2015年2月28日土曜日

28,Feb.2015 カンボジアの結婚式と交通事情との関係

なぞかけである。

カンボジアの首都プノンペン市内の結婚式と掛けて何と解く?

答えは「交通妨害」と解く。

カンボジア国内ではこの時期、結婚式ラッシュである。理由は、気候が乾期なので、雨が降らない。国は違っても、やはり女性の御召し物が濡れない時期が結婚式シーズンである。気温もさほど暑くなく、朝晩は肌に気持ちの良い風が流れる季節でもある。

結婚式場は、民間の結婚式場もあるが、自宅前の道路に結婚式業者が大きなテントを張り、調理人も業者が準備するのが普通である。伝統なのであろう。一般的に2日前からテントの設置などの準備に入る。テントは道路の半分以上を占拠し、4輪車はまったく通れなくなる。
(私が良く行く日本居酒屋さんのお店の前にも結婚式テントが立った。
明日には、机や椅子も運び込まれてくるであろう)

地方では、こういうものは風情もあり、それはそれで良いであろう。しかし、都心の場合事情は大きく違ってくる。特に市中の商店街でテントを張ってしまっては、他の商店の営業妨害になってしまう。車は4輪車もトゥクトゥクも通れない。バイクがかろうじてテントの脇をすり抜けられぐらいだ。全くの通せんぼに近い。それでも、この国の人達は、そのことを妨害とは捉えず、大事な人生の門出なのだから大目に見るのが当たり前と思っているようだ。

今朝の練習に行く道路にも、簡易テント結婚式場が3ヵ所設置されており、私の専属運転手は、回り道をして練習会場に行かねばならなかった。

3月8日には、ナショナルチームのアシスタントコーチが結婚する。場所は、市街の、それも行き止まりのところにある職場である内務省パスポートセンターの中であるから、これは隣近所には迷惑をかけないであろう。しかし、結婚式前後には、彼も練習に顔を出せないであろうことは予測できる。

きょうの練習でも、練習場に顔を出すのが遅れてきた。結婚式を控えて、何かそわそわしているのが私にも分かる。昨日のたかだか1時間のピザパーティにも余裕がないのか出席を断ってきた。来週の8日前後には、彼に休みをあげておいた方が無難なようである。結婚式の方に気持ちが傾いている人間は、そちらの方に集中して頂こう。




27,Feb.2015 誕生日を忘れていた

きょうは、私の誕生日であった。

50歳の頃から、私は自分の誕生日を祝うことはしなくなった。家族や友人が私の誕生日を祝ってくれることには素直に感謝している。そして、私自身は、自分の誕生日を迎えるたびに、家族や仲間友人、諸先輩たちに助けられて、誕生のこの日を迎えることできたことに感謝する日としている。

夕方に、先週国内大会で優勝した内務省警察チームとナショナルチームのメンバー、そしてスタッフを私個人の主催でピザ店に招待した。選手達と優勝したらご馳走するよと約束していたのだ。店員さんたちは、カンボジア人としては大きい人たちが20名ほどゾロゾロと揃って入店していったら驚いた顔をしていた。

食べ盛りの選手達は、あっという間にピザを平らげ、1時間ほどでピザ会は終了した。

私は、その後、まともな夕食を採るために、いつも行く日本居酒屋に出かけた。居酒屋に行ったら、そこの女将が私へのバースディケーキとシャンペンを準備していた。

そして、終盤に派手なおもてなしを受けた。
(Oh, It's my first time. I had a blast.)

他のお客さんもいる中で、少し気恥ずかしかったが、ロウソクを吹き消させて頂いた。久しぶりに頂くふわりと軽いケーキは口の中で優しく溶けて行った

2015年2月27日金曜日

26,Feb.2015 全日本女子バレー選手がドーピング違反

 
全日本女子選手がドーピング違反で処分された。誠に残念な事態である。
 
以下、共同通信の記事から引用する。
 
「日本バレーボールリーグ機構は26日、ぜんそくの治療薬を服用したことによるドーピング違反でプレミアリーグ女子、NECの日本代表、大野果奈(22)に1月7日から2カ月間の資格停止処分を科したと発表した。発覚後に暫定的な処分を受け、試合には出ていない。
 大野は昨年12月の全日本選手権期間中に日本アンチ・ドーピング機構(JADA)による検査で、気管支を広げる作用がある禁止薬物ツロブテロールが検出された。大会中にチーム外部の医師が処方した薬を服用した。JADAによると、この医師は日本バレーボール協会によるドーピング防止の研修を受けていないという。
 大野は速攻を得意とするミドルブロッカーとして、昨年の世界選手権に日本代表として出場した。リーグ機構の木村憲治会長は「機構の代表として責任を感じている」との文書を発表。国際バレーボール連盟で医事委員長も務める日本協会の羽牟裕一郎会長は「今回の結果を厳粛に受け止め、再発防止のための指導の徹底と仕組みづくりを行う」と協会を通じてコメントした。(共同)」

結論から言うと、管理者であるチーム、機構、協会の責任が重いと言わざるを得ない。今や、アンチドーピングはIOCはじめFIVBも優先的に取り組んでいる大きな課題である。

