なんと12日間かけて国内バレーボール大会(日本の国民体育大会に相当する)が開催されているからだ。主催者は、青年教育スポーツ省である。
(赤い点が首都プノンペン市。車で3時間弱で青い点のカンポットに着く。ベトナムの国境も近い) |
宿泊費と食費は主催者負担。とはいうものの、一部の高校生チームは学校の宿舎で寝泊まりしている。参加チームは、クラブチームのAクラスが7チーム、Bクラスが9チーム、高校女子が11チーム。コートは全て屋外で3コート準備されている。
(50年前、私の中学生時代もグラウンドでの練習であった。都市部のチームは小さいながらも体育館で練習しているが、地方では、まだまだ土のコート上で練習している。) |
ゲームは、各コートで、男子が午前2試合、昼の炎天下は休憩して、女子が午後に1試合行われている。照明設備はないので、夜の試合はない。いずれにしろ、12日間の長期に渡って試合を行う。
私にとっては、ナショナルチームの選手発掘になるかも知れないので、3日間だけ観戦に出かけた。
新たな選手の発掘はなかったが、2つ新たなことが解った。
1つは、1965年に日本青年海外協力隊が発足したのだが、その年、2番目に締結したカンボジアに派遣されたバレーボール隊員の大峯さんに指導を受けたという方と出会えたことだ。その方は、プノンペン近くのプレイベン市にあるPreyVeng Youth Federation(プレイベン青年協会)というクラブチームの総監督をされていた。年齢は60歳半ばくらいであろうか。
プレイベンのチームの試合が始まる前に、その方に私のほうから近づいて行った。カンボジアのトップチームの中で、実は彼のチームだけがスタッフウエアをいつも揃えて身に付けているのが不思議であった。日本では、スタッフウエアもユニフォームであり、揃えるのは当たり前のことだが、カンボジアでは珍しいことである。
カンボジアバレーボール連盟の役員も関係者の誰も、何故か当初から私をその方に紹介してくれなかった。国内ベスト4の実力があり、195cmの長身選手も抱えているチームの総監督に、今日は良い機会と判断し、私から声をかけたのだ。
「大峯さんは、私の協力隊での先輩です。3か月前にも東京でお会いし、カンボジアのことをお話しして頂きました」。私が、英語でそう言うと、その方は目を細めて、昔を懐かしむような表情で私の手を握り返してきた。
近いうちにまたお会いしましょう。そう言って、その方を試合に送り出した。・・・何という奇遇だろう。
(可愛い子の皆さん、写真を撮るからおいで、と呼びかけたら、さすが今どきの女子高校生、あっという間に試合前の練習を止めて集まってくれた) |
もう一つは、女子バレーの現状がわかったこと。首都プノンペンよりも地方の高等学校でチーム数は少ないものの活動していることがわかった。但し、選手は、ほとんどが小柄で160cm前後である。指導者は女性教員が多く、人数が足りないのか、中には高校生に交じってゲームに出ている教員もいた。
夜は、三晩とも、地元州警察署の副署長にお世話になった。昨夜は、彼としては最高の歓待の表現であったのであろう、野生の肉料理をご馳走になった。シカの肉、イノシシの肉、ハリネズミの肉、そして乾杯はコブラの生き血入りのスコッチウイスキーであった。とどめに出たのは、またもやコブラをぶつ切りした鍋料理。味は何とも・・・表現しようがない・・・。
ホテルに帰って、コブラの生き血のせいか、野生の肉料理のせいか、体が火照ってなかなか寝付けなかった・・・。
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