「読み、書き、算盤」とは、以前よく言われたことです。これらは、日本の社会でより良く生きていくために必要なこととされました。
カンボジアでは、よりよく生きていくためには何が大事なのでしょうか?
最近の私が受けている英語学校での学習は、英国などの大学に留学するための資格試験対策のような授業になっています。IELTS試験対策です。資格試験勉強も悪くありません。試験によく出される問題は、英語学習において大事なところだからです。
その中で「Writing」は、我々日本人には難しいものです。特に、「Problem / solution Essey」(問題と解決)という小論文は、日本人には慣れていない問題形式です。なおかつ、解答の小論文は決められた構造(序論、本論、まとめ)の中で論じなければ点数が入りません。
そして、この小論文試験対策の学習を進めていくと、現代の我々が直面している社会問題が頻繁に試験問題として出てきます。「気候変動による温暖化」「自然災害」「交通渋滞」「犯罪」「人口増加」「貧困」「教育」・・・。
学習を進めていく中で、「識字率」というフォーマルな英語を覚える必要が出てきました。小論文では、日常の言葉を使うことは許されていません。
「読み、書きの能力」を持つ人の割合を示す言葉に、「識字率」という言葉があります。読み方は「しきじりつ」です。「しょくじりつ」ではありません。英語では、”a literacy rate”。最近での使い方は、英文での履歴書に、「Computer literacy(コンピューター活用能力)」を持っていますなどのように書くことが多くなりました。
識字率の向上は、教育の根幹です。貧困とも深い関連があります。「話す、聴く」は、日常生活の中で身に着けて行きます(それでも日常会話においてで、公式な場では日常会話能力だけでは相互理解において不足です)。
カンボジアにおいての識字率は、15歳以上を対象にした調査では、女性71.8%、男性84.8%、全体では78%でした(「カンボジア社会経済調査CSES 2014」より)。日本では、恐らく99.9%でしょう。
・・・きょうは、ちょっと疲れましたので、この件は、また別の機会に考えてみましょう。
いずれにしろ、英語の資格試験対策を現在学習しているのですが、全ての問題がが、この国で現在進行中の現実の社会問題です。小論文上での作文は、書き方の方程式に言葉を当てはめれば何とかできます。しかし、現実における解決のためには作文だけではなんともなりません。
作文したものを、実際に実現させるためには、行動に移していかなくてはなりません。そこでは、別の能力が求められます。この能力は、教室の中では身に付きません。
・・・今日はここまでにします。
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