国旗掲揚ではオベラ歌手の独唱と一緒に選手一同が斉唱した。選手側で国歌を斉唱したのは久しぶりであった。単純なことであるが、こんな時に、日本人であることが確認される。海外の地で日の丸の掲揚と君が代を聞くと、更に自分が日本人であることを再認識し、誇りに思う。
点火式も行われた。津波被害を受けた気仙沼市、石巻市、名取市の3家族がランナーとなり、3世代でリレーしながら炬火(きょか)台に点火した。「復興の火」「希望の火」は絡み合い、混じり合い、融合して、一つの炎となった。人間は、古代、火を獲得してから文明化が始まった。火は闇夜を照らす明かり。炬火台の火は会期中、選手、役員達の安全を見守るように照らしてくれるのであろう。
(我が大穴クラブ。クラブ員34名の内、高齢者の人数は千葉県No.1!)
あの震災直後、私も些少ではあったが、できるだけの支援をさせて頂いた。山形県ソフトバレー連盟の佐藤三幸さんの呼びかけに応じ、衣類を岩沼市バレーボール協会に送った。岩沼市には沿岸部から多くの被災者が避難してきていた。我々がバレーボールの講習や県大会などで使用した岩沼市営体育館は、しばらくの間、遺体安置所になった。
本来であれば、岩沼市バレーボール協会理事長、宮城県ソフトバレーボール連盟理事長の三浦さんと再会し大いにねんりんピックを楽しむ予定で3年前からこのソフトバレー交流大会に千葉県代表で出場するように調整してきた。その三浦さんは昨年の2月14日に突然、我々の前から逝ってしまった。亡くなる前夜の日本連盟の会議の後、理事8人で少しだけお酒を酌み交わし、明日の会議も早いのでと、7時半にはお開きにした。
「じゃあ、なべさん、また明日」。それが三浦さんの最後の言葉になった。
広い競技場から晴れ渡った秋の空を見上げた。空に浮かぶ雲が三浦さんの丸い顔になってニコニコしているようであった。
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