ここカンボジアでも、昨年韓国の仁川で開催されたアジア大会でテニス選手が、本人の悪意ではなく服用していたやせ薬が陽性反応となった。

私のチームの選手達にも再度教育しなければならない。普段どのような薬を常用しているのか、また大会当日同行する医師がドーピングに対する知識を持っているのか、防止研修を受けているのか確認もしなければならない。

2015年2月25日水曜日

25,Feb.2015 この渋滞は重体だ。

きょうは、いきなりおやじギャグから入ってしまったが、プノンペンの幹線道路の朝夕の渋滞は道路を人間の体に例えたら、重体だ。

日本大使館はじめ各国大使館も隣接し、内務省の施設も面している幹線道路がノロドム通り。朝の混雑が特にひどい。今朝は海外からの要人の車列が内務省に入るのに、通行止めされて、それでなくとも渋滞する道路であるのに、10分ほど全く動かなくなった。

お蔭で、練習会場に行くのに、普段であれば15分ほどで行けるのに、こういう日は3倍の時間がかかる。選手達には時間を守りなさい、と言っている手前、私が遅れるわけには行かない。こういう時は朝食を車の中で採ることにしている。

朝食は、毎朝いつもお隣の日本人経営のcafeに事前にトーストセットを電話で予約しておき、テイクアウト(持ち帰り)する。そして車の中で頂く。

練習を終えた帰りも渋滞。



渋滞解消策としては、市の方も考えてはいるようだ。例えば、一方通行を増やすとか、公務員の時差通勤を促すとか、公共バスの運行とか。私が考える渋滞の一番の原因は、信号機のないところでも対向車線に入って角を曲がっていけるという交通法規の存在である。2番目は、信号機の設置個所が少ないこと。3番目は、路上に駐車しているので車幅が狭くなっていること。そして車(乗用車とモーターバイク)の目覚ましい増大。

渋滞にも良いことがある。それは、スピードが出せないので甚大な交通事故が発生しないことだ。地方の方が、まだ車は少ないので、スピードを出し過ぎてしまい、大きな事故につながることが多い。

2015年2月24日火曜日

24,Feb.2015 そして、平常に戻って

昨日のナショナチーム第2次合宿スタートは、やはりスムーズなスタートとはならなかったものの、午後には2名を除いて全員集合した。

先週の国内大会で3年ぶりの優勝を遂げた内務省警察チームの若手メンバーも一緒に加えて、今月の課題である基本技術の見直し練習を行った。月曜日の課題は、パス力の向上である。
(ブロックの基本練習は、必ず毎日行う。きょうは、ハンドワーク。ブロックジャンプしてボールを掴むトレーニングである。相手コートからダウンスパイクを3m、6m、8mのそれぞれの距離から打ってもらい、それを空中でキャッチする。ジャンプのタイミング、滞空力、指を含めた握力を鍛えるには効果的な練習である。
 
ゲーム練習になって、試しに全員が必ず前衛のライトポジション(#2)でセッターの役割をやるようなルールを採用した。ゲームの中では、セッター以外の選手がセット(トス)する状況も出てくる。ネット近くであれば、Aクイックのセット(トス)もできるようにしたい。

レシーバーは単にセッターがジャンプセットをできるようなパスを送るだけでなく、セッター以外のプレーヤーも単純なセット(トス)ぐらいはできるようにしたい。そのようなプレーヤーがリベロを含めてコート上に3人から4人いると更に面白いバレーボールが展開できる。

2015年2月23日月曜日

23,Feb.2015 ナショナルチーム第二次キャンプ始動だが・・・やっぱりね

ブルータス、お前もか? 第二次キャンプ(合宿)の始まる予定の今朝、体育館に着いてみたら、アシスタントコーチしかいない。思わず、またか?と舌打ちした。

Et tu, Brute? (ブルータス、お前もか?:ブルータスお前も私を裏切っていたのか!)

体育館に着いて、最初に頭に浮かんだのがこの言葉である。ラテン語であるが、ラテン語はフランス語の先祖でもあるので、フランス語を多少かじった私でも理解できる。英語であれば”And you, Brute?”.
(カエサルの死)

共和制ローマ時代末期の独裁官カエサルが議場で刺殺された時、腹心の1人であったブルトゥスに叫んだとされる有名な言葉である。この言葉を定着させたのは、劇作家ウィリアム・シェークスピアの『ジュリアス・シーザー』における台詞であった。

まあ・・・私の場合は刺殺されたわけではないが、選手達が集合時間の約束を守らぬことで、彼らには悪げはないのだが、私は黙殺されたようなものである。

この国のトップの人間を除いて、一般人に関しては、ほとんど、時間を守らない、近い将来を予測しない、計画性がない、話に論理性がない、理由に根拠がない・・・と感じている。しかし「無い」ことを羅列しても事態はすぐに良くなるわけではない。

彼らは、無能なのではなく、教育されていないだけなのだ。「なぜ、時間を守らなければならないのか?」まずは、このことから彼らに納得してもらわねばならない。間違っても、「それは、規則だから」と言ってはいけない。時間を守ることでのメリット、守らないことでのデメリットをまず述べることから始めたい。次は、それを規則(お互いの約束事項)にすること。規則には守らなかった場合の罰則が必ず付く。

