2016年7月28日木曜日

July 27,2016    青年海外協力隊にラモン・マグサイサイ賞が授与される

「アジアのノーベル賞」とも呼ばれるラモン・マグサイサイ賞が、日本のJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊に授与されることが決まりました。

OBとして、この受賞は、我々に対しての評価として誇りに思います。

マグサイサイとは、人名です。ロマン マグサイサイ(Romaon Magsaysay)賞とは、 フィリピンの第7代大統領の功績を称えて創設されたものです。彼は1953年から1957年に渡って大統領の職に就き清廉潔白な政治で人気を得ましたが、1957年に飛行機事故で死去しました。49歳でした。

私は1976年から1978年まで北アフリカのチュニジアにナショナルチームのアシスタントコーチとして派遣されたOBです。当時の私は、若干23歳で大学を休学しての参加でした。アフリカ大陸そしてアラブ国においての最初のバレーボール指導者でした。

当時の私は、熱意だけは人一番ありましたが、指導力などは未熟でした。成果は出しましたが、周りに助けられ、支えられて、運も味方しての成果でした。

テレ朝今夜のニュースの記事は下記の通りです。

なお、NHK World Newsでも取り上げられました(English:英文です)。
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20160728_02/


『27日に発表された今年の受賞者には、青年海外協力隊やラオスの救急ボランティアなどが選ばれました。1958年に創設されたラモン・マグサイサイ賞は、フィリピンの財団がアジアで社会貢献をした団体や個人に毎年贈っているもので、アジアのノーベル賞とも呼ばれています。青年海外協力隊は、世界中で延べ4万人余りがボランティアで途上国支援を続けてきたことが高く評価されました。JICAは「今回の受賞を大変、光栄に思います。今後も『現地の人々とともに』という伝統を大事にしながら、アジア及び他の地域の開発途上国が抱える課題に草の根レベルで取り組み、経済や社会の発展に貢献して参ります」とコメントしています。授賞式は8月31日です。』

2016年7月24日日曜日

July 24,2016   TOEIC 3回目の受験

きょうは、TOEICを2年ぶりに受験してきました。

会場は、自宅の近くの西船橋駅から東葉高速鉄道で5つ目の駅の真ん前にある日大理工学部でした。駅の改札口を出ると凡そ3,000名ほどが校内の試験会場に向かって行きました。

ほとんどは大学生らしい若い人たちですが、30歳台の男性もいます。外国人のスリランカ人も見かけました。私のような60歳代は、ほとんどいません。

試験は2年に1回受けています。時間は2時間ですが、今回も200問全て解答できませんでした。解答できたのは、170問だけです。

試験が終わって、帰りがけに友人同士で歩きながら話しているのが聞こえてきました。やはり、ほとんどの人が、全問解答できる時間的余裕がなかったようです。

私の場合は、まだまだボキャブラリー(語彙)が不足です。また、一つ一つの単語の意味は理解できていても、文章の中で適切な意味に解釈できていません。

確かに記憶力は若い時より低下しています。従って、若い時の3倍の時間と集中力が必要です。「習うより、慣れろ」の精神でこれからも英語学習に取り組んでいきます。

結果は、35日後に郵送されてくるとのことです。4年前のスコアは、520点(990点満点)でしたので、今回は600点前後取りたいものです。

2016年7月21日木曜日

July 21,2016    ロシア選手団全体がリオ オリンピックに出場不可?

ロンドン時事によると、スポーツ仲裁裁判所(CAS)は21日、組織的なドーピングでロシア陸連が国際陸連(IAAF)から資格停止処分を科され、ロシア選手全てが原則として国際大会に出場できないことを不服としたロシア68選手の訴えを棄却しました。

CASは、資格停止を受けているロシア陸連の選手はIAAF規則で開催されるリオデジャネイロ五輪に出場する資格はないとの裁定を下しました。

これで、IAAFが認めた2人を除くロシア陸上選手はリオ五輪に出場できなくなりました。国際オリンピック委員会(IOC)はCASの判断を考慮するとしており、24日に開く臨時理事会でロシア選手団全体を除外する可能性が高くなりました。
 
