この4月の新年度から私は、カンボジア日本人会の新米役員として動き始めています。当初は、日本人会の各種イベントで力仕事をお手伝いできれば良いかなぐらいしか考えていませんでした。しかし、実際、動き始めると、日本人会がこの国で大使館、JICA、商工会、日本人学校など多くの主要な団体と太い関係性を持っていることに気付かされました。まさに、カンボジアと日本の政治・経済・教育・文化の各方面との関係性が、日本人会のなかで縮図のように理解できます。
今夜は、日本人会と関係性の深い団体のひとつである「カンボジア元日本留学生協会」のクメール正月を祝う会に日本人会役員として招待されました。会場はトンレ・バサック2と言うレストランです。会費は$20でした。これにはビュフェスタイルの飲食代が含まれています。プノンペンでおそらく一番大きなセルフサービス式(ビュッフェ・スタイル)のレストランだと思います。駐車場も広く、驚きました。まだまだ私の知らないプノンペンがあります。
(今夜は60名ほどが店内の個室に集まりました。内、招待された日本人は7人ほどでした。我々の他にNGO関係者、日系企業経営者の方達が見えていました。貧乏性の私は、もっぱら食事に専念し、会費の$20相当分はお腹に入れました) |
(一般のお客様、凡そ300名は入ると思われる店内スペースです。日本食、中国食、カンボジア料理、イタリアンとコーナー展開しています。 |
彼らは、国費留学生ですから優秀な人間ばかりです。日本語は勿論、英語も話せます。日本人女性と結婚している人もいて、子供たちを連れて出席しています。彼らのしぐさを見ていて奇妙な感じを覚えました。何か、日本人のパーティ会場に来ているような、それでいてカンボジア的な部分もあるような、一般的に慎ましやかなパーティでした。
20年の戦乱で疲弊したカンボジアの復興のために、日本政府は留学生制度を1992年に始めました。大学は当時の国立(現在の独立行政法人)大学が主で、中期留学者は高等専門学校に派遣されました。帰国してからは政府機関、日系企業、高等教育機関、NGOに勤務し、中には主要なポストに就任している人も多くいます。10年以内には大臣が出てきてもおかしくないと思いました。
会は、夕方6時にスタートして時間は、9時半になろうとしていましたが、なかなか終わる気配はありません。こういうところは、さすがにカンボジア的です。我々日本人会の4名は、このあたりでお先に失礼しました。
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