そのことでチームがまとまり、社会も同じようにまとまり、統一されていく。事故も減少する。無益な時間が減少し、合理化され、生産性も上がっていく。ゆとりの時間も生まれてくる。

この国ではコーチングだけでなく、ティーチングも私に要求されている。まあ・・・これも私のような年寄りの務めなのであろう。年寄りの長所は、沢山の失敗を経験していること。そしてそれを糧として多くの困難を乗り越えて来たことぐらいだ。年寄りは、まだまだ使える。

おっと、今回の始末であるが、集合は改めて午後にするということをアシスタントコーチから地方から来る予定の5人に連絡させた。そしてアシスタントコーチには、日本語で言う「ホウ・レン・ソウ」の徹底を通訳を介して求めた。勿論、こちらからの確認回数は増やさなければならないであろう。

一度連絡しただけでは、ダメなのである。2度、いや3度確認連絡しなければいけない。練習でも同じこと。一度できても、まぐれかも知れない。最低3度は、同じ動きを連続してその場で繰り返してから、次の人と交代するべきだ。「3」と言う数字を大事にしたい。

2015年2月21日土曜日

20,Feb.2015  私の料理法

「料理」といっても、美味しく食べられるように手を加えるという意味ではなく、考え方を指している。「強敵を料理する」とか「国政を料理する」いう、物事を上手く処理するという意味の「料理」である。

フルセンテンスを述べれば、「私のバレーボール指導は、料理のように創造性を大事にしている」ということかな。三国清三さんというフランス料理人がいる。きょう何気なく見ていたNHKの料理番組『キッチンが走る』で彼の言葉に共感するところがあった。

この番組は、全国各地を有名シェフが訪れて、地場産品を材料として取り入れ美味しい料理を作り、それらの食材を提供してくれた農家の人達を招いて食事会を開く。農家の人達が丹精に育てた地場産品が凄腕の料理人の手で更に美味しさを増し、農家の人達が改めて自分たちの食材の持つ凄さに驚く。地場産品を作っている農家の人達に新たな自信を与えている番組でもある。

さすがNHKである。同じNHKでも、最近失言を繰り返しているあの上級管理職とは違い、制作現場ではしっかりと頑張っている。

三国シェフは、今でも月に一回新しいメニューを考えることを自分に課しているという。創造することには生みの苦しみがあるが、それが60歳になっても彼の進化を促している秘訣という。

私が日本でも、ここカンボジアでもやっているバレーボールの指導もまさに彼の新しいメニュー作りと似ているところがある。こちらに来てから、カンボジアのプレーヤーに合う練習法が次から次へと浮かんでくる。

体育館をはじめ、用具も日本と比べたら無いもの尽くしである。それでも選手がいる。選手もおらず、全くのゼロからやっているわけではないので、それだけでも有難い。この国のバレーボールの歴史を作ってきた先達たちに感謝している。

今晩の夕食は、1週間ぶりに自炊にした。私の料理の方は、残念ながら創造性のかけらもない。先週カンボジアに来てくれた3名の千葉県ママさんバレーボーラーの日本土産のふりかけ各種が最高のおかずである。アツアツのご飯にふりかけと目玉焼き、そしてこれもお土産で頂いたインスタント味噌汁。晩酌には、こちらで手に入るサッポロビール($3)。ああ・・・贅沢。

2015年2月20日金曜日

20,Feb.2015   結婚式への招待状を頂いた

結婚するのは、今月初めに私が食事に招待したカンボジア人カップルである。

新郎は、2日前の第1回会長杯で優勝した警察チームのコーチでナショナルチームでもアシスタントコーチを務めている通称ヒン。新婦は、警察チームの体育室(体育館という規模ではない)があるパスポート事務所(警察管轄)で事務職に就いている婦警のパラ。

新婦は、若いが、しっかりしていそうなので、のんびり屋の新郎もこれからは少しはシャンとするかも知れない。
(2日前に優勝を飾った大会期間中も、彼はこのような招待状を沢山持ち歩いて、関係者に手渡ししていた。郵便事情があまり良くないこの国では、手渡しが確実なのであろう)


(招待状の中には、ご祝儀の小袋もしっかりと入っていた。それも既に私の名前が入っている)

 招待状は、実に派手やかである。そして、興味深いのは、その招待状の中にお祝金を入れる袋が私の名前入りで、ご丁寧にも既に入っている。カンボジアに長くいる日本人にご祝儀の相場を聞いてみた。友人であれば最低でも100㌦(1万円チョット)らしい。

式は来月の8日(日)に執り行われる。この時期は雨季のシーズンではないので、結婚式は多いと聞いている。服装であるが、女性の参列者は、この時とばかり、肌も大胆に露出するキラキラするドレスを着飾って来るらしい。男性は普通にスーツか開襟シャツで宜しいようで、いたって地味なようだ。

2015年2月19日木曜日

19,Feb.2015  Lunar New Year selebrations for Cambodia

ここカンボジアでは、昨日から旧正月(中国のお正月)のお祝いが始まった。


(私の住んでいるアパートメントのオーナーから旧正月用に供えているスイカの御すそ分けを頂いた。表は黄色の皮で、中身は真っ赤なスイカである)
 
プノンペンの街には、いつもの喧騒と渋滞はなく、ゆったりした時間が流れている。バレーボールの指導も、本日は休息で、明日からナショナルチームの第2次合宿が始まる。

私のここでの仕事も、昨日の内務省警察チームの3年ぶりの国内優勝をもって、一区切りがついたような感じを持っている。

これまでの8か月を振り返ってみて思う。

思い通りにはいかないが、思い通り以上にいくこともある。いずれにしろ、思い通りにはいかないものだと思っていれば、現実にそうなったとしても大きく落胆することはない。思い通りにいかないのが普通だと思っている。

18,Feb.2015 指導のチームが3年ぶりの国内優勝!