IOCは「裁定を精査して、数日以内にロシア選手のリオ五輪参加可否について決定する」との声明を出しました。
 
リオオリンピック・パラリンピック開幕を直前にして、当のロシア選手団のみならず、ライバル国もIOCの最終決定をハラハラしながら待つことになりました。なにせ、ロシアは2012年のロンドン大会では、金メダル獲得数は24個で、全体の第4位でしたから、ロシアが出場するとしないとでは、金メダルの行方が違ってきます。
 
バレーボールでは、ロシアの男女チームとも優勝候補です。日本女子はロシアと同じAグループに入っています。
 
このAグループには、地元のブラジル、ロシア、日本、韓国が入っています。日本がメダルを獲得するには、このAグループで3位以下にならないことです。3位もしくは4位になった場合、Bグループの1位か2位と対戦します。恐らく、それらのチームは中国とUSAです。現在の日本女子がこの両チームに勝てる可能性は非常に低いと推察されます。敗退すれば、5位から8位という結果になります。
 
ロシアが不参加となれば、日本は2位の可能性も出てきて、Bグループの3位と対戦します。
それでもセルビアかイタリアですから、厳しい戦いになります。

24日のIOC臨時理事会で、どのような決定がなされるか、実際の試合とは違う息苦しさを感じています。
 
 
 
 

July 19,2016    平成国際大学に松永先生を訪問

大学教授の松永先生、というより、私にとっては元日立茂原バレーボールチームの松永監督のほうがしっくりきます。

きょうは、午後から埼玉県大宮市のお隣の加須(かぞ)市にある平成国際大学に向かいました。現在はそこの大学で教鞭をとられている松永さんに会うためです。

私がカンボジアに出発する直前の2014年5月に東京で偶然お会いした時に松永さんから東南アジアでの指導における注意事項をアドバイスしていただきました。きょうは、その御礼と報告を兼ねて大学を訪問しました。

大学に着くと、松永さんの研究室に案内されました。そこには大学生が5名いました。ゼミを行っている最中でした。松永さんは、私にカンボジアのことを学生たちに話してくれないかと依頼されました。学生たちは3年生で、まだ海外で働くということにイメージを持っていないようでした。

その後、松永さんと私との間で東南アジアにおけるバレーボール事情の話に移りました。学生たちは我々の対話を30分ほど聞くことになりました。

その対話の中で、以下のような松永さんのプロフィールが確認できました。

松永さんは日立茂原で監督として21年間、日本リーグ(現在のVプレミア)で活躍されました。その後、1996年から2年間、東南アジアのインドネシア女子ナショナルチームの監督、次の2年間はミャンマーに国際交流基金より派遣され男子ナショナルチームを指導されました。ここで、松永さんは日立茂原を退社され、1999年から1年間はアメリカにて女子プロバレーボールの創設、アシスタントコーチとして奔走されました。2001年に日本に戻られて、上尾中央総合病院女子バレーボールチーム(現上尾メディックス)の初代監督に就任されました。

2006年に平成国際大学の教員として採用され、男女バレー部の総監督、女子バレー部の監督として現在に至っています。来年度にはスポーツ健康学部が新設されます。松永さんは、その新学部の準備委員長としても毎日多忙な様子です。

ゼミを終え、その後、女子バレー部の練習を見させていただきました。女子バレー部は、現在関東大学バレーボール連盟3部に属しています。選手に関しては、高校時代は、無名の選手ばかりですが、松永さんの指導を受けて、めきめき力を付けてきています。

練習内容は、松永さんの今までの集大成のようで、どの練習も無駄のない効率的、効果的な練習でした。私が持参したノートに4ページ分のメモを取りました。とても参考になりました。

松永さんとは、今後もお会いして、松永さんの経験を通じて、これからの日本のバレーボールを考えて行くベースにしていきたいと思いました。

バレーボールと真剣に向き合っている方たちとバレー談義をしているときが、私にとっての至福の時です。

2016年7月19日火曜日

July 18,2016     ママさんバレーボールの合宿に同行

ママさんバレーボールチームも合宿(Camp)を行います。

とはいっても、高校生のようなバレーボールの練習だけ行うというものではありません。

今回同行したのは、千葉市にある「Sunrize」という千葉県でも30年以上活動が続いているチームです。活動が長く続いている秘訣は、リーダーシップにあります。監督は奥山さんという人で、中学の外部コーチも務めています。そして、もう一人のリーダーの藤間さんがいます。彼女は千葉県ママさんバレーボール連盟の会長職に就いています。

