健康に留意して、安全、安心が第一ですよ、と繰り返し何度もお気遣いの言葉を頂いた。

2時間ほどお話しを伺って、お別れする時に先生は私に半袖シャツを下さった。それは、FIVB(国際バレーボール連盟)公認インストラクターのロゴマークが入ったものであった。

「渡邉君・・・FIVBのロゴや日の丸のロゴの着いたシャツを身につけて指導することも場合によっては効果があります」。私は、不覚にも目頭が熱くなった。




2014年4月16日水曜日

Tue.April 8-9,2014 1泊2日で人間ドック

自宅から徒歩で13分のところにある船橋市中央総合病院内にある健康管理センターで人間ドックに入った。

皮肉屋の友人がこう言った。
「人間ドッグとは、ナベさんもいよいよ犬猫病院で検査ですか?」

どうも、私はその友人に「人間ドック」を「人間ドッグ」と言い間違えたらしい。確かに、修理や検査を意味するDockと犬のDogでは、違いがある。

病院に入院したことがない私であるが、初めて病院内のベッドで一夜を明かすこととなった。部屋は全部で8室あった。一般的なビジネスホテルの個室という雰囲気である。着替え用に渡されたウエアの色は通常の入院患者とも一日だけの人間ドッグ検査の人達とも違う濃いブルーで区分けされていた。

昼食、夕食は病院食とは違い和食膳というやや豪華なものであった。食事の場所も病院内の泊りで人間ドッグ検査を受ける人のために別室があった。

初日に検査した結果が夕方にドクターから知らされた。特に注意するところはない健康体で唯一改善する必要のあるのは高脂血症だけだ。私にとって必要なカロリーは、一日1,500キロカロリー。カロリーを摂り過ぎないように、夜遅くの食事を控えるように注意すれば良い。


2014年4月14日月曜日

Mon.April 7,2014 予防接種

予防接種のために品川駅近くのクリニックに行った。
(品川駅前もビルがニョキニョキ立ってきた。クリニックもこれらのビルの2階にあった)
(ビルの谷間にあるのが昔ながらの赤提灯のお店が詰まっている8F位のビル群。こちらのほうが私にはホッとする)

ドクターの診察を受けた時に私から質問した。
「狂犬病は犬に噛まれたとき危ないということですが、私が犬を防衛反応で噛んだらどうなるんでしょうか?」
ドクターは、一瞬口を開けて、こいつアホか?みたいな顔で私の顔を覗き込んだ。そして直ぐに普段の厳めしい表情になって言った。
「犬には・・・とにかく、近づかないでください!」。


その後、可愛い看護師さんと交代して、5種類のワクチンを接種してくれた。A型肝炎、B型肝炎、破傷風、日本脳炎、狂犬病の5種類だ。狂犬病は、更に1週間後に、他4種類は4週間後に接種して体内で抗体となる。

私の身体も何やら変なものが体内に侵入してきたな、と緊張したのか、少し体がシャキッとしてきた。花粉症は相変わらず元気だ。花粉症のない国に行ければいいな・・・。

Sun. April 6,2014 ソフトバレーボールルール伝達講習会

茨城県結城市にて、恐らく日本で1番最初に開催されるソフトバレーボール審判規則伝達講習会に講師で伺った。今回で5年目になる。

この地域のソフトバレーボール連盟会長の望月さんという方が大のソフトバレーボール好き人間。全国の交流大会にチームを率いて、または単身でどこにでもフットワーク軽やかに出かけて行く。その行動力は60歳を過ぎても衰えることはない。

講習会を終えて、夕方の反省会には所用があって講習会には参加できなかった茨城県ソフトバレーボール連盟審判長の冨島さんも合流して楽しいひと時を過ごさせていただいた。

2014年4月11日金曜日

Sun.April 6,2014 Vリーグ 入れ替え戦

昨日、Vリーグ入れ替え戦の観戦に出かけた。会場は埼玉県さいたま市総合体育館。席は、主審のすぐ後方の役員席で見させて頂いた。

入れ替え戦には独特の緊張感がある。審判団の表情もいつもより硬い。第1試合が始まった。

昨日、そして本日と同じ対戦チーム同士が戦って結果が出た。
【男女試合結果】
(4/5)第1試合:女子パイオニアレッドウィングス0-3デンソーエアリービーズ
第2試合:女子JTマーヴェラス2-3上尾メディックス
第3試合:男子ジェイテクトSTINGS3-0警視庁フォートファイターズ
第4試合:男子FC東京3-0大分三好ヴァイセアドラー
第2日目
(4/6)第1試合:女子パイオニアレッドウィングス0-3デンソーエアリービーズ
第2試合:女子JTマーヴェラス1-3上尾メディックス
第3試合:男子ジェイテクトSTINGS3-0警視庁フォートファイターズ
第4試合:男子FC東京3-0大分三好ヴァイセアドラー