なぜ、これだけの人材がいるチームが優勝できなかったのか?

昨年の5月にこの国に来て、9月のカンボジア選手権大会を観戦して思っていた。そのチームとは、内務省警察チーム。ナショナルチームには、このチームから7名選抜した。そして10月からは、今まで以上に警察チームの練習に力を入れた。

1月になってから、ようやくナショナルチームの合宿ができるようになった。合宿は、その警察チームの体育館で警察チームと合同にして指導してきた。そして、ここでの合同練習で警察チームは実力をつけてきた。

今回の第1回会長杯の練習のために、ナショナルチームのメンバーを、一時解散し、大会1週間前に母体である地方の各チームに帰した。

大会は、5日間行われたが、警察チームにとって、昨日が一番の危機であった。昨日敗退していたら、きょうは3位4位決定戦に回らねばならなかった。私は、具体的な指示をアシスタントコーチを通じて警察チームの監督に渡した。そしてここ3年間勝ったことのない国内最強の相手に3-0で勝利して、本日午後からの優勝決定戦に残った。

試合の始まる前、今日の優勝決定戦は、悪くとも3-1で勝てると思った。そして、途中、私がベンチ近くまで行って檄を飛ばす時も数度あったが、3年ぶりの優勝を果たした。

ウオーミングアップで、二番手の若手で長身のセッター(ナショナルチームの正セッター:20歳、1.88m)が、足首を捻挫した。泣きそうな顔をしていたので、私は彼に言った。

「骨は折れてはいない。痛いかもしれないが、今はプレーしなければならない。お前がコートに入る機会は必ずある。捻挫で死んだバレーボールプレーヤーはいない。行け!」

彼のボールをセットする位置は、高い。常にネット上30cm以上の高いところでボールを捉えるように指導している。そうすることで、クイック・スパイカーはボールの出所とブロッカーの両方を視野に入れて余裕を持って攻撃できる。 また、時にはジャンプの遅い相手ミドルブロッカーの上方からクイックをエンドライン側に打つこともできる。ブロックに触れることなく打たれた男子のボールのスピードと破壊力は凄まじく、リベロが正面でボールをレシーブしてもコントロールできない。ボールは、コート外にはじき出されてしまう。

いずれにしろ、予想通り3-1で勝利し、やれやれ・・・ホッと一息・・・である。
(会場は、今日の決勝戦だけ国内唯一木の床のあるオリンピックスタジアム体育館で行われた)

なぜ今まで、この3年間優勝できなかったのか?原因を上げれば、愚痴っぽくなるからやめよう。今夜は、これから私のための楽しみの外国人バレーボールサークルに出かける。それを終えてから、ナショナルチームを応援してくれている行きつけの日本料理店(居酒屋)にて店の従業員さん達と一緒に乾杯しよう。

2015年2月18日水曜日

18,Feb.2015 Chinese New year Festivales start in Phnom Penh

ここカンボジアは過去に長く中国の支配下にあった。その影響で、中国正月はカンボジアの正式な国民の祝日になっている。

官公庁、学校、銀行も本日から金曜まで、つまり日曜まで含めると5連休になる。私が週3日通っているオーストラリア系の英語専門学校もお休みに入った。

この国には「お正月」が3つある。1つは、国際的な1月1日。カンボジアでは、このときはお休みがあるだけで、取り立てて何をするわけでもなく実に平静である。
(我がアパートメント1Fフロント脇にある祭壇にお供え物が並んだ。一番手前にあるのは、豚の丸焼きではないか!)

2つめが、今日から始まる中国正月(旧正月)。行政からは、花火や爆竹類の火器を用いたものに対して火事を防ぐために禁止令が出ている。 

そして3つめが、4月中旬に行われるクメール正月。これが最大の祭典行事。

そして、思うのは、カンボジアって、この他にも祝日が多く、これで果たして経済発展ができるのか首をかしげている。ひょっとしたら、急速な経済発展は、色々な弊害をもたらすことを予想して、あえて休日を世界平均より多く設けているのかもしれない。

17,Feb.2015  第1回連盟会長杯 Day 4

きょうは、グループで2位までの上位チームのクロス掛けで準決勝が行われた。

私が普段練習を手伝っている内務省警察チームは、昨日の試合で、国内第3位のクラブチームにフルセットで敗退した。そして、きょうは、他のグループの1位である優勝常連のバッタンバン州警察チームと対戦し、3年ぶりに3-0で勝利した。

(別のグループの試合。カンボジアバレーの課題は、ブロックである。移動してのブロックになると空中姿勢が崩れてしまう。理由は、ブロック練習を全くやっていないから。なぜやらないか?練習のやり方を知らないから。対策は、ナショナルチームを強くすることで、国内の指導者がブロック練習を真似して取り入れてくれることが近道であろう)