更には60歳以上の重鎮が数名います。最高齢は86歳です。

今回の合宿の内容は、まず16日日曜日に4台の車に20人が分乗して太平洋に近い匝瑳(そうさ)市に行きました。ここで生協が管理している民家を借りました。全員で、掃除、昼食を頂き、午後からは地域のママさんチームと交歓試合を行いました。

夕方になって、大食事会の開催。そして、子どもたちには花火大会、肝試しなど行い、大人たちは深夜まで女子会と称してお喋り三昧。一人だけ男性である私には、彼女たちのGirls' talkには付いて行けす、はやばやと寝させていただきました。



翌朝の18日の午前中は、近くの海水浴場に行き、ビーチバレー、西瓜割り、ハマグリ拾いを行いました。子供たちは自然の中で大いにはしゃいで楽しんだようです。私も、日常と違う空間、緑と青の自然に浸かり、久しぶりに気分が晴れました。

2016年7月14日木曜日

July 13,2016    ママさんバレー指導

日本に帰国して、指導の現場に戻りました。まずは、ママさんバレーボールからです。

以前指導していた船橋市内のBell(ベル)というママさんチームです。日本語で「可愛い」という意味のフランス語です。

5年前は、幼稚園児のお母さんたちで結成したチームでした。そして子供たちが幼稚園を卒園すると、お母さんたちは一般クラブチームを作って、私もそのまま幼稚園ママさんチームのコーチからクラブチームのコーチとして一緒にバレーを楽しんできました。

2年ぶりにチームのコーチに戻って練習に参加しました。練習は和気あいあいと仲良くやっています。しかし、残念ながら、チーム力は停滞していました。

計画的に、段階を踏んで練習をしていけば、素人チームでもボール扱いが上手になっていきます。お母さんたちの年齢も30歳代半ばですので体力はあります。

今夜の練習内容は、9人制のフォーメーション理論から入りました。全体を理解することで、個々のポジショニングにおいて必要な技術が明確に理解できます。

その後、今夜の参加人数は10人でしたので、5対5の条件付きゲームを行いました。バレーボールの楽しさ、それはボールを床に落とさずに仲間と連携してボールをつないでいくことです。少ない人数でもミニゲームを常に練習後半に行うことがチームスポーツには大事です。

その場合にポイントとなるのは、条件設定です。例えば、少ない人数で行う場合は、コートを狭くすることです。具体的には6人制のフロントゾーンをアウトゾーンに設定することも有効です。またはコートを縦半分に分割して行うことも実際のゲームに近い感覚で行うことが出来ます。3対3でしたらフロントゾーンだけでゲームを行うことも良いですね。

条件設定では、サービスを1本制にすることで確実性のあるサーブを入れさせることにもなります。またタッチ アウトを重点的に練習する場合は、タッチ アウトでの得点を2点にするという条件を付けることでタッチ アウトのプレイを積極的にやるようになります。

上手になるには、上手になるための方法・内容が必要です。指導者は、そのための知識の引き出しを日ごろから学習して、沢山持っておく必要があります。

2016年7月13日水曜日

July 12,2016   契約会社を退社

2年と1ヵ月は、長いようで短いようですが、昨日11日を持ちまして、私をカンボジアに派遣された契約会社の(株)マルハンを退社いたしました。任務終了による退社です。

現在の日本で2年以上、他国にスポーツ指導者を派遣することのできる組織は、外務省、JICA、国際交流基金の政府関係、余力のあるスポーツ団体(日本サッカー協会など)、そして社会貢献に熱心な民間企業だけです。

(株)マルハンは、バレーボールを通じてカンボジア社会に貢献しようと私を派遣しました。

そして、1年1ヵ月で、東南アジア大会にて、それまでの最下位から脱出して5位になるという成果をあげました。もう1勝していれば、銅メダルを獲得できるところまで行きました。

次の東南アジア大会は2017年マレーシアで開催されます。その大会でのカンボジア男子チームの目標は決勝戦進出としていますが、私の使命は、とりあえず最下位脱出ということでしたので、私の役割は終わりました。次の目標達成における指揮官は、カンボジア人ということです。