女子の結果は、上尾が初昇格。デンソーは復帰。男子はFC東京とジェイテクトが格の違いを見せつけ二日間とも3-0で勝利し、残留。

降格したチーム、昇格できなかったチームの中には、親会社の意向で休部に追い込まれるような噂話も出てきた。スタッフの入れ替えもあるであろう。

2014年4月8日火曜日

Fri.April 4,2014 世田谷区ママさんバレー連盟 教室

世田谷区ママさんバレーボール連盟の登録チーム数は、軽く120を超える。東京都でも1、2位のチーム数を誇る。

朝9:00から12:00迄スキル基本とゲーム基本を80分ずつ指導した。最近私は誰に対しても「パンケーキ」レシーブの基本を指導している。理由は床を怖がらずに滑ることができるようになるからだ。

ゲームでは、チームスポーツに必要なコミュニケーションとしての「声」の出し方を指導した。

下手な選手はいない。上手な選手に育てられない指導者はいる。バレーボールは難しいという。私に言わせれば、選手に難しいと思わせる指導をしている指導者が宜しくないと思っている。

誰でもがバレーボールの面白さを味わえる。指導には原則がある。易しいことから難しいことへ。短から長へ。軽から重へ。小から大へ。単から複へ。低から高へ。そして、褒めること。できかかっていることを励ましてあげること。

夜は大手町に行き、国連広報センター主催の「開発、平和、スポーツ」のパネルディスカッションに出席した。パネラーにはモントリオール金メダリストの白井貴子さんがいらした。

Thu.April 3,2014 全国私学高校バレー大会 観戦

町田市総合体育館の他、10会場で分散開催されている日本で一番参加チーム数が多いバレーボールの試合を見に行った。

見に行く会場はメーンの町田市総合体育館にした。昨年優勝の星城もいたが、全体的にレベルがイマイチでお互いのつまらないミスで点数が入っているという印象であった。チョット失望して、ゲーム観戦よりは審判員として、また役員として長年日本バレー界を牽引されてきた月岡靖夫先生(元攻玉社高校男子バレー部監督として関東大会にも数回出場)とロビーでお話する時間のほうが多かった。

午後2時には地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅に移動した。5時から40分だけ筑波大学院教授の菊幸一先生と面談した。菊先生は、私の指導教官であった。出版社からの依頼原稿が溜まってお忙しいのに、私との時間を調整して頂いた。

先生からは、最近の日本スポーツ界の動向を伺うことができた。「組織はYesマンを作りたがる。有能な人物というよりは、トップが管理しやすい忠実な役員を身近に置きたがる。ASEAN地域とスポーツと日本企業の関係は、これから益々関係性が深くなる。渡邉さんの出番ですね」頂いた40分のお話はあっという間に経って、3年前に全面改築されたばかりの筑波大学院東京キャンパス(前身は東京教育大学校舎)を後にした。

2014年4月3日木曜日

Wed.April 2,2014 セカンド・キャリアの準備

相変わらず、面接結果を待っている。そして、準備を行っている。

面接がパスすれば、契約文書にサインする。その契約書の内容を十分吟味しなくてはならない。特に東南アジアの国であれば安全面、健康面への配慮を優先させなければならない。2年前に定年退職したとき、確定申告で大変お世話になった税理士のAさんnい連絡して、契約書をチェックして頂くための弁護士をいざという時のために紹介して頂くようにお願いしておいた。

他にも任国事情やその国の協会事情、ナショナルチームの成績など調べることは山ほどある。セカンド・キャリアへの事前準備も大変だが、いざセカンドキャリア就任間近となると、それも大変だ。しかし、忙しいのは私にとっては精神衛生上よろしい。69歳までは忙しくなっていたい。

夜は、船橋市内の幼稚園ママさんチームを卒業して新たにクラブチームを創ったばかりのママさんバレーの練習に行った。今月は3回ほど練習できる会場を押さえたという。それまでは月1回のみであったので、意欲が出てきたと評価できる。

アップでは、お母さんたちに付き添ってきた子供たち10人も一緒に鬼ごっこと各種スキップ練習を行った。そのうち、コートに入って一緒にバレーボールをやってくれることであろう。

明日は、町田市総合体育館で1日より開催している全国私学バレーボール高校選手権大会を観戦する。午後には、筑波大学大学院に行き、私の指導教官であった菊幸一教授にお会いする。

2014年4月2日水曜日

Tue.April 1,2013 自動車の運転ができない!