今回だけは、私もアドバイスを強力に内務省チームに指示した。というより、命令に近い指示を出した。なにせ、そのチームには、ナショナルメンバーが7人もいる。しかし、フォーメーションはチーム独自の旧式のフォーメーションを敷いている。そして監督は、なんと2ヶ月ぶりに顔を出してベンチに座っている。私は、てっきり彼は引退したとばかり思っていたのだが、公式試合になると出てくる。この2ヵ月間に、選手達がどのような技能や戦術を身に付けているか、彼は知る由もない。

昨日の試合の前にも、闘い方のポイントを監督にアドバイスしたのであるが、彼は、一向に自分のやり方を変えようとしない。

そして、敗退した翌日のきょうは、もう後がなくなって藁でもすがりたい思いになったのであろうか、私のアドバイスを実行した。そして完璧に勝利を収めた。

内務省警察チームのメンバーの能力はもともと高い。そこに戦術、組織的なプレーが加わると更にレベルが高くなる。

きょうの決勝戦、彼は直接、私からのアドバイスを求めないであろう。彼も前ナショナルチームの監督としてのプライドがある。従って、アシスタントコーチを使って私からのアドバイスをそっと求めに来るであろう。私にしても、ナショナルチームメンバーが7名いるチームが準優勝では困る。

カンボジアの指導者は無能ではない。正式にバレーボールを学習する機会がなかっただけである。連盟に指導普及委員会もまだ設置されていない。インターネットのUチューブなどの動画を見て真似しながら、そこそこのレベルまで到達していることは称賛すべきことである。今後は、指導にスポーツ科学を取り入れて、理由づけの明確な指導ができるように国内各地で講習会活動をやって行きたい。

16,Feb.2015 日本からママさんバレー選手達が訪問

ママさんバレーボーラーがカンボジアに?

来ました。来ましたが、今回は3名で観光のついでに私に会いに来てくれた。3名は、千葉県ママさんバレーボール連盟会長を筆頭に、県内で40年近く活動している「サンライズ」ママさんチームの重鎮たち。3人とも、私と同年代である。

彼女たちは、まずアンコールワットと言う世界遺産を3日間かけて観光し、その後、昨夜に飛行機を乗り継ぎ、私の住む首都のプノンペンに着いた。

まずは、クメール(カンボジア)料理で歓待。積もる話は、深夜になっても終わらない。
(マーケットでの値切り交渉は、言葉が通じなくとも、電卓で数字を打って交渉する。日本の主婦の値切りパワーの底力を久しぶりに見せて頂いた・・・)

きょうは、旅行代理店が案内できない首都プノンペンの姿を見てもらった。一般庶民が買い物に行く市場やデパート、私の住んでいるところも見て頂いた。昨日から、始まった国内ベスト4チームの試合も観戦してもらった。彼女たちが当初抱いていたイメージと違い、カンボジアのバレーボールのレベルの高さに驚いていた。しかし、さすがにママさんとはいえ目が肥えている彼女たちのコメントは的を得ていた。「個人個人は素晴らしいけど、チームプレーが今一つね。そこはナベさん、あなたのお仕事ね」。

ママさんたちからは、沢山の日本食料品や選手達のための消炎貼り薬を頂いた。本当にありがたい。思わず一人一人を抱きしめたくなった・・・が、彼女たちの抱き返しの凄まじい腕力を恐れて、少しご遠慮した(笑)。
(沢山の医薬品、特に炎症貼り薬や氷嚢そしてインスタントみそ汁など、ありがとうございました)
 

次回は、本当にママさんバレーボールチームを引き連れてカンボジアにやってくるかも知れない。恐るべし、日本のママさんバレーパワー!

2015年2月17日火曜日

14,Feb.2015  第1回連盟会長杯 Day 1

会場は、当初2会場に分かれて開催されると聞いていた。その内の1つの会場に行った。そして、そこには誰もいなかった。

ナショナルチームのアシスタントコーチに電話を入れた。昨夜、2会場から、急に1会場に変更になったということだ。理由は判らない。いずれにしろ、彼は、昨夜のうちに、私の携帯に連絡できたはずではなかったのか?・・・また、ため息と疲労感。

「ホウ・レン・ソウ」というサラリーマンであれば、だれでも一度は講習会などで耳にしたことのあるコミュニケーション・スキルがある。ナショナルチームの選手達に、現在、練習における態度教育を行っている。挨拶の励行と練習中に床に座らないこと、この2つ。「ホウ・レン・ソウ」も、近いうちに指導しなければならない。

技術の指導は、多少言葉ができなくとも、示範やDVDを見せることで彼らは理解する。しかし、練習態度の教育は、難しい。なぜ、そうすることが大事なのか?それを説明し納得させなければならない。ここが腕の見せどころではある。

12,Feb.2015 Coaching Body Gard Team

カンボジア国内のチームで、専門のコーチによってバレーボールの指導がなされているチームは少ない。およそ32チームほどである。

その中から、ベスト8のチームが選抜され、14日から第1回のバレーボール連盟会長杯がプノンペン市内で開催される。いつものことであるが、第1回ともいうべきこの大会の開催が私に知らされたのは、1週間前である。大会要項はカンボジア語で書かれたものが各チームに配布されているが、私には連盟から何も連絡がない。大会要項は、手書きで作成されていても、PDFに変換すれば、容易に私のPCにも送付できるであろうに・・・。