国内での指導者育成事業は、私も昨年から始めたばかりでした。スポーツ科学を基にした指導が私の指導の特徴です。生理学、解剖学、力学、心理学、社会学などの科学を学習することでより良いスポーツの指導ができます。

いずれにしろ、カンボジア バレーボール連盟は、私の指導で作り上げたチームを基盤にして自分たち自身の手で強化を行うことを選択しました。彼らの自立は、私の最終目標でもあります。現在のナショナルチームのメンバーが指導者として国内で競い合う時、カンボジアバレーボールはアジアの中で再び輝きを放っていることであろうと期待しています。

July 11,2016   スポーツ アカデミー形成支援事業の現場に行く

きょうは、日本におけるスポーツ アカデミー形成支援事業を実際行っている現場の1つである日本体育大学世田谷校舎に行ってきました。

ここで、日本における最近の国際支援事業を整理してみましょう。

この国際支援事業名の正式名は、総称して「スポーツ フォー トゥモロ―: Sports for Tomorrow」と言います。2020年東京オリンピック・パラリンピック大会開催が決定した後に、2014年から2020年までの7年間で、開発途上国をはじめとする100ヵ国以上、1,00万人以上を対象に、日本国政府が推進するスポーツを通じた国際貢献事業です。

Sports for Tomorrowは、主に以下の3つの柱から構成されています。

1. 戦略的二国間スポーツ国際貢献事業
2. スポーツ アカデミー形成支援事業
3. 国際アンチ ドーピング強化支援事業

きょうから金曜日まで日本体育大学で行われるスポーツ庁委託事業は、2番目の領域に入ります。1ヵ月前に日本体育協会から私のところにこの事業の開催案内書が届きました。内容は、日体大とコーチ育成事業を行っている世界的な団体であるICCEが講習会を開催するというものです。受講者は全員外国人で欧米、アフリカ、南米、アジアと多様です。主な職業は大学の教員や研究者です。私は参観者という立場で参加しました。

私が参加した一番の動機は、講習会で使用される言語が英語ということでした。来年度からは、私自身もFIVB国際バレーボール連盟公認インストラクターとしてアジアを中心に講師活動を行う可能性があるので、講習会での英語の使い方を学習する良い機会であると思ったからです。

この日、6時間の講習会に外部から参加して感じたこと、それはアカデミックな英語の力が私にまだまだ不足しているということです。バレーボールだけの分野でしたら、受講者ともやり取りできる自信はあります。しかし、アカデミック、つまりスポーツ科学の専門分野での英語発信力・理解力は、私にはまだ十分に備わっていません。

それにしても、数年前に改築された日体大の施設は大きく、明るく、清潔で設備も整っています。32年前に私がミズノの社員として日体大の以前の校舎に入ったころを思い出しました。

あの頃のバレーボール研究室には部長の中田茂先生、監督の進藤先生、コーチとして着任されたばかりの森田淳悟先生がいらっしゃいました。全日本インカレが大阪で行われるときは、どういう訳か、最終日の夜だけは、私も先生方と一緒の部屋で寝起きを共にさせて頂きました。

思い出は尽きませんが、本日はこのくらいで終わらせていただきます。


2016年7月12日火曜日

July 10,2016     参議院選挙が終わって

私は、国政選挙に家族と一緒に毎回投票にいきます。

私の1票は、国を動かす。そう信じて毎回投票しています。

選挙の結果は、ある程度想定していた結果でした。野党共闘は、さほど効果がありませんでした。民主党の党名変更も遅すぎた感があり、国民に新党名が浸透する時間が不足でした。

今回の選挙の結果で大事な点は、参議院における憲法改正に前向きな勢力が、非改選と合わせて、憲法改正の発議に必要な全議席の「3分の2」を超えたということです。
さて、今回の立候補者の中にプロ野球選手、オリンピック選手など元アスリートが数名いました。TVでは、当選した彼らにインタビューしているところが放映されていました。

