2013年4月24日水曜日

Tue.April 23,2013 質問がない。その理由は?

「質問ありますか?」。「・・・」。講習会や教室などで、このような場面は結構ある。質問がないのだ。質問がないということ、その理由は、十分理解できたので質問はない。何を質問していいかわからないので質問しない。質問してもしょうがないから質問しない。そんなところであろうか。

昨夜、ある地域のスポーツ団体の年次総会に出向いた。議事は淡々と進んでいく。「質問はありますか?」と議長が問う。出席したチーム代表が30数名いたであろうか、静寂が広い会議室を包む。

私が、別の全国的なスポーツ団体の下っ端の役員になったばかりの頃、同じような光景があった。そこで、一計を案じ、前泊で総会開催地に入った出席者の一部と協議して質問事項をまとめ、発言する人を決めた。当日、総会は急に活気づいた。いわゆるサクラであるが、それが呼び水になって発言する出席者が続いた。役員側は、翌年から報告・計画事項に緊張感を持って資料を作成するようになった。

役員の報告・計画事項の発表にも一工夫あってもよい。質問、意見、提言を出席者に問うように発表するのも良いのではないか。1年に1回だけの役員と愛好者が意見を交換する貴重な機会である。何も質問もない、ということはその組織にとっては危機であると私は認識する。昨夜の団体のチーム登録状況は、ここ6年間毎年減少傾向だ。

何も質問はない=何も期待していない。そのあとに来るのは・・・。そのように考えるのは私の考えすぎであろうか?

ジャーナリストの池上さんが最新刊「聞かないマスコミ 答えない政治家」で次のように述べている。「『いい質問』が政治家を育てる」。「政治家」を「協会・連盟の役員」に置き換えてみたらいかがであろうか。

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