・・・このようなことは、いつものことで、理解しているつもりであるが、ため息とともに多少疲労感を覚える。

そんな中で、ナショナルチームのキャプテンに任命した選手から、彼のチームの指導依頼の連絡が入った。彼は、チームの中で唯一、英語の読み書き会話ができる。

彼の所属しているチームは「ボディ・ガード」。国内では、5,6番手といった実力がある。練習会場は、プノンペン市内から車で40分ほど走って、広大な施設の中にあった。玄関には腰に拳銃を吊るした守衛が立っていた。そして、ニコリともせずに私を一瞥しただけで、中に入る許可を出した。

玄関に迎えに来たキャプテンに、このチームのことを聞いてみた。入って行った施設は、国の首相はじめ政治家や要人を警護する人間、つまり警護官を養成、派遣している内務省管轄の政府の施設であることが判った。常時2,000人が駐屯している国内で5カ所あるうちで最大規模の施設らしい。

広大な敷地を車で5分走らせると、更に検問所があった。そこでは、検問員が笑顔で車を通してくれた。黒い平服で現れた細身で小柄な人が握手を求めてきた。どうやら、チームの最高責任者らしい。後で聞いてみたら、肩章の星が3つあるという。日本の陸上自衛隊であれば、陸軍大将という階級である。
(この大将は、偉ぶらず、気さくに話しかけてくる。お嬢さんのご主人が、
日本に長く住んでいたこともあり、そのせいか、日本人には好感を持っているようだ)

午前中にチームの指導を行い、昼食をご馳走になった。バレーコートはコンクリートむき出しの硬いコートであるが、コートの隅の方に簡易テーブルを設え、そこで選手達と一緒にカンボジア料理を頂いた。

帰り際に、その大将から、うちのチームに週2回で良いからコーチに来てくれないかと依頼されたが、ナショナルチームの合宿が入っているので、月に2回程度でしたら来させて頂きますと言って別れた。
(床は、見ての通りコンクリートむき出しの床だ。従って、相手チームからフェイントされたら滑り込むようなレシーブはできないので、腕立て伏せのようなレシーブをせざるを得ない。大将には、このコンクリの上にゴムを敷いたコートを造れば常時ベスト4以上のチームになります、と提案したのだが・・・どうもその予算がないようだ)
国内の各チーム(クラブチーム)は、実は各省の実力者の支配下に置かれているのだということを改めて認識した一日であった。カンボジア連盟の会長も現職は内務省の要職の地位にあるが、各チームのオーナーともいうべき人間も独立した実力者揃いなのだ。あるオーナーは、どこそこの省の大臣の息子であるとか、また、あるオーナーは、首相の親戚であるとか。

つまり、ナショナルチームを創っていくには、代表選手を送って頂く各チームのオーナーの協力も欠かせないということだ。この国では、ナショナルチームの監督だからと言って、体育館の中だけ活動していればよいというものではない。各オーナー、そして秘書クラスの側近にも配慮していかねばならない。


2015年2月12日木曜日

11,Feb.2015 外国人たちだけで集まるバレーボールを楽しむ会に初参加

先週は、様子見だけであったが、今週は、正式に参加した。

参加者は、コート2面に30名ほど集まった。アップは各人任せで、円陣パスを少しやってから、男女混合のチームを4チーム作り、ゲームを4セット行った。レベルは、学級対抗レベルで、セッターは、前衛中央の人間が務める。

私は、1人のバレー好き人間として参加しているので、この会では指導的なことは一切やらない。但し、インプレー中に声をほとんど発しないのは、身体が接触して怪我をする場合が多分にあるので、声の具体的な出し方だけは、こういう声を出したほうが良いよ、と提案調に話した。

ボールが自分の方に向かってきたら”mine”、と言ってレシーブする。また、自分がレシーブせずに近くの人に任せるのであれば”yours”と言うことで、お互いの身体の接触や「お見合い」が少なくなると説明した。

2時間のゲームが終わり、バレーボールシューズから外履きシューズに履き替えようとしたら突然、ふくらはぎに筋痙攣が来た。やはり、8か月ぶりのプレーは62歳の身体に相当な負担を強いていたようであった。

3週間後には、もう少し軽やかに動けるであろうことを期待しながら自宅に戻った。帰宅して、ベッドに横になったら、心地よい疲労のせいで、そのまま朝までぐっすりと寝込んでしまった。

2015年2月11日水曜日

09,Feb.2015 きょうは120年前にバレーボールが誕生した日



写真の人が誰だか、バレーボール関係者の人達は判りますね。そうです、バレーボールを発明したMr.William G. Morgan (モーガン:1870-1942)です。

彼は、1892年にバスケットボールを発明したMr.James Naismith(ネイスミス)の影響を受けて、その3年後の1895年にバレーボールを発明しました。婦女子に適した軽いボールのレクリエーション・スポーツとして誕生したのです。

当初のネーミングはMintonette(ミントネット:同じネット型スポーツのバドミントンが影響)と言っていましたが、その後Mr.Alfred S. Halstead が今のVolleyballに改名しました。テニスのヴォレーと言うプレーから発想したと伝えられています。