メディアの取材への彼らの回答を聞いていて、残念なことに、彼らには具体的な政策を持っていないことが分りました。

つまり、スポーツの価値をイメージ的に訴えているだけで、体育スポーツ系の大学生の知識レベルと変わりありません。

自民党のバックアップで当選するのが目的で、政治家として何をやるのかは、これから考えます、というレベルです。

ちょっと残念です。

その点、元タレントのそのまんま東は、大学に入学して政治学をしっかり学んでから県知事選挙に打って出ていきました。

さすがですね。
 
いずれにしろ、国民の負託を受けて当選して、これから6年間参議院で働くわけです。今からでも遅くはないので、政治学をイロハから学んで欲しいと願っています。

 

2016年7月10日日曜日

July 09,2016    Wimbledon 2016: Serena Williams won 22nd Grand Slam title

今夜は、NHKで放映されたテニスのウィンブルドン女子単決勝戦をライブで観ました。

対戦相手は、この試合で負けても、初めて世界ランキング2位にアップすることが間違いないドイツの28歳ケルバーです。

結果は、34歳のセリーナ ウィリアムズが2年連続で優勝しました。更に彼女は、4大大会(Grand Slam: グランドスラム)優勝記録で、歴代22回優勝の記録を持つステフィ グラフに並びました。次の記録のターゲットは、歴代1位のマーガレット コートの持つ24回を抜くことでしょうか。

セリーナは、優勝インタビューで次のように言っていました。

「私の関心事は、コート夫人の記録のことより、今までの自分の優勝からテニスを学んでいることなの。プレイすること、勝つことを楽しんでいるわ。ベストを尽くしてね。 That's what I do best.」(渡邉 訳)

セリーナのプレイの特徴は、サーブ & ボレー(volley)です。強烈なサーブで崩して、すかさずネットに寄り、相手がかろうじて返してきたスピードのないボールをワンバウンドさせずに相手がレシーブできないところに打ち込む(ボレー・ショット)ことです。バレーボールでいうところのサーブ&ブロックです。

彼女のサーブの最速スピードは、197kmです。今回の男子単でベスト4に終わったトッププレーヤーのジョコビッチの最速は195kmですから、彼女のサーブがいかに速い!か理解できます。明日行われる男子単決勝戦のラオニッチ(カナダ)の最速は何と230kmです!。

日本のプロ野球界での投手の最速の162kmと比べても、ボールのスピードは速いですね。

テニスのスピードサーブに慣れるために、女性プレーヤーの場合は、サーバーコーチとして男性を選び、なおかつサーブの位置をネットに近づけるということです。

バレーボールの場合も、同様なことを行っています。ネットから7mの位置に約80cmの高さの台を置き、その上でサーバーが打ちます。

セリーナは16歳で4大大会に出場して、18歳で優勝しました。現在34歳の彼女は、一向にパワーが衰える気配はありません。秘訣は、飽くなき向上心と筋トレです。最近では自転車、ボクシングそして動きの柔軟性を維持するためにダンスも取り入れています。

彼女のお姉さんの36歳のビーナスも今大会でベスト4でした。凄い姉妹です。明日のダブルスも優勝するのではないでしょうか。

世界のトップを維持しているアスリートは、努力も世界トップクラスなんですね。

2016年7月6日水曜日

July 05,2016    世界を代表する通信社に訪問しました

日本に完全帰国をして、1か月が経ちました。今日の午前中は、JR新橋駅の近くの汐留駅の上方にそびえ立つ汐留メディアセンタービルにある共同通信社に行ってきました。

(地下道から向かったので、たどり着くまで迷いました。外からであれば、このような高いビルはすぐに見つけられたのですが・・・)


共同通信社は、日本国内外のニュースや写真、記事関連のデータを日本国内の新聞社、NHK、民間放送局などに提供・配信しています。

社の就職説明会によりますと、採用は少数精鋭で、毎年20人弱ほどで東京大、京都大、早稲田、慶應が半数以上を占めるということです。朝日読売などの他社からの採用もあります。

英国のロイター通信や米国のAP通信とならぶ、世界を代表する通信社です。日本国内はもとより世界で、強固な地位を確立しています。日本国内の新聞社等各社は、共同通信が存在しないと、ニュースを報じ運営していくのは困難であると言われています。

