今回は3,4位決定戦がないので2チームが銅メダルを獲得しました。我々のチームもインドネシアに勝っていれば、初めてのメダル獲得となるところでしたので、少し悔しいですね。
(3年計画が実を結び、銅メダルを獲得した地元シンガポール女子チームのメンバーと入場行進を1時間待っていました。 美人の女子バレーの方一緒に写真を撮りませんか?と誘ったら、ブロック移動よりも素早くシンガポール女子チームのメンバーが集まった) |
(光とスクリーン映像と音楽をミックスさせた斬新な手法で閉会式は行われました。観客は満席でしたので少なくとも4万人はいたと思います) |
実は、我がバレーボールチーム選手団のなかで、閉会式に出なかった人間がスタッフと選手で計4名いました。私は、スタッフにも選手達にも、この大会に出場するに当たり次のように言っています。
「コート上のプレーだけが経験ではありません。飛行機に乗ることも、ホテル内での振る舞いも、英語を極力使うことも、他のチームの試合を会場で見ることも含めて経験です。そのような経験が積み重なって、バレーボールが上手になっていき、強くなっていくベースになるのです」。
閉会式に出なかった2名の選手は、私が昨年11月に、ナショナルチームの最終選手選考会で選ばなかった選手達です。理由は、上手なのですが、協調性がなかったからです。自分勝手なのです。最終的には、諸般の事情で、彼ら2名を大会直前の1か月前に若い選手と入れ替えざるを得なくなりました。そして、やっぱりというか、今回の大会の肝心なところで、彼ら2名はチームの足を引っ張りました。
カンボジアは、2年前の大会でも、更にその2年前も、常に最下位に甘んじていました。調べた結果、チーム内での不和が一番の原因でした。実力的には東南アジアのベスト4に次ぐ5-6番手の実力を持っています。しかし、試合中にチーム内でお互いに仲間のミスを責めあっていては、ネットの向こう側のチームに勝てるはずはありません。
結果に対しての評価は、監督としての私が受けます。良い評価が出れば、私はその理由を努力した選手達と支援してくれた連盟とファンの皆さんです、とメディアには言います。悪い評価であれば、内実がどうあれ、競技スポーツは結果で評価されますので私の能力の無さと認め潔く辞任します。
若い選手達は明るくて素直です。カンボジアでの練習環境を少しずつ改善しながら、国際試合の経験を積んでいけば、2年後の東南アジア大会(マレーシアにて開催)ではベスト4どころか、決勝戦まで進出する可能性もあります。
この大会期間中にシンガポール男子・女子両方の監督を3年前から務めてこられた成田先生(前東海大学教授、元JVA強化委員長)からは東南アジアのバレーボール諸般事情について詳細にわたりご教授いただきました。また、アジアバレーボール連盟の重鎮でありますMr.シャンリット氏はじめ役員諸氏からは温かい激励のお言葉を頂きました。彼等は、カンボジアバレーボール連盟の課題を実に良く把握していました。
現在の東南アジア地域で、日本人指導者が尊敬の念を持って受け入れられているのは、日本バレーボール協会が、過去にアジアのバレーボールの発展のために多大な支援をされてきた遺産であると思っています。
東南アジアで指導された日本人コーチは、1980年代のインドネシアを強化した三森さん(旧日本鋼管)、1990年代にはミャンマーのバレーの基盤を作った桧山さん(北海道バレー協会)、2000年代に入ってからはミャンマーを強化した松永さん(現国際平成大学教授)、そして3年前からシンガポール男女を指導され、今回女子に初めて銅メダルをもたらした成田先生(前東海大教授)がいらっしゃいます。
そして、派遣された国々の主に地方で地道な活動を続けてきているJICA青年海外協力隊バレーボール隊員がいます。東南アジアでは、現在ラオスだけに隊員が継続的に派遣されています。更に多くのバレーボール隊員が東南アジア諸国に派遣されるように私も活動しているところです。
日本人指導者は、アジア各国の中でその指導力を高く評価され、今でも招聘を求められています。但し、単なる技術指導力だけではなく、連盟運営や国内指導者育成の手腕も求められています。勿論、そこでのコミュニケーションは基本的には英語です。語学力も必須です。情熱だけでは短期の指導しかできません。短期の指導では、成果も直ぐに萎んでしまいます。短期であっても、継続的に、そして計画的に行えば成果はすぐには出なくとも、一定の評価はされます。
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