2015年2月10日火曜日

07,Feb.2015 ナショナルメンバーのウエアが届いた

カンボジア・オリンピック委員会からナショナルチームのメンバーやスタッフに半袖シャツとパンツが届けられた。

品質は悪くない。タイ製である。


06,Feb.2015 ナショナルチームのメンバーを一時ホームチームに帰省

ここ2週間、毎日のように練習してきたナショナルチームの合宿を、一時休止して、メンバーを各チームに帰した。

理由は、1週間後の2月14日から5日間国内の公式大会があるので、その準備のために帰省させたわけである。この公式大会の名は「連盟会長杯」という。いつものことながら、この大会の存在を連盟から知らされたのは、つい3日前である。

従って、ナショナルチームの練習は、次の集合の2月20日まで、お休みとなった。

ここまでの練習で見つかった課題は、やはりブロックである。ブロックのステップ練習を毎日やって来たが、まだまだ体に浸みついていない。人の体の構造は、前に進むようにできている。バレーボールの動きは、前だけでなく左右、後方、そして上方(ジャンプ)と多様だ。更には、床に体を接触させるような下方への動きもある。まるで体操選手のような動きである。

帰省している間に、選手達はこれらのステップを忘れずに練習していてくれれば良いのであるが・・・。

2015年2月7日土曜日

05,Feb.2015 SEA Games出場種目の監督会議に出席

毎度のことであるが、この国の年間のスケジュールは、この1年間過ごしてみないと解らないみたいだ。

カンボジアにおける公的なスポーツ事業の年間スケジュールをこの国に来てから一度も頂いたことはない。こちらから要求すると、全てではないが、部分的に頂ける。こちらから要求しなければ、まったく頂けない。

そのような環境の中で、今朝、いつものようにナショナルチームの練習会場に出ようとすると、コーチから連絡が入って、今朝はスポーツセンターで監督会議があるので出席して下さいとの連絡が入った。
(外国人監督は、私だけ。スポーツセンター長らしき人が議長である)

このような突然の招集は、この国では良くある。会議開催の予定は決めているようであるが、あくまでも予定であって、突然変わることもあるし、突然決定することもある。

スポーツセンターという名称は、今回初めて聞いた。場所は、ナショナルオリンピック・スタジアムの裏手にあった。なんと50mスイミングプール、4面のテニスコート、老朽化したトレーニングジム、そして会議室が備わっていた。恐らく、オリンピックスタジアム施設内の管理をおこなっている組織なのであろう。

カンボジアのスポーツ組織としては、トップに青年・教育・スポーツ省がある。その下にNOCC(カンボジア・オリンピック組織委員会)、スポーツセンター、そして各NF(各種目別連盟)が傘下にある。

きょうは、2年に一度開催される東南アジア大会(SEA Games)に出場予定の種目全ての監督が集まりスポーツセンターとのミーティングを行うとのことである。各種目毎に要望事項を述べよということなので、私の番になって練習会場の要望を行った。

現在、練習している会場は、内務省クラブチームの小さな体育室で行っている。本番のシンガポールでの会場は近代的な大きな体育館であることを私も事前にインターネットで調査している。会場に慣れておくためにも、国内で唯一、床が木製でできており天井も高いオリンピックスタジアム内体育館で練習できるように要望を述べた。

この件に関しては、同じく体育館をしようしているバスケットボール連盟と使用時間を調整することで解決されることとなった。

それにしても、各種目の監督達の要望事項における話は、長い。全ての種目の要望事項が話し終えたのは9:00に始まって12:00に終えたので3時間かかった。どうも必要以外の話も中には入っていたようである。それが、この国の話し方なのかもしれない。

2015年2月6日金曜日

04,Feb.2015  まだまだ知らないことが多い

カンボジアにも他の国同様に「日本人会」が存在する。会員は300名ほどか。

その日本人会のメンバーから連絡が来て、一般の人達がバレーボールを楽しんでいる場所があると教えて頂いた。カンボジアには、地方に行けばいくほど、ネットを張ったままの砂地のバレーボールコートが、至る所にある。
(このような砂地のコートは国内の至る所にある。ナショナルチームが国際大会で好成績をあげれば、昔の人気が戻ってくると思っている)

プノンペン市内にも、いわゆる張りっぱなしのビーチバレーコートを結構見かけるが、床と屋根が付いているコートは数えるほどしかない。今夜は、教えられたその会場に行ってみた。

「3G」というその会場は、民間の施設で、道路を挟んでオーストラリア大使館の真ん前、国会議事堂のすぐ近くにあった。私のアパートメントからも、さほど遠くない。

敷地の中に入って驚いた。この国のスポーツで一番人気のサッカーの弟分ともいえるフットサルのコートが5面もあった。それらのコートに挟まれてバレーコートが2コートあった。フリーゾーン(コート周りのゾーン)は1mしかないので公式大会はできないものの、ゴムの敷かれた床と照明設備に付いた屋根があり、レクリエーションバレーには十分対応できる。
(海外でバレーボール大好き外国人がプレーしているところを初めて見た。入門者から初心者・中級者までレベルがまちまちなので運営は結構たいへんそうだ)