そんな日本のメディアの総本山ともいうべく共同通信社に論説委員である竹内浩さんを訪ねて行きました。竹内さんをご存知の方は少ないと思いますが、実はFIVB国際バレーボール連盟メディア委員会委員長の任に就いており、JVA日本バレーボール協会の理事にも就任されています。

一通り、カンボジアはじめ東南アジアでのバレーボールの現状を申し上げ、その後、日本のバレーボールの今後の話になりました。竹内さんは、さすがに世界から日本を見る立場にある人なので、彼の意見は、日頃私が明確に表現できないことを明快に説明してくれました。

日本には竹内さんのような国際派がいらっしゃいます。このような方たちの意見を具現化していけば日本バレーも復活するとお話を伺っていて確信した次第です。

情報は、こちらから赴かないと入ってきません。同時に、先方にとっても私が新鮮な情報を持っていかねば、先方は私にとって価値ある情報を与えてくれません。

まだまだ、お会いしなければならない方たちがいます。あと2ヶ月はかかりそうです。

2016年7月5日火曜日

July 04,2016    日本バレーボール協会を訪問

日本バレーボール協会事務局を訪問してきました。目的は、カンボジアにおける私の2年間の活動報告です。

報告を受けて頂いたのは、強化委員会副委員長の川合俊一さんです。川合さんは、私からの報告を聞かれて、東南アジアの発展途上国での指導の困難さを十分理解して下さったようです。その困難な中でも、東南アジア大会で過去万年最下位の男子チームを5位に引き上げたことを川合さんは評価してくれました。

川合さんは日本ビーチバレー連盟の会長でもあります。川合さんからは、今回のリオ オリンピックにビーチからは男女ともアジア予選で敗退してしまったことに衝撃を受けている、と言われました。アジアのビーチバレーの進歩は凄まじい。特に体格面でトップ4クラスで、女子は平均1.9m、男子で2.0mと高さが世界クラスになってきている、ということです。高さを生かした攻撃は、日本のブロックの上から打たれる場面がしばしばあり、今後の強化は抜本的な対策が必要だ、とも言っていました。

日本のバレーは、1980年のロスで女子が銅メダルを獲得、その後、2012年のロンドンオリンピックで女子が銅メダル獲得しました。この34年間、世界3大大会(オリンピック、世界選手権、ワールドカップ)で以上の2個のメダルだけで、他に何色のメダルも獲得していません。

2020年の東京オリンピックでは、日本は開催国ですから予選を経なくとも出場できます。この2020を梃(テコ)にして、強い日本バレーの復活を目指すべきと私は考えています。

その時に、私にできることは何か。その何かを、私はカンボジアで反面教師として学んできました。一般的に、発展途上国のスポーツは、なぜ弱いのか、理屈では理解していたことを、我が身で嫌というほど味わってきました。そして、カンボジアでの2年間は、私の指導に更に深みを増してくれました。

2016年7月4日月曜日

July 03,2016    大学バレーの練習試合で

先週お伺いしました文教大学女子バレー部(関東リーグ3部)監督の石野さん(元IHI9人制女子バレー監督)からのお誘いもあり、本日は練習試合に参加しました。

場所は埼玉県北越谷駅近くにある文教大学第2体育館。対戦相手は東京大学(関東リーグ5部)。

石野さんが北越谷駅まで出迎えに来てくれました。会場に着いて、東京大学の監督と挨拶を交わしているうちに思い出しました。その監督は、元日本電気(現NEC)女子バレー部初代コーチの豊田さんでした。30年ぶりぐらいの再会です。

当時の日本電気女子バレー部は、廃部になったヤシカ女子バレー部をそのまま受け継いで創部されました。豊田さんは駒澤大学出身です。駒澤大学の当時の監督は名将宮澤先生でした。古武士のような風貌をされていて、非常に厳格な先生でした。駒澤大学の監督に就任される前は駒澤大学高校の監督として全国大会常連チームを作っていました。大学の監督に就任すると、それまで関東大学5部で低迷していたチームをあっという間に1部まで引き上げました。

そんな昔話を練習試合の前に豊田さんとしていました。

きょうの練習試合の場に来て私にとっての一番の成果は、そのような昔のことを思い出させてくれた豊田さんとお会いできたことです。

日本電気女子バレーボールチームは、ミズノの社員として私が初めて自力で開拓した実業団チームです。その後、イトーヨーカドーの創部にも関わりましたが、日本電気女子バレー部が私の実業団バレーの在り方を学習する最初のきっかけを作ってくれました。