例のASEANの国でのコーチの件であるが、まだ最終決定ではないのに、採用通知が来ることを期待しながら準備だけは一応進めている。

その国を良く知る知人に、国際免許証を持って行きたいのだが・・・と相談すると、「渡邉さん、向こうで活動する日本人には、車の運転はさせないよ。なぜか? 交通事故が起きた場合、どうも保険が効かない、つまり日本のような保険制度がまだ未整備ということなので、外国人には運転手付の専用車があてがわれると思うよ」という回答が返ってきた。

そうなの?せっかく、左ハンドルで休日には一人でのんびり世界遺跡を観にドライブに行こうと思っていたのに・・・残念。

夜には、定例のソフトバレーボール練習。最近、質素な食生活(つまり年金生活者の清貧な生活)を送っているせいか、体重が落ちてジャンプが軽くなってきた。50歳代中頃の空中で相手を観察しての余裕のあるプレーが一瞬蘇ってきた。あくまで一瞬であって、悔しいが継続はしない。それでもラリーが続いて、楽しくプレーできた。明日も筋肉痛の朝を迎えるであろう。

Mon.March 31,2014 新番組スタート

2013年度もきょうで最後、明日から2014年度。企業では新入社員の入社式などが行われる。早いところは、既に入社式を終え研修に入っている。
(今年から左端のEnjoy Simple English がスタートした。辞書なしで読める、聞けるというものである。大事なのは、口に出して何度も言うこと。これはスポーツと同じ。実際の筋肉を動かして反復することが急がば回れである)
 
ここ1年、わたしの英語学習はもっぱらNHKのRadioとTVであった。ラジオ語学講座は、きょうから新年度がスタートした。英語学習のコツは、自分が関心のあることを中心に学習すること、インプットよりもアウトプットつまり自分から話すことが上達のコツと思う。

お昼に、電車に乗って新宿に向かう途中、駅のホームで電車を待っている間、隣にいたアメリカン発音の女性たちの会話が耳に入ってきた。ほとんど聞き取れた。最近英国英語は聞きにくくなってきた。それだけアメリカ英語に耳が慣れてきたということか。

新宿駅では、2年前までアテネフランセの英会話教室で席を並べていた学友と2年ぶりに再会しランチを共にした。その後、紀伊国屋に行って、スポーツマネジメント関係の本を購入した。

2014年4月1日火曜日

Sun.March 30,2014 Vプレミアムリーグ女子セミファイナル

金曜日からセミファイナルが愛知県小牧市で開催されている。12月から始まった3回戦総当たりで最終上位4チームに残ったのが、前回優勝の久光製薬、初優勝を狙う岡山シーガルズ、ここ五年間では優勝数が最も多い東レ、そして初めて4強に残ったトヨタ車体。

今日のゲームはTVの録画であるが、夜の7時から放映される。6時頃にそれらの4強のチームのある監督から私のスマホにメールが入った。そこには結果が出ていた。これからドキドキしながらゲームの成り行きをみようという時に結果を先に知らされてしまった。

結果は、全敗の東レを除いた3チームが2勝1敗で並び、セット率で岡山、久光が2週間後の決勝に残ることとなった。3位決定戦にはトヨタ車体と東レが対戦する。

TV録画でゲームを見ていて感じたこと。ミスが多い。岡山を除いた3チームのミス数がそれぞれ20〜24本。具体的には、2段トス時のオーバーハンドパス。ドリブルが多い。原因は指のバラツキ。

ボールの回転が前後であれば多少あっても反則にならない。回転が斜めであれば、指が均等にボールに触れていない、つまりバラツキがあるということでドリブル(ダブルコンタクト)の反則になる。対策としては、ボール落下地点に素早く移動して、トスする方向に余裕を持って身体を向け、セット姿勢を作り、下肢でボールを飛ばし、微妙なコントロールは上肢の肘と指で操る。特に、落下点の位置の予測と移動を迅速にすることが大事である。移動しながらのトスはドリブルに取られやすい。

今回の試合の主審、副審は国際審判である。私は、JVAの審判規則委員会規則部のルール編集会議でお二人といつも顔を合わせルールに関して、判定基準に関して色々学習させて頂いている。先日伺った話の中では、Vプレミアム選手の中に基本的なルールを誤解したまま理解している選手がいるという話しを聞いた。

今日の試合でも、選手が度々主審の判定に抗議する場面があり、チームキャプテンが主審から警告されていた。Vリーグでは国際ルールが適用されている。一部国内適用の取り扱いを含んでいるが、国際大会同様に競技が運営されている。その中でのゲームは国際ルールを尊重してプレーしなければならない。選手、コーチは抗議の前に現在のルールを十分理解してプレーする必要がある。

審判規則委員会の指導部とVリーグ機構が一体となって各チームのルール理解の促進機会を設ける必要があるのではないか。小・中・高の全ての指導者の方々にもJVA公認B級審判員資格取得講習会を受講されることをお勧めしたい。必ずや自分のバレーボール指導力の向上につながると保証する。

法律知らずして、社会人であることはできない。同様に、競技ルール知らずしてトップアスリートになることはあり得ない。