1つのコートには、外国人だけが男女半々の40人ほど集まってゲームを楽しんでいた。もう一つのコートにはカンボジア人だけが集まり、こちらもゲームを楽しんでいた。

外国人たちは、定期的に水曜日の夜にフェイスブックで参加を募り、集まっているということもわかった。レベルは校内クラス対抗レベルであったが、皆、楽しそうにプレーしていた。

来週から、私も参加して、体型を元に戻さなくてはいけない。ナショナルチームでの練習時に私も体を動かすことはあるが、説明指導が多く、体のキレが、1年前と比べて無くなってきた。

いずれにしろ、カンボジアにおけるバレーボールができる公営施設と民間施設をきちんと調査してみる必要もある。

02,Feb.2015 時には砂の上で練習

毎週月曜日のナショナルチームの練習は、午前中に体力トレーニングを行っている。

きょうは、砂上での中距離走とパス練習を行った。メコン川が近いせいなのかどうか良くわからないが、プノンペンの砂は海辺の砂と同じように細かで感触が良い。

午後からは、カンボジアの地方で勤務している私の後輩(青年海外協力隊員)が、プノンペンに用事で来たついでに練習会場まで訪問に来てくれた。選手達の練習が終わってから、高校生時代はバレー部員であったという彼女も少しボールに触れて練習をした。

2015年2月1日日曜日

01,Feb.2015 アシスタントコーチと食事

私のアシスタントコーチ、そして彼の婚約者を食事に招待した。

彼は40歳に近い星2つの警官である。婚約者は20歳代の物静かな女性で、警察署で事務の仕事に付いている星1つのやはり警官である。二人とも英語は、ほとんど話せない。

招待したレストランは、最近私が開拓したクメール(カンボジア)料理のレストランである。日本食のレストランも考えたが、アシスタントコーチの口にはあまり合わないようなので、彼らが日頃食べ慣れているカンボジア料理店にした。

彼の方の貯金が結婚できるぐらいに貯まったのであろうか、来月には式を挙げるようだ。カンボジアの公務員の給料は、驚くほど少ない。ここまで貯めるのに相当節約したのであろう。

私の大事なアシスタントコーチである。これからも大切にしていかねばならない。

01,Feb.2015 The world changes

世界は変化している。

今回の日本人ジャーナリストがイスラム国と称する組織に拉致され、結局殺害されたかもしれないというニュースを聞いて、私はそう感じた。

世界の中にはスポーツも含まれる。

スポーツと政治は、実は密接な関係を持っている。財務的な結論から言えば、日本のスポーツ予算は国家からの予算にほとんど頼っているからだ。国に頼らずとも、自立できているのは、今のところ恐らく日本サッカー協会ぐらいなものであろう。

今回の事件で、日本は憲法第9条に関して国民的な論議を加速していかなければならない状況となった。安保、自国の領有権の主張を強める中国、北朝鮮拉致、石油確保のために依存している中東との関係・・・。そのような国際的な背景の中で起きた今回の中東政治がらみの誘拐。海外に居住する日本人は、これから否が応でもテロリストグループを含めて誘拐などの標的にされるであろう。

国民の生命と財産を守るのが日本政府の役割である。これは海外に居住する日本人(「邦人」と称する。海外出張者や留学生も含む)に対しても同様である。今の日本には治安を守る警察はあっても軍隊はない。ある人たちにとっては、日本に軍隊がないから、日本はアメリカに軽視され、他国に舐められていると感じているであろう。他方、日本は絶対に軍隊を持ってはならない、という人たちもいる。感情的にならずに、ここは丁寧に論議を重ねて行かねばならない。

邦人の数は、どのくらいあるのであろうか?調べてみた。外務省の2011年度(1996年との比較)外務省海外在留邦人数統計によると約125万人である。そのうち、アジアにおける邦人数は、約33万人。

私の居住するカンボジアにおける邦人の数は15年前と比べて4倍に増加している。2014年の統計では、ここ数年で急速に増加して、恐らく10倍の3,000人を超していると予想できる。今年、日本人学校が設立されるのも、子供連れの日本人駐在員が多くなってきた背景がある。

アジア



国・地域

2011

1996


&0000000000140931000000140,931

&000000000001937900000019,379


&000000000004998300000049,983

&000000000002329200000023,292


&000000000003038200000030,382

&000000000001277800000012,778


&000000000002603200000026,032

&000000000002535500000025,355


&000000000002239600000022,396

&000000000001366400000013,664


&000000000001770200000017,702

&00000000000046080000004,608


&000000000001246900000012,469

&000000000001119300000011,193


&000000000001040100000010,401

&000000000001114400000011,144


&00000000000093130000009,313

&00000000000019130000001,913


&00000000000055540000005,554

&00000000000015720000001,572


&00000000000012010000001,201

&0000000000000309000000309


&0000000000000908000000908

&0000000000000769000000769


&0000000000000882000000882

&0000000000000855000000855


&0000000000000840000000840

&0000000000000448000000448


&0000000000000667000000667

&0000000000000370000000370


&0000000000000554000000554

&0000000000000205000000205


&0000000000000543000000543

&0000000000000439000000439

アジア計

&0000000000331796000000331,796

&0000000000153386000000153,386