現在のブラジル男子監督のレゼンデ氏も、日本電気に当時はブラジル女子バレーアシスタントコーチとしてしばしば足を運んでいました。レゼンデ氏は日本電気で日本のバレーボールを吸収していました。9人制バレーボールにも関心を示していました。アメリカ女子バレー監督のセリンジャー氏は当時、日立の山田監督と親交を持っていました。

当時の世界の女子バレーの中心は日本だったのです。

豊田さんとのツーショットを撮っておくべきであった・・・。

2016年7月2日土曜日

July 02,2016    全日本女子リオ オリンピック メンバー選考結果

昨夜は、2年ぶりに墨田区にあるソフトバレークラブの「ジール」に行き、ゲーム練習に参加させて頂きました。
 
ゲーム開始直後、私の右膝上部の大腿筋に痛みを感じました。膝を屈伸できなくなりました。それでも4セットを無理せずプレーしました。練習の後、9人のメンバーと近くの中華料理屋さんに行き、楽しく談笑しました。
 
そのお話の中で、今週初めに発表されたリオ オリンピックに出場する全日本女子のメンバーについて私の持論を申し上げました。
 
 
「今週初めに、全日本女子バレー監督の真鍋さんが、リオ オリンピック出場の12名のメンバーを発表しました。

そこには、若手ホープの20歳の古賀選手(NEC)がいませんでした。

彼女は、4年後の東京オリンピックで中心選手として活躍が期待されています。 

代わりにレシーバーの座安が選ばれました。

理由は、日本はライバルの高身長のチームに対抗するべくレシーブを固める。
そのためには攻撃力はあっても、レシーブの良くない古賀を外すということです。

全日本は、選手を選出するだけでなく国際試合で経験を積み重ねることも期待されている場です。

木村沙織も辛抱強く使い続けることで苦手のレセプション(サーブレシーブ)を克服してきました。

私の今回のレシーブ重点の選手選考に関しての感想は、グループ戦で格下のチームには確実に勝利するチームではあっても、各上のチームに勝ってメダルを狙うチームではないと思っています。

昨日、ビーチバレーアジア予選でオーストラリアから戻ってきたビーチの役員から報告を受けました。

男女ともリオ オリンピックへの道は断たれた、ということです。

Womenは4位、Menは1回戦敗退です。

上位のチームは男子で2m、女子で1.9mが平均身長で、日本女子の170cm前後の小さなブロッカーの上からレシーバーのいないコートにスパイクを打たれ、手も足も出なかった、ということです。

つまり、日本の今後の強化は、インドアもビーチも、例えば女子では、180cm台の選手にレシーブ能力をつけさせることが必要になってきます。

勿論、レシーブを容易にするためには、攻撃的なサーブを実行して、相手スパイカーが十分な態勢でブロッカーの上から打たせないようなサーブ戦術が必要です。

リオでは、日本女子はベスト8の可能性が大です。

グループ初戦では、韓国と対戦します。

この試合で敗退すると、その後のブラジル、ロシアにも敗退すればグループ6チーム中4位がほぼ決まります。

4位であれば、他のグループの1位・2位のUSA若しくは中国とのトーナメント戦になります。

敗退すればベスト8です。

リオは、日本にとって東京オリンピックのための若手育成の場であると私は思います。

勿論、日本女子は、メダルは狙っていかねばなりません。

真鍋さんのデータ信奉主義(データありきの戦術)も悪くありませんが、4年後へのビジョン(戦略のためのデータ活用)が乏しいことには?です。

監督個人の戦略の前に、協会(強化委員会)としての長期戦略、中期、短期の戦略が必要ではないでしょうか。」
 
まあ、そんなことを、申し上げました。

それにしても、ここ2年間の私自身のトレーニングを怠ったツケが来ました。筋肉量が随分と落ちました。ナショナルチームの監督として、カンボジア連盟上層部とのマネジメントや言葉での指導が多くなったせいで「舌下筋」は鍛えられましたが、ボディ全体の筋肉は鍛えていませんでした。

そんな訳で、今週から筋トレを始